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197 朔の試練 ③

 俺の目と鼻の先には魔王種の少女ガイアリース。

 そして彼女と対峙するのは全長三十メートルはあろうかという真紅の鱗の龍だ。

 その皮膜の翼を持った蜥蜴は、口から泡を撒き散らしながら大きく口を開いた。


 龍の頭頂部から生える左右一対の角。

 その角と角の間に稲妻がザワつき、バリバリと音を発した。

 次の瞬間、龍の口腔からは電光と火炎が織り交ざった吐息が吐き出された。


「ゴガァァァァァァァ!!」

「流石ね!! でもそんな大味な攻撃がこの私に通用すると思ってるのかしら!!」


 ガイアリースに向かって放たれたその燃え盛る吐息は、彼女が展開した結界によって容易く阻まれてしまった。

 彼女は吐息の切れ間を縫って素早く横に飛ぶと、龍に向かって氷の槍を乱射した。

 槍は殆どが弾かれたが、一本だけ龍の右足を貫き、それでバランスを崩した龍は吐息を燻らせながら、地面に顎から激突した。


「ガイアリース!!」


 俺がガイアリースに呼びかけると、彼女は一瞬ギョっとした顔をしたが、俺だと気付いて破顔した。

 彼女はバックステップを踏みながらこちらに近づいてくると、俺の横に来た。

 コモン隊が俺の近くで陣を組みながら、ガイアリースと龍の両方を警戒した。


「あら? セイだっけ。お久しぶり!!」

「ああ」


 龍を警戒しながらにしては思いのほか軽い口調で、魔王種ガイアリースはニヒっと笑った。


「こんな所で何してるの? 朔も近いんだし、余り無理しないほうが良いよ?」

「ああ、朔の前に安全な場所に行きたかったんだが、色々あってな」

「ハハ!! 私も同じようなもの!! それに……」


 ガイアリースは更に言葉を紡ごうとしたが、そこにアーリエスらが近寄って来て口を噤んだ。


「セイ殿!! この魔王種とは知り合いなのか!?」

「ああ。昔、少しだけ一緒に戦った事がある。ダンジョンの最深部で……」


 そこで今度は俺が口を噤む羽目になった。

 あの龍が、ユラリと後肢だけで立ち上がると、またもや角が放電を始めたのだ。

 続いて轟音と共に吐き出される雷電と灼熱。


「出て来い!! ディバ!!」


 俺はディバを呼び出す。

 彼が瞬く間に龍の吐息を飲み込む。

 龍は自身の火炎が効果を発揮しないと踏んだのか、そのまま前のめりになりながらこちらへと突撃してきた。

 皮膜の翼が猛烈な勢いで風を切るが、その翼には虹色の靄が掛かっていた。


「総員、散開せよ!!」


 コモンの号令と共に、仲間達は龍の軌道を避けて散った。

 目標を失った龍は、遥か彼方まで突進してから、ようやく踵を返して改めて後肢で地面を蹴った。

 まるで闘牛の牛のように突進してくる龍の攻撃は大雑把で、当てずっぽうだ。


「一旦引くぞ!! あの龍が突撃した時に合わせて、逆方向に走れ!!」

『おうさ!!』


 アーリエスが号令を掛け、性懲りも無く鈍重な突撃を敢行した龍に合わせて、早速その作戦が実行に移された。

 ガイアリースもしめたっ!! というように舌をペロっと出して駆け出した。

 駆ける途中でダルガ・パルガの双子が笑い始めた。


「ははははっ!! 軍師殿!! まさか、あれが伝説の赤龍だったりしませんよね!! 巨人族だってもうちょっとアタマ使いますよ!!」

「ははははっ!! 軍師殿!! そっちの魔王種の嬢ちゃんがエルシデネオンって言ったのは、言葉のアヤって奴ですよね!!」


 歩幅が足りないアーリエスはヒイヒイ言いながら走っていたが、終始何か言いたそうにしていた。

 その様子を見たトウワがアーリエスに助け舟を出した。

 彼はアーリエスを後ろから抱きかかえると、そのまま双子を追い抜き、クルリと反転した。

 

