第11話 : 火種
「……お前らときたら、究極なまで無鉄砲に踏み込んでくる。弾丸野郎にも程があるぜ。嫌になるなホント」
「まぁ、これだけ巻き込まれてるんだ。気になっちゃうわなぁ」
樋口少年の言葉に、うしろに立つ佐伯のおっさんが目じりに皺を寄せ苦笑する
「うっせー!おら、てめーらさっさと洗いざらい吐きやがれ」
ケッと歯をむき出す様に息を吐けば、樋口少年から乾いた視線を向けられる。
「……性根からバカか」
「話せる範囲で構いませんので」
樋口の言葉に俺が身を乗り出すよりも早く、へっぽこは背筋を伸ばした姿勢を崩さずさらりと告げた。
根性なしのへっぽこ野郎が。
お前も何が起こってるかまるごと全部知りたいって顔してるくせに、なに気取ってやがんだ。
ムカつき肘で、隣の男の脇腹をどつくと「ぐえっ」とカエルのような声が隣で漏れる。
正面の樋口少年は、それこそ雨の日にカエルを踏んじまったかのような苦い表情と共に、ため息をもう一つ。
「メネアの、話な」
俺とへっぽこの視線を受けて、樋口は俯きがちのまま目線だけをこちらに向ける。
「俺は“メネアは自殺しない”なんて曖昧な観測どころか“自殺は不可能だ”という確固たる理由を知っている。お前の目の前から消えるようにいなくなったのも夢や幻なんかじゃねぇ。消える理由に、その原理に心当たりがある。だから消えたと伝え聞いたところで、動揺も疑いもない、するはずもない」
消えて驚いたろう?樋口の問いには、からかいも嘲りもなかった。
人が、一瞬にして消えてしまう?
煙のように後を残さず、光に溶けるように一瞬で。
そんなことが、あり得るのか。
息を吐いただけなのか、俺の心を読んだのか、樋口は微かに首を振る。
「詳しくは言えねえが、メネアはとにかく誰かに襲われて止む無く姿を消している状態だと予測される。だが、あんな強い奴、なにがどうなって負傷したのか、犯人が誰なのかがまったく見当がつかねーんだよ」
途切れるように消えた言葉を紡ぐように、チクタクと時計の針の音だけが宙を舞う。
眉間を揉むように手を額に当てた樋口の後ろで、佐伯がそっと目を伏せた。
あぁ、こいつらは確かに確信してるんだろう。自殺はあり得ないって理由を知っていて、消えちまうっていう現象にも心当たりがあって、自殺じゃ、ないんだ。
緑の瞳。抜けるような鮮やかな目がフラッシュバックして鮮明に脳裏に映る。
よかった、とそう思った。あの目が生きることに絶望した心を宿していたとしたならば、きっともっと胸糞悪い気分になっていたと思う。人知れず力が抜けて握りすぎて血液が通っていなかった指先にカッと熱が通る。
感覚を戻す様に指先を摩り顔を上げる。こちらを見据える重たい黒い瞳。
鉛のつぶてが腹をつぶし、頭をつぶし、指先を殺して感覚を奪う。
重たい視線。
目の前の小さな口がふわりと開く。
「……ただ、ひとつ確実なのが、メネアを襲った犯人を野放しにしとけば、間違いなく幾多の人命が削られる甚大な被害がでちまうってこと、だな」
「は?」
どこから出てんだっていうアホみたいな声がでた。
話が思わぬ方向に傾いている。
「甚大な、被害……?」
頬に手を当てて考え込むように俯いたへっぽこが、はじかれたように顔を上げる。
それはまるで。
絡まっちまったすげぇ量の糸を解いてみたら、結果たった一本の糸となったかのように。
「……無差別事件」
へっぽこの声が部屋にぽたりと落ちる。
樋口少年の小さな手はまるで何かを掬いあげるように持ち上がり、きゅっと手の内になにかを隠すよう膝の上でゆるやかに結ばれる。やがて両手は祈りをささげるかのようにきつく絡まり、組んだ手に顎がコトリと乗った。
覚悟はいいかと、カウントダウンのような瞬きがふたつ。
「俺、佐伯、メネア、グレア。警察職員に隠された地下所属フロア。無法ともいえる外国人部隊、小童の分際で仰け反る俺に、消えたメネア。それら特殊なすべての事柄は、他とは一線を反す秘匿事件、近ごろ秘めやかに多発している無差別殺害事件の捜査、および排除のための布陣だ。
……――ここは、無差別殺害事件の対策捜査本局に値する」
無差別、殺害事件。
へっぽこがかび臭い部屋で言っていた。最近、訳の分からない事件が多発してるらしいって話だろうか。そんな話、これまで聞いたことがなかった。ニュースやネットでだって話題になっていない。それはつまり、情報規制が徹底されたホントにやばい山ってやつなのか。
「俺やメネアは、特に対策の任を担っている。事件への対策方法は確立されつつあるが、なにぶん事件発生が多様にわたり、一つひとつ解決していくしか今のところ手立てがねーんだ。メネアは対策手段を知り実行できる数少ない力を持つ。俺が知り得る対策本部の中でも古株で実力も申し分ない。だからこそ今回の犯人は間違いなく厄介極まりない予感がする。でかいことをかまされる前に、早急に対策を講じたい」
人生ってのは、いつなにが起こるのかわからないもんなんだな。
いいことも、くそめんどくせぇ厄介なことも。
脈打つ鼓動。汗をかく手のひらをズボンに押し付けて耐える。旋毛に視線を感じて顔を上げれば、なぜか樋口少年の後ろ、話の途中からまるで空気を殺すかのように立っていた佐伯のおっさんに、めちゃくちゃ完璧なウインクされた。……はぁ?
