206 朔の試練 ⑫
ハーフリザードマンと龍どもには逃げられ、門は開かれてしまった。
その上、私は門の処理に焦り、ヘラルドには《悪食》を披露したのだ。
ヘラルドは明らかに動揺していたが、運良くと言うべきか、コンキタンは残党を探し付近を疾駆していたので見られることは無かった。
私は唇に人差し指を当て、『内密に』という仕草をヘラルドに寄越してみる。
彼が少しの思案の後に無言で頷くと、この件は一先ず解決となった。
(彼が物分り良くて助かった。問題は、あのハーフリザードマンのほうだな。どうしたものか)
ふと門を見やると、微かに動きがあった。
楕円形に歪んだ空間に、淡い虹色の煌きが乱反射して鳴動した。
門の反対側には微かに人影らしき物が見えた。
『斥候隊。出ます』
『うむ』
軽装の戦士団が十名ほど門を通り抜け駆け出してくるが、これは瞬時に<睡眠>を掛けてから切り伏せる。
そのまま反対側に出れるのか試してみたが、反対側に突き抜けるだけで、こちら側は『出口』であり、『入口』で無い事は把握できた。
『斥候隊!! そちらの様子はどうだ』
ヘラルドが機転を利かせる。
彼はさも斥候であるかのように装い、報告を返した。
「はっ!! ウマーリ=ソラン様は見事セイを討伐されました。こちらは安全です」
『そ、そうか!!』
「つきましては、朔を待たずして任務を完遂した事に対し、ウマーリ様御自ら詳しく説明して下さるとの事です」
『あい分かった!!』
ヘラルドの言葉にまんまと騙された男が、数名の従者を連れて門を潜ってくる。
ガシャリガシャリと甲冑を鳴らしながら、壮年のエルフが門から飛び出してきたのだ。
その警戒心の無さに内心ほくそえんだ。
私は彼らを<睡眠>と<夢遊病>で支配し、一番偉そうなエルフに名を問うた。
「お前、名前は。階級と役職を述べよ」
「バグマド=レージ。騎士階級。第三旅団少将ケルネ様付き武官」
「ヘラルド」
「ああ。確か一旅団の兵数は五千だから、まあそれを待機させてたんだろう」
「ふむ。バグマド、門の閉じ方を知って居るか?」
「いいえ」
「そうか。お前達の任務は、朔手前で兵を門から突撃させ、セイ一派を討伐する事か?」
「はい」
「兵の構成を」
「歩兵二千七百。弓兵二百。騎士二百。象兵五十。魔術師六十。散兵五十。投石機二十。大型弩弓十」
「五千には届かんとは言え、三十に満たない手勢に、よくもまぁそれだけ集めた物だ」
私はヘラルドと相談する。
残党を狩り終えたらしいコンキタンも合流した。
「なあ、ヘラルド。重機はいかん。遠距離から投石なんて私でも死ぬ」
「そうだな。……例えば、セイ一派の残党が徹底抗戦の構えを見せている。重機と弓矢で遠距離から人的消耗を最低限に抑える、とでもしてこれらを門のこっち側に展開させよう。兵士も潰したいが、余り欲ばるのは危険だ」
「よし、それで行こう。加えるなら少し間を置くか。時間指定をして、その間に潰す準備をしよう。コンキタンはここまでの顛末をアーリエスに報告してきてはくれないか?」
「心得ました」
気がかりはあのハーフリザードマンだな。
もし、あの女がソランらと連絡を取り合い、この罠が露呈してしまったとしても、時間稼ぎくらいにはなるだろう。
私は二人にその事も伝えると、ヘラルドには進入検知の罠を張って貰った。
豹となり疾駆するコンキタンを見送ると、私はバグマドに命令を出しヘラルドの案を実行させた。
傀儡と成り果てたバグマドは門に向かって命令を下した。
「総員に告ぐ。こちらは偶発的にセイのみを討伐した模様である」
門の向こう側よりどよめきが起き、その後、バグマドの次の言葉を待つように沈黙が訪れた。
「だがしかし残党が徹底抗戦の構えを見せておる。よってこれより重機及び弓兵を展開し、人的消耗を最小限にする手筈を整えよ」
『はっ!!』
「これより二ザン後より行軍開始」
『はっ!!』
さて、少しでも時間を稼ぎ、敵の弱体化が出来れば良いのだが。
◇◆◇
「ふふーむ。夜襲は上手く行ったか。ただ、門は起動してしまったのか。それに、報告にあったハーフリザードマン達がどう出るかが気がかりだが」
あたしはマルガンを呼んで来て貰う。
ゾロアの統率種マルガンは出番だと聞いて、触角を忙しなく動かしながら聖域より出てきた。
「軍師様。今回はどのような仕事でございましょうか?」
「マルガン殿。ガリンズを出し、門を囲むように堀を掘って欲しい。一旦敵の進行方向側に新月状に掘り、その上で円形へと繋げて欲しいのだ。その上で、時間めいっぱいまで複数の堀を作ってくれ」
「畏まりました。では早速」
