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195 朔の試練 ①

 私はセイから何の誘いも無かった事に憤慨していた。

 あの小柄な魔族が神斧大祭に出ると言うのに、このトーラーには何の断りも無く、入場券の一枚も寄越さなかった事に憤慨していたのだ。


「地味な事務手続きにはもう飽き飽きしてんだよっ!!」


 ラザからの退去に伴う書類を埋めながら、私はイライラして癇癪を起こした。

 それを居心地悪そうに見ていた人物が、椅子から立ち上がると私に声を掛けた。


「あのー、トーラー様。このコムーンに何かお手伝い出来る事はありませんでしょうか?」

「そうだな、神斧大祭の入場券を一枚買ってきてくれ」

「もう大祭は始まってます。もしかしたら、もう終わってるくらいの時間ですよ」

「知ってる。……ああっ、もう!! 普通今から仲間になろうって奴に餌の一つ位撒くだろっ。そう思わないか、コムーン女史」

「はあ」

 

 コムーンは成人したてのエルフで、私とグナール様の連絡係として先日配属されたが、ここ何日かの彼女の役割は専ら私の愚痴に付き合う事だった。


「私も神斧大祭、行きたかったです」

「何だ、お前もか。なら何故行かなかった?」

「私の今の収入では、ちょっと買えません」


 私はコムーンに少し同情した。

 王族以外のエルフの地位は極めて低い。

 明らかに要職はソラン氏族か、彼らの流れを汲む者達で固められていたので、ソラン氏族以外のエルフたちは冷遇されていると言い切っても過言ではなかった。

 私のその表情を読み取ったのか、コムーンは寂しそうに付け加えた。


「森エルフに合流してソランに組する事を捨てるか、街エルフとしてソランに仕えるか、二つに一つ。そこでご先祖様は街を選んじゃったんですよね」

「その結果がこれか」

「はい。魔術を学び、日々研鑽を積んで一人前になっても、結局それを活かせる仕事には、ソラン以外就けません……。ですので、今回グナール様が私を抜擢して下さったのは大変ありがたい事です。これで母に仕送りも出来ますし、前払いのお給金で久しぶりに服を新調できました」

「そうか」


 私は書類の整理を切り上げて外に出る事にした。


「昼でも食おう。コムーン女史」

「はい」


 食堂に入ると、コムーンには好きなだけ食べさせた。

 彼女は恐縮しながらも、ニコニコしながら大いに食べた。


 食堂では神斧大祭の話が聞こえた。

 人々は興奮の覚めやらぬ様子だ。


「あの試合は凄かった!! イスティリ=ミスリルストームとユノールザード=スレン!!」

「ああっ。ユノールザードの挑発に切れた魔王種!! 渾身の一撃!! 神撃の斧!! あれこそベリスの求める斧使いだ!!」

「そうさっ!! スティグも強いが、あいつらはその上を行った!!」


 そうか、あの魔族の少女イスティリが勝利したか。

 だが、そこからの話は何ともきな臭い話だった。


「だが……。あのユノールザードは何をした? イスティリを背後から、何をしたんだ……?」

「分からん。けどさ、あの女には名誉など無いぞ。ユノールザード=スレンは背後から不意を突いた。戦士のすることではない……」

「ああ」


 なんだと……。

 あのイスティリが死んだのか!?

 私は堪らず立ち上がる。


「なあ、そこの者達。話の腰を折って申し訳ないのだがその話を詳しく聞かせて貰えないだろうか?」

「あっ!! トーラー様。ええと、神斧大祭の話でしょうか?」

「うむ。そのイスティリという魔王種とは知り合いなのだ」

「左様でしたか。ですが、余り良い話ではありません……。神斧大祭に卑怯者が一人居たのです。そのせいで、イスティリ=ミスリルストームは優勝者であるにも拘らず、地に伏しました」


 何か嫌な予感がした。

 予兆と言っても過言ではなかった。


「頼む。事の始まりから、詳しく聞かせてくれ……」


 私の言葉に、コムーンが生唾を飲み込んだ。


◇◆◇


 ラザの大手門まで、俺たちを騎士が取り囲んで移送した。

 市民は恐る恐るといった様子でそれを眺めていた。


 トーラーはしれっと合流していた。

 

