212 朔の試練 ⑱
オレとガイアリースはもう潮時だと踏んでいた。
その事をコンキタンの兄貴とマルガンに伝え、最後に大きな罠を張りたいと話した。
「罠ですか。ヘラルド殿」
「うん、マルガン。相手はまた戦場が荒らされるのを警戒するだろう。そこで、さもゾロア達が土を掘り起こしているような音を出して焦りを誘発する。実際にはそうしない。ガイアリースが油の類いを盛大に撒いておいて、オレが焼き殺す。バグマドも剣を持たせて暴れさせるし、ダルモッドには幻影を使わせて撹乱させる」
「では、我らはどうすれば?」
「ここから谷までの中間点まで戻り、そこでまた穴堀りだ。進路を阻む堀を作ってくれ。オレ達はギリギリまでここで粘る。危険を感じたら撤退してくれればいい」
「なるほど。では早速」
マルガンが配下の兵と共に姿を消すと、コンキタンの兄貴が熊に変身した。
その熊の爪でガリガリと地面を少し掘り起こし、オレ達をチラリと見る。
「あっはははは。もう以心伝心だな。お前ら」
「まあな。さて、後はガイアリースのお手並み拝見と行きますか」
「そんな大層なことはせんよ。指揮官を呼べればそこで勝負は決まったようなもんだ。相手が焦って突入してくれば御の字だし、警戒して二の足を踏めばそれはそれで助かる」
「どう転んでもこちらの不利になることはないな」
ガイアリースが掌から液体を散布し始める。
オレは〈感電の罠〉を要所に張り巡らせた。
罠はこの場合拘束魔術というより発火装置だな。
「うーん。安定せんなぁ」
「どうした。ガイアリース」
「あ、いや。何せこのナリだろう。自分では無尽蔵に液体を作り出せるつもりでいても、どうも供給が追い付かん。ま、成人までは仕方ないといえば仕方無いのだが」
「今、幾つなんだ?」
「数えで十一だな」
……十歳程であの実力か。
祝福《悪食》に似た力も持っているし、魔術の熟練もオレと大差無い。
末恐ろしいとはこの事だろう。
だが、彼女が居なければここまで有利に事は運ばなかった。
「ガイアリース」
「どうした。神妙な顔をして」
「いや。セイ様を助けてくれてありがとう」
「はは。そういう事は全て終わった後に言うものだ。だがその礼は受け取っておこう」
ダルモッドがオレとガイアリースの幻影を作り始めた。
バグマドにはさっきの戦場で適当に拾った剣を持たせる。
「バグマド。お前は、『敵は北北西に逃げた』と連呼せよ。死ぬまでな」
「はい。ガイアリース様」
このエルフの武人は使い捨てる算段だったが、ダルモッドは幻影を作らせたあと遠くに転移で退避させた。
「何だ。情でも沸いたのか?」
「茶化すなよ、ガイアリース。ダルモッドとバグマドでは責任の重さが違う。ただそれだけさ。オレの前の雇い主リリオス様も暴君ではあったが、自らの血を持ってしてケジメを付けた。バグマドも血を流すべきなんだ」
「ふむ。そのリリオスという人物は知らんが、お前の言っている事は理解できる。好きにするといい」
「ああ」
準備が整ったところで門の前に陣取ったガイアリースが大声を張り上げる。
「我が名はガイアリース!! 応答せよ!! 交渉の余地があるならば、返事をされたし。我が名はガイアリース……」
スーメイ党の強襲で大火傷を負ったあの日、オレには死ぬしか道が残されて居なかった。
そんなオレを救ってくれた異世界人、セイ様。
貴方が居なければ、オレのこの時間は無かった。
オレは無に還っていたのだ。
こうして呼吸を繰り返し、思考することも無かったのだ。
だから、オレの残りの時間は全て貴方に捧げる。
今一度死の抱擁を受けるその時まで、オレの魂は貴方の物だ。
「このヘラルドに、お任せ下さい」
夜が微かに白んで来た。
日が上る。
オレは空中に退避し、その時を待った……。
◇◆◇
……さてさて、どうしたものか。
バグマドの肉体をようやく制御できたと思ったらこの有り様だ。
表層意識に薄皮一枚バグマドの思考を残しているから露見してはいないが、そのうち中身がこのウマーリ=ソランだとばれるだろうな。