「その上で、掘を隔ててギュックを付かせよう。『兄』はそのまま護衛に着かせる。その上で、門付近ではヘラルド、ガイアリース両名の援護を受けてくれ」
「はい」
彼がガリンズ種とギュック種を引き連れて姿を消すと、改めて、『妹』の索敵に漏れが無いかを確認する。
ディーリヒエンも数度斥候として姿を消していたが、近辺に潜むものは居なさそうだった。
セイ殿は額に玉の汗を滲ませながら呻いていた。
時折彼にトーラーが回復の魔法を唱え、メア卿が回復薬を飲ませていた。
「ああ。彼の髪が……」
トーラーが呟いた。
セイ殿の苦難の表れか、彼の黒髪は徐々に色を失いつつあった。
灰色が混じり、鈍色の、あるいは銀色へと変貌してゆく髪は、あの禍神の領域へと入った事に対しての代償か。
ウシュフゴールは敵の襲撃の後、ずっと祈るような姿勢を崩さずに居た。
コモン隊は小出しに食事をし、交代で休息をとっている様子だったが、その集中力は途切れず、士気は一様に高かった。
トウワ殿はフラフラと聖域へと姿を消すと、それから戻ってくる気配は無かった。
「セイ殿……」
あたしは、あたし達は彼の帰還を待つ。
我が主の帰還を。
◆◇◆
(さて、どうしたものか)
鈍い痛みを我慢しながら、義足を外した。
父王より賜った魔力結晶の塊が仕込まれた銀の義足は、門の起動と共に重い足枷にしか過ぎなくなっていた。
王位継承権第八位なんて、本当にゴミだ。
今もこうやって頭は踏み砕かれ、左足は切り落とされ、右足は今自身で外した。
(ああ。やってられん……)
右手の甲に意識を集中させると、そこに瘤が出来、少しずつ視界を取り戻した。
耳の形成に手間取ったが、ようやく音が拾えるようになる。
「……を見せておる。よってこれより重機及び弓兵を展開し、人的消耗を最小限にする手筈を整えよ」
『はっ!!』
「これより二ザン後より行軍開始」
『はっ!!』
この声はバグマドか。
アホが。
何をやってやがる。
騙されてノコノコこっちに来たは良いが、洗脳でもされたのだろう。
だが、確かあいつは生粋のエルフだったな。
奪えるか?
どの道この身体は長く持たん。
俺は右手を引きちぎると指先を這わせながらバグマドに近づいた。
バグマドの体を奪ったからといってこの不利さを打破できる筈は無かったが、それでもこのまま死ぬのは御免だ。
ある意味、バグマドがここに来た事は僥倖だった。
このまま朽ちるしか術が無かった俺に、僅かながらでも望みが出たからだ。
俺は生き残る。
ウマーリ=ソランは生き残るのだ。
◇◆◇
双子たちが寝静まるのを待ってから、ソリダに連絡を取った。
門の起動から一ザンは経過していた。
「こちら、ユスフス=ル=カライ。ソリダ、応答せよ」
『おおっ!! ユスフス、生きていたか』
「ええ。何とかね。こちらは私と双子以外全滅。セイは死んでいない。門は起動した」
手短に詰め込むと、ソリダの反応を待った。
『……こちらはセイは死亡。残党掃討の為、バグマドからの重機と弓兵展開の指示が出ている』
「良かったな。私の情報が正確だ。罠に嵌る前で助かった」
『うむ。相手にはあの転生フォーキアンが居たのだったな。そいつの入れ知恵か』
「かもな」
『では一旦報告を上げに行く。通信はこのままに継続する』
「分かった」
ソリダが報告に向かう間に、私は彼に詳しい情報を上げ続けた。
唐突に通信が遮断されたが、これは王の間に入ったからだろう。
大抵の魔法は不能になるし、王との会話を垂れ流す訳には行かないだろうからな。
少し間を置いて、ソリダから折り返しの通信があった。
彼は少し疲れた様子で、搾り出すように囁いた。
『ユスフス。このまま兵を突撃させる。セイが《悪食》を制御出来ていない今が絶好の機会なのだと。そして……』
「そして?」
『残りのカライも全て動員せよ、との命が出た。俺も今からそちらに向かう。ガギュや、バイス、リュー。他の者も全て引き連れ、この任務に当たれ、と』
遂に来たか。
そこまでして、あんな不安定な祝福を欲しがるか、王は。
「他の兵士は動員しない? ここまで来たらもっと戦力を補強したほうが」
『……どうやら、ここ数ザンの間に、この大地の何処かで魔王の血が滴ったらしい。血の占者エスカルミリが死んだ』
つまりは、王は保険を掛けつつ、セイの死を狙っているのか。
絶好の機会に安全策を取ったあのエルフ王の為に、我等カライには死ねと言う事か。
「分かりきっていた事だがな」
私はそう呟くと、ソリダらとの合流の為、打ち合わせに入った。
攻防は続く。
遂に激突する王の軍隊とセイ一派。
次回、「朔の試練 ⑬」
◇
半月と新月を間違えていたので訂正しました。




