72 波乱の幕開け
俺たちはイズスと別れてから岩石採掘亭まで歩いて帰る事にした。
時刻はもう夜半を廻っていたので人も疎らで、昨日ハイ一族の屋敷でも見た月が炯々と光っていたのを見上げながらゆっくり歩いた。
「なあ、メア。何であの月は半分崩れてるんだ?」
「青龍シズメがあの月に叩きつけられて死んだ時、砕けたのだと言われていますよ、セイ」
青龍は確かウィタスで傷を癒して繁栄した種を、外に送り出す役目のほうだっけな。
二神に死なれ、相方を失った赤龍は任務を放棄してどこかで引き籠ってるんだったよな。
「セイ様。あの月にはまだ青い龍の遺骸があって、四代前の魔王がその一部を回収して武器を作ったんですよ」
「そうなんだ」
「はいっ。何でも角を回収した時点で魔力を使い切って耐えきれず帰還したようですが」
「しかし月に行こうと思っていけるのが凄いね」
その後、イスティリは『門』と呼ばれる魔法の転移装置の話をしてくれた。
かつて二神はこの世界の様々な場所に『門』を設置し、その門を通って様々な場所に自由に往来できる様、取り計らってくれていたらしい。
人々はその門を使って距離に関係なく交易したり、あるいは交流していたのだが、神々の死によってその門は力を失い、莫大な魔力を注ぎ込んで初めて起動するのだと言う。
「で、その魔王は月にあった隠された門の存在に気付き、神々の戦いで死んだ青い龍の遺骸を回収する目的で、地上にある門に魔力を注ぎ込み、一時的に移動できるようにしたんです」
「言いたい事が分かって来たぞ。もしかして、月にもある位だから、当然赤龍が眠っている場所に通じる門もあると?」
「その通りです! そして赤龍が眠っているのは、恐らく天空に浮かんでいる神々の宮殿じゃないかとボクは推測しています」
イスティリは誇らしげに胸を張ってから「早くこの世界を救ってボク達と幸せな家庭を築きましょうよ!」と言っていた。
俺も「そうだな」と相槌を打ちつつも思案していた。
「そうなると門を起動するのに必要な莫大な魔力を、どうやって捻出するかが鍵だな」
「えっ!? セイ様が魔力を注げばすぐじゃないんですか?」
「残念だけど、俺に魔力は全くないよ? ≪悪食≫は祝福と言って魔法じゃないし、≪悪食≫への代価は魔力じゃ無く俺の魂だからなぁ」
「そうなんですか? セイ様の≪悪食≫はてっきり最上位の付与魔法かと……」
それから代価が俺の魂だと言う所をイスティリとメアに追及されて、出来るだけ≪悪食≫は使わない方向で、とお願いされてしまった。
「セイがわたくし達の悲しむ顔を見たい、と言うなら別ですが?」
「それは無いな。二人には何時も笑顔でいて貰いたいし」
二人はお互い顔を見合わせるとニコッと笑い、それから俺に「もう隠し事はないですか?」と聞いてきた。
俺は≪悪食≫には幾つもの「人格」ならぬ「神格」が存在し、それぞれが俺の支配権を巡って対立して居る事を伝えた。
そして彼らの望みは俺の肉体を支配し、この現世に復活することなのだと。
「ただ、話が通じる奴も居れば、まったく通じない奴も居る。ル=ゴという神格は一日一回だけなら代価無しで≪悪食≫を使って良いとまで言ってくれているが、まったく会話すらした事の無い神格も居る位だからな」
「その神格って何柱いるんですか、セイ?」
「今は四体かな? まだ覚醒していないのが結構いるみたい……」
イスティリとメアは歩きながら頭を抱えていた。
まあ実際俺も頭を抱えている案件なんだけど、こればっかりはどうしようもないからなぁ。
そうこうしている間に俺たちは岩石採掘亭に戻ったが、どうも入口辺りで何人かが揉めていた。
仲裁に入っているのはゴスゴの様だった。
「どうしたんだ? ゴスゴ」
「セイさん! お、おかえりなさい! どうもこの人たちはセイさんに会いに来たみたいなんですが、帰ってくるまでここで待つって聞かなくって」
挙句の果てにどちらが先に俺に会うかで揉め始めたらしい。
一人はエルフの様だった。
豪奢な衣装に身を包み、細い剣を腰に付けた優男で、ゴリラの様な巨漢の護衛を付けていた。
もう一人は直立する熊そのものと言った感じの種族で、茶色い毛並みにズボンだけ履いて、肩掛けの鞄を大事そうに前に持ってきて抱えていた。
「ですから! 私は仮にもロオスの領主から派遣されました正式な使者です。このままセイ様にお会いせずに帰る事など出来るはずもございません!」
熊が外見に似合わず丁寧な口調でエルフに言い募った。
【解。ベアラー。直立する熊人間。信仰に篤く温和だが、その反面一度怒りだすと手が付けられない凶暴さも併せ持つ。主要十二部族】
「あんな感じで、さっきからずっと言い合ってるんでやすよ? まったく」
ゴスゴは心底ウンザリといった体で両手を広げて舌を出した。
「控えよ、下郎。私を誰だと思っているんだ? レガリオスの領主リリオスの長子パエルルであるぞ!」
エルフは傲慢不遜を絵にかいたような男で、明らかに熊人間を見下した態度を取っていた。
俺は初めて会った時のガルベインを思い出して少しイライラし始めた。
いつの間にかエルフが俺の目の前に現れて「お前がセイか?」と聞いてきた。
「だったら何なんだ?」
「ふむ。では手短に用件を伝えよう。私の配下になれ」
何言ってんだコイツ? と思ったがそのエルフは誇らしげに語り出した。
「お前の力を知っている。私はその情報を競売で仕入れたからな。で、だ、お前ごときではその力は使いこなせないだろう。そこでこの私、パエルル様がお前の手綱を握ってやろうではないか?」
「言いたい事は分かったが生憎間に合ってる。帰ってくれないか?」
俺の言葉にそのエルフは愕然とした顔をしてから動揺し始めた。
「お、お、お前。このパエルル様がわざわざこの場末の酒場まで足を運んだんだぞ? 身の程を弁え、すぐさま膝を折って恭順の意を表すのが筋ではないのか?」
「いいから帰れよ」
俺は雑な対応をした。
こういった輩にはもうウンザリだ。
俺の言葉にエルフの護衛が動いた。
「下手に出ればいい気になりやがって! パエルル様がこう言ってんだから貴様は『はい。分かりました』で良いんだよ!」
その巨漢はそう言うと両手持ちの剣をスラリと抜いて構えた。
いや、全然下手に出て無かったよね?
