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190 イスティリの堕落

 完全に意識を失ったイスティリを抱え、私は主の元へと帰還を果たした。

 一旦傷の完治を待ってから、その足でガッド=ガドガーの研究施設に向かった。


 隻腕のコボルドは私の来訪に気付くと、感激の余り身を打ち震わせた。

 彼の前にイスティリを放り投げた。


「おお!! おおお!! まさしく!! まさしく、私が欲していた者!!」


 ガッドは私に膝を付くと、咽び泣いた。

 ……コボルドの中年が泣く姿など、絵にもならないので若干白けたが、場の空気を読んだ。


「所で、こいつと交換でレガに『回復特化型』の奈落種一体か……。なあ、ガッド=ガドガー。正直割りに合わんと思うのだ」

「……と、言いますと?」


 急に現実に戻ったコボルドは、やや警戒した声色で返事を返した。

 私は軽く頷くと、自身の意見を述べた。


「私はこいつの捕縛にはすこぶる手を焼いた。『成人前』のタダの魔王種でこれなのだから、こいつが『奈落種』になった時の事を考えれば、そして、こいつが成人したときの事を考慮するならば、お前はレガールードにもっと融通を利かせるべきだと思うのだ」

「確かに、仰る事は理解できます。ですが、魔王種が相当数手に入るのであれば兎も角、月に一体手に入るかという現状で、レガールード様の配下足りえる奈落種が誕生するかどうか。加えて、基本的にこの生産施設はテオルザード様の管轄です。私の一存で出来る事には、限度があります」

「この際、回復型でなくとも構わない。護衛として例のドライアドを守らせることも出来ようし、運用方法は五万とある。それに、このユノールザードに貸しを作っておけるのだと考えれば、安いものだと思わんか?」

「……」


 ガッドは思案している様子だったが、妥協を選んだようだった。

 彼はイスティリを運ばせるタンカを部下に指示しながら、巧妙に人払いをした。


「分かりました。お約束しましょう。……その代わり、一つ、私からも」

「何だ?」

「イスティリの件は、出来る限り内密にお願いいたします」


 話してみて分かったが、こいつは有能だ。

 たかがコボルド風情が、と今まで侮っていたが、その考えは捨てたほうが良さそうだな。


 奈落種再誕への手順は、こいつが居なくとももうある一定の水準までなら到達できる。

 だが、その先を見据えるならば、この銀毛の逃亡者ガッド=ガドガーは、我等にとって必要不可欠な人材であるだろう。


「分かった。約束しよう。この交渉は、私が『借り』ておこう。ガッド=ガドガー」

「はい。ユノールザード=スレン様……」


 私はイスティリから神斧をもぎ取る。

 神斧は力の限り抵抗したが、無理やり膂力で抑え込んで転移した。

 飛んだ先は、封印・魔防特化の部署。

 そこの長であるヒリエシュードが、パッと私の前に姿を現した。


「こ・こ・こ・これはユノールザードしゃま!!」

「神斧を奪取した。が、所有者は私ではないので制御は出来ん。一旦封印を施してはくれないか?」

「はぃい!! お任せ、下しゃーー!!」


 ヒリエは緊張しすぎて盛大に噛みまくったが、気にするものでもないので流した。

 フェアリーの『鎖』である彼女は、最古参の私とレガに比べれば立場も地位も低い。

 だが、それでも我等が主に見出された実力者には違いない。

 彼女がベリエスティリアスに魔力を注ぎこむと、私から逃れようと暴れていた神斧が機能を停止した。


「助かる」

「いぃええー。お役に立てて光栄ですぅ!! この状態を維持するには半月毎に……」


 最後まで聞かずに転移し、宝物庫に煤けた斧を放り投げる。


「後は、ハイネルティランネだけか……」


 任務を終え、ようやく自身に与えられた所領、ユノーへと帰還した。

 達成感から、何年かぶりに寝室で横になった。

 夢には、イスティリを失って狂乱するセイが出てきた。

  

『血の階段を駆け上げる勇気も無い者よ!! お前がイスティリを糧に得た道標は、お前にとって何を意味する!! お前がウシュフゴールが流した血で得た道標は、お前にとって……』


 夢の中で、私は彼の不甲斐なさを罵倒し続けた。

 彼はその罵倒の度に、血の涙を流し、荒れ狂った。

 

◇◆◇


 俺は早速イスティリを、彼女の為だけに秘密裏に作成しておいた上級培養槽へと落とし込んだ。

 衣服が溶け出し、青玉の宝飾品が培養槽の底に沈んでいった。

 赤い髪留めは魔力を帯びていたのだろうか、二つの帯となって溶液を漂っていたが、見えなくなっていった。


「ガッド様。薬品の用意が揃いましてございます」

「うむ。お前達は休め。安定するまでは俺は見ておこう」

「はい」


 体よく配下を遠ざけると、俺は既存の薬品や霊薬、生薬の類以外に、密かに用意した物を取り出した。

 青竜シズメの肉片。

 ほんの一欠だが、どんな霊薬にも勝る効果を発揮するだろう。


 ゆっくりと薬品を、そして肉片を落とし込んでