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81 ウシュフゴールの涙

「所で、そっちのご婦人は知っているぞ。確かハイ=ディ=メア卿だったな」


 メアはノヴ=ソランに対して膝を付いて挨拶しようとしたが、彼に手で制止された。


「俺はハイ=ディ=コー卿、それにハイ=ディ=ダレン卿と同じ部隊で戦闘訓練を受けた。彼等が騎士位を授けられた時、俺はまだ盾持ちだった」


 ノヴ=ソランは過去を懐かしむように目を細めた。


「父上が彼等に剣とミスリルの拍車を授けた時、貴女は誰よりも大きな拍手をしていたな」


 メアが少し赤面しながら「もうあれから五年が経ちます」とノヴに微笑んだ。

 どうやら彼は正真正銘の王族であるらしかった。

 ただガルベインやパエルルの様に権力を笠に着る様子も無かったので、俺は好感を持った。


 彼は世界が混乱に満ちた時、大きな道標として人々を牽引していく英雄の道を歩んだ。

 しかし今の彼は軽口を好む飄々とした優男で、俺を副都で釣ろうとした変わり者にしか過ぎなかった。


「ノヴ様。そろそろ戻らねば御前会議に間に合いませぬ」


 ゴブリンの一人がノヴにそう伝えに来ると、彼は嫌そうな顔をしながらも「仕方ねぇなぁ」と呟いた。

 彼が合図をすると、もう一方のゴブリンが詠唱を開始する。


「時間目一杯みたいだから今日はこれで退散するぜ! またな、セイとその妻達よ!」


 彼とその配下は、一陣の風と共に消え失せた。


 ノヴ=ソランが消えると同時に、様子を伺っていた村長と村人達が俺に群がるように集まってきて、ずっと感謝の言葉を言い続けた。


 それが一段落すると、今度は僧服を着た老人が寄って来て俺に語り掛けてきた。

 その僧侶は死体の処理後も一生懸命呪文を唱え続けていたのだが、どうやら一区切りついた様子だった。


「お初にお目に掛かります。拙僧はシュアラ学派の僧侶、名をグナメルと申します。どうぞお見知りおきを」


 俺とメアはグナメルに挨拶しながら、イスティリとウシュフゴールを目で探した。

 どうも彼女らは死体のあった場所で話し込んでいるらしかった。

 彼女らに挨拶してもらうのは諦めて、グナメルに質問してみた。


「グナメルさん、さっきずっと呪文を唱えてくれていましたが、あの呪文は?」

「あれは<大地浄化>や<中和>といったものですよ。亡骸が無くなったからと言って、土地に染み込んだ毒素は残っておりますからね」


 彼はそう言うとフォフォフォと笑った。


「あの……以前どこかでお会いしたことがございませんでしたか?」


 メアが唐突に口を開いた。


「拙僧は各地を行脚している托鉢僧にしか過ぎません。……思い違いではございませんかな?」


 グナメルはそう言うと「ああ、疲れた疲れた」と独り言を言いながら近くの木陰で休み始めた。

 メアはしきりに彼を思い出そうとしている様子だったが、思い出せなかったのか、溜息をついてから俺に「お仕事ご苦労様です。旦那様」と微笑みかけた。


 彼女は自分の言ったセリフに赤面し、俺も顔が火照ってくるのが分かった。

 ウシュフゴールの言う「旦那様」と、メアの言う「旦那様」ではこうも意味が違ってくるのか。

 

 俺はその空気が気恥ずかしくて耐え切れず、イスティリとウシュフゴールのほうへ向かおうとした。


「あっ」


 メアが名残惜しそうに声を上げたので振り向くと、彼女はそっと俺の手を繋いできた。

 二人で手を繋ぎ、視線を絡ませ、それからゆっくりとイスティリ達の様子を見に行った。


 どうやらウシュフゴールは泣いており、それをイスティリが見守っているらしかった。


「……この魔族は私だ。私自身だ……。罠として戦力を削ぐ為だけに配備され、ただ殺しの為に、ただその為だけにじっと地下で息を潜める……」

「……ウシュフゴールさん」

「私も、こうなる運命だったのだ。それが嫌で嫌で堪らず、私は逃げた……」


 ウシュフゴールは地面に座ると、モーダスによって穿たれた穴の縁を撫でさすった。


「この者は逃げず最後まで戦った。そして死を悟ってなお、人に仇を成そうと、ここまで這って来たのだろうか? それとも、最後の最後で……私のように夢を見たかったのだろうか?」