「あ、あれはどっからどう見ても赤龍エルシデネオンだッ!!」

「えっ!?」


 皆が驚愕の声を上げる中、ガイアリースもアーリエスに続いた。


「あれはッ。エルシ、デネオン、よっ!! 彼はグルーに、何か、されたの!!」


 全速力で走りながら彼女は一生懸命説明しようとした。

 ……ようやく龍が踵を返したのか、地響きがこちらに近づいてくる。 


「魔王種殿!! <鏡写し>を使いたい!! 許可頂けまいか!!」

「心得た!!」

 

 ヘラルドがガイアリースに呪文を唱えた。

 すると、彼女そっくりの幻覚が現れ、一目散に龍の方向へと駆け出していった。

 幻覚は龍の真横をすり抜け、一旦停止した。

 龍はその陽動にまんまと引っ掛かり、幻覚を追い回し始めた。

 その隙を突いて、俺たちは龍からはかなり遠ざかる事が出来た。


「あそこに避難しましょう!!」


 シンが触腕をかざす。  

 小さな潅木がまばらに生えるステップのその先に、崩れた寺院が見えた。


「遮蔽物は重要だな!! 皆の者、急ごう!!」


 アーリエスはトウワの触手を器用によじ登り、彼の傘の上で胡坐をかきつつ指示を出した。

 落伍するものは居なかったが、トルダールが殿を務め、僅かながら遅れていた。


◇◆◇


 私は意識を回復すると、ここが、この場所が何処なのかよく理解できなかった。

 どうやら寝台に寝かされていたらしく、清潔な毛布が肩口まで掛かっていた。

 寝台の脇には卓があり、硝子の水差しと杯が置かれてあった。

 

 水差しにはなみなみと水が入っていた。

 寝台を抜け出し、恐る恐るその水を飲むと、ものすごく美味しかった。

 ほんの少しだが、私は安堵した。

 水を飲める自由はあるし、所々身体が痛むが、致命的な傷はなさそうだったから。


「刺青が……」


 そう言葉に出すと、少し記憶が戻り始めた。

 闘技場で不意を突いてセイを殺害しようとして、失敗したのだ。


「ふっ。死神も耄碌したか? いや……。あの時点ではユスフスより先手を打つ方法は一つか」


 カライ達、あるいはその親玉であるソランが朔を絡めてセイを殺す。

 私はそれまでに彼を殺し、祝福を奪わなければならなかったのだから、一つの解であったのだろう。

 

 セイから奪った祝福を利用し、妹達を救い、誰も知らない土地へと逃げるのだ。

 そうでもしなければ、私は永久にソランの操り人形だっただろう。

 他のカライ達同様、任務の果てに、ありもしない報酬を心待ちにしながら、野たれ死ぬ運命しかなかったのだ。


「……ッ!!」


 実際には、私には妹など存在しない事を唐突に思い出した。

 彼女らは二体の、私の『複製』だ。

 けれど、この狂った世界で唯一の、血を分けた姉妹とも言えた。

 ゆえに、私は彼女らを妹と呼ぶ。

 自らの出自もあやふやな私にとっての、唯一つの心の拠り所……。


 私の記憶を内外から塗りつぶす『蝸牛』、人格を上書きする『詩人』や『死神』がセイによって奪われたのは、まさしく暁光と言うほかは無かった。

 何にも拘束されず、自らの体を、意識を、動かす事が出来るのは快適だった。


「私は、リーン=キーラ=エルゼビュート=ル=カライ。暴食の後継者……」


 その言葉は、意識してのものではなかった。

 暴食の後継者、の意味は分からなかったが、腐ったカライ以外の姓を得た事で、少し自尊心を取り戻した。


「私は、これより先、リーン=キーラ=エルゼビュートと名乗る……」


 自然に笑みが零れ、余裕が生まれた。

 出窓があったので外を覗いてみると、ダークエルフの女が一人、歌を唄いながらゾロア達に果物を持ってきていた。

 料理人なのだろうか。

 彼女は前掛けを左右から摘んで、その窪みに桃や梨を山盛り入れて笑っていた。


「ラ・ラー♪ ラァー・ララ♪ オヤツ、デスヨー。アリサン~」

「すみません。お手数をおかけします」

「イエイエー。オナマエ、ハ?」

「マルガンと申します」

「ルー!!」


 確かここは天使の中だったか。

 工兵であるゾロアや、ダークエルフのような非戦闘員は基本ここで過ごし、用がある度に外に出る感じなのだろうか。

 

