75 さらばドゥア
「旅立つ前にマグさんの料理が食べたい!」
ボクはドゥア最後の夜に、マグさん手製のスープを飲んで満足した。
それから沢山の料理を頼み、メアと一緒に舌鼓を打ちながらその夜を楽しんだ。
セイ様はゴスゴさんと隣のテーブルでお酒を吞み始め、陽気に肩を組んで、よく分からない言葉で歌をがなり立てていた。
「セイさん、その歌は何ですかい?」
「これか。これは『良い日、良い友、良い酒よ』というニッポンの歌だ。俺の故郷の歌さ。二番もあるんだぜ」
そうして、セイ様はまた陽気に歌い始めた。
ボク達はその言葉が全く分からなかったが、みんなで笑いながらそれを聞いていた。
セイ様は不思議な人だ。
奴隷だったボクを買うと、あっさり自由にしてくれた。
美味しい物を好きなだけ食べさせてくれ、服を選ばせてくれ、額に飾る宝石を買ってくれた。
そして、セラの果物はセイ様はいつもボクの好きにさせてくれる。
ここ最近セイ様は果物が生っても食べず、ボクとメアが食べるのをニコニコしながら見ている。
あの≪悪食≫に飲み込まれてなお、ボクを食べずに冥界へと旅立とうとした、優しいセイ様。
もし本当にあの時、ボクが『食べられて』しまったとしても、それはそれで幸せだったのだろうけれど……。
今でも、今でも時々そう思う。
彼が差し伸べた手がボクの全てを変えた。
ネストを追われ、奴隷へと堕ち、ただただ骸になる日を待ち望んできたあの空虚な日々は、もう存在しない。
ボクは命を懸けてセイ様を守る『盾』となる。
そう誓うのはもう何度目だろう?
何度目でも構わない。
≪悪食≫がセイ様の魂を代価に発動すると知ったその日から、ボクはその誓いを事ある毎にするようになったのだから。
セイ様と歩む未来に夢を馳せながら、ボクはセイ様の歌を聞いていた。
「これ、とっておきの砂糖菓子よ。二人で食べなさい」
マグさんがお菓子を持って来てくれた。
ボクとメアは歓声を上げてからマグさんにお礼を言い、仲良く半分に分けて噛り付いた。
メアは最初は本当に嫌いだった。
いきなり現れてセイ様に色目を使う女狐め! と思ったのは誰にも内緒だ。
けれど、いつの間にか二人で『仲良く』セイ様を取り合う間柄になってきた。
切っ掛けは魔王種を避けてセラの世界に避難した時だと思う。
あの時、メアは初めてセラの木の実を食べてこう言った。
「セイ! あの……あの木の実をもう少しで良いから食べたい。お願い!」
それに対するセイ様の返事は「もう無いんだよ。ごめんな」という身も蓋もない返答だったから、ついボクはメアに囁いてしまった。
「メア、あの木の実は三日位でまた二個生るんだよ。だから次も……次もまた一緒に食べようね」
その時から本当の意味でメアとも打ち解けていったんだと思う。
でも時々あの、あの胸にはイライラする事はあるんだけどねっ!
今に見ていろっ! と思ったけどイズスさんの幻視で見た未来のボクの胸元はしっかり『あった』けど、明らか『デカイ』では無かったのは何かの間違いだ。
いや、セイ様は大小なんて気にしないと思うんだ……うん、きっとそうだ!
