194 牢屋にて
(セイ。今日はごめんなさい)
セラがポツリと呟いた。
牢屋の端で、彼女と話しこんだ。
(わたくし、イスティリを助けたかったんです。けれど……)
「うん。分かってるよ」
(黙っていた事を怒っていません?)
「怒ってないよ」
(本当?)
「ああ。怒っていない」
(……本当に、本当?)
俺はセラを優しく撫でた。
誰かに怒るのだとしたら、俺自身を怒鳴り散らしたい気分だ。
メアとウシュフゴールが寄り添うようにして、俺の左右に纏わりついた。
ウシュフゴールは早速アーリエスに引きずられ、端に作った簡易ベッドに戻されてしまった。
「こらっ!! 絶対安静だと言っただろう。余り動くとセラ殿の中で寝てもらうからなっ」
「私、セイ様の隣が良いです」
「隣も何もあるかっ。生死の境を彷徨ったのは今日の昼なんだぞ?」
その怒り口調とは裏腹に、アーリエスは背伸びしてウシュフゴールの頭を優しく撫でた。
俺が彼女の隣に移動し、毛布を被る。
ウシュフゴールが俺の膝に頭を乗せた。
彼女の目から涙が零れた。
「セイ様……」
「少し寝ような。ウシュフゴール」
「……はい」
俺は彼女が寝入るまで肩を撫でていた。
メアは憔悴しきった顔をしていたが、霊薬を立て続けに三本も飲むとオグマフとの定期連絡に入った。
彼女は随分と長い事話し込んでいた。
そうしてから、俺の隣で横になった。
薄暗がりの中でメアの瞳がギラギラと輝く。
「諦めない」
メアは一言だけ呟くと、目を瞑った。
そう、諦めない。
俺たちはイスティリを取り戻すのだ。
仲間の前では、何とか気丈に振舞えた。
しかし、ともすれば感情の奔流に押し流され、狂気へと誘われるような感覚に陥った。
目を瞑れば後悔が襲いかかる。
思考の中で、イスティリを追い求めた。
ギリッ。
歯を食いしばる。
その音で、暗がりの中、誰かがこちらを向いた。
だが、何も言わず、静かに床に伏した。
睡魔なんてものは、一向に訪れる気配は無かった。
◇◆◇
明け方近くになって、レイオーがセラを経由して俺の元へと来た。
「このような事になってしまい、申し訳ありません。セイ殿」
「いや、謝るのはこちらの方だろう。レイオーに迷惑は掛かっていないか?」
「……実は、俺も追放刑となりました。ラザから三十年の退去命令です」
「!!」
何でも法務の長官がその場で刑を確定させたらしく、俺たちの処遇もその時に決定したらしかった。
「レイオー。すまない……」
「いえ。こうなってしまったのは仕方ありません。それよりも、イスティリ殿は……」
「神斧の所有者となったからだろうか。あのユノールザードに捕らえられてしまった……」
「そうでしたか。では、まだ……。俺がラザにお連れしたばかりに……」
「いや……」
少しの間、苦い沈黙が降りた。
「所で、レイオーはこれからどうするんだ?」
「はい。一先ずダイエアランの遠縁を頼ります。そこから先はどうなるか分かりません」
「そうか。俺はイスティリを探す。もしかしたら、今度会うときはダイエアランかもしれないな」
「はい。行くあてはあるのですか?」
アーリエスが目を擦りながら寄ってきて、俺の膝に座った。
「ユノールザードの所領、ユノーだな。行くとするならば」
「アーリエス」
「ユノーなどと言う所領は知らんが、調べれば出てくるだろう」
「そうだな」
俺はレイオーと別れの挨拶をした。
彼は牢屋番に現金を握らせると、ひっそりと抜けていった。
コモンがセラの中で粥を作って持ってきてくれた。
俺は食う気にならず受け取らなかったが、コモンに押し付けられた。
「そんな顔じゃ、前へ進む前に倒れますよ」
「すまない……」
各自が軽く食事をし始めた所で、コモンが折り入って相談があると伝えてきた。
「どうしたんだ、コモン」
「はい。こんな時で申し訳ないのですが、スティグ=タカをグンガルのように助けてやってはくれませんか?」
「スティグ=タカ?」
