51 セイの生 下
わたくし達のセイはイスティリを食べる事無く死を選択した。
(わたくしでも良かったのに……)
涙が止めども無く流れ、セイの亡骸に降り注ぐ。
イスティリは立ち上がると魔力を開放し始める。
それも危険なほどに。
(この子はあの魔王種を殺しに行くのだ)
そう思ったが、わたくしは彼女の様に強くはなれなかった。
今まさに愛する人が死んだのだ。
セイの遺体から体温が消えてしまうその最後の瞬間まで、わたくしはセイを抱きしめていたい。
今のわたくしの願いはその一つしか無かった。
セイの髪の毛を撫でながら、ただ呆然としていた。
その時セラが目の前に現れて、スゥとわたくしの体内に入っていった。
わたくしはびっくりしたが、セラはわたくしの体を使ってセイに何かをしたいのかも知れない。
(≪悪食≫が『最も素養に富んだ者』と呼んだ乙女よ。わたくしの超高速思考と貴女様の力で、セイを蘇らせる手段を一緒に考えて下さいませんか?)
(わたくし、セイが生き返ると言うなら何でもします! この身を捧げます!)
わたくしがそう思い浮かべると同時に『わたくし達』の思考は統合し、一つの疑似人格とも言えるものが形成された。
様々な記憶を辿り、知識を思い出す。
僅かな時間で並列的に思考を整理し、答えを導き出すために『わたくし達』は奮闘する。
わたくし達が止めたセイの時間は、精々沸いたお茶が冷めるまでの間。
それまでに、現実的な答えを探し当てなければならない。
近くでイスティリが戦い始めたのが見えた。
なんと! こんな近くまで魔王種が来ていただなんて……。
しかしその情報が増えたことによって選択肢が一気に増えた。
(あの魔王種はイスティリより遥かに強い。つまりはセイの『滋養』としては最適……だけどどうやってあの魔王種まで仮死状態のセイを運び、動けないセイに抵抗する魔王種を食べさせる?)
思考は更に加速し、一つの答えを導き出した。
「オグマフ様!」
わたくし達はオグマフ様を呼ぶ。
彼女はこちらをちらっと見た後、イスティリに強化呪文を四つ掛けてから駆けよって来た。
「どうした!? セイは死んだ……最早今この時点で勝てる要素は無い。残念じゃがイスティリ殿が奮戦している間に<念話>でありったけ救援を呼びつつ撤退する」
「いえ……撤退はしません。オグマフ様! セイに……セイに<仮初の命>をお掛け下さい!」
「なるほど……確かにセイが一時的にでも蘇れば勝算はある! この私でも即座に思いつく事は出来なかったわい!」
オークの秘術<仮初の命>は……生命の無いモノにその名の通り一時的な生命を与える魔法。
その本来の使い方は無機物に生命を与えるのでは無く……死者を僅かな時間蘇らせて、戦場で戦わせたり、殺した相手の情報を引き出したりする禁断の戦場魔法なのだ。
それを使いセイを……『仮死』状態のセイを一旦蘇らせ、その間にあの魔王種を食べさせれば……セイの『体』は癒されるだろう。
そうしてから仮死状態で無くなれば……もしかしたら?