「お腹が空いたな」


 私の今現在の立場はどんなものか分からなかったが、あの陽気なダークエルフなら、桃の一つくらい剥いてくれるだろう。

 とりあえず胃に何か入れよう。

 話はそれからにしよう。

 

◆◇◆


 わたくし達は、遂にエルシデネオンと出会う事が出来た。

 けれども、神代の時代から生きている筈の赤龍は、まるで知性の欠片も無く、赤い髪の魔王種を追い回すだけの愚鈍な蜥蜴にしか過ぎなかった。


(それよりも……)


 わたくしは、それよりもあの魔王種の存在のほうが気に掛かった。

 対魔王専用杖であるエスルーが鳴動し、魔道騎士としての直感が何かを告げる。


(……十以上の秘匿系呪文。<誤認><変容><変質><隠匿>は勿論。秘術や魔具も複数使用している?)


 出来ればあの魔王種はセイに近づけたくない。

 外見に似合わず、恐ろしいほどの実力を持っている事は明白だった。

 それをひた隠しにしながら、漏れ出るその力は、魔王種としての枠を超えているような気がした。

 危険すぎる。


 けれど、セイはあの魔王種に好意的な見解を示した。

 恐らく、彼がドゥアのダンジョン最深部で共闘したという魔王種は、あの者なのだろう。

 どうやって彼が納得のいくような説明をしよう?


 それにしても……。


(あの髪。まるで魔王ね。せめて、あの髪の一房でも手に入れられれば……。解析さえ出来れば……)


 魔王の髪は真紅。

 勿論、魔王種が髪を赤く染めるのはよくある事だとは知っていたけれども、成人前であの力量。

 万が一にも、彼女が魔王であったならば、即座に排除しなければ。

 配下も連れず、単独で行動している今が最も好機なのだ。

 なんとしてでも……。


「……お前。身の程を弁えろよ」


 突如として、耳元で件の魔王種が囁いた。

 全身を寒気が襲う中、わたくしは即座に戦闘態勢に入った。  

 

「魔道騎士、ハイ=ディ=メアが命ずる!! 我等に仇成す魔族に鉄槌を。我が手に来たれ!! 黄金の魔杖エスルーよ!!」

「ハッ!! 魔道騎士か!! 道理で感が冴えるな!!」


 中空からエスルーを取り出すと同時に、神器ハイネの切っ先を魔王種に向けた。

 殿を務めてくれていたトルダールが追いついて、わたくし達の間に割って入った。


「メア卿!! 今はそれ所じゃないでしょう!!」


 魔王種は腰に佩いた細剣を抜くか逡巡していたけれど、柄から手を離した。


「今は戦わん!! お前が私を背後から撃つというのであれば止めん!!」

「く……」


 そう言われてしまってはもう戦う事は無理だった。

 エスルーが雷鳴のように共鳴し、「早く戦え!!」と圧力をかけてくるが、魔道騎士の名誉に懸けて、ハイ一族の誇りに懸けて、それは無理な事だったのだ。

 

「何をしている!! 早く来んかァ!!」


 アーリエスが怒鳴る。

 それを好機と捉えたのか、魔王種は駆け出していった。


 ……わたくしも、それに合わせて駆けるしか、選択肢は残されていなかった。

 意識を取り戻したリーンはどのような行動に出るのか。

 ガイアリースへの危機感を強めて行く魔道騎士ハイ=ディ=メア。


 次回、「朔の試練 ④」

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