50 セイの生 上
(これはセイの第一の試練なのです)
わたくしは……『果物と井戸の小世界管理者』セラはこの『世界』にそう告げた。
この告知はこの世界の全ての者に届いただろう。
しかし……わたくしは毎日、この言葉を永久に告げる事が無い様、心の底から祈っていた。
この告知をすると言う事は、手毬様の『三つの試練』の始まりを意味し、それは人の身で到底達する事の出来ない苦難の連続を意味するのだから……。
セイが二つの祝福を持つ身であったとは言え、一つは悪名高い危険な祝福≪悪食≫であったし、もう一つは能力の向上は一切無い≪完璧言語≫であるのだから、この三つの試練を人の身であるセイが突破出来る可能性は限りなく低かった。
一介の天使に過ぎないわたくしが出来る事は少ない。
わたくしの本来の主である四次元神シォミルウレー様の命令は絶対であり、そしてその主が命に背くことは自身の破滅を意味するのだから。
わたくしに課せられた命令は三つ。
一つ、セイに質問されない限り、秘密を暴露しない。
一つ、セイに具体的な助言をしない。また明確な手助けをしてはならない。
一つ、テマリの試練に値する苦難がセイに訪れた時、それを世界に告知する。
どれを破ってもわたくしの『刑期』は延びる。
五千六百年もの間、シォミルウレー様に仕え、そうしてようやくわたくしの『刑期』は終わりを迎えようとしていた。
わたくしの罪は許され、魂は浄化され、始めて転生を許される。
その時までわたくしは黙して居さえすれば良いのだ……ただ試練の告知をするだけで、後はセイに何を問われようとも明言を避けて居さえすれば良いのだ……。
しかしわたくしはミュシャ様の現状を語ってしまう。
勿論セイからの問いかけがあって初めて成立した事ではあったのだけれど、それでもその秘密の暴露はわたくしに重く伸し掛かる。
(このままセイに誘導されるがままに、全てを話してしまったら……わたくしは……わたくしは彼に嫌われてしまうんじゃあ?)
わたくしは主の命令に背き『刑期』の延長を告げられる事よりも、セイに嫌われる事のほうが怖かったのだ。
セイの次の言葉をわたくしは震えながら待った。
「セラを誰も責めたりしない」
……セイはどこまでも優しい人だった。
わたくしは安堵し、天使になってから初めて泣いた。
そして天使になってから初めて眠った……。
目が覚めてから、わたくしは覚悟を決めた。
(わたくしの未来よりも、セイの未来の為に生きよう)
そのセイが……今まさに死の淵に居る。
彼は試練を突破した。
今回の試練は『≪悪食≫に屈し愛する者を喰らうか』とわたくしは決めたのだ。
それに抵抗した上で死を選んだ彼は試練の突破者であった。
しかしその代償は限りなく大きい。
自身の命を糧として、セイはこの試練を突破したのだ。
その姿を見て、わたくしもセイの為に戦おうと誓った。
わたくしはセイを仮死状態にして一旦彼の機能をゆっくりと停止させていった後、その僅かな間に打開策を模索し始めた。
例え我が身が朽ちようとも、『刑期』が伸びようとも知るものか!
セイが生きていてくれるなら、それだけでわたくしは構わない!
わたくしの名前はセラ。
セイに最初から付き従う天使セラ。
◇◆◇
ボクはセイ様に食べられる事は無かった。
セイ様は最後にボクを突き飛ばし≪悪食≫とやらに抵抗したのだ。
(ボクを食べないと死ぬのに……ボクを食べないと、セラの言う試練には突破できないんじゃ無いの?)
