211 朔の試練 ⑰
グンガル=ザイシュレンは霧の中を彷徨っていた。
彼は混濁する思考を振り払い、必死に足掻く。
「敵。敵は何処だ。何処に居るんだ……」
だが、必死になればなるだけ、彼の思考は迷走し的を得ないものへと成り下がっていった。
その彼に、突如として『命令』が下る。
『目の前の男が敵だ。切り殺せ』
グンガルはその命令を金言と捉え、即座に斧を正眼に構えた。
虚ろな目のまま、コモン隊の斧使いグンガル=ザイシュレンは自らが主と定めた男へとその斧頭を振り下ろそうとした。
……僅かながらの躊躇い。
刃がブルブルと震え、彼は上段に構えたままその身を硬直させる。
「いや、この御方は我らが主……」
脂汗が額から吹き出て顎へと伝い、それは枯れた水底へと吸い込まれていった。
『否。我等が敵』
女の声が木霊する。
谷底での夜襲を退けた直後から、この者は彼の目を通してすべてを見ていた。
グンガルはそう理解してはいたが、その支配を阻止する術を彼は全く知らなかった。
斧は徐々に、高く高く持ち上がっていった。
「……ち、違う。この御方は……」
苦悶の表情を浮かべながら戦士は抵抗する。
あのユノールザード=スレンにすら一撃を加えた勇猛なる男は、この言葉にだけは陥落すまいと、死に物狂いで斧を中天に構え続けた。
『否!! ユスフス=ル=カライの名において命ずる!! その男を切り殺すのだ!!』
「ぐうううううううう!? ああああっ!!」
彼はその重圧に抗しきれず、遂にその戦斧を渾身の力で振り下ろした。
「グンガル!! すまん!!」
その時、間隙を縫うようにしてペイガンの放った矢が飛来した。
コモン隊の弩使いペイガンがグンガルの異変にいち早く反応していたのだ。
だが、彼らの間には距離がありすぎた。
ペイガンは苦肉の策を採る。
採らざるを得なかった。
狙い過たず、矢はグンガルの右肩に突き刺さり、矢尻が肉を切り裂き突き出した。
「がぁ!?」
これには堪らずグンガルも斧を取り落とす。
斧頭が滑るようにしてセイの衣服を裂いた。
彼の肩口からは鮮血が飛び散り、金属の神に捕縛された男は一瞬眉をひそめた。
斧を拾うそぶりを見せたグンガルに、レキリシウスが飛び付き、延髄に短剣の柄を叩きつける。
「……‼」
物言わぬままにグンガルは昏倒した。
レキリシウスは肩口に設けられた収納より手早く革紐を取り出すとグンガルを後ろ手に縛り、そのままセラの聖域に送り込んだ。
「何があった。ペイガン殿!!」
「軍師ぃー。グンガルの奴ぁ、操られてたーっ。龍を駒にできんだかんなっ!!」
「そうか!! こちらはグンガルの目を通して筒抜けだった訳か」
大声を張り上げ、ペイガンはアーリエスに応えると、敵襲に備えるべく弩に矢をつがえた。
その彼に炎を纏った虎が襲いかかる。
虎はハイ=ディ=メアが設置した幾百という罠を、その解除の魔力によって強引に潰しながら突進してきたのだ。
「ぐへぇ」
血へどを撒き散らしながらペイガンは崩れ落ちたが、それでも這いつくばって剣を抜き、虎の前足を切り落とした。
スティグ=タカの投擲した斧が虎の眉間を割る。
虎は実体を失い、掻き消えていった。
そのスティグの脚に、今度は地中から現れた巨大な蛭が噛みついた。
「くそ、俺としたことが!!」
スティグはその蛭を切り裂いたが、そのまま膝をついた。
投擲斧を構えたまま、彼は視線を走らせる。
ペイガンがスティグの元へと近寄り、彼に回復薬を手渡し、自らも一瓶飲み干す。
彼らは背中を合わせ、死角を排除した。
「背中ぁ、任せたぜ。オークのおっさんよ!!」
「応!! スティグだ。弩使い!!」
「ペイガン!!」
古兵と新参の垣根を超え、コモン隊の射撃手ペイガンとスティグは信頼を育み、新たなる襲撃に備える。
彼らの闘志は途切れることがないのだ。
◇◆◇
シレーネが降ろした〈闇の先達〉は、瞬時に私との同調を開始した。
道化師の格好をした霊体が、私の魂に滑り込んでくる。
『お初にお目にかかる。我が名はキリガ=ドールマスター。精神操作ならお任せあれ。して、そなたの名は?』
「ウシュフゴール=ナイトメアソングよ。余り悠長な事を言ってる時間は無いの。あの龍を止めたいの。力を貸して」
『ほほう。ほう! ほほほう!! よもやエルシデネオンとは!! これは楽しい!! 面白い!! 喜んで力を貸そうぞ』
我らは融合し、混じり合う。
そうして、互いの力を駆使し、赤龍の精神を沈静化させる。
徐々にエルシデネオンの瞼は綴じてゆく。
「やったー。やったやった。成功じゃん。巻き角!! 龍完全に眠ってるよ!!」
「ええ。ここからが本番よ。でももう大丈夫。トーラー様は皆の回復を」
「分かった。よし、〈慈雨〉行くか」
トーラーが詠唱を開始するのを横目で見ながら、更に魔術を駆使し、龍を昏睡状態にまで落とし込んだ。
抵抗の無くなった龍の深層意識まで潜り込むと、深く深く支配魔法の根を張り巡らせた。
しかし、何だろう。
違和感を感じる。
龍らしからぬ、中身の無い空虚な精神構造。
記憶野には、惰眠を貪りながら神々と青龍の夢に溺れる、うすぼんやりした記憶しか詰め込まれていなかった。
そう、これはまるで……。
「まるで疑似人格。或いは偽魂」
人工的に作られた魂が、龍の肉体に入っているのだろうか。
だとすれば、何のために、誰がそれを行ったのか?
集中力が途切れ始め、精神の融合が崩れた。
キリガが興味を失ったのだ。
『ああ、ツマラン。大物を釣り上げたと思ったら流木だったか。だがウシュフゴール。お前の記憶から読み取るに、グルーがこやつに集っていたのは、さしずめ好物の偽魂が詰まっていると本能的に察したからだろう。つまり、こやつは肉体こそエルシデネオンだが、魂は別物だ。なんだなんだ、拍子抜けしてしまったな!!』
キリガは一方的にまくしたてると、私の体から抜け出していった。
どうもキリガは熱しやすく冷めやすい霊魂であるらしかった。
けれども、龍と私との紐付けはキチンと残していってくれた。
「起きなさい」
赤龍の肉体を持つ偽者がムクリと起き上がった。
取りあえず、考え事は後回しにしよう。
この大きな蜥蜴がいれば、戦況は有利になる。
今の私にはそれだけで十分だった。
◆◇◆
「ケルネ様。ご命令通り、エルフ側の武官は全て拘束致しました」
「ご苦労」
アタシは、ケルネ=ディ=アーミュスラは配下に指示を出し、足枷としてソランより派遣されて来ていたエルフ武官たちをこの戦場から外した。
彼らのお陰で指揮系統は分裂し、混乱を招いている事が明白だったからだ。
むしろ、エルフ達はその為に配備されていたのだから、ソランの傀儡を外さなければ我らの明日がないことは明白だった。
今後の事を考えるのならば、そのような事をすべきではなかったが、カライに舐められ、我が兵が駒として使い捨てられる事を許容出来るほど、ケルネは甘くはなかった。
一人の男を殺す為に三千の兵を率い、秘宝とでもいうべき門すら使用した上に、得られる手柄はエルフどもに捧げなくてはならないのだとしたら、ケルネの名誉は何処にあるというのだ?
「舐められっぱなしですむと思うなよ。腐れエルフどもめ」
篝火の熱気を頬に感じながら漆黒の月を見上げる。
もう朔まで待ち突撃する安全策を採るつもりはさらさら無かった。
布陣は完成しつつあった。
兵を同時に向こう側へと送り込む。
罠や魔術が張り巡らされていたとしても構うものか。
「少将閣下!!」
「どうした?」
取り次ぎもなしで伝令が駆けてくる。
親衛隊が壁を作るが、その向こうで伝令が大声を張り上げた。
「門の向こう側から、ガイアリースと名乗る女が交渉したいと申しております!!」
「ふ。何を今更。時間稼ぎか? ……いや、こちらも手筈が整うまでもう少し掛かる。乗った」
「はっ」
「総員に伝えよ。このアーミュスラが抜剣したその瞬間、どのような状況下であっても突撃せよ、と。復唱の必要は無い。行けッ!!」
「はっ!!」
アタシは門の前まで来て名乗りをあげる。
「我が名はケルネ=ディ=アーミュスラ!! 誇り高き獅子髪ケルネ一族が総領!!」
『こちらはガイアリースだ。ケルネ一族といえば名門も名門。その誇り高い一族が、何の罪も犯しておらん男を追い詰めて恥ずかしいとは思わないのか』
「そのような安い挑発には乗らんぞ。交渉がしたいのではなかったのか、ガイアリースとやら」
『……そうだ。手を引いては貰えないか? 無論、タダでとは言わん。ウマーリの首をつけよう。任務失敗はウマーリの独断専行だと言えば良いのだ』
「ふ。何を言い出すのかと思えば。……つまりはこれは交渉ではないな! 余程時間が欲しいらしいな。ガイアリースとやら!!」
『……チッ』
僅かな時間すら欲するには理由があるはずだ。
思索を巡らせる為に沈黙した。
ガリガリ……。
ガリガリ、ザクリザクリ……。
土を掘るような音が微かに門の向こう側から聞こえた。
また、戦場を様変わりさせるつもりか!!
……アタシは出来る限りの音が出ぬよう、愛剣を抜いた。
『いかん!! 総員退避っ』
次の瞬間、我らは門を抜け、戦場へと躍り出た。
復帰します。
週一くらいはUPします。




