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48 暴走

 時は少し遡る。


 ボルグ=シャドウファングは配下と共にドゥアからの撤収準備に取り掛かって居た。

 

「エオスよ。私の次の目的地はどこだと思う?」

「ダイエアラン、あるいはユノー辺りだと思っておりますが。これだけドゥアを荒らし、人を呼び込めば他での潜伏工作はかなり行い易いかと思います」

「お前は定石を好むな。しかし私はヘレルゥに行こうと思っている」


 そう言いながらボルグは隠れ家に置いていた霊薬や魔法の巻物といった品物を、エオスと呼ばれた影の魔族に放り投げていく。

 エオスはそれらを飲み込むように体内に収納していった。


「ヘレルゥですか。わざわざ同盟者のクルグネの所領とは悪手の様に思いますが?」

「普通であれば悪手かも知れないな。ただクルグネは今この時点で自身の所領が攻略対象になるとは思ってもみないだろう? あの犬はどうせ長い物に巻かれる。いつ裏切られても対処できるよう予防線を張っておこうと思ってな」

「そう言う事でございますか。我が君の聡明さには恐れ入ります」


 エオスはかつてはボルグの教育係ではあったが、今ではボルグに臣下としての立場で接していた。

 

「ただ、あのはぐれ魔族はいずれ手駒にする予定なので殺すつもりはない。が、他のヒューマン二人は念の為殺しておこうと思う」

「では私が行って参りましょう。あの程度の雑魚、少し搦め手を使えばすぐですよ」

「そうだな。あんな雑魚程度エオスでも十分だ、と言いたい所だが今回は少し派手にやりたいので私も行こう」

「我が君。派手に、とはどういう事でございましょうか?」

「どうせあいつ等は明日オグマフの所に逃げ込むだろう。そこに潜伏しておいて二人を殺す。どうだ、面白いだろう? 魔道騎士団の団長オグマフの邸宅で魔王種が人を殺すのだ。混乱の極みに達するし、魔道騎士の権威も失墜するだろう」

「そういう事でしたら、隷属化させている使用人が数名居りますので、それを殺して依代と致しましょう」


 彼らは夜明けには屋敷内に潜伏し、セイとハイ=ディ=メアを殺す算段を整えていたのであった。


 そうしてセイ等が来たのを知った彼らは行動を開始した。

 まずは隷属化している使用人を二人、物影に呼び寄せると殺害し、その肉体に憑依する。


 今までボルグが使っていた肉体はエオスが回収する。 

 

 そこまで用意周到にしてから、偵察がてらセイらが待機している部屋に茶を持っていくと言う名目で入室した。


 そこでボルグは目を疑った。

 なんとセイが誰の護衛もつけずに単独で居たのだ。


(こいつらは戦慣れしていない。平和な時代に生まれた己を呪え)


「何と不用心な。お前等に警戒した私が莫迦の様ではないか」


 出来る限り苦しみが長く続く呪文を選んで唱えた。


(長く苦しんで、恐怖をこの屋敷にまき散らしてから死ね)


 ボルグ=シャドウファングはこの時、二つ判断を誤った。

 一つ目はセイを即死させなかった事。

 もう一つは現場から早々に立ち去ったことだ。


 セイを即死させていればこの一件は簡単に終わったはずだ。

 そして早々に立ち去らなければセイの異変に気付き、その時点で首を刎ねるなり出来たはずだ。


 ボルグ=シャドウファングのこの過ちが無ければ、もしかしたらセイという男の物語はここで終わっていたのかも知れないのだ。


「オ前タち……美味そウだ……喰わせロ……喰いたイ……美 味 そ う だ !」

  

 逃げ惑うフリをしながら影に隠れてボルグは見ていた。

 かつてセイと呼ばれた男の変貌を。

 そしてその強大な力の片鱗に戦慄した。


 ここに来てボルグは取り返しのつかない致命的な判断ミスを犯した。


(だが……あの力は制御できていない。このまま自滅するのを見ているのも一興かもしれない)