それでも、最後の最後まで優しいセイ様のままで死ぬ事を選択した姿は潔く、高潔だった。
セイ様の心臓が破裂した瞬間、ボクは彼の愛を感じ取った。
「セイ様!」
「セイ!」
セイ様はヒューヒューと浅い息をしていたが、それももう何の意味も成さないだろう。
生気を失った目でメアを見てから、ボクを見た。
メアと二人で膝を合わせるように座ると、そこにセイ様の頭を乗せて仰向けにした。
お別れを言いに来たのか、セラがセイ様の近くを飛び回った。
「……ティ…ティリ……エルシ……を…さが……」
「セイ様! エルシデネオンですね! 彼に神様になってもらうんですね!」
流れ落ちる涙で視界が霞む。
恐らくセイ様はこの後の事をボクに託したいのだ。
赤龍エルシデネオンに会い、世界を救う為に神様になってもらう。
それがセイ様が考えていた世界救済の方法のひとつなのだから。
セイ様は微かに頷くとそのまま目を瞑り、ゆっくりと呼吸を止める。
「……ティリ…メア……」
彼が最後に吐いた息は、ボクらの名前だった。
「セイ!」
メアの涙がセイ様の顔を濡らして行く。
ボクの涙は枯れた。
ボクの温かい心は、セイ様が持って行った。
ボクの優しい心は、セイ様が砕いてしまった。
ボクの人としての心は、セイ様と一緒に死んだ。
ボクはゆっくりと立ち上がると、セイ様を殺した相手に対して静かに復讐を誓う。
抑えていた魔力を全力で開放し、生命力を代価として更なる魔力を獲得する。
禁じられた危険な能力上昇法。
反動は目も当てられないほど酷いものになるのは予想出来た。
(そんなもの構うものか! セイ様の仇を討つ為だったらこの体全てを生贄にしたって良いんだ!)
そうでもしなければあの魔王種には勝てないだろう。
それくらい分かっているんだ! でもセイ様の仇はこの命に代えてでも討つんだ!
魔力をオグマフ邸に拡散させて行く。
魔道騎士が居る屋敷に潜伏できる魔王種となれば種類が限られる。
十中八九、変身系か憑依系だろう。
そのいずれであってもボクは感知して見せる。
敵が同種である事が幸いした。
この魔力の網に「引っ掛からない」人物がボクのセイ様を奪った魔王種だ!
◆◇◆
ボルグ=シャドウファングは喜んだ。
あのヒューマンは相当規格外の能力持ちであったらしいが、結局制御出来ずに<死の手>からは逃れる事は出来なかった。
自身の幸運に祝杯を上げたい位に高揚した後で、どうしてもあのヒューマンの死体が欲しくなった。
(あれが持っていた能力は間違いなく祝福だ! 魔王になれば得られると聞いた、神々の遺産。死体になったからと言ってその祝福はあの肉体の中で眠っているはずだ……私があの能力を継承できる可能性は十分にある!)
全てを喰らうことが出来る祝福。
それを手に入れれば、もし自身に魔王が降臨せずとも、魔王と同等の力を得るのに等しい。
そして……。
(もし私に魔王が降臨した上で、あの能力を得れていれば……勇者にすら勝てるかも知れぬ!)
ボルグは興奮した。
すぐさま配下であるエオスに念話を送り、すぐ来るように指示を出すと、彼はプランを練った。
(ゼルウィの肉体を使い<火球>をあいつ等に打ち込む! あのはぐれ魔族のような小物は最早どうでも良い。あそこに居るオグマフ、それに魔道騎士達もろとも吹き飛ばして死体を手に入れる)
ボルグはエオスがゼルウィの死体を持って来るのを今か今かと待ちわびた。
そこにイスティリが強襲を仕掛けた。
ボルグはほんの少しだけ動揺した。
セイの死を見る為にその付近の柱の陰で潜んでいたのが災いしたのだと察した。
とは言え、力量の差は歴然としていた為にすぐに落ち着きを取り戻しはしたが。
イスティリの渾身の斧は悠然と躱され、ボルグは邪魔が入った事に不快感を露わにした顔こそしていたが、特に危機感を持っている様子は無かった。
「イスティリ殿!? 今度は何があったと言うのじゃ?」
オグマフが問うが、その視線はイスティリでは無く、彼女の斬撃を軽くあしらう使用人に向けられつつあった。
「加勢する!」
魔道騎士ダレンが高速で距離を詰め、ほぼ同時に魔道騎士コーもダレンに強化呪文を唱えた。
「……魔王種!」
オグマフはその使用人が魔王種である事に気付く。
しかし、メアも含めてここに居る魔道騎士は四人しか居らず、それにイスティリも加えて五人だとしても勝算は極めて薄い。
(せめてセイが居れば勝機はあったかも知れぬ……一旦引きべきか?)
彼女は冷静に考える。
今この場所で、最も冷静なのはオグマフであった。
シオの名前、シォミルウレーはシオミ・ルウレーと発音するのが一番作者の意図に近いです。




