33 分岐以外の未来
「本来であれば眠らせずとも良いのだが、やはり幻視は負担が大きい」
イズスはそう言うとイスティリの髪を優しく撫でた。
「彼女はどんな未来を見ているのですか?」
「それは言えん。例えばお主が初恋の人と結ばれる未来を幻視する。その事を占者が第三者に降れ回ったとしたら、いい気分になるか?」
「すみませんでした。イスティリの未来は彼女だけのものですよね」
「うむ」
そう話していると、イスティリがゆっくりと起き上がって俺たちを見た。
スゥと涙を流し、それから俺に飛び込むように抱きついてきた。
「セイ! 私のセイ! どこにも行くな!」
彼女は俺の胸で咽び泣き、しきりに何かを訴えていたが、それは嗚咽のせいで聞き取れない。
イズスは先ほどの様にイスティリの髪を優しく撫で、俺たちは彼女が泣き止むまで待った。
少しして泣き止んだイスティリはポツリ、ポツリと話し出した。
「ボクが見た未来で、ボクはやっぱりセイ様と居た。でもセイ様は自分を犠牲にして世界を、ウィタスを救っていた……」
そうか、その未来では俺はウィタスを救えていたのか。俺はホッとして「良かった」と呟いてしまった。
バシンッ。
次の瞬間、イスティリの平手打ちが飛んで来た。
「セイ様? ボクの言ったことが聞こえてましたか?」
「あ、ああ……。その未来ではウィタスは救えたんだな」
ジンジンと疼く頬に手を当てながら俺は答えた。
イスティリは震えながら再び平手打ちの構えを見せる。
「まだ分からないのですか? 貴方は『自分を犠牲にして』世界を救済していたんです。それにどんな意味があるというのですか?」
彼女はまた涙を流し始め「……それにどんな意味があるというのですか?」と改めて呟いた。
「セイ様は誰一人居ない分岐前の世界に、たった一人取り残されるんですよ? 崩壊するウィタスに。それがセイ様の選択だったんです」
俺も薄々感づいては居た。
世界を分岐させたとしても、俺はどうあがいても『分岐前』に居続けなければならない。
勿論神さえ産まれてしまえば、その神やテマリ達の力を借りて脱出することは出来るのかもしれないが、それでも分岐前の世界に居るだろうイスティリやメア、イズスやゴスゴ……俺が知り得た仲間達を、そしてウィタスに居る人たちを見捨てて脱出するのか? と、問われれば俺はそうはしないだろう。
彼らが死ぬのならば、俺も死のう。
だが未来の俺は更にその先に到達したらしい。
どんな手を使ったのかは分からないが、分岐前に残ったのは俺一人であったのだという。
代価は俺一人の命、それなら安いものだ。
それ位で済むなら俺はこの身を捧げよう。
バシンッ。
俺の考えを読み取ったのか、再び容赦ない平手打ちが飛んでくる。
「ボ……ボクは、世界の救済だとか、そんな事はどうだっていいんだ! 何故分かってくれないんです!?」
「イスティリ……」
「最後まで貴方と居たい。ただそれだけだったのに」
彼女は俺の頬に手で触れてから抱きついて来て、俺の上着に顔を埋めた。
未来の俺はイスティリを救ったつもりで居た。
けれどもイスティリはそんな事を望んでもいなかったのだ。
そして現在の俺も同じ轍を踏もうとしていたのかも知れない。
「イスティリ嬢の見た幻視の内容は私も知る所となる」
イズスが独り言の様に語り始める。
「確かにセイ殿は世界を救っておった。が、『分岐』という手段ではどう足掻いてもセイ殿のみ救われないのは明白なように思う」
「薄々感づいては居ました。でも崩壊するウィタスに残ってもテマリ達が助けに来てくれるかな、と思ったりもするんです」
「多分、それが無理だったんじゃろうな。未来視の中のお主は死相が出ておった。余程の無理をしたのか、あるいはお主の命その物を代価にしたのかも知れん。誰かが助けに来る、という顔では無かった」
「そうでしたか」
イズスは室内をせわしなく飛びながらしきりに思案している様子だった。
「つまりはセイ殿が分岐という手段以外で、この世界を救う方法があれば良いんでは無かろうか? そもそも何故にこの世界は崩壊する?」
「神が居なくなったからです。神が居ない世界は長持ちしません。崩壊を阻止するための条件は新たな神をウィタスから産む事です」
「なるほど、それで幾つかは合点がいった。つまりは『分岐』は神を作る手段の一つじゃな」
「そうなるんだと思います」
イズスは俺の肩に留まるとイスティリに優しく話しかけた。
「ほれ。イスティリ嬢、泣くでない。私と一緒に考えようではないか。この男共々この世界を救う方法を」
「……はい」
真っ赤に泣きはらした顔を服の袖でグジグジと雑に拭くと、イスティリは「ボクはセイ様も救う道を探す」と俺の目を見て言った。
「悪かったよ、イスティリ。俺は初めから生贄になるつもりでここに来たのかも知れない。でもそれはもう無しだ。俺を含め全員が助かる道を探そう」
「……分かってくれましたか? ボクを暗闇から救ってくれたのは貴方です。その貴方だけが救われない道なんてどう考えてもおかしいのです」
だが、俺が知っている手段は分岐という手段しかなかった。
他を探すとなるとより難易度が上がる気もした。
「神様を産み出すんでは無く、誰かに神様になって貰ったら?」
イスティリの発言にイズスがハッっとした顔をする。
「この世界に最初から居る生物の中から神へと至れる者を探す」
イズスがポツリと呟いた。
「神の次席を与えられた赤龍エルシデネオン。あるいは魔王、そして勇者……」
「この世界に龍が居たんですね」
「うむ。二神に従って居ったが今は職務を放棄して惰眠を貪っておるはずじゃ」
俺はハイレアが語った神話には赤い龍と青い龍が登場していたのを思い出した。
「でも、後の二人は凄い発想ですね。魔王と勇者」
「うむ。そもそも魔王とは何者じゃ? 勇者とは何者じゃ?」
「分かりません」
「実の所、私にも分からんのじゃ。神話の時代から生きておる私ですら知らない『憑依』でしか実体を確保できない二体の霊魂」
その中で一番脈がありそうなのは赤龍だろう。
何と言っても魔王は降臨していなければ会う事も出来ず、勇者に到っては魔王降臨後で無ければ出現しないのだから。
「現時点で最も可能性が高いのは赤龍だと思います」
「そうじゃの。会いに行って見るか」
「イスティリのお陰で光明が見えたかもしれない。ありがとう」
「エヘヘッ。ボクはもうあんな悲しい思いはこりごりなのです! あんな未来にならないようしたいです!」
話し込んでいると朝日が差し込んで来始めてトウワが戻ってきた。
(ただいま。皆さん朝が早いね。俺は隅っこで少し寝るぜ)
「お帰り、トウワさん。ボクはイスティリ。セイ様の第一の仲間だよ」
(そうかそうか。ヨロシクな。魔族の姫様)
俺はトウワの言葉を通訳してやる。
イスティリは姫様と呼ばれたことが嬉しい様子だった。
俺の未来は大きく動いた。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。
『分岐』は最終手段だ。それ以外で世界を救う術を探そう。
(もうこの子に悲しい涙は流させない)
俺はイスティリの目を見ながら心の中で誓った。
拙作を読んで下さっている方々に心からの感謝を。
なおイスティリが見た幻視は「セイの子を産む」です。
自分がちゃんと子を産めるのか? という不安を幻視で解消したのです。