 セイの崩壊を見る為に、その場に居続けたのだ。


◇◆◇


「オ前タち……美味そウだ……喰わせロ……喰いたイ……美 味 そ う だ !」


 その言葉を放ったのはかつてセイと呼ばれた男であった。

 わたくしが愛した男、セイであったのだ。


 しかし今の彼は正気を失っていた。

 炯々と光る眼は真紅の灯の様であり、口腔からは瘴気とも取れるような禍々しい気が溢れ出ていた。


 わたくし達は致命的な失敗を犯した。

 昨日襲撃が無かった事に安堵し、屋敷に着くまでの間に何も無かった事で安心した。


 屋敷にはもう数人の魔道騎士が滞在している様子で、侵入検知の結界も二重三重に張られて居り、外部からの侵入者が居れば即座に分かる寸法だったのだ。

 

 そして、わたくし達は警戒を解いてしまった……。

 事もあろうが、自身の身を清めたいが為にセイの元を離れ、イスティリまで誘い、湯を使う為だけにその場を離れたのだ!


 最低でも湯を交互に使うか、あるいはオグマフ様に護衛をつけてもらう算段を付けてから動くべきだったのに……。


 結果セイだけが襲撃を受け、その傷を癒す為にあらゆる物を飲み込む魔物へと変貌した。 


 イスティリが青ざめた顔で、片膝を付く。


「ボクは……セイ様に救われた身でございます。貴方がボクを食べ、そして元のセイ様にお戻り下さるのでしたら、この身、喜んで差し出しましょう……」


 震える声で彼女はそう言うと、目を瞑った。


「高エネるギー体よ。我は主の生存ノ為にのみ活動していル。お前ハこの場で最も滋養に富んだモノである。ヨってお前を食えバ我ガ主は黄泉道よリ帰還スル」


 イスティリはわたくしを見ながら「後は任せたよ、メア」と呟いた。


「イスティリ! 駄目です! わたくし達のセイならこんな事を言うはずがありません!」

「知ってる。でもセイ様が助かるなら、ボクは……」


 震える声でイスティリは答える。


「これだけは知っていて下さい、覚えていてください、セイ様。ボクは貴方が好きでした。愛していました。ボクを救ってくれたあの日の事は忘れません。これからもずっとずっと一緒にいて下さるのだと思っていました……でも、ここでお別れです。さあ! ボクを美味しく食べて元のセイ様に戻ってください!」


 セイを操る何かは満足そうに頷くと、イスティリに近づいてくる。


 わたくしはその間に立ち塞がった。

 自分でも何故そのような行動を取ったのかは分からない。

 ただ、このままイスティリを死地に追いやるわけには行かない!


「わ、わたくしを食べなさい! 友が食べられるのをむざむざ見過ごす訳には行きません!」

「メア!」


 イスティリはわたくしの袖に縋り付いて首を振る。

 どちらのものか分からぬ涙が頬を伝い、床に零れた。


 その時、わたくしたちの眼前にセラがゆっくりと近づいてきてココッと鳴った。


(これはセイの第一の試練なのです)


 初めて聞くセラの声は優しく柔らかな女性の声だった。

 イスティリにも聞こえたのか、彼女も目を見張ってセラを見つめていた。


 そこに歩み寄って来た悪鬼がわたくしの肩を掴み、口を大きく開ける。


「最モ素養に富んダ者よ。お前の素養ハ滋味に溢れていル。お前ガ今回の贄か?」


 イスティリがわたくしを突き飛ばし、両手を大きく広げてわたくしを守るように立ち塞がった。


 ここで初めてオグマフ様が動いた。


「セイ殿? 本当にこれで良いのか? お主を慕う乙女たちを食らい、生き永らえるのがお前の希望なのか? 答えろ。自らの言葉で答えて見せよ!」

「……」


 何の返事も無かった。

 かつてセイであった者はイスティリの肩に手を掛け、満足そうに笑った……。

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