ゴリラの動きに素早くイスティリが飛び出してくる。
「なんだぁ? 女の影に隠れやがって!」
「彼女は俺の『盾』だ。話がしたいなら彼女と『話し合い』してからで頼むよ」
俺はイスティリの肩をそっと掴むと「手加減してやってくれ」と伝えた。
イスティリはコクリ、と頷くとゴリラに向けて斧を構えた。
「貴様、今、何つった? 手加減だぁ? 良い度胸じゃねえか! お前を盾ごと粉砕してやるぜ」
「ロイゲン、殺すなよ? もみ消すにも金が要る」
もうなんだかなぁ、と思っているとイスティリが斧でゴリラの剣を叩き折った。
それから彼女は手を抑えて悶絶するゴリラに素早く足払いをすると、ゴリラは避けきれず地面に突っ伏した。
イスティリはゴリラの鳩尾を狙って蹴りを放ったが、ゴリラは反応すら出来ずにそのままゲロを吐いて地面を転がり廻った。
「セイ様、手加減しましたが、正直ここまで弱いと話になりません……」
イスティリは困った様に俺に向き直ると、ため息をついた。
そこに鬼の形相のゴリラが彼女の足首を掴みに来るが、彼女は軽く避けるとゴリラの右手を踏み潰した。
「があぁぁぁ!?」
ゴリラは踏まれた手を掴みながらようやく立ち上がると「殺してやる」と呟いたが、一向に来る気配も無く俺たちは白けた。
こいつは技術も無く、度胸も無い腰ぎんちゃくだ。
その巨体で威圧するのは得意かも知れないが、そこ止まりの小者なのだろう。
「お、お前! お前が今何をしたのか分かっているのか? このパエルル様の配下に傷を負わせてただで済むと思っているのか?」
「分かった分かった。お前とウチの可愛い『盾』が戦う。お前が勝ったら俺を自由にして良い。俺が勝ったらお前を自由にする。これで良いよな?」
「お前が決めるなっ! 全て私が決めるのだっ」
その言葉に俺は我慢の限界が来た。
「イスティリ。そのエルフを叩きのめしてくれ」
彼女は大喜びでエルフの所まで行くと軽く斧を横に薙いだ。
エルフは大慌てで剣を抜くが、その細い剣では斧の斬撃が防ぎきれるはずも無く、真っ二つに折れた剣が地面に落ちた。
「ひっ!?」
イスティリは困った顔をして斧を地面に置くと、平手でエルフを殴打し始めた。
必死にガードするエルフだが、みるみるうちに彼の顔は赤と紫のツートンカラーになっていった。
「わっ!? こんなことをして……うぅわっ!?……ただで……済……ぎゃ!!……」
エルフはフラフラになりながら踵を返すとそのまま逃亡を図り始めた。
その後をヨタヨタとゴリラが付いて行った。
「追いますか?」
「いや。放っておこう」
何だったんだ? あいつら、とその時は思ったが、どうやら俺の情報は色々漏れているらしかった。
それからも時々俺を訪ねてくる人物が増え、良くも悪くも俺の≪悪食≫を利用したいと思っている者が大半になってくるのだった。
エルフ達が帰ると熊人間はホッとしたような顔をしてから俺に膝を付いて一礼した。
「私はロオスの領主から派遣されました使者、ロダリエ=エコドと申します。宜しければ私の話を聞いては頂けないでしょうか?」
熊人間は先程の俺たちのやり取りを見た後だからか、少し緊張した面持ちでそう告げた。
「中で聞こうか。ゴスゴ、悪いけど俺の部屋にお茶でも持ってきてくれないかな?」
「お安い御用でやす!」
俺は熊人間、ロダリエ=エコドの話を聞く事にした。
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