婚約破棄の現場で~逆ハーメンバーの一人が連れさらわれた~
それは長閑な午後の昼下がりの出来事で――
それは高位貴族の夫人と令嬢が王宮の一室で行われていた王妃の主催のお茶会の出来事で―――
それは招かれてもいない者たちが現れて起きた出来事で――――
その場に居た客たちは唖然とその招かれてもいない者たちの面子に唖然としている間に王子が宣言した。
「イモージェン・ローズ・ブルーレース。身分が低いからとアンナにした数々の嫌がらせ、目に余るものがある。生家のブルーレース公爵家もそなた同様に悪どく、人身売買に暗殺まで行うとは貴族の風上にも置けん。そなたもそなたの家も私にはふさわしくないのは明白な事実! よって、我はここにそなたとの婚約を破棄する! 婚約破棄の証人は我が母である王妃とこの場に居合わせた皆の者だ! 後でなかったことにはさせんからな!」
「・・・」
言い渡されたイモージェンも他の招待客同様、王子の突然の闖入とその宣言に呆れて物が言えなかった。
今日のこの集まりは、王位貴族の女性たちを集めた女性だけのお茶会である。いくら主催者の息子で王子であろうと、男と呼べるものが在っては参加することを遠慮しなければいけない集まりなのだ。
この集いは良妻賢母の集い。つまり、現在の夫、将来の夫をうまく操縦しようと言う崇高な目的で開かれたお茶会なのだから。
嫁に行く立場や婿を貰う立場になってから来い、と参加者たちが思ってもおかしくはない。
こんな婚約者のいるイモージェンに同情している者もいるくらいだ。
決して、イモージェンやブルーレース公爵家への暴言に対して驚いているわけではない。
今でこそ比較的、平穏になっているが、貴族の足の引っ張り合い、蹴落とし合いはいつの世もあることである。
毒を盛り合うこともある為、幼い頃から毒に耐性を付けるのも常識だ。
しかし、現在は毒に耐性を付けていても、毒を盛られることは少ない。と言うのも、互いに二重三重の意味での親戚であることが多いからだ。
家の中での争いならともかく、そうでなければ婚姻で大概、解決されているのである。
それが王族で王子ともあろう者が、女だけの集まりに招かれてもいないのに乱入してきたのだ。とんでもない失態で、その上、婚約者とその家に対する暴言。
王妃は頭痛がしてきた。
王子が婚約破棄を王妃や高位貴族の淑女たちの前で公言することで婚約破棄を事実とできるなら、王子の無能さ加減も事実となってしまった瞬間でもあった。
「フレデリック。今すぐこの部屋を下がりなさい」
「何を仰っているのですか、母上。出て行くのは、家が大罪を犯したブルーレース公爵令嬢のほうです」
王妃は能面のように顔から表情を消してもう一度告げる。
「今すぐこの部屋を下がりなさい、フレデリック」
王子は目を泳がせ、腕にしがみ付いている少女と後ろに引き連れている自身の側近たちの頷く姿を目の当たりにすると元気付けられ、王妃に反論することにした。
「しかし、母上――」
「やあやあ、こちらにバティスタ伯爵の令息がいると聞いたのだが、どいつかな?」
滑らかな低重音の声が王子の言葉を遮った。軽い口調でありながら、有無を言わせぬものを秘めたその声に場の空気が更に硬くなる。その場に居た者は本能的にこの声の主に逆らってはいけないと察知した。
新たなる招かれざる客は悠然とした歩みで姿を現した。
年の頃は三十歳前後。肩まである金の髪に肉食獣を思わせる空気を纏い、性別を問わず好ましく思う整った顔立ちをしている。着ている物は極上だが、王子には見覚えのない男だった。
「? そなたは――」
息子である王子が非礼を働かぬうちに王妃は闖入者に微笑みかける。