「というわけで、捜査に協力してくれないと、おじさん、君たちを逮捕しちゃうぞっ」
「あ゛ぁ!?」
「お、俺もですか…」
あ゛ぁっ!?
へっぽこお前、そもそもお前が俺をここにちょっぴいてきたんだろうが。
ここにきて関係ない振りなんて地球が爆発したってさせやしねぇーぞ!!
突然のウィンクじじぃの寒いセリフに、思わず今日一番の逃げ腰になりながら頭を回す。
「捜査協力って、あれか?つまりはさっさと犯人とっつかまえりゃあいいってことか!?」
樋口の瞳の表面を、身体が揺れて照明の当たる角度が変わったのだろう、ぬるりと光が滑る。
黒色の中で流れた感情は、無なのか憎悪なのか怒りなのか情けなのか切なさなのか。
全てにふたをするように、少年はニタリと笑った。
「そうだ。メネアは姿こそ消えていても、そう簡単にくたばりゃしねぇ。まずはとにかく、悪魔退治、だな」
悪魔。
今日はその言葉をどこかでも聞いた気がする。
たしか、そうだ。
死に物狂いで俺たちを追いかけてきた美貌の女、グレルとかいったか。あいつが悪魔とかそんなことを口走っていたような気がする。頻発する無差別事件、少女が消えた不思議な現場、それじゃあ……。
「無差別事件ってのは、悪魔の仕業なのか?」
口ついて出た言葉は、あまりに陳腐で子供だましな仮定だった。
自分で言っておきながら眉間に皺が寄る。何言ってんだ俺!!!!
奴も突拍子もない俺の言葉にびっくりしたのだろう。
樋口は俺の言葉を噛み砕くように、というか一瞬きょとんと唖然とした後で、一時の間をおいて真摯な目線を据えてきた。
「そ、うだな。いや、犯行自体はあくまで“人間の仕業”だ。ただ事件内容から“悪魔の所業”なんてよく評されんだよ」
樋口少年の瞳は、重たげな前髪に隠れて見えない。
そういやぁ、へっぽこが無差別事件の内容は過激なのだと言っていた。背筋にぐるぐると寒いもんが走る。
こいつらは、どれだけ胸糞悪い事件を目にしてきたというのだろう。
ご愁傷様と言わざる負えない。だが曲がり間違っても、俺はまっぴらごめんだ。そんなもんわざわざ知りたくもねぇし、正直関わりたくもねぇ。
口を閉ざした俺の様子を一瞥したのか、樋口が微かに顔を上げる。
「一先ず、この後すぐに現場検証に行く。お前たちも付いてこ……」
「あ、俺は無理。パスで」
「「「はぁあ!?」」」
俺以外三人の声がそろう。
いや、しかたねーだろ。無理なもんは無理だし。
「お前、今の話の流れで、そんな真正面から断るか?ふつー」
目を丸くして驚きながら「おじさん最近の若者まじわかんなーい」と眉間を揉む佐伯の前で、樋口少年は珍しく年相応な様子で無防備に首を傾げた。
「なぜ断る?」
「……正直んな気色悪いもんに関わりたくねぇってめちゃくちゃ思ってっけどよ。つってももう、メネアに会っちまってるし。別に協力しないってんじゃねーよ。……ただ、俺んち門限厳し―かんな。今日はこれ以上無理」
「……え、木戸君って夜な夜なオールで遊んでどんちゃん騒ぎが通常運転って感じじゃないの?」
「てめぇのその偏見はどっから出てきてんだよ、あとで覚えてろよこのへっぽこ野郎が」
へっぽこが不満げに頬を膨らませる。お前、いい年してなにやってんだ。
「門限……、そうか」
樋口はつぶやき目を伏せたかと思うと幼い顔に笑みを浮かべた。
なんていうか、なんだ?すげぇ嬉しそうな表情に見える。
「そりゃあ親御さんを心配させるわけにはいかねぇな。了解した」
奴はずっと組んでいた手をゆるりと離して膝に置く。佐伯は佐伯で、もそもそと腕時計を確認し「ぼちぼち夕ご飯の時間っちゃぁそうだわなぁ」と苦笑を浮かべて頷いている。
「仕方ない。木戸はここで解散として、俺らはこの後、現地調査に向かう。こっちも時間がねぇんだ、ことは急を急ぐ。もたもたしている暇はない。木戸、お前も明日は朝一で合流してもらうぜ」
「……わーったよ」
ウィンクを懲りずにかましてくる佐伯のおっさんの様子に返事がYESしか許されないことを知る。協力か逮捕か。天秤の重みが違いすぎンだろボケが。
……まぁ、別に協力したくないわけじゃない。
経ばかりは本当に遅くならねぇうちに帰りてえってだけで。
仮にも、現場に居合わせちまったからには、腹を括るしかないだろう。どれだけ胸糞悪い面倒ごとだとしても。事件、犯人のこと、そして消えちまった少女、メネアのこと。
気にならないと言えば嘘になる。
だが、樋口少年があっさりと帰ることを認めたのは意外だった。すげぇ屁理屈こねくり回されて嫌味の針をぐさっぐさに刺されながら帰ることになると思っていたのに。
そんなことさっぱりなかった事実に内心首をひねる。奇特ともいえる態度に、ならまぁ、明日朝一で合流してやらないこともないと頭の隅っこで思う。
「一晩経てば記憶が曖昧になることもある。メネアのこと、現場のこと、一字一句忘れるんじゃねぇぞ。鳥頭で数歩歩けば忘れちまうなら、寝る前にでも全部隅から隅まで思い出して覚書かいとけ、いいな」
「はぁ?おぼえがき……?」
「あーっと、メモ!メモとっておいてねってことだ、な?」
佐伯の言葉に、樋口少年がわずかに驚いた表情をして「メモ、そうか、メモか……」なんて真面目に頷いている。なんだってんだ。
一著前に顎へ置かれた手は、俺なんかよりもずっと、もっとずっと小さく幼い。
「…………なぁ、樋口少年」
「あ?なんだ」
樋口少年ってなんだ。流三郎でいいぞ。
俺の言葉に、樋口、もとい流三郎は、力むわけでも甘えるわけでもなくあまりに自然に反応する。
むしろ、どうした?と俺の言葉を促す雰囲気さえ醸し出す姿がただただ不思議で。
そういや、聞いてなかったなとふいに思った。
「じゃあ、流三郎。なぁ、お前って何歳なの」
佐伯のおっさんとへっぽこの空気が瞬時に張りつめる。
俺は素知らぬ顔をして、ただ流三郎だけを目に入れるよう意識する。
周りの状況を知ってか知らずか、流三郎は「えーっと……」と目を細めて天井を見上げ、かと思えば足元に目線を落としてうんうんと唸る。
ふたたび俺に目線を戻したかと思えば遠くを見るようにもうしばらくううんと唸り、だめだとばかりに肩を竦めた。
「―ーさぁ、もう忘れちまった」
ずっと目線の下にある伏せままの細い肩は、とても冗談を言っているふうじゃなくて。
「そうか」
一言だけ返した俺が意外だったのか、流三郎が顔を上げる。
本当でも嘘でも、冗談でも、何でもいい。流三郎がそういうんだから、そうなんだろう。
聞いてきたから素直に答えたってのに、無視されるのも否定されるのも流されるのも、今日はもう嫌ってほどやられてっから。
俺の言葉を咀嚼するように、流三郎はひとつふたつ瞬きした後、瞼を静かに閉じて少しだけ、ほんの少しだけ。照れたように、はにかんだ。
容姿に見合う幼い表情が、なんつーか、ぽくないなと感じたのは果たして間違いだっただろうか。




