90 コモンからの使者
俺はトウワと釣りをしていた。
そう、遂にセラの世界にある海で釣り糸を垂らす日が来たのだ。
(うっひょおぉぉ。俺はこの日を待ちわびたっ! セイ、釣り餌は何だっ!!)
「釣り具買った所でオマケで貰った疑似餌だよ。店主は川釣りすると思っていたみたいだけど」
俺はルアーめいた偽物のゲジゲジをピラピラと見せてから遠くにキャストすると、トウワは喜び勇んでその落下点に飛んで行ってしまった。
「トウワー。それじゃ魚は来ないぞー」
彼は慌てて戻ってくると大人しく俺の横で待機した。
井戸の近くでは女性陣がマナ板と包丁を持って待機してくれていたが、メアとイスティリはコーウと呼ばれる将棋に似たゲームに興じていた。
ウシュフゴールはそれを興味津々に眺めながら、時々駒の動きやルールを質問していた。
「うわっ、『騎士』取られたっ!? 本陣まで後二枚しかないじゃん!! ええっと『身代金』を支払って手元に……ああっ、ギリギリ足りない」
「ふふ。それを知った上での『騎士』狙いですよ。さあ、イスティリの番ですよ」
「ぐぬぬぬぬ……」
さしずめ飛車でも取られたのかな、と思っているとウキが沈んだ。
慌てずにゆっくりと釣り竿を立てて行くと、銀鱗の魚が水面に浮かんで来た。
(うひょおぉぉぉぁぁぁ!?)
それからの釣果は上々だった。
魚は定期的に釣れ、最初に釣れた銀鱗の魚以外にも数種類の魚がいる様子だった。
「セラ? どの魚も食べても大丈夫なのかな?」
(ええ、神域の魚は木の実と同じで滋味に富んでいます。『肉食』の神々の主食足りえる生き物ですから)
「そうなんだ。じゃあ早速トウワに食べて貰うか」
(しかし、南の白銀様のお力は凄いですね。『原初の甘い海水』をこの世界に作り出して下さったのですから)
俺とトウワは釣果を自慢しに戻った。
早速メアが鱗と頭を落としてトウワに差し出した。
(うんうん。待ちに待った瞬間がついに来たねっ。いただきますっ)
彼は触手で魚を受け取ると、胴体の真下にある口に運んで行った。
(うめぇぇぇぇ!! この美味さっ。流石四角い姫様の世界の食い物だなっ!)
俺たちも用意して置いた串に刺して、火を起こして魚を焼く。
桃と葡萄もボウルに入れ、パンを取り出し、チーズも串に刺して焼いた。
「セイ様!! お魚美味しいっ」
「本当。何て美味しいんでしょう」
「……おいしいです」
女性陣も大喜びで魚に噛り付くと、あっと言う間に魚は無くなってしまい、俺はもう一度釣り竿を垂らす事になった。
俺が釣り竿を垂らしているとウシュフゴールが寄って来て、熱心に俺の手元を見て来た。
「何だ、ウシュフゴールもやってみたいのか?」
「はい。つり、やってみたいです。私、前世は都市で生活していたので、生きている魚を見るのは初めてかも知れません」
「君は前世の記憶があるのか?」
「朧げなのですが、あります。その記憶を手繰り寄せて、生活に必要な知識を得ている感じでしょうか? 流石に前世での名前や、住んでいた場所などは思い出せませんが」
何故彼女は前世人であったにもかかわらず魔族へと転生したのだろうか?
俺の疑問に気付いたのか、ウシュフゴールは更に言葉を紡いだ。
「私は元々魔族側に寝返った一族だった様です。そうやって寝返った種は、死んだ後、魔族へと転生する事がありますので」
イスティリの声がしたと思ったら、後ろから抱きついて甘えて来た。
彼女もまたコーウに飽きたのか釣りを見に来た様子だった。
「そうそう!! ボクの養育係のゴアもシャドウミスリル氏族って言ってね、魔王に内通した結果、一族揃って魔族に転生したって言ってたよ。内通がばれて全滅したんだ!」
「そうなんだ?」
「うん。ゴアは言ってた。『魂の数は増えもしなければ減りもしない。我等魔族は元は人であったのだ』ってね」
イスティリはコーウで惨敗したらしかった。
「メア、強いんだもの。ボク五回勝負して一回しか勝てなかった」
「そのメアは今何をしてるんだい?」
「ちょっと外に出て、オグマフさんと定期連絡だってさ」
「そっか。所で、イスティリは前世の記憶はあるのか?」
「ううん、全くないんだけど、教養や言語なんかは明らかに下地が『ある』と感じるよ、セイ様」
「なるほどなぁ」
魂の数は一定。
その事は人間側にとっても魔族側にとっても重要な要素な気がする。
魔王は世界に絶望を撒き、それに屈した者達は死後魔族として再誕するのだろうか?