「お久し振りでございます、カルッセル王クラウス陛下。ご成婚以来でございますね。拝見いたしますにご健勝のようで何よりでございます。アントワネット様もご健勝でございますか?」
「カルッセル王妃と言えば世界一の地味王妃?」
王子に庇われるように立っている少女が王子に小声で訊く。
王子がアンナの口を手で塞いだが遅かった。その声は王妃と他国の王の会話で静まり返ったその場にいる者全員に届いた。
カルッセル王の目付きが険しくなっている。
アンナが言う通り、カルッセル王の妃と言えば世界一地味な王妃として有名なアントワネットしかいない。
庶民であるアンナですら知っているほど、アントワネットは有名人であった。と言うのも、美男で有名なカルッセル王とその妃は容貌が釣り合っていない。妃の兄で美貌で知られる宰相が国王の隣に立ったほうが良いとまで言われている。
そして、宰相と国王が並び立つのを見れば国中の女性が倒れると言われるほど、この義兄弟は容姿に恵まれすぎていた。宰相とその妹であるアントワネットはカルッセル内で顔面格差兄妹と呼ばれているくらいだ。
だからと言って、他国の国王の妃の蔑称を口にして良い筈がない。現に妃を馬鹿にされたカルッセル王は気分を害して冷気を漂わせている。
アントワネットとは政略結婚だが、カルッセル王は結婚前に他の妃を家臣に娶らせるほど彼女を溺愛していた。そんなことを他国の庶民であるアンナが知る筈もない。
しかし、ミルディーンの王妃は知っていた。ここに集められた高位貴族の夫人たちやイモージェンも外交を担う教養の一つとして知っていた。
カルッセル王と宰相は義理の兄弟でありながら仲が悪いものの、アントワネットのこととなると双子の悪魔のように息が合うことはミルディーンの王妃しか知らないことだったが。
(馬鹿な息子にふさわしい馬鹿な娘だわ。)
王妃は溜め息を吐きたくなった。
「私もアントワネットも達者に過ごしている。お気遣い済まない、グレイス妃」
カルッセル王は氷のような眼差しで、愛する妃への侮辱を無視して言った。
ミルディーンの王妃もカルッセル王に習って、馬鹿な娘の存在を無視した。
「それはよろしゅうございました。本日はお越しになるとは聞いておりませんでしたが、バティスタ伯爵子息に何か御用でも?」
「ああ。余の弟がこの国で消息を絶ってな」
「弟と仰られるのはシグムント様でございますか?」
カルッセル王には母親の違う兄弟が何人かいるが、弟は一人しかいない。
平民出身の母親を持つシグムントだけだ。
「そうだ。母親の身分が低いとは言え、シグムントは余の弟。身分を隠して諸国漫遊に出ていたのだが、連絡が途絶え、人を遣って探させたところ、どうも、バティスタ伯爵が売り払った旅人の中にシグムントの姿があったと言う報せを入手してな」
「そんな! 嘘だ?! 父上がそのようなことをする筈がない!」
王子の後ろにいたバティスタ伯爵令息ヒューイは驚きの声を上げた。
ヒューイが側近を務める王子がブルーレース公爵家を人身売買の罪で告発したばかりである。そこに自分の父親が人身売買を行っていたと他国の王に告発されたのだ。
知らぬとは言え、他国の王族を売り払っていた。それはブルーレース公爵家とイモージェンへの糾弾など吹き飛ぶような大きな問題――国際問題だった。
「旅人を売り払う・・・?! それが本当なら重罪でございますね」
王妃は深刻な顔でカルッセル王の言葉に頷く。
税金が払えないならと労役を与える領主もいれば、奴隷として売り払う領主もいる。それは各領主の判断に許さていることだ。
ただし、借金奴隷や囚人奴隷でもない人身売買はミルディーンをはじめ、多くの国で禁じられている。
