68 それぞれの思惑②
「母上……」
その言葉に私は逆上し、手近にあった椅子を持ち上げると、力いっぱい息子のガルベインに叩きつけた。
悲鳴を上げつつも避けきれなかった愚息は、額と肩から血を流して膝を付いた。
「オグマフ様!」
怒りに我を忘れそうになった私を使用人たちは必死で止めに入った。
しかし、私の怒りは収まらない。
「今更何をおめおめと帰ってきおった! そのまま野垂れ死んでくれれば良かったものを!」
「……母上。その、決闘は無効になったと聞きまして……」
その言葉に私は怒りの頂点を迎え、手加減無しで<雷撃>を放った。
泡を吹いて失神した息子に、持って来させた水を掛けて無理やり起こす。
使用人たちは半ば諦め顔で私達を遠巻きにしていた。
「お前からカラルスの名を取り上げる。所領を取り上げる。幾ばくかの現金は情けで工面してやるが、そこまでじゃ……」
「はっ。母上!? おっ、俺は、今回の件で懲りた。もう二度とこんな事はしないと誓う! お願いだ! お許しください!」
「無理じゃ。本日を持ってお主を息子とは思わぬ事にする」
私は手を付いて上目遣いで見てくる息子を残してその場所から立ち去った。
誰も入ってくるなと厳命した上で執務室に籠ると、書類に目を通しながら呼吸を整えた。
珍しくダンジョン申請の書面が戦士ギルドから届いていた。
申請者の名前はゴモスレイモスとある。
まだドゥア近辺に未発掘のダンジョンがあった事に驚いたが、この利益で少し大がかりな晩餐会を開こう、そう考えると気分が幾分和らいできた。
たまには近隣のドワーフ達も呼んでみるか。
少し気分が良くなった所で、ドアを素早くコッコッコッと三回叩くものが居た。
普通は二回で良い所を素早く三回叩くのは急ぎの案件である場合に限られる。
「入れ」
使用人が恐る恐るドアを開けると、続いて屈強の男が入室して来た。
「私は王よりの勅使、ソリダ=ル=カライと申します。王よりの伝言を預かって参りました」
男は手短にそう言うと、肩口の入れ墨を見せる。
二重三重の魔道制御が掛けられた魔法の入れ墨は、勅使の証明であり、入れ墨そのものが王自らの伝言を運ぶ。
「よく来られた。私がオグマフ=カラルス=デ=コズじゃ」
「存じ上げております。では人払いを」
私が合図をすると、勅使を案内した使用人は姿を消した。
「では」
男は自分の親指を噛むと、滲んだ血を入れ墨に押し付けた。
王自らの声が再生される。
『魔王種がオグマフ邸に侵入した件については不問とする。裁量はそちに任せる』
これは予測がついていた。
仮にも成人魔王種を討伐したのだから、王からしてみれば厳罰を与える訳には行かないのだろう。
そして、私は次に紡がれた言葉に驚愕した。
『セイという人物は存在しない。よって何ら対応も必要としない』
私はセイについて知って居る事を全部書簡にしたためて急使を出した。
それにも関わらず、この返答はどういう事だ……!?
絶句し固まる私を見やりつつ、勅使は一礼すると服を整え始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 王よりの伝言はそれだけか?」
「はい」
私は混乱した。
これはどう捉えれば良いのだろうか?
勅使が立ち去ると、私は急ぎ会議を開くために、他の魔道騎士達との連絡を取り始めた。
◇◆◇
私はベルモアに振り回されながら町中を引き摺りまわされた可哀想なフェアリー、イズス。
ダンジョン内でベルモアの妹がガルベインの徒弟になると聞いて、矢も楯も堪らずその子の師匠を買って出た。
しかしその意図には、他にも意味があった。
私はセイ殿を忘れられる、没頭できる何かが欲しかったのだ。
種族も大きさも違う、一万歳近い大年増に沸いたこの恋心は、誰にも知られたくない。
いずれイスティリ嬢とメア卿はセイの妻となるだろう。
その時、私は素直に祝福できるのだろうか?
ほんの一瞬でも、醜い嫉妬の顔を見せてしまうのではないか?
