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神様に捧ぐ  作者: 古代いせき
第一章 白き者
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第10話 : 禁域

ぼんやりと薄明りが灯された廊下を奥へ入ると、辛うじてこれまで見えていなかったフロアの様子が伺えてくる。どうにもこのフロアは広い会議室みてーな、よく映画で偉いやつらがこぞって集まるような管理室を思わせる設備を持っているようだ。廊下のガラス越しに見えるのはメインの設備と言えるのだろう巨大なスクリーン。署内から敷地の外まで、あちこちの監視カメラ映像が映し出されている。プライバシーもなにもあったもんじゃねぇな…。忙しなくチカチカと動く映像が目に痛かった。部屋は広さの割にデスクが少なく、スクリーンの前に2,3人の職員が辛うじて座席についているのが目に入る。地上の署内ではここの何倍もたくさんの警察官が闊歩していた。比べれば明らかにここは異質な空間だろう。薄気味悪い静まり返ったフロア。暗闇の中、デスクで動く機械の、電光石火のごとく点滅する光の速度から、中での仕事が凄まじい精度で仕切られているのを感じる。……少数精鋭部隊ってやつだろうか。てめーの職場の地下にこんな気色悪い組織があったとなれば、へっぽこもさぞ腰を抜かしているだろう、と様子を伺えば「ほへー」やら「うわぁ」やら、言葉になっていない感嘆をのんきに洩らしてやがる。本当に、心のそっこから、くそ使えないヤローだ。


「署内の地下に、こんな施設があったなんて、これまで少しも知りませんでした」


へっぽこが、それでもさも興味深げにガラスの向こうをじっと見つめている。


「やっかいな特殊事案を受け持つフロアだからな。ここの存在知ってんのなんて、上層部でも限られた人間だけだ。言い方を変えれば、知らない方がよほどいいっつーことだわな」

「……おい。それ、今まさにここに居ちまってる俺たちに言うことか?」

「本当なんだからしかたねぇだろ」


あっけらかんと肩を竦めて答える樋口少年に、俺とへっぽこが頭を抱える。


そのまま案内されたのは、でけースクリーンのある管理室からさらに奥に入ったところに扉だった。他の扉とは一線を博す重厚な扉。立派な樹木でつくられたのだろう扉の表面は、つるりとした光沢があり深く滑らかな模様が影を刻み趣を増している。ドアノブまで金色で染められていて、正しく金持ちの家って感じだと呆気にとられる中、目の前の景色に微かな違和感を感じた。なんだ、なにかがおかしい。

もやもやしたまま得もいえぬ歯がゆさに二の腕を掻き毟れば、先頭に立つ樋口がするりとドアノブを回す。

扉の向こうは、古臭い書斎のような部屋だった。


……どこのじじいの部屋なんだよ。

なんつー懐古趣味。過去に数回、行く羽目になったことのある校長室を連想させる古臭い匂い。顔を顰める。鼻頭に皺を寄せながら部屋を見回せば、涼しい顔をした樋口少年に応接セットのような椅子へ着席を促された。部屋の趣味的には佐伯のおっさんの部屋と言われんのが一番納得いくが、どうにも我が物顔で椅子に座る樋口の様子を見るに、信じらんねーけど、こいつの、樋口の部屋なのだろう。

……つーか、センス渋すぎんだろ、お前。


もう言いたいことは数百億兆と浮かぶけれど、考えんのも口に出すのも最早めんどくせぇー。

ここまでいいだけ追いかけ回されて死ぬか生きるかの崖っぷちで疲れてたし、考えをすべて放り投げて、ともかく勢いよく着席する。


だぁーーーーったく、疲れたっ。


早々に恰好を崩す俺を信じられない目で呆けたへっぽこは、しばらく立ち尽くした後、ようやく恐る恐る着席する。俺とは裏腹に姿勢を崩すことなく、行儀よく背筋を伸ばしている。ったく、固い野郎なのかのんびり野郎なのかはっきりしやがれ。


向かいの席に座った樋口は心地ついたとばかりに軽く息を吐く。佐伯に関しては、樋口少年が佐伯の上司というのがあながちウソではないのか、まるでちびっこに控えるよう席の後ろに立っていた。朗らかな表情とは裏腹にその姿勢は直立不動といっていい強靭で研ぎ澄まされたものに見えた。


