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192 狂気の慟哭

 俺はスヴォームを無理やり押さえ込んだ。

 そう言えば聞こえが良いが、スヴォームがその気になればどうなるかは分からなかった。

 彼は、落ちた右腕を模倣するかのように金属を這わせ、絡ませた。


『ハ・ハ・ハ!! ハ・ハ・ハ!!』

「ぐぅぅぅ……!?」


 スヴォームの哂い声が響き渡る中、俺の右腕は、二の腕から先端が針金が絡まって作られた義手へと様変わりした。

 時折、義手の内側から赤い光点が瞬いた。


『贈り物だ。流される者よ!! 貫けぬ刃の潰れた槍よ!! 永久に殻から出れぬ未熟な雛よ!! これはお前への、我、スヴォームからの贈り物だ!!』

「な、に!?」

『汚泥を這うゴミムシよ!! 貴様が吟遊詩人と遊んでいる間に、何が起こったのか自身の目で確かめるがよい!!』


 俺は血塗れで倒れるリーンを一瞥すると、闘技場を見下ろした。


「……イスティリは、どこだ?」

「……」


 メアは唇をかみ締めていた。

 ブツリ、と音がして、彼女の顎に血が滴った。

 

「セイ……。ごめんなさい……」

「な、何だ? 何が……」


 何があったのか。

 俺は、何か致命的なミスを犯した気がした。

 血の気が、引いてゆく。


「……なあ、メア。イスティリは、どこだ?」

「……ごめんなさい。わたくし……」


 メアは俯いた。

 顎を滴った血が、床に落ちた。

 

「イスティリが何処に居るか聞いているんだ!! 答えろ!!」


 俺は声を荒げた。

 だが、誰一人、俺の問いかけに応える者は居なかった。


「……セイ」


 メアが俺に呪文を唱えた。

 俺の脳内に、映像が流れ始める。

 それは、イスティリの覚悟。

 そこから始まる、彼女の決意。


『もし、ボクが……ボクがこの戦いで、何かあったら……セイ様を助けて欲しいんだ』


 イスティリの悲しげな横顔が、頭の中で反芻する。


「……そ、そんな」


 俺は愕然とした。

 震えが止まらず、思考が定まらない。


『ハ・ハ・ハ!! 世界を救う!? お前を慕う乙女一人救えず、よくもそんな事を言えた物だな!!』

「……黙れ」

『今頃あの者は、冷たくなって冥府を渡っていようなぁ!! ハ・ハ・ハ!! ハ・ハ・ハ!!』

「黙れっ!! 黙れ黙れ黙れェ!!」


 俺はスヴォームの腕を力の限り椅子に打ちつけた。

 血が飛び散り、そこから腕がもげた。

 だが、それも束の間。

 すぐさま針金の腕は右腕の断面に食らいつき、侵食した。


「ぐ……」

『弱き者よ。潮時ではないか? もう十分、世界救済ごっこは楽しんだだろう?』

「何を……」


 スヴォームは徐々に俺の肩口へと、その針金を侵食させて来た。


「セイ!!」

「セイ殿!!」


 メアとアーリエスが声を上げる中、肩口まで金属が覆った。

 イスティリは、死んだのか?

 俺は、好きになってくれた女の子一人救えず、世界を救うなどと、言っていたのか?


「セイッ。騙されてはなりません!! イスティリはまだ死んだと決まったわけではあ……アッ!?」


 鈍重な金属の一撃が放たれた。

 俺はそれを止めたが、僅かにメアの頬を掠めた。


『人に媚びる天使めが!!』


 だが、俺はスヴォームの言葉に焦りを垣間見た。

 こいつは、自身の有利なよう、俺を誘導している!?


「セイ殿。スヴォームは蟲を幾つか飛ばしておった。恐らくは、情報収集の為に」

『……餓鬼が。余計な事を』


 スヴォームがアーリエスに針金を飛ばした。

 それをシンが弾いた。


「それが意味する所は何だ?」

『……』


 スヴォームが不利を悟り完全に沈黙した。

 徐々に彼の支配が解かれ、右腕が感覚を取り戻していった。

 絡み付いたワイヤーで作られた金属の腕は、生身であるかのように、俺の自由に動いた。

 瞬いていた赤い光点は鳴りを潜めた。


 スヴォームはこのリーンの反逆に乗じ、俺の心を折ろうとした。

 それは未遂に終わったが、今回の彼の目的はそれではない気がした。


「……」

 

 この右腕。

 金属で作られた、スヴォームの身体そのもの。

 彼は、俺の体に自らの刻印を施し、次への布石としたのだ。


「セイ殿。これは推論だが、その神格はイスティリがどうなったのかを知っている。知っていながらにして、自身が有利なよう、話を摩り替えたのだ。……何としてでも、そやつをこちらに引き込め。そうしなければ、イスティリは帰って来ない」

「わたくしも、同感です。ユノールザードはイスティリを連れて転移で逃げました。それが意味する所は何なのか、その金属の主を問いたださなければなりません」

「ああ……」


 しかし、俺はイスティリが消えた事を許容したくはなかった。

 狂おしい感情が渦巻く。


『もし、ボクが……ボクがこの戦いで、何かあったら……セイ様を助けて欲しいんだ』


 少し力がついたからと言っても、その慢心を突かれれば意味は無い。

 非力な砂の城。

 その砂城を守る者たちが流す血で、俺の安全は贖われているのだと、もっとよく理解をしておくべきだった。


 狂おしい慟哭が、俺を支配した。


「イスティリ……!!」

 

◇◆◇


「うーん。最後は勿体無かったな」


 イスティリの一撃が、ユノールザードに突き刺さった。

 何故彼女はユノールザードでも避けられないような速度で斧を振り下ろせたのだろう?