その想像はあながち間違いではないだろう。
それが私には嫌だったのだ。
彼らは旅をするだろう。
その旅に付いて行かずに済む、ドゥアに残る口実が欲しかったのだ、とも言えた。
私は豹族の娘二人に連れられて食事をしながら、自分の心を整理していた。
自身の恋心を。
「しかしパネは礼儀正しいのう。どこかの誰かさんと大違いじゃ」
「ハッ! パネは元々商家に奉公に出ていたんだ。その商家で礼儀作法を学んでくるまで結構じゃじゃ馬だったんだぜ!」
「そういう事か」
当のパネは姉の横顔を尊敬のまなざしで見ていたが、じゃじゃ馬の下りで首をプルプルと振って否定していた。
何とも可愛らしいのう!
「所で、妹には本当に魔術師の才覚とやらがあるのか? 俺様には全く分からんが」
「見る限り素質十分じゃな。その上、私が師事するからにはダイエアラン全域で最も優れた魔術師にしてやるぞ!」
「ハッ! 聞いたかパネ? 素質十分だとさ! 後はお前次第だ。頑張れよ!」
「はいっ。ベル姉さん! イズス師匠! 私頑張ります」
師匠か。
悪くない響きじゃ。
「パネ、歳はいくつじゃ? 共通語の読み書きは出来るか?」
「はい。今年十三になります。共通語は商家で学んできました。けれどどれ位通用するかは分かりません」
「ふむ。十三でその受け答えが出来る時点で素晴らしいと私は思う」
「ありがとうございます」
ダンジョンの報酬が分配されたらパネに杖と初級魔導書を買ってやらねば。
魔術ローブ……はまだ早いか。
後は共通語の辞典にペンにインク、羊皮紙に……と考えていると段々楽しくなってきた。
私はこの子を一人前にするまで共に居よう。
それからダークフェアリーの隠れ里に戻って静かに暮らそう。
セイ。
セイ。
セイ。
木霊するこの言葉を……この名前を打ち消す呪文が欲しい……。
◆◇◆
俺はハリファーの値段交渉が長引くのを、ウンザリした様子で眺めていた。
ともすれば「もう十分じゃないのか」と言いたくなるが我慢する。
これだけの財宝が手に入ったのは、本当にセイのお陰だろう。
あのマンティコア語が分かる異邦人が『トリカゴ』と呼ばれたマンティコアから得た情報があってこそ、この財宝が手に入ったんだと思う。
「ゴモス! お前も何か言えよ!」
「あ……ああ。俺はセイの取り分を少し増やしてやりたい」
「そんな事誰も聞いてねえぇし!」
とは言え、何とか値段交渉も纏まったようだった。
オグマフお抱えの商人と魔術師は大勢の護衛を呼び、角笛や本、それに金貨を携えて帰り支度を始めた。
「明後日までに、スルクル神殿にて皆様の取り分を『預金』と言う形で支払います。引き出しにはこの割り印をお使い下さい。その上で改めて皆様が納得されます分配をなさるのがよろしいかと」
俺たちは初めてスルクル神殿の『銀行』というのを利用することになったのだが、ハリファーは金貨が運ばれて行くのを名残惜しそうに見つめていた。
それから俺は祝杯を挙げようというハリファー、それに冒険者ギルドの面々としこたま飲んで酔っぱらった。
「次の店は俺が奢るぜ! みんなぁ、付いて来いよ!」
上機嫌のハリファーが十名近い冒険者に好き勝手吞ませたが、三軒ほどハシゴして彼も俺も金が尽きたので、仕方なくそこでお開きになった。
「明後日にゃもっと盛大に飲もうぜ!」
「楽しみにしてるぜ、ハリファー」
俺はフラフラしながら深夜に帰宅した。
「ただいま、父さん。母さん。ルノ」
誰からの返事も無い。
俺は引き出しの上に置いてある父母と弟の肖像画に黙礼した。
俺達家族は四人で冒険者家業をやっていた。
しかし生き残ったのは俺一人だ。
この商売は常に死と隣り合わせだ。
ちょっとした事であっさり死ぬ。
置いてあった酒を瓶ごと掴むと、煽るように飲んだ。
もう少し早くこの金が手に入っていれば……ルノが夢見てた武器屋を、四人で切り盛りして静かに暮らせたのにな……。
俺は酒を飲み干すと、陶器の瓶を力いっぱい地面に叩きつけた。