「では急かすようで悪いが、さっそくお前がメネアを見かけた光景、状況を話してくれるか」


樋口少年の黒髪がゆれる。小さな膝小僧の上に置かれた青白い指先が、するりと両指を組んだかと思えば、そこからじっと佇み動かない。


「……もうあらかた知ってんじゃねーのか?」


来る途中で見かけた巨大スクリーン。署内の様子が映し出されたそれで、間違いなく取調室の映像も見てたはずだ。

自分の太ももに置かれた指先を見下ろす。息を吐いたはずなのに、いつの間にか俺の両手は、手の甲の血管がボコリと皮膚に浮かび上がるほど、堅くきつく握りしめられていた。

樋口少年の目線が刺さるのを感じる。


「俺はメネアの状況を、実際に見たお前の口から直接聞きてーんだ」


実直すぎる請い。ため息をつきそうになるのを飲み込んでやり過ごす。樋口は少女の、メネアの知り合いだと言っていた。……ならば、話さないわけにはいくまい。

同じ話を10回目ともなると、話し始めにも、途中言葉にも詰まることもない。不本意にも洗練されちまった状況説明を、これまでよりも少しだけ注意深く話し出していく。


「……んで、消えちまった信じらんねーってところで」

「俺が、路地裏で竦む君を見かけて声をかけた」


話を進めるにつれて樋口少年の眉間の皺が増える。


「血だまりの中で、倒れていたのか、メネア……。そのとき、周りにお前ら以外の誰かは本当にいなかったか?」

「人気のねぇ路地だったし、すれ違ったりもしてねぇ」

「俺と加賀さんの方も、最近の無差別事件増加に対する防衛処置として自治区の見回り実施中でしたが、特別周辺で怪しい人物は見かけていませんね……」


なるほど。へっぽことスカシが路地裏に現れたのは、どうやら町の巡回中だったらしい。

物音がして覗いた路地裏に、見回り唯一の不審者である俺がいたってことかよ。


「そうか……」


樋口が組んでいた両手を離し、開いた膝に肘をついて眉間を揉む。

束の間の静寂。

聞いてみたい、ことがあった。


「……なぁ、聞いてもいいか」


我ながら、これまでと様子が違う殊勝な俺の物言いにみんなが首を傾げている。

まぁ、俺にだって、多少の人並みの気持ちってのはあるし、いいづれぇことだって、まぁ、あんだろ。


「?どうした」


樋口が小さく首を傾げる。


「……俺が物音を聞いて走ってくと、あの女の子が倒れてた。ビルの前、真下にだ。いつの間にかまるっきり消えちまったってのは、さすがに意味わかんねぇけどよ。ビルの下に倒れてたってのは……、自分で、その、だから、なんだ……、はっきり、言っちまえば、……あの子が自分から飛び降りちまった、ってのが可能性高いんじゃないか」


言っちまった。けど、

どれだけ考えられなくても考えたくなくても信じられなくても。

心の中の機微なんて誰にもきっとわかりはしない。そういうもんだろ?


メネアの知り合いだっていう、樋口や佐伯が敢えて避けていたであろう事実を突きつけたことに、妙に苦い気持ちになりながら、様子を伺うよう顔を上げる。するとどうだ。僅かな動揺も、ショックを受けた様子もなく、あっけらかんとした装いで樋口少年は首を横に振った。


「あぁ、それはありえない」


少年は一貫して否定した。迷いも疑いもないきっぱりとした口調。

予想外の物言いに俺の方が度肝を抜かれる。

……こ、これは、直視しがたい現実を認められないでいるのか?

平常に見える目の前の少年が、よもや精神を病んでるのかもしれない状況にどぎまぎと言葉にならない。

目を回す俺を余所に、隣ではへっぽこが不思議そうに首を傾げていた。


「俺も、彼の話を聞いた時に自殺の可能性が高いと感じました。落下音に血だまり、顔に擦過傷が見当たらなかったのは少々不思議ですが、隣接するビル間に距離があり周りに突起物もなければ衝突姿勢によっては十分あり得る身体状況だ。なによりビルには屋上があった。けれどあなた方は……、君も、そして消えてしまった少女と親密な間柄を感じさせる先ほどのグレルさんも、一切自殺とは思っていない様子だ。それに」


俺たちの視線がへっぽこに集まる。


「……それに、僕にとっては“少女が消えてしまった”という点が一番不可解です。他の地上署内の職員も僕と同じだったように、聞いたものが一番疑問に思う点だ。しかしあなたは、そう、あなたもグレルさんも、少女の行方を気にしていても、木戸君の話を聞いて“消えてしまった”という点に疑問を持っているようには思えない」


奇妙な事態に、危機的状況。これまでの日常とはかけ離れた状況下の中で感じていた彼らとのズレ。

そうだ。へっぽこも、取り調べのロボット刑事も、俺も、消えた事実に首を傾げた。どうして、なぜ、なにが起こった?と。もしかしたら本当に、俺だけが得体のしれない幻を見ていたのではないかとも考えた。やばい薬?やばい病気?原因なんてわからない。でもなにかの影響で、脳みそのどっかがトチ狂って、無意識にも自作自演でもしてたんじゃなかろうかと。疑いを持つなという方が無理な状況だろ?到底、己を信じられず疑いを持ってしまうほどには不可解な“人が消える”という事象。


だけど、少年は、樋口はどうだった?

そう、違っていた。違っていたんだ、まるで。


「君たちはまるで、少女が消えてしまう理由を知っている。そしてこの件が加害者のある事件であると確信し、なによりも犯人の究明を優先として動いている、……」


へっぽこが言葉を切り、先を口にすることを躊躇する。

最初は疑問を並べたつもりが、口に出せばそれは歴然と整列して、おそらく本人を無自覚のまま目に見えない糸口へと近づいていったようだ。好奇心か、職業病か、どちらもなのか。


咄嗟に口をつぐんだそれは大人ゆえの、年を重ねてきたからこそできる判断だったろう。俺よりも少し多くの人生の分岐を迎えてきた奴の、言い知れぬ直感。懸命な判断。俺たちの前にはきっと、踏み込んだら戻れない一線が横たわっている。平穏と、胸に生まれる熱が天秤にかかる瞬間。今ならば、それが少しわかる。けど何度繰り返しても結局俺の行動は変わらなかったかもしれない。ある生意気なやろーの言葉を借りるならば、どうしたって生きる道筋の中では“選択の余地がない岐路もある”ってことなんだろう。


「なにが、起こってるんですか」

「なにが、起こってんだ」


俺とへっぽこの声が重なる。笑うものは誰もいない。

ゆらりと小さな影が揺れる。


あぁ。

俺たちが触れたパンドラの箱は、錆び付いた黒い瞳を微かに鈍く光らせた。


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