イズスさんが見せてくれた未来でボクはセイ様の子を産む。
けれど、その未来はセイ様『だけ』が居ない、悲しい未来。
恐らく、ボクがあの時イズスさんに幻視を見せて貰っていなければ、セイ様は『分岐』という手段で世界を救い、そして一人孤独に死んで行ったのだろう。
それを阻止してくれたイズスさんはセイ様の命の恩人であると同時に、ボクの命の恩人でもあった。
何故なら、ボクにとって世界はセイ様が居てこそ回るものであり、セイ様が居てこその世界であったのだから……。
けれど、そのイズスさんはこの旅に付いては来てくれない……。
その理由をボクもメアも薄々気付いては居たけれど、それを二人とも口にすることは出来なかった。
セイ様は誰にでも優しい。
でも、それが時として、刃のように突き刺さる人もいるのだ。
「どうしたの、イスティリ? 急に涙を流して?」
「な、何でもないよっ! ちょっと色々思い出してたら涙が出ちゃって」
メアが優しく涙を拭ってくれた。
セイ様の歌が終わり、次はゴスゴさんが歌い始めた。
エールを片手にゴキゲンな二人はまた肩を組んで揺れ始める。
それをボクたちがのんびり聞いていると、ゴモスさんとハリファーさんが入店してきてセイ様に駆け寄った。
「明日出るとベルモアから聞いてな、ハリファーと一緒に別れを言いに来たんだ」
「わざわざありがとう! 丁度世話になった方と飲んでたんだ。良かったら二人も飲んでけよ」
「そうか。では頂こうか」
ハリファーさんもセイ様に色々と感謝を並べ立てながら、ボク達に向かって大きく手を振った。
ボク達も席を立って二人に挨拶し、それからマンティコア退治から始まった冒険を面白おかしく語り合った。
マンティコア退治に行った事は知っていても、その中身を知らなかったらしいメアは興味津々と言った感じで聞き入っていた。
そうして夜は更けていき、ボク達は酔っぱらったセイ様に肩を貸して、彼を部屋まで連れ帰るとベッドにねじ込んだ。
ボクとメアは二人で顔を見合わせて笑うと、セラの木の実を一個ずつ食べて、それからセイ様におやすみの口づけをすると、ベッドに潜り込んだ。
「うー。頭が痛い」
俺は早朝、イスティリに叩き起こされた。
ガンガン響く頭痛を我慢しながら身を起こすと、メアがカップに入った水を差しだしてくれる。
「あはは。セイ様、悪食があるならお酒の成分も意味ないんじゃないんですか?」
「あくまで≪悪食≫を起動した上で飲んだら、そうなるんだろうけどさ」
俺は再度襲い掛かって来た頭痛と格闘しながら、水を飲み干して、次に襲い掛かって来た吐き気との戦闘準備に入った。
イスティリとメアは交互にセラの中に入って、綺麗さっぱりといった感じで戻って来たので俺は呟いた。
「朝シャンか。俺も酒を抜くためにちょっと入ってくるか」
「セイ様ってたまに元の世界の言葉を使いますよねー。アサシャンカってなにですか?」
俺はイスティリの髪をグリグリ撫でてやると、タオル片手にセラの中に飛び込んだ。
井戸水は冷たくて気持ちよかった。
遠くを見るとトウワが『海』に出て魚を捕まえようとしていた。
「ここに居たのか。おーい、トウワー」
(ああ。姫様たちが入るのを見てな、俺も入れるんじゃないかと思って)
「俺が許可した人たちは自由に出入りできるからね」
(なるほど、そういう訳か! 所で、あの魚はどうしても捕まえられん。今度釣り竿を買ってくれよ!)
俺は笑いながら草地に座り、トウワに俺がここに来た時から今までの事を話した。
「……とまあ、そんな感じで割と危険一杯な上にいつ終わるかもしれない旅に出る訳なんだけど、トウワがそれが嫌っていうなら無理強いはしない」
(何言ってんだ! ガルベインに仕えて奴隷みたいな扱い受けてた俺から言わせれば、あの時俺は『死んでいた』んだよ。それを救い出してくれたお前に、俺は一生ついてくぜ!)
「ありがとうな、トウワ」
(だいたい何だよ、今更! 俺はお前に『仲間』として引き入れられたのに水くさいぜ。あー、でもな。時々今までみたいに旨いモン食わせてくれよなっ)
「当たり前だ。トウワには旨いモン一杯食べて貰って、頑張って貰わないといかんからな」
トウワは鼻歌交じりに外に出て行ったので、俺も後を追った。
帰還するとほぼ同時にノック音が聞こえ、熊人間のロダリエ=エコドが入って来た。
俺たちはゴスゴとマグさん、それにお世話になった岩石採掘亭の料理人や給仕の皆に見送られながらドゥアを後にした。
……ここで俺は一つ重要な事を忘れていた。
スクワイのモリスフエの存在を、この時すっかり失念していたせいで、後々厄介ごとの種が増えてしまったのだ。
とは言え、俺たちの旅はこのドゥアから始まったのだった。
これにて「ドゥア編」終了です。
次回より「放浪編」となります。
放浪編では未回収の伏線の一部を回収し、新規のキャラクターも随時登場します。
改めてよろしくお願いいたします。