借金奴隷と囚人奴隷。前者は借金の代わりに奴隷となったものであり、後者は囚人として奴隷になったものである。借金奴隷はそれ以上の負債を背負わなくても良く、借金さえ返せれば元の身分に戻ることができる。囚人奴隷のほうは恩赦を貰えれば罪を許されて元の身分に戻ることができる。
ただし、どちらの奴隷も一代限り。それは目に見えない借金で縛られた労働よりも、奴隷という形で借金や罪がわかっていたほうが双方にとって都合が良いからだ。
「そうだ。税を払えなかった領民を売り払うことは多くの国の領主の特権だが、旅人を売り払うのは明らかな違法だ。シグムントが巻き込まれなければ発覚しなかったに違いない」
そういった奴隷事情から王子は人身売買に関わっている婚約者の家を糾弾した。
ところが、ブルーレース公爵家を糾弾している王子の側近の家がその罪を犯していると他国の王から指摘を受けている。
王子はブルーレース公爵家の罪を明らかにして自分の味方を作ってしまおうとした行動が逆目に出てしまった。
それも他国の王族――それも腹違いとは言え、王弟を売り払ってしまったのだ。
カルッセルと戦争すらなりかねない。
父親が他国の王弟を売り払って、国に攻め込む口実を与えてしまったバティスタ伯爵令息ヒューイなどは顔色が悪い。
「何と言うことかしら。バティスタ伯爵の所業かどうかはこれから調査いたしますが、弟君の無事をお祈りしますわ」
「ありがとう、グレイス妃。アルバート国王もシグムントの捜索には全力で協力してくれると言ってくれている。早く見つかってくれればいいのだが・・・」
「私たちにできることはこれくらいですから。本当に、弟君が早く見つかると良いですわね」
「それでここに来たのだ。バティスタ伯爵令息を人質に取る為にな。跡取りの命が惜しければ伯爵もシグムントの捜索に積極的になってくれるだろうからな」
「なっ?!」
戦争を回避できて非常に平和裏な解決法なのだろうが、人質にすると宣言されているヒューイにとっては切実な問題だった。完全に顔色を失ってしまっている。
「この血の気のないのがバティスタ伯爵令息だな」
確認と言うよりも、断定に近い言い方をしたカルッセル王はヒューイの襟首をつかむ。
「ひぃっ!!」
「母上、ヒューイを助けて下さい」
カルッセル王がヒューイをそのまま引き摺って行こうとするのを王子は母親に泣きついた。
「フレデリック。残念だけど、それは無理な話だわ。カルッセルは――」
振り返ったカルッセル王がミルディーンの王妃の言葉を引き継ぐ。
「我が国は奴隷制がない。つまり、奴隷は存在しないのだ。その我が国の人間を奴隷にしたのだ。それも余の弟をな」
吐き捨てるように告げられた内容に王子は驚いた。
「奴隷がいない?!」
ミルディーンの王子であるフレデリックには奴隷がいることが普通のことだった。カルッセル王の言う奴隷がいないことがどう言うことなのか理解できない。
「そうです。クラウス様が仰ったようにカルッセルには奴隷制がないから、カルッセルの人間は奴隷にすると言う概念に忌避感が強いのです。バティスタ伯爵は自業自得なことにカルッセル王の怒りを買ってしまったの。奴隷制のある国の王族を売り払っても大変だけど、今回はシグムント様が無事に見つかろうが見つかるまいが、バティスタ伯爵家は一族郎党死を以って償わなければならないでしょうね」
「そんな、たった一人の為に・・・!」
「フレデリック。他国の王族を害すると言うことは先に戦争を仕掛けると言うことと同義だとわからないの?」
「?!」
「わからなかったのね。こんなこともわからないようでは廃嫡するように陛下に申し上げるしかないわ。道理でこの場に押しかけて来て、婚約破棄を宣言するのも頷けるわ」
「母上!!」
泣きそうな王子の叫び声を背にカルッセル王はバティスタ伯爵令息ヒューイを引きずって颯爽と去って行った。