「あんたも大変だね? ダイロス様を救ったと思ったら次は退去処分か」

「まあな」


 ディーがルーと娼婦達を引き連れて現れた。

 ダークエルフの姉妹はカッチリとした旅装を着込み、背中に大きな背嚢を背負っていた。


「じゃ、行って来るヨ!!」

「ディー。ルーを頼んだよ!!」

「モチロン!!」


 何の事かと思っていると、アーリエスがディーに語りかけた。


「決心してくれたんだな。ディーリヒエン殿」

「うん。アタイの技量を見込んで口説いてたんだロ? 任せナ!!」

「所で、その、ルーリヒエン殿まで旅支度しているのは何故だ?」

「アハハッ。お前の所は大所帯で料理人欲しがってただロ? そういう事サッ」


 ルーリヒエンはコクコクと頷くと、俺たちに向かってニコッと笑った。


「ううむ。確かに料理人は欲しいが……」

「なら、決まりだネ!! みんな、行って来るよー」


 もう姉妹は娼婦達と別れを済ませていたのか、大きく手を振ると大手門に向かって歩き始めた。

 コモン隊が娼婦達と挨拶していた。


「あ、あのさ、レキリシウス」

「リリーラ……」

「また、会えるよね?」

「そうだな。旅が終わったらラザで定住するか」

「ふふっ。……待ってるね?」

「ああ」


 レキリスウスとリリーラの会話が微かに聞こえた。

 彼らは抱擁を交わすと、離れた。


 そこに息せき切って一人の男が現れた。

 あのオーク戦士、スティグ=タカだ。


「フウ、フウ。ま、間に合った!! 貴方がセイ様でございますな!! それがし、スティグ=タカと申します」


 彼は荒い息のまま片膝をつくと、俺に忠誠を誓った。

 様子を伺っていた市民からどよめきが上がった。


「何故、スティグが!?」

「タカ様ッ。何故そんな者に忠誠を!?」


 スティグ=タカは立ち上がると両手を広げ、大きな声で人々に伝える。


「私の傷は本来であれば癒せるシロモノではなかった。それをこの方が完璧に癒してくださった!! 私は、戦士として今一度立ち上がることが出来たのだ。この恩には必ず報いなければならん!!」

「ああっ。スティグ……」

「タカ様……」


 市民は不承不承ではあるものの納得した様子だった。


「では、参りましょう!!」

「よろしく頼む。スティグ」

「はっ!!」


 俺たちは門を潜り、ラザから離れた。

 

「一先ずはダイエアランを目指す。そこでユノールザードの領地ユノーの情報を手に入れよう」

「ユノー? 聞いた事の無い地名だな」


 アーリエスの言葉に、トーラーが返した。

  

「だからダイエアランに行くのだ」

「そっか。あの元気娘を救いに行く為だね?」

「ああ」


 トーラーはラザ市民だったからだろうか、詳細を随分と知っている様子だった。

 彼女は俺に対して同情的な目を向けた。

  

「ああっ!! ユノー、ユノー!! 調べておいたゼ。それに赤龍の事も!!」

「何ッ!!」

 

 アーリエスと俺が驚く中、ディーが誇らしげに語りだした。


「ユノーは元々ダーズレーって地名だったンだ。そこの領主ダーズレーミルアって奴が死んだ。六年くらい前だ。で、そこをユノールザードが継いダ。で、土地の名前はダーズレーからユノーに変わった」

「なるほど。領主が変わり、地名に変遷があった訳か。それであたしが知らない地名だったのだな。丁度その頃は母の腹の中だ」

「ダーズレーは元々ホークメン一族土地ダ。それをオーガが奪ったんだ。ユノールザードが『鎖』だと名乗ったのが事実なら、そこは繋がる」

「ありがとう。ディーリヒエン殿」

「良いって事ヨ。で、だ。まだ話の続きはある」


【解。ホークメンは直立する鳥人間。鷲や鷹に似た容貌を持ち、背中に生えた羽で飛行する。主要十二部族。……主の想い人が早く見つかる事を願っておる】

「スピリット……」


 スピリットは擬似人格にしか過ぎないのかも知れないが、それでも俺は彼の優しさに感謝した。


 ディーはオーガ達について調べてくれていた。

 彼らはウィタスに二つだけある浮遊島の一つを、ホークメンから奪った。

 その襲撃は用意周到に準備されており、電撃の如き素早さで実行されたのだという。

 丁度先代の魔王コスゴリドーが王都へと進撃し、勇者ハルガルと対峙したその日に、彼らオーガは動いたのだ。


「それまで、ハランディアの庇護の下、隔絶的な社会を営んでいたオーガらが電撃戦でホークメンを駆逐したんダ」

「ハランディア!? ハランディアがオーガを今まで支援していたのか!!」

「うん。その後すぐハランディアは声明を出したんダ。『今までの恩を忘れ、不忠の徒と成り下がったエルゼビュート一族を討伐した者に、浮遊島を与える』ってネ。それで、今までオーガが多種族と交流もしないのに生活基盤が安定していた謎が解けたんダ」

「ふふーむ。と、なるとセイ殿が言っていた。ハランディの子孫バイゼルとその配下テオルザードが、オーガという一つの線で繋がるな……」

「ああ。いっそダイエアランを目指さず、その浮遊島かハランディアを目指さないか?」

「……ハランディアはダイエアランを北上したその更に先にある。浮遊島は季節によって移動するので、今何処を移動しているかを調べん事にはどうにも動けん」

「……く」


 俺は奥歯が割れるほどに噛み締めた。

 その時、大地が微かに鳴動した。


「朔への準備が始まる」


 アーリエスが呟いた。

 俺は彼女の言葉に違和感を覚えた。


「アーリエス。朔の日は明日じゃなかったのか!?」

「うむ。明日だ。が、見てみろ」


 彼女が指し示す方向には、あの左半分が原型を留めていない砕けた月が、うっすらと見えた。

 その月の内部から、黒いタールのような物質がジワリ、と染み出してきていた。

 そして、そのタールから細い漆黒の手が無数に飛び出すと、それらは繭のように月を絡め取っていった。


 時折タールに巨大な目が出現した。

 その巨大な目は瞬きすると、またタールの海へと消えて行く。


 月は、ゆっくりと本来あるべき形を取り戻していった。

 しかし、その月は闇夜より深い黒。


 僅か数分で、空に漆黒の月が出現したのだ。


「我等魔族が始祖。裏切りの悪魔……。太母サクヤ様……」 


 アーリエスと『兄妹』、そしてウシュフゴールら魔族に連なる者達が陶然と涙を流した。

 黒き月の出現と共に、全ての『力』が失われてゆく。

 セイは、『魔の二ザン』を乗り越える事が出来るのか。


 次回、「朔の試練 ②」

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