だとしたら、魔王は降臨するたびに眷属を増やしていき、いずれこの世界は魔王の物になっていたのかも知れない。
ただ、この世界はもう長くはもたない。
魔王の長期プランはこの時点で破綻していた。
「セイ様。糸、引いております」
ウシュフゴールが教えてくれる。
俺は彼女に釣り竿を手渡すと、一緒に魚を釣り上げた。
「わっ!? 釣れたっ、釣れました! セイ様」
「やったー。もう一匹釣ったら次はボクの番ね」
(俺も釣り方教えて貰おうかな)
和やかなムードの中、メアが息せき切って駆けて来た。
「セイっ。コモンの部下が宿に来ていますっ」
「コモン? あのパエルルの配下か」
「ええ。パエルルからコモンを救ってくれだとか……」
俺は訝しんだが、パエルルの事だからコモン達に八つ当たりして、彼らを奴隷にでも落としたのかと思った。
外に出ると、麻服に身を包んだ男が、宿の外で平伏しながら俺を待っていた。
「セイ殿っ」
「どうしたというんだ? お前は確か……」
「セイ様。コモンの下で斧持ってた人ですよ」
「そうです。あの時手も足も出なかった斧使いです。名をグンガルと申します」
彼は平伏した姿勢のまま、話し出そうとした。
「あのー、こんな所でこんな事されると迷惑なんです。他所行って貰えませんか?」
グンガルを止めたのは宿の従業員で、彼女がメアにこの事を知らせ、メアが俺たちに知らせに来たらしかった。
確かに何事かと思って宿前で足を止め始める人が増えて、人だかりができ始めて居た。
俺は慌てて彼を立たせると宿に引き入れて、借りている部屋に連れて行った。
「あ、ちょっと!! 揉め事はお断りですからね!!」
さっきの女性従業員が後ろで大声を張り上げたが、俺が軽く頭だけ下げると、彼女は「フンッ」とだけ言い仕事に戻っていった。
グンガルは部屋に着くなり堰切ったように話し始める。
「コモン様と俺達は先日の一件で辺境警備隊を雇い止めされてしまったんです」
「うん」
「勿論パエルルの野郎がそれだけで済ませるはずも無く、危険を感じた俺達は早々にレガリオスを立ち去る準備をしていました、が……」
どうも腰巾着への暴言を「殺人未遂」として大仰に扱い、それを制止しなかった配下達も「殺人未遂幇助」として捕縛され、結果彼らはレガリオスが所有する奴隷として二十年の無料奉仕を強いられたらしかった。
「パエルルならやりかねんなぁ。でもお前はどうやってそこから逃げ出してきたんだ?」
「コモン様の内縁の奥様が俺を買って下さいました。でも、そこまでです。全員を解放するだけの金は無いんです」
「で、俺を頼って来たと」
「はい。無理は承知の上です。ただ、今の俺が頼れるのはあなたしか居なかったんです。どうか、コモン様と仲間達を救って下さい!!」
彼は俺に頭を下げ続けた。
何とも身勝手な話を持って来るものだが、俺はレガリオスでコモン達を解放するのも手だと考えた。
彼らは元々傭兵で腕も立つし場慣れしている。
イスティリには手も足も出なかったとはいえ、連携の取れる戦士団は貴重だ。
これからイスティリやメア達だけでは対応できない事も増えてくるかもしれない。
『戦力とは数だ』とは誰の残した名言だったか。
そして、俺は決断した。
「分かった。コモン達は俺が何とかしよう」
「本当ですか!?」
グンガルは俺の手を取って感謝し続けた。
「セイ様? セイ様の盾はボクですよ?」
「ああ、お前は俺の盾だ、イスティリ。そこは今までと変わらないよ」
イスティリはホッとして目じりを下げた。
「セイはコモン達を雇い入れて、わたくし達の『剣』にするつもりなのですか?」
「そうかも知れないな。まあ、まずは彼らを解放してからだな」
「はい……」
メアは少し躊躇っている様子だったが、それでも「セイがそう考えるなら」と折れてくれた。
彼女の言いたい事は分かっていた。
俺はイスティリやメアが、そしてウシュフゴールやトウワが傷付かない様に『壁』を作ろうとしていた。
それを察した上でメアは『剣』と表現した。
グンガルを慮ってか、俺を傷付けない為にか、それは分からなかったが、言葉を選んだ事は確かだ。
そしてこの一件が切っ掛けとなり、俺の元には武者修行中の剣士や知識を追い求める魔術師らが集まって来始めるのだった。
後に「セイ派」あるいは「セイ一派」と呼ばれる事になる集団の萌芽が、ここに芽生えたのだ。
何時も読んで下さる皆様に心からの感謝を。