しかし、剣を持ってケルネの軍勢に突っ込めとは。
もう一度エルフを取っ捕まえて移動するか。
ケルネならエルフを連れてくるだろう。
一旦バグマドとしてケルネに接触し、安全地帯を目指そう。
……父王が授けてくれた悪魔異能〈蛭子ノ君〉は、半身不随で生まれ落ちた俺にとっての唯一の力。
この力がなければ、今頃どうなっていたやら。
いや、あのまま王宮の隅っこで歩けぬままに生涯を閉じていたほうが良かったのかもしれぬが。
『ああ。やってられん。ありったけのガレを酒にぶちこんで飲みみてえぜ』
九人居る王位継承者の内、六名は俺のように何らかの力を授けられ、王の為に生きる以外の道を切り捨てられた。
表の顔として生きる事が出来るのは僅か三人だ。
エルフ王朝が健全であることを対外的に示すためのノヴとルード。
それに、血統実験の最終到達者オリヴィエ。
この三人は俺たちと違って陽光を浴びて育った訳だ。
ま、オリヴィエは悪魔異能なんか無くともハナから狂ってたから、アイツが表舞台から飛び降りたときは、「ああ。やっぱりな」と思ったものだが、それでも俺達日陰者と違ってエルフ王朝の姫君として日の当たる場所に居たこと、居続けた事は今思い出してもイラつく。
残りのやつらは裏の顔さ。
魔王を退け、王朝を存続させる為の歯車だ。
加えて、父王が天へと至る為の布石か。
ヘドが出るぜ。
もう何もかもが嫌になってきた。
自分の肉体が傷付く度に、他人の体を奪い乗り換えながら生きてきたこの二十四年。
最早、自分が何者なのかが分からなくなってきた。
『やってられんぜ』
いっそノヴの体でも乗っ取るか?
そうすりゃ俺はこんな所で惨めにのたうち回らずにすむぜ。
……糞だ。
この世界は、このウマーリ=ソランにとって糞溜めなのだ。
◆◇◆
うーん。
グナール様。
ラザを出てまだ一日も経っていないのに、このトーラー、生死の境目にいるのですが、もしかして私の事がお嫌いでしたか?
とりあえずこの不満を誰かにぶつけたい。
〈慈雨〉の詠唱が終わると、腹いせにセイのアホを目一杯ビンタした。
セイの真横に居た魔導騎士とディーリヒエンが驚いた顔をしたが、何も言わなかった。
ふふん。
お前らだってセイに惚れてなきゃこれくらいはするだろう?
惚れてたってビンタくらいするさ。
「トーラー殿!! 天使の世界に居る負傷者の救護を頼めるか!!」
「分かってるって、狐っ子!! じゃあ行ってくるから、慈雨消えるまでは持ちこたえろよ!!」
天使の中に引っ込んで負傷した奴と、洗脳されてた奴を治療した。
ここは魔力が極端に少ないから、仕方なく『巻物』を取り出す。
杖に比べりゃ大して魔力を貯めれんが、蘇生術でも使わん限り事足りるだろう。
槍持ちの少年兵は気絶から快復すると飛び出していったが、斧持ちのおっさんは〈呪除去〉が効かずイライラして髪をかきむしった。
ダークエルフの姉のほうがそれを見てオロオロしていたが、「オ、オミズ!!」と冷たい水を私に汲んできてくれた。
「ありがとう……。は~っ。なんでこんな事になってるんだろうなぁ」
水を飲み干すと少し冷静さを取り戻した。
仕方なく魔方陣を書き、詠唱も祝詞に切り替えてからおっさんの中に居座る呪を丁寧に剥がしていった。
「かぁ~、五重に貼ってあったな。意地の悪い事この上無いっ」
おっさんは意識を取り戻さなかったが、止血しながら一旦外に連れ出すことにした。
慈雨の効果時間中だったし、外ならネフラも居る。
僧侶二人でチャチャっと治療すりゃいけるだろう。
外に出ようとした矢先、ダークエルフが私を呼び止めた。
「ん? どうした」
「ア、アレ……」
彼女が指し示す方向は海。
その海に、沸き立つような入道雲がでていた。
「なんだよ。海に雲くらいでるだろう。驚かさないでくれよ」
「チガウ!! アレ、クラゲ、サン!!」
それはまるで生きているように見えた。
いや、事実その雲は生きていた……。
それは、ボコボコと増殖しながら数を増やす。
増やし続ける。
……荷物水母の群れだった!!