この方法が現時点で最も勝算のある賭けだった。
もう一つの方法は……融和している『わたくし達』ごとセイが食べる事なのだけれど、イスティリを食べずに死んだセイが、その様な事をする訳が無いのも分かってしまっていた。
「セイよ? かつてセイであった者よ? 起きよ! 起きて我が命に従え!」
ゆらり、と幽鬼のようにセイは立ち上がる。
「はい。オグマフ様」
生気の無い目で彼は立ち上がると、次の命令を待った。
「オグマフ様。セイをあの魔王種まで近寄らせます。二人で壁を作ってギリギリまで行きましょう」
「わ、分かった。これしか勝算が無いとは言え、お前たちの想い人をこの様に扱うのは流石に気が引ける」
「……」
もしかしたらイスティリはセイが生き返ったと勘違いしてしまうだろう。
しかし、全て万全に事が運んだとしてもセイがこのまま生き返る可能性は……。
いや、今は考えないで置こう。
この解こそが現時点での最適解なのだから。
しくり、と心が痛んだ。
そしてセラの知識が教えてくれる……セイの体内で≪悪食≫が覚醒した事を。
(≪悪食≫よ、聞きなさい。あの乙女が戦っている相手こそがあなたの『滋養』です。機会は一度切り。ここで逃せばもうお終いです)
(なンと……よもヤ……もう一度機会ガ与えられヨうとハ……)
オグマフ様と二人で壁になってジリジリと近づく。
よく見ると、戦っているのは妹のダレンと弟のコーだった。
コーはわたくし達の意図を察し、魔王種の目を背けさせる為に大きく迂回すると大声を張り上げ、呪文を詠唱し始めた。
あんな詠唱、聞いたことも無ければ見たことも無い、まったくのデタラメだ。
しかし誰も知らないような詠唱をした事が魔王種の意識を向けさせるのに役立った。
「行け! 駆けよ! セイよ! その『力』を使い、あの者を『滋養』に換えてしまえ!」
「はい。オグマフ様」
彼は魔王種に駆け寄ると即座にその体に噛り付いた。
「なっ!? なんだとおぉぉぉぉ……ううぉぉぉぉ!?」
「セイ様!?」
魔王種の肩口にセイが齧り付くと、その体から瘴気の様な漆黒の霊体が引きずり出されていく。
ズ・ズ・ズ……。
その魔王種の肉体から無理やり引き出された霊体こそがその者の本体であるらしかった。
苦悶の表情を浮かべていた肉体は、突如意識を失ったかのように「くたり」と崩れ落ちた。
そして霊体はセイによって容赦無く『滋養』として変換されて行くのが分かった。
徐々にセイの肉体は再生し、新たな心臓が構築されていくのが見て取れたのだ。
霊体は必死に逃れようとしていた。
半狂乱になって暴れ、セイの口に引きずり込まれる事に抵抗していた。
しかし、それももう時間の問題でしかないように思われた。
と、その時、一人の男が飛び出して来てセイとその霊体の間に割って入った。
「ボルグ様!」
その者はすぐさま手刀で霊体を切り裂くと、セイはもんどりうって倒れた。
霊体は窮地を脱し、そのまま逃走を開始する。
「逃がすかっ!」
「セイ様の仇!」
ダレンが<稲妻>を無詠唱で放ち、霊体は半分以上霧散する。
そこにイスティリの渾身の斧が振り下ろされ、更に更にその魔王種は小さくなってゆく。
「おのれっ! 我が君に仇を成す者は全て死ねっ!」
男は全身から黒い瘴気を放出し、ダレンとイスティリに躍り掛かった。
背後からの襲撃に仕方なく応じる形となったダレンとイスティリは目で合図を送りあうと、ダレンだけが男の相手をする為に残り、イスティリは魔王種を追った。
しかしその男の背後からセイが忍び寄ると、悠然と瘴気を飲み込み始め、そしてその瘴気を操る本体を引き摺り出す様にして咀嚼し始めた。
「げああぁ!? 何だ? 何が起こっ……」
魔王種の下僕は瞬時に飲み込まれた。
次の瞬間、その下僕が居た場所に……おびただしい数の死体が空間を裂くようにして放り出され始める……そしてその中にはゼルウィの死体もあった。
死体以外にも沢山の貨幣、蔵書、瓶や巻物が散乱し始める中、セイに与えられた時間は終わってしまった様子だった。
彼はぴたりと動きを止めると、そのまま倒れてしまった。
遠方からイスティリが駆け寄ってくる。
「セイ様! セイ様ぁ!? ボク、あの魔王種を霧散させました! ねえっ! 起きて下さいよっ。褒めて下さいよお?」
わたくし達の心は痛んだ。
恐らくイスティリは理解しているのだ。
その上で語り掛けて、泣き笑いのような顔をしてから「かりそめのいのち……」と呟いた後、彼の胸に顔を埋めた。
次の瞬間、彼女はバッと頭を上げ、それから恐る恐るもう一度セイの胸に、今度は耳を当てた。
最初は訝しむ様に、次に確信を込めて耳を当て、それからスゥーっと涙を流した。
「メア……セイ様の……セイ様の鼓動が聞こえる……」
……わたくし達は賭けに勝ったのだ。
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