 彼女は俺に向き直ると、真っすぐ俺を見つめた。


「私は、私がこの世界に生まれてきた意味を知りたい。無機質なゴーレムの様に戦い、そして死んで行くのが私の生まれてきた意味なのか、それを知りたい」


 イスティリが「無機質なゴーレムの様に……」と呟いてから、俺に縋り付いた。


「セ、セイ様! ウシュフゴールさんを仲間にしてあげてっ! ゴアはボクを『無機質なゴーレム』の様に育てはしなかった! 人に仇なす魔王種という枠組みだけでゴアはボクを見なかったんだ!」


 人々を罠にかける為だけに存在する『ラビリンス』の主、ウシュフゴール。

 その彼女は自身の存在意義を見失い、自身のラビリンスを放棄してまで当てどの無い放浪を選んだのだろうか。


「ウシュフゴール」

「……はい」

「君さえ良ければ、俺たちの仲間になってはくれないか? 君自身がその『生まれてきた意味』を見つけ出す間だけでも構わない」

「……喜んで」


 彼女は俺たちに初めて笑顔を見せた。


 こうしてウシュフゴール・ナイトメアソングは俺たちの仲間になったのだった。

 



 

 そう言えば、カマキリ戦士たちはどこに行ったんだろう?

 俺がそう考えていると彼らは唐突に戻って来た。


「俺は取り敢えず、あのヒューマン二人組はヤバい! って事で追ってたんだが撒かれてしまった」

「俺はあの魔術師の集団の様子を伺っていたんだが、なんと飛空艇で東に向って行ったぜ!」


 なるほど、カマキリ達はちゃんと仕事をしていたらしい。

 しかしあのヒューマン二人組はカマキリから見てもヤバいと思える奴らだったのか。


 とは言え、仕事も終えたし、一先ずはカルガの屋敷に帰る事になった。

 村長は一泊していくようしきりに勧めてくれたが、最期は村人一同で泣きながら俺たちを送り出してくれた。


 いつの間にかトウワが戻って来てシレっと馬車で待機していた。

 そして何故かグナメルも馬車に乗っており、俺たちを見つけると手をヒラヒラさせた。

 

(いよう! めっちゃ上空から見てたぜ! 魔法使いは飛空艇で帰るし、ヒューマン二人は背中から羽生やして飛んでくし、俺以外にも結構空飛ぶ奴多いんだね!)

「ちょっと待て、ヒューマンは羽を生やして飛んでったのか?」

(そうだぜ? コウモリみたいな羽だったな)


 俺はカマキリ達にその情報を教えてやると、彼らは大変感謝してくれた。


「しかし、蝙蝠の羽を持つ種族と言えば、アーリックか?」

「アーリックってあの青龍から作った合成人間だっけ?」

「そうだな。彼らは皮膜の翼を背に持っているからな。となると……さしずめ<偽装>あたりで変装していたか。いやしかし助かったよ。手ぶらで報告するよりも遥かに良いだろうしな」


 ここで話は一旦打ち切られ、馬車に揺られて屋敷に帰る事になった。


「セイ様。帰ったらウシュフゴールさんに服とか杖とか買ってあげなくっちゃ」

「杖? ああ、よく考えたらウシュフゴールは魔法を使うもんな」

「私、今まで杖を使った事がありませんでしたが……」


 その言葉にメアがびっくりしていた。


「そ、その。ウシュフゴールさんは大失敗での『魔術健忘』に掛かった事が無いんですか?」

「私の魔術は魂に練りこまれたものなので……習得したものではありませんので、忘れたりしないと思います」

「そ、そうなんですか?」

「はい」


 メアはしきりに考え込んでいる様子だったが、そもそも生まれて四年目で成人済みの肉体を持つ魔族に、常識を当て嵌めようとする方がおかしかったのかも知れない。

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