「怒り? 悲しみ? 感情の爆発が一時的に能力を高めたのか……? うーん。勿体無い……。実力とは言い難い。とは言え、運も力。感情も力、か」


 だが、その後がいけない。

 ユノールザードはイスティリに対して何かしらの異能を使用した。


「背後からブスリなんて。このギネメスなら死んでもやらんぞ」


 ユノールザードは試合には敗北したが、結果として目的は達成出来たのだろう。

 彼女は退却した。

 イスティリを神斧ごと連れ去った。


 その間に、観客席では戦いが始まり、貴賓席にいた男に魔術師たちが男に襲い掛かっていた。

 逃げ惑う観衆。

 最早神斧大祭どころではなくなってしまった。


 一瞬で魔術師たちは沈黙したが、彼らの標的となった男は嗚咽をかみ殺して咽び泣いていた。

 目を凝らしてようやく分かったが、狙われたのはあの『セイ一派』の首領セイか。

 魔術師の集団を瞬時に放逐する手錬を纏める《悪食》使い、セイ。


「しかし、あれでは強いのか弱いのか分からんな」


 乱戦のドサクサに紛れてイスティリを連れ去られたのか、始めから仕組まれていた事なのか。

 

「確かに、俺ならあんな不安定な男より、即戦力になるイスティリを捕らえるな」

  

 観衆が居なくなるのを待ってから、闘技場を後にした。


 スティグはたとえ助かっても、もう戦えないだろう。

 それだけが残念だ。

 だが、高潔に戦った彼を悪く言うものなど居まい。


「さて、次は何処に行くかな?」


 俺の名は、ギネメス。

 名誉ある火の迷宮の走破者、ギネメス=タウクーン。


◆◇◆


「コモン殿!! こっちです!!」


 俺は『妹』の誘導に従って、闘技場に併設してあった医務室へと飛び込んだ。

 意識を失ったウシュフゴールを二名の医務官が取り囲んでいた。


「さ、再度心肺停止!! も、もう一度、<賦活>試みます!!」

「魔力残量は!!」

「ふ、不足しておりますっ。<魔力供給>、願います!!」

「よし!! いけっ。いけっ。いけっ。これが最後だと思え。もう蘇生側が持たん!!」


 その医務官が使用している<賦活>は俺も知っている。

 俺も戦場で生死を彷徨った際に、その呪文で一命を取り留めたことがあったからだ。

 が、その呪文を複数回使うという事は、ウシュフゴールがそれだけ危険な状態にあるという事だった。

 

「カッ……ヒュー……」


 <賦活>が効果を発揮したのだろう。

 ウシュフゴールが微かに呼吸した。

 それを確認した医務官たちは、回復呪文を唱え始めた。


「一時蘇生!! 回復、いきます!!」

「ああっ!! 魔力がもつか!?」

「至急応援要請を!!」

「そんな暇は無い!! 自分の力を信じろ!!」

「はいっ……!!」

   

 荒療治だが、ウシュフゴールを助けるには、蘇生と死を繰り返しながら、無理を押し通すしか無いのか……。

 俺はアーリエスから持たされた神の石を、彼女に押し込んだ。


「なっ!?」

「お前、今、何をした!?」

 

 医務官たちは驚き、そしてウシュフゴールを守るようにして体を張った。

 この清廉なる者達に、二神の祝福があらん事を。


 神秘の石は溶け、徐々にウシュフゴールの体は快復していった。


「おお……!!」

「賢者の石!?」


 うっすらと、ウシュフゴールが目を開いた。


「……イスティリ?」

「気が付いたか。イスティリなら、今ユノールザードと戦っている最中だ」

「駄目ッ!!」


 ウシュフゴールは悲鳴を上げると、飛び起きて駆け出そうとした。

 が、足元が覚束無い。


「駄目……。駄目……なの……」


 彼女はそのまま崩れ落ち、意識を失った。


 血に塗れた衣服。

 折れた角。

 憔悴しきった、頬のこけた顔。


 この子は、イスティリの為に、あのユノールザードに戦いを挑んだのだろうか?

 何故、そこまでしようと思ったのか、俺には分からなかった。

 だが、彼女は己の信念に基づき、命を賭けたのだろう。

 

 『妹』が安堵のため息を吐いた。

 医務官達は、疲労の局地だったのか、その場にへたり込んだ。


「先輩。鼻から血が出てますよ?」

「おう、お前もな」

「……でも、良かった。あなたが賢者の石をお持ち下さらなければ、この方は……」

「いえ、お二人が命を繋ぎとめて下さっていたからこそ、間に合ったのだと思います。この……ウシュフゴールは大切な仲間なんです。本当に、ありがとうございます」


 俺の言葉に、二人の医務官は歯を見せて笑った。

 

 その俺の腕を、ガッと掴む者が居た。

 そいつは包帯まみれのオークだった。


「い、今のは何だ!? 賢者の石!? な、なあ、アンタ。頼むっ。その魔石を俺にも下されッ。お願いだ!! このままでは死んでも死に切れん!!」

「スティグ……タカ!?」


 双斧の使い手スティグ=タカが、必死の形相で俺にしがみついたのだった。

 イスティリを失った事で、セイは遂に覚醒し始める。

 だが、迫り来る朔。


 次回、「処罰」

 闘技場での揉め事の責任を問われ、レイオーには罰則が与えられてしまう。

 そして、セイ一派にも退去の処罰が下る。

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