「はい。あのユノールザードと戦い、負傷したオーク戦士です。このままだと彼はもう戦えないでしょう。ですが、戦士としての素養は極めて高い。あの神秘の石を使い、彼を仲間として引き込みたいのです」
俺はグンガルの負傷を当然のようにあのシオの石で癒したが、それはあくまで仲間だったからだ。
このコモンの提案に対し、アーリエスはどう考えるのだろう。
「あたしは賛成だ。あのユノールザードに傷を負わせ、勇猛に戦ったオークをこちらに引き込めるのならば、この投資は安いものだ」
「では……」
「そうだな。ヘラルドに飛んで貰おう。ヘラルド殿っ」
ヘラルドは勢いよくお椀を床に置くと駆けてきた。
「はっ!! 軍師殿!!」
「神秘の石でスティグ=タカの傷を癒そうと思う。勿論、その代価は当人の命だと言い含めた上でな。その上でスティグの反応を見て欲しい」
「反応次第では、何もせず戻ってきて良いんですね。軍師殿」
「その通りだ。頼めるか?」
「もちろんです!! 行って参ります」
ヘラルドは颯爽と消え、小一時間程で戻って来た。
「ただいま戻りましたっ」
「首尾はどうだった?」
「軍師殿。スティグ=タカは、『地の果てまでお供致します』と感激に咽び泣きました。もう自宅に戻り、旅支度を始めております」
「そうか。コモン隊にあらた戦士が加わるか」
その言葉にコモンは破顔し、「うちは厳しいですからねぇ。あのオークが付いて来れるか」と冗談を言った。
コモン隊の面々が声を出して笑った。
「それと……」
ヘラルドは赤い紐の付いた鈴をウシュフゴールに差し出した。
「折れた角は探せなかったんですが、この紐は魔力をたくさん含んでいたので、<魔力探知>に引っ掛かりました」
「私の恋紐!! ヘラルドさん!!」
「大切な物でしょう?」
「はいっ。ありがとう!! 本当にありがとう!!」
「血は洗い流して、<香料>で花の香りにしてありますよ」
ヘラルドはそう言うと、少し照れた。
ウシュフゴールは早速メアに鈴を付けて貰うと、戻ってきてから初めての笑顔を見せた。
◇◆◇
アタイはギルドの株券を大量に購入し、単なる組合員ではなく組合頭に出世した。
これでガリィと同じ立場になったし、株券の枚数で言えばアタイはギルド長の次に多い。
ガリィと比べれば、単純に倍は違う。
今回の一件でガリィに不信感を募らせた組合員も多く居た。
そこでアタイは組合会議を開き、アイツの持ち株を失効させる事にした。
とは言え、そんな簡単に物事が運ぶ訳も無い。
「で、だ。アタイは組合会議の後で、この持ち株を五百枚、半値でアンタに売りたイ。その見返りはモチロン、ガリィの株券の失効を議題にし、その上で確実にそれを通す事ダ」
「ホッホー!! そんな旨い話があるものですか? ディーリヒエンさん」
「うん。ギルド長、確かにそんなに旨い話は滅多に転がってなイ。けど、これ以上ガリィをのさばらして置くのは嫌なんだ。だかラ、アイツの役職を剥奪しテ、どっか僻地に飛ばして欲しイ。その為なら、身銭だって切るサ……」
「ホッーホッホッー。なるほどなるほど。自身は組合頭に必要な株券を残し、その上でガリィさんは単なる組合員に降格、左遷と?」
「ああ。アタイはあの異世界人の旅に付いて行くつもりなんダけどサ、こう、出て行く前にケジメを付けときたいんだ」
「分かりました!! 確かにガリィさんは今回の件で随分と下手を打ちました。ラザの盗賊ギルドの格が下がると言うものです。この話、乗りましょう」
「助かるヨ」
単純に、事前にギルド長にちょっと袖の下を通しただけなんだけど、効果は覿面だった。
ガリィは翌日開かれた会議で、顔を真っ赤にして口の周りを泡だらけにしていた。
「なんだとっ!! この俺の株券が失効!? そんな議題があってたまるか!!」
「ええ、ガリィ。申し訳無いんだけど、組合頭ディーリヒエンの上前を撥ねる為に、彼女の姉を攫おうとしたらしいじゃない。そこまでして、かつての弟子を食い物にするのは頂けないわ」
