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88 びしょ濡れ魔族さん、服を着替える

 俺は自分の事で手一杯だったらしい。

 髪の毛からポタポタと滴り落ちる水滴を、イスティリが一生懸命、布で拭いてくれていた。

 水気もまともに拭けてもいなかったようだ。


「すまない、イスティリ」

「良いんですよ。でも、セイ様が風邪ひいちゃったらボクは泣いちゃうかもしれませんよ?」


 その言葉で俺はハッと我に返った。

 彼女はついさっき槍で突かれ傷を負った所なのだ。

 傷は癒されたとは言え、俺の為に戦ってくれたイスティリに、そして仲間たちに、俺は何の気遣いもしていなかった……。


 イスティリの衣服は血で染まり、雨で半身が赤く滲んでいた。

 ドゥアで最初に買った厚手の上着は槍の穂先で裂け、僅かに白い肌が露出していた。


「イ、イスティリ……」


 俺は唾を飲み込んで、動揺を抑えながら自分の至らなさを謝罪しようとした。

 しかし、彼女は首を横に振る。


「ボクはセイ様の盾です。体も、そして心も守る盾なのです!」


 彼女はニッコリと笑う。

 僅か十四歳の少女が、俺を気遣って笑ったのだ。


 イスティリが「セラ?」と呼んだ。

 セラは俺のポケットから出て来ると、イスティリの元へとフワフワと飛んで行った。


「でも、折角なので着替えて来ます! それまでに髪の毛を乾かしておいてくださいね!」


 イスティリがセラの中に入ると、カルガが首を傾げたが何も言わなかった。


 俺は仲間たちに頭を下げた。


「すまない……俺は自分の事ばかり考えすぎていた」


 メアは少し笑った後で、俺の手を握って来た。


「セイは思い詰めすぎると周りが見えなくなるようですね。でも、今日ここで知った事は次に繋がります。イスティリは……あのまま気付いて貰えていなければ、本人は何も言わないかも知れませんが傷ついたかも知れません」

「うん。俺は本当に自分しか見ていなかった。イスティリもメアも、ウシュフゴールもトウワも、そしてセラも……誰も見ていなかった。ゴメン」

「ふふ。もう少し、わたくし達も見て下さいね? セイが死にそうな顔をする度に、わたくし達も死にそうな顔をしているのですよ?」


 ウシュフゴールは片側の袖が無い服を着ており、俺は訝しんだが、ハッと思い出す。 

 彼女はイスティリの為に服を裂いて止血に使ってくれていたのだった。


「ウシュフゴール……」

「セイ様。私は今日、イスティリが命を張ったにも拘らず、労いの一つも無かった事に不満を抱いておりました」

「……」

「けれど、貴方の気持ちを理解した今では、ほんの少しですが、納得しました」


 彼女はそう言った後、「今度、私に服を買ってくれたら、この件は水に流しても構いません」と頬を染めながら囁いた。

 それを聞いたメアは何故か少し困った顔をしていた。


(イスティリ? 貴女の集中講座とやらは失敗していませんか?)


 メアが何か言ったが、俺には聞こえなかった。

 トウワは何も言わずにバシーン・バシーンと俺の背中を叩き、セラは俺の頬に何度もぶち当たって来た。


「ただいまっ」


 イスティリが戻ってくると、可愛らしい薄水色のブラウスに桃色のスカートを履いていた。


「さ、セイ様。元気が無い時はこのイスティリにお任せください! この可愛い可愛いボクを見て愛でるのです!」

「イスティリ!」


 俺は彼女を思いっきり抱きしめた。

 イスティリは突然の抱擁に「キュー」っと言ってから全身が真っ赤になり、目を白黒させていた。

 

 思いっきり抱きしめてから彼女の顔を見ようとすると、彼女は両手で顔を隠し「や、セイ様。ちょっと待ってください……」と囁いた。

 顔を真っ赤にしながらイスティリは抵抗する。


 しかしメアとウシュフゴールの視線に気付いて二人してパッっと離れる。


「セイ?」


 微かに怒りを感じるのは気のせいじゃない。


「セイ様?」


 おいおい、何でウシュフゴールまで声のトーン下げるんだよ?


(もってもてですねー、セイ)


 俺は身震いした。


 と、そこでカルガが助け舟を出してくれる。


「さて、御髪も乾いた様ですし、今度は私が質問しても宜しいでしょうか?」

「あ……はい。答えられることなら何でも」

「では……今日あのアーリックたちが襲撃して来た原因はセイ様にあるのですか?」

「はい」


 俺は正直に答えた。

 アーリックたちが俺の腕輪を狙って居た事、その腕輪はノヴ=ソランとの直通回線である事。

 そして、アーリックたちの目的はその腕輪を強奪した後、ノヴ=ソランをおびき寄せ、亜龍で殺す目的であった事を伝えた。


「なるほど、それで合点がいきました。アーリック達からしてみればソラン氏族は産みの親であると同時に憎悪の対象。今までもソラン氏族の死にはアーリックの影が付き纏っていました」

「彼らがそこまでソラン氏族に固執する理由は、何なのですか? 産みの親であると同時に憎悪の対象とは?」

「アーリックは対魔王用の人造兵器として作られ、そのアーリックの使役によってソラン氏族は幾度も魔王を撃退し『王朝』を存続させましたが……」

「ええ」

「冷遇され続け、使い捨てられるアーリックが遂に反旗を翻したのです。それに目を付けたのがヴァスモアと名乗るエルダーリッチです」


【解。エルダーリッチ。リッチが研鑽を積みより強力になった個体は、畏敬の念を込めてエルダーと冠される。現時点で確認されているエルダーリッチは全部で三体】


「普通、エルダーリッチは人里離れた所で更なる研鑽を積み、至高の存在となる事を目指すのですが、ヴァスモアは俗世的と言いますか、僻地に居を構え領地経営すら行っているのです」

「そのヴァスモアがアーリックを支援したと」

「はい。その結果、アーリックの大半がヴァスモアの領地に脱出し、ヴァスモアはアーリックから亜龍を作り出したのです」


 何というか、王とその配下である騎士達が魔王撃退の為の一丸となって団結しているのかと勘違いしていたが、それにしても魔王以外に火種が多すぎやしないか?

 

「もっと情報が欲しい。カルガさん、そういった情報はどこに行ったら手に入りますか?」

「それでしたら、幾つか案が提示できます。情報屋を雇う。ダイエアランの大図書館に行く。レガリオス競売所で仕入れる、でございましょうか?」

「前二つは何となく分かるんですが、最後の競売所ってのは?」

「お金さえ積めば、仕入れられないモノは無い、と言われる大競売所があるんです。競売所には表と裏があり、裏では非合法なモノも手に入りますが、一般的な情報でしたら表の競売で十分ですよ」


 そう言えば、パエルルは俺の情報を競売で仕入れたと言っていたな。

 彼に会いたくはないが、顔を隠してコッソリ情報だけ買ったらダイエアランにでも向かうか。

 それで納得出来なかったら情報屋というのも試してみるか。


 まずは自分の足で色々探してみよう。


「セイ様。ボク、裏競売所の場所も分かりますよ」

「ん? 何でイスティリがレガリオスの裏競売所の場所を知っているんだ?」

「ボク、そこで売られてましたから!」

「えっ!?」


 これには皆びっくりした。

 しかし、そこで奴隷商人に買われたが良いが、呪紋を跳ね除けて暴れ倒した結果、ドゥアの支店に厄介払いされたらしい。


「そこでセイ様に買われて、身分を開放されて今に至るんですよ!」

「えっと、イスティリは奴隷だったんですか?」

「うん! ネストが陥落して逃げたんだけど掴まちゃってね!」


 ウシュフゴールの問い掛けにエッヘン! と何故か胸を反らすイスティリであった。


 とは言え、裏の競売を利用することも無いだろう。

 俺はカルガに礼を言うと、明日にでも出立すると伝えた。


 カルガは少し後ろめたい、といった様な表情をした。


「で、では、明日の朝、もう一度私の館に立ち寄ってからご出立ください。せめてお約束していた報酬をご用意しますので」

「分かりました。では明日の朝」


 カルガは馬車を用意してくれた。

 宿に帰って皆で昼食を取った後、メアがイスティリの裂けた服を洗ってから繕ってくれた。


「メア大好きっ! この服はセイ様が最初に買ってくれた服なんだよっ。ボクの宝物なんだ」


 メアはニコニコしながらその言葉を聞いていた。

何時も読んで下さる皆様に心からの感謝を。

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