210 朔の試練 ⑯
「軍師!! 上だっ」
「な……」
あたしは慌ててその場から飛んだ。
赤龍が轟音と共に地面に激突すると、メア卿が張り巡らせた何十という罠が効果を発揮した。
苦痛にもがき苦しむ赤龍は灼熱の吐息を吐いた。
その炎熱に炙られ、秘めたる魔法の罠は次々に発砲し、効果も発揮しないままに霧散した。
「なんと!! 赤龍を使い捨てにする気かっ」
敵はあのハーフリザードマンなのだと察したが、こちらの本陣にまさか赤龍を突撃させるとは!!
しかし、支配されているらしい赤龍がいつ覚醒するかも分からない状況下であれば、この手は一つの解か。
「ウシュフゴール!! 赤龍を<夢遊病>で何とかできんか!!」
「はいっ!! やってみますっ」
あたしはウシュフゴールを頼った。
その彼女に矢が飛来した。
クーイーズがそれを鷲掴みにする。
『お前の仇は投げた本人だ!! 行け!! お前は研ぎ澄まされた槍。力ある刃。奪う者ッ』
彼は<矢返し>に似た呪文を唱えた。
矢は瞬時に加速し、遠くで悲鳴が聞こえる。
メア卿が全員の<暗視>を上書きした。
そのまま前線の戦士たちに強化魔法を唱え始めた。
トーラーも呼応するかのように、立て続けに防護の魔術を披露した。
敵影にペイガンが弩を連射し、それにスティグが投斧を合わせた。
その射撃を軽快に避けながら、敵の一味は<稲妻>と<火球>を手当たり次第着弾させ始めた。
メア卿が打ち消しを唱えるが、流石に数が多すぎる。
トーラーが<火炎防御><稲妻防御>を重ね掛けしていたが、それでも一歩間違えば即、死に繋がる威力の魔法が乱打された。
フィシーガが複数の呪文の直撃を受け、遂に倒れた。
トルダールが彼の手に触りながらセラ殿の聖域へと飛び、彼だけが即座に復帰した。
「良い判断だ!!」
「すまねぇ。甥が足引っ張った!!」
敵は見えているだけで七名ほどか。
谷の上流側に三名、下流側に四名。
挟撃か。
最前線に新手が現れた。
罠に掛からないよう、空中に浮いている……。
ハーフエルフか?
「ぐああっ!?」
「ブルーザ!!」
そいつは軽やかに剣を振るうと、舞うようにして戦う。
ブルーザの脇腹に剣が突きたてられた。
ザッパが悲鳴にも似た声を上げながら割って入った。
「てんめぇ!!」
ザッパの攻撃を避けながら、敵の男は彼を挑発した。
「このリュースフギン様が相手だッ。小男!!」
「しゃらくせぇ!!」
激しい剣撃の音が木霊する中、レキリシウスが何も無い空間にその重い殻竿を振り抜いた。
「ゲファ!?」
短剣を持った小男が腰骨を粉砕されて絶命した。
<透明化>か、あるいはあたしの知らぬ呪文か。
「ちっ。一筋縄じゃいかねーか。ソリダッ。陽動失敗!! やっぱ遠距離から燃やそうぜ!!」
ハーフエルフが転移で掻き消えると、またもや<稲妻>と<火球>の一斉射撃が始まった。
「ごぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
暴れ狂う赤龍をトーラーが<光鎖>で雁字搦めにしていた。
が、鎖は今にも引きちぎられそうだ。
「あんま持たないよっ!! 巻き角っ。は、早く。早くしてくれーーっ」
「ううううううッ!! 何で上書きできないのよっ」
それを見たクーイーズが怪しげな印を結ぶと、ウシュフゴールに向けて何かを唱えた。
「抵抗するな、魔族。<闇の先導>を降ろした。お主の潜在能力を限界まで引き出す!!」
「は、はいっ!!」
「わ、私にもその魔法掛けてっ!!」
「莫迦者っ。こんなのを人に掛けたら腐って死ぬわ!!」
「えっ!?」
「えっ!?」
クーイーズの言葉にトーラーとウシュフゴールは目を白黒させていたが、その魔法の効果は覿面だった。
赤龍の動きは徐々に緩慢な物になっていったのだ。
だが、事態は悪化を一途を辿る。
グンガルがセイの肩口に斧を振り下ろしたのだ。
◇◆◇
俺は、あの日の事を思い出す。
「だめーっ。トウワさん! それはボクのなんだからっ」
(まぁ。俺は果物なんて食わんよ。セイ、明日はカニが食べたい)
初めて天使の世界に入ったあの時、目に入ったのは満天の星空。
そして、木の実。
魔族の姫様が割って入らなければ、俺の動揺は見透かされていただろうか。
(何故、『小さな希望の木』がこんな所に……?)
俺は、トウワズベリキギグイネイガタリダロンは驚いた。
水の亜神エリューアが創り出した、神秘の木が何故このような所にあるのか?
(この木が成す実を食べれば、現実を少しだけ良い方向に曲げる。エリューアの木)
別の日に、俺は見ていた。
セイがあのどんなに傷ついた者でも癒す神秘の石を、魔族の姫様に使うのを。
そして、その石ですら姫様の指の欠損が直る事が無かったあの日を。
「ほら。イスティリ、おいで? これはシオがくれた魔法の石だ。どんな傷でも病気でも治しちまうんだってさ。さっそく、その手を治そう」
「わーいっ!! でも、セイ様。この手の先はまだ生きてると思うんです。何かしらの溶液に漬けて、生かされているんです。だから、その魔法の石でもボクの欠損は治らないかもしれません……」
「でもさ、あの木の実で少しずつ再生して行ってるよね? だから、大丈夫なんじゃないかな」
「ですかねー。じゃあ、あーん」
魔族の姫様が雛のように口を開けて待機する中で、セイはあの石を砕いて彼女の口に優しく含ませた。
それを飴のようにカラコロと舐めながら、姫様とセイは失った手をじっと見ていた。
しかし、何も起きる事は無かった。
彼らは不思議がり、そして残念がった。
(でも、いつかは分からんけど、その木の実があれば治るよ。きっと)
「トウワさん、慰めてくれるの?」
(ああ)
俺は彼女の手を触手で持ち上げる。
魔族の姫様は笑顔を作って、「セイ様。トウワさんお腹空いたって!!」と舌を出した。
「ははは。イスティリ、トウワをダシに使ったな。けど、俺も小腹が空いたかな。よし、ご飯にしよう」
「うわわーいっ」
(現金な子だね。ほんと)
「そこが彼女の良ささ」
(だよな)
俺はその時黙っていた。
木の実を使えば、魔族の姫様の手が完治する事を。
そう、あの木の実の……核を食べさえすれば、即座に完治するだろう事を黙っていた。
もしかしたら、それ以上の事が起こりえる可能性だってあった事を。
木の実の現実改変能力は、核にある。
その核から滲み出た力の片鱗が、僅かに果肉へと波及したに過ぎないのだ。
遥か昔、その木の実を求め、多くの神々がエリューアの元へと来訪した。
多くの神々はエリューアに礼を尽くし木の実を持ち帰ったが、少数の無礼な者達は奪い取り、盗み、脅して木の実を持ち去った。
奪われた分だけ、供給が追いつかなくなっていった。
エリューアは疲弊し、病んでいった。
水の亜神は、遂に木を創造する事を止めた。
そして遂に来るべき日が到来する。
『小さな希望の木』は残り数本となってしまったのだ。
僅かな木々を求め、熾烈な奪い合いが始まった。
その時、調停を申し出たトラクトゥレーという異次元の神が居た。
だが、それすらも詭弁だった。
その異貌の神は隙を見て全てを奪い去って逃げたのだ。
エリューアは怒りと悲しみで狂った。
人々を大渦に飲み込み、世界は濁流と化した。
その時二神が現れなければ、人々は潰えていただろう。
僅かに残った水神の眷属、トゥワもウィタスへと流れ着いた。
……単なる役畜に身を落して。
(その木の実が、ここに何故?)
理由は分からなかった。
だがセイは三つの祝福を得てこの世界を救いに来たのだと聞いた。
それならば、この木は恐らく在りし日のエリューアが快く譲った物なのだろうとは推測ついた。
正しい由来の物であるならば、俺がとやかく口を挟むものでもない。
そう結論づけ、ずっと黙っていたのだ。
(姫様……。すまん)
だが、今俺はその木の実の一つを毟り取ると、口に放り込んだ。
セイを助ける為、俺が彼の役に立つ為、姫様の実を食べるこの俺を許してくれ。
カシュン……。
核を守る殻が割れた。
俺はその核をゆっくりと溶かしながら、願いを込めて祈った。
(俺のこの身がどのようになろうとも構わない。セイを助ける力をくれ。このトウワズベリキギグイネイガタリダロンに、力を)
『願い、叶えたり』
力が与えられた。
俺が朔に至るまで、無限に増殖し続けるという力が。
少し先の未来が垣間見れた。
朔と共に、敵の軍勢が雲霞の如く押し寄せ、セイや仲間を物量で押し切る様子が見えたのだ。
これを打破するには、幾百・幾千と分裂した俺が、敵を押し留める。
俺がそう想像した瞬間、未来が切り替わった。
増殖の力は、この為に与えられた力なのか。
(よし……)
俺は満足した。
これなら、セイを助けられる。
ガルベインの元で、奴隷と同じような生活をしていた俺を、仲間にしてくれたセイ。
俺は彼を好きだった。
もちろん、今でも好きだ。
言葉のあやという奴だ。
好きな時に好きなだけ食事にありつけた。
何時釣ったか分からんような濁った目の魚を、腐敗臭のする飼葉桶に突っ込んで、「食事だ」と言う事は無かった。
夜の散歩も自由だった。
薄暗い納屋に縛られる事も無かったし、何時も仲間として大切に扱ってくれた。
ああ……。
ああ……。
俺は二つに分裂した。
俺は二つに分裂した。
俺は更に分裂する。
俺は更に分裂する。
俺は更に分裂する。
俺は更に分裂する。
おれは再度分裂する。
おれは再度分裂する。
おれは再度分裂する。
おれは再度分裂する。
おれは再度分裂する。
おれは再度分裂する。
おれは再度分裂する。
おれは再度分裂する。
おれはぶんれつしつづけた……。
ひとりだけ、のこす。
かたみ。
さよなら、せい。
布陣を整えるケルネに対し、ガイアリースは交渉を持ちかける。
谷ではグンガルがまさかの裏切りでコモン隊は混乱する。
次回、「朔の試練 ⑰」
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小説書く時間を家族サービスと資格取得に使えと五月蝿いのを説得中。
私に楽しみ無しで生きろと言うのか。