「な……」
進行役であるヘイラ姐さんの言葉に絶句するガリィ。
ガリィは息を整えてから、改めて口火を切った。
「コイツが組合頭になったのはその後だ、ヘイラ!! そもそもこの言い分がまかり通るなら、師匠である俺を失脚させようとする黒鼠も同類だろうが!!」
「黒鼠。黒鼠ねぇ。……アンタがそんな調子だから、寝首を掻かれるんでしょうが!!」
ヘイラ姐さんがピシャリとやると、ギルド長が大きく頷いた。
それで流れはこっち側に傾いた。
他の組合頭もアタイの言い分を、「しごく尤もだ」とでも言わんばかりにフムフムやりながら、自分が不利にならないよう具体的な意見は出さず様子見していた。
「では、『組合頭ガリィ=ヴィレンの持ち株の失効』及び、『それに伴う組合員への降格』に賛成である方は?」
ヘイラ姐さんの言葉に、サッとギルド長が手を挙げた。
そうなると後は簡単だ。
満場一致で可決されると、早速ガリィがキレた。
「待て待て待て!! 俺は反対だッ。何故黒鼠如きに寝首を掻かれなきゃならんのだ!! 糞めがっ」
「ホッホー。ガリィさん。組合員である貴方が、組合頭であるディーリヒエンさんに対しての暴言。これは看過できませんね?」
「待ってくれ!! ギルド長!! これは罠だ。今すぐこの議題を流して、俺の株券を元に戻してくれ!!」
「それは無理です」
「なっ!?」
「出し抜きが基本の盗賊ギルドで、それでは駄目です。今まで何を見てきたのですか、ガリィさんは。……ヘイラさん、確かモウイ村の連絡係が居ませんでしたね?」
「はい。ここ五十年居た事もありませんが」
「構いません。では、組合員ガリィ=ヴィレン。明日よりモウイ村の連絡係としての転属を命じます。これは、組合頭ディーリヒエンへの暴言に対しての、処罰となります」
「な……。そんな……」
愕然とするガリィを尻目に、会議はお開きとなり、皆帰り支度をし始めた。
「黒鼠……。テメェ……」
アタイに聞こえるか聞こえないかの小さな声で、ガリィは呻いた。
唐突にマルーガが、「往生際が悪いっ」とガリィの胸倉を掴んだ。
彼は生粋の武闘派で、血の気が多く手も早いので、アタイはこれまで避けていたんだけど、この時ばかりは感謝した。
「悪いけどさ、ディーは実力でカシラに上った訳。アンタが踏ん反り返ってる間に、ね」
「ぐ……」
「こっから先、ディーに手を出してみ? その時点で、お前の家族を順番に輪切りにしていくよ?」
「家族かよ……」
「そっ」
ガリィは顔面蒼白にしながら退出していった。
もう何も言う気力が無さそうだった。
アタイはマルーガに会釈した。
「マルーガさん」
「いいって、いいって。あの耄碌ジジイ、正直言って邪魔だったんで、俺も助かってんだ」
こうして、アタイはきっちりとケジメをつけてから、セイの元へ行くことにした。
「イッヒヒ!! アイツ、結構モテるかんな!! アタイら二人くらい紛れ込んでも大丈夫だロ!!」
アタイは一人ニヤニヤしながら、姉ちゃんに会いに行った。
姉ちゃん相手に、ガリィをコテンパンにした話を大げさに話して二人で笑った。
本当にスカッっとした。
溜飲が下がった所で、本題を切り出した。
「ところで姉ちゃん。アタイはアイツに付いて行く事にした。世界救済とかワカンネェけど、退屈しなくて済みそうだから」
姉ちゃんはコクリと頷いてくれた。
少し、悲しそうな顔をした。
「それでさ、アイツラ、どうも盗賊だけじゃなく料理人も探してるらしいんだ」
アタイの言葉に、ルー姉ちゃんはパッと顔を上げ、見る見るうちに笑顔になって行った。
「その、さ、もし姉ちゃんさえ良ければなんだけど、一緒に……」
「ディー!!」
最後まで言葉は紡げなかった。
アタイがルー姉ちゃんに目一杯抱きしめられたからだ。
ラザより退去するセイら。
ダイロスを救った英雄達は、市民の冷たい視線を避けながら街を離れる。
次回、「朔の試練 上」
遂にセイの第二の試練が始まろうとしていた。




