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200 朔の試練 ⑥

 俺はそれまで幾度かノヴ=ソランに回線を繋げた。

 しかし大抵腕輪は赤く明滅するだけで、彼が応答する事は無かった。

 それが、今になって初めて、彼から連絡があったのだ。

 

『よお!! セイ。早速なんだがお前は今何処だ? 出来るだけ早く僻地に逃げろ。市街は駄目だ。あ、こらっ……』

『アイナも話す~ぅ』

『後で遊んでやるから!! プレパッ。ちょっとコイツを別の部屋にッ』


 途中でガタゴトと異音が入って、女性の声が入り混じった。

 

『す、すまん』

「い、いや」

『何処まで話したか? と、とりあえずだ、何が、とは話せんが、お前に危機が迫っている。出来る限りダイエアラン地方から抜けて遠くへ行け!! 密林とか入り組んだ所に入り込むか、逆に荒野に出て視界を取れ。朔が終わるまでで構わん、逃げて逃げて逃げまくれッ』

「もしかして、お前はウマーリ=ソランの襲撃を知っていて、俺に連絡をくれたのか?」

『……』


 少しの間、彼は逡巡している様子だったが、意を決して語りだした。


『そ、その通りだ。父王はお前と、お前に随行しているフォーキアンから祝福を奪うつもりで居る。それだけで六つの祝福が手に入るのだと……。だが、それに何の意味があるというのだ!? 同じ世界に住む同胞を殺してまで……』

「そこまでです!! ノヴ様!!』


 急に複数人の足音が入り乱れたかと思うと、ノヴが悔しそうに声を絞り出した。


『カーラル親衛隊……。セ、セイ、まだ聞こえていたら、逃げろ!! 俺は道を踏み外してまで生きていたくない!! 逃げてく……』


 回線が唐突に切れ、腕輪は沈黙した。

 しかし、俺は少しホッとした。

 あのノヴまで俺の敵だったらと、そういう考えが頭をよぎる事があったからだ。

 だが、彼は自身のソラン氏族としての立場を超え、こうやって俺に連絡を入れてくれた。


「ふふーむ。ソランも一枚岩では無いのだな。あの様子だと通信道具を取り上げられて拘束されただろうな」

「彼はこの後どうなる?」

「分からん。が、ノヴという男は覚悟を決めたからこそ、こうやって連絡を取ったのだろう。まずはその恩に報いるべく、彼のためにも生き延びる事だ」

「ああ……」

「よし!! 皆の者、一旦移動する」

『ハッ!!』


 ふと、ガイアリースをみやると、ウシュフゴールを口説いていた。


「なあ。お前、はぐれ者だろう。良かったら私のネストに来ないか。お前みたいな尖った能力持ちはこの世に二人と存在せん。魅力的だ。本当に……」

「お誘い、ありがとうございます。ですが、私はセイ様が世界を救った後で、お嫁さんに行く予定がありますので……」

「!!!?」


 ガイアリースは挙動不審になりながら俺とウシュフゴールを交互に見ていたが、諦めたのかニヒッと笑った。


「じゃあ仕方が無いか。もしセイが嫌になったら、私の所に来い」

「はい」


 サラッっと、「はい」と返事をするウシュフゴールにドキリとした。

 彼女は俺の気配を読み取ったのか、艶っぽい流し目を寄越した。


「おっと。お嫁さんに行くんだったな。では、その角じゃあ可愛そうだな」

「えっ」


 ガイアリースがウシュフゴールの折れた角の根元に手を当てると、スーッっと撫でるように何度か往復させた。

 見る見るうちにウシュフゴールの角は再生した。

 

「ありがとう、ございます」


 再生した角を触りながら、ウシュフゴールは泣き笑いのような表情を浮かべた。

 シオの石でも何故か再生しなかった彼女の角は、こうして元通りになったのだった。


「凄いね」

「ええ。<魔族再生>よ。限定的な分、ホラ、私も龍の口から出てきた時は傷だらけだったけど、今じゃピンピンしてるでしょ?」

「そういやそうだったな」

「何をしている!! 行くぞッ」


 アーリエスが急かした。

 俺たちは寺院を飛び出すと、戻ってきたヘラルドとディーの誘導で、赤龍が落ちた谷を目指した。


◇◆◇


 かつて、エルシデネオン呼ばれた赤い龍は、混濁する意識の中で、僅かばかりの抵抗を試みていた。  

 だが、その抵抗も最早風前の灯火であった。


 渓谷の底に落ちた彼は、ほんの少し水分の残った泥を喰らい、奇声を上げ、ぶつかる物全てに鉤爪を叩き込み、火炎を吐いた。

 

 延髄辺りの違和感に嫌悪を抱き、鱗がこそげ落ちるまで引っかき、所構わず体ごと叩きつけた。

 肉すら見え始めた彼の首筋には、燐光を発する半透明の球形が密集していた。

 時折、それらは暴れ狂う龍からポロリと落ちたが、すぐさま元の場所に復帰すべくゴソゴソと地面を這い、鱗を伝って延髄へと舞い戻った。


(惜シカッタ……。アノ魔王種モ……)

(捉エラレタノニ……)

(……食ベタイ)

(供給開始マデ、モウスグ)

(サクヤ、ガ食事ヲスル)

(与エラレタ、褒美)


 彼らはエルシデネオンに取り付いたグルーであった。

 本来であれば、生物一体につき、精々数体程度しか取り付く事は無かったが、朔の度に少しずつ地上へと出てきたグルの『枝』達は、長期的な封印の結果、本体共々とても飢えていた。

 

(モット、美味イ、イキモノ)

(『本体』ガ、遂ニ共食イ供給ヲ、シ始メタ)

(アア……)


 彼らは種としての生死を賭け、この世界で最も滋味に富んだ生物へと、攻勢を仕掛けたのだ。

 まだエルシデネオンは抵抗を続けていたが、細切れになる意識と意識の間は獣のそれであり、グルーの手足にしか過ぎなくなっていた。

 だが、グルー自身も、赤龍の完全な支配にはたどり着けず、本体に栄養を供給できず、また龍を自在に制御できない事に苛立ちを覚えていた。


 しかし、それも時間の問題にしか過ぎない。

 そうグルー達は考える。

 

(朔ガ来レバ、容易イ。魔力ニヨル防護ガ、剥離スル……)


 精神寄生体グルの手足、グルー。

 彼らは悪魔達と同じく、この世界における招かれざる客であった。


◆◇◆


 オレが神域に入ると、例のリーンがルーリヒエンと一緒に洗濯をしていた。

 彼女はオレに気付くと手を振って呼び止めた。


「何だ?」

「そう警戒しないで欲しい。ちょっと時間があればセイと話がしたいな?」

「今は無理だな」

「そう言わず。ね? ヘラルドさん」


 先日セイ様を殺そうとしたこの女に、ここまで慣れ慣れしくされる言われは無い。

 そうは思ったが、擬似人格に支配されていたのは事実なのだから、この娘は実際悪くないのかも知れない、とも思った。


「いや、今は朔前で危険だからな。別に意地悪で言った訳では無いんだ」

「んー。じゃあ仕方ない……。それにしても、服と言わず髪の毛と言わず、真っ黒じゃない。今洗濯中だから、服だけでも着替えていったら?」

「……そうする」


 ディーがポーチを持って現れ、オレに耳打ちした。

 

「アイツから奪った刺青とか、装備とかってこの中だよな?」

「ええ」

「ちょっとキナ臭い。火薬の匂いがすル」

「取り出してみるか?」

「いや、首筋がチリチリする。取り出すのはよそウ」


 リーンがディーの言葉に薄く笑った。

 ディーがイラッとした様子でリーンを睨みつけた。


「盗み聞きたぁ、育ちの良い事デ!!」

「……失礼しました」

「アンタがこれに触れた形跡があったらとっちめてやルんだけど、一切触ってないみたいだネ!!」

「笑ってしまったお詫びに、その、中にある物について説明します」

 

 リーンが言うには刺青以外に奪った武器や装備の中には、<闇爆弾>が幾つか紛れ込ませてあるのだと言う。

 

「私の上司というか異母姉ユスフスは、私ごとセイを爆殺する気だったの。起動条件は、『魔力が一定量を下回った時』……。これは、前もって<解析>を唱えたから確実なの」

「なら、この魔力がほぼ感じられないこの神域で取り出せば……」

「そういうこと」


 ディーが横で青ざめ始めた。    

 彼女の勘と経験則は驚くほど優秀だな。


「と、なると。朔で魔力が減少した瞬間に、<闇爆弾>がドカンか。それも、異母妹ごと?」

「はい。私は結局使い捨てだから……」

「また落ち着いたら話を聞かせてくれないか?」

「はい」


 オレはディーと少し打合せをした。

 外の様子を伝えつつ、ポーチの<闇爆弾>が役に立つのではないかと話し合った。

 二人で外に出ると、寺院からの撤退準備が始まっていた。


 オレは<念話>で軍師とセイ様に中での出来事を話しながら先導した。


『敵が攻めてきたら、袋ごと敵陣に投げ込もう。朔が来たらポーチも機能停止して只の袋だ。中の爆弾がリーンの言う通りなら、大爆発を起こすだろう。別にそうならなくとも、こちらに何ら損害は無い』

『ハッ』


 セイ様からは<思念伝達>でねぎらいの言葉が来た所で、オレ達は赤龍を叩き落した谷の淵に来た。

 

◇◆◇ 


 俺たちが谷の底を覗き込むと、赤龍が荒れ狂い、泥に塗れながら壁面に背中を擦り付けていた。

 谷底は横幅二百メートルはあるだろうか。

 全長は計り知れず、南を見渡すと巨大な山々がそびえ立ち、どうやらそこから北へ突き抜けるようにこの谷底は続いているらしかった。


「ここは確かハムル川があった所だな。枯れてしまって大地に穿たれた溝だけが残った」

「ハムル川」

「うむ。神代の時代、ここには河川があったが干上がってしまった。豪雨で雨水が溜まる事はあっても、今は単なる溝だ。さて、もう少し南下してから降りよう」

「ああ」


 底までは高さが結構あり、コモン隊は器用にロープを伝って谷底に降りた。

 ロープはなんと象に変身した『兄』の足首に括りつけて降りたのだ。

 他の者も、コモン隊に助けられながら下ったが、トーラーは汚れるのが嫌なのか、一旦セラの中に引っ込んで、俺が降りるのを見計らって外に出てきた。


「つまり、こういう事だろ?」


 彼女は自信満々に言い切った。

 クーイーズは感嘆の声を上げ、鼻をスンスンやった。


「異界の力が、時折発現しますね。さしずめ使者か、神族の御使い。あるいは天使でしょうか」

「よく分かるね」

「鼻は良いほうなので」


 彼は鱗を鳴らしながら笑うと、「雑談はまた後ほど。まずは仕事を済ませましょう」と真剣な顔になった。

 そう、赤龍が俺たちの気配に感づき、今まさにこちらへと鎌首をもたげた瞬間だったのだ。

 セイ達はエルシデネオンを救えるのか。

 そして、遂にスヴォームの造反が本格化する。


 次回、「朔の試練 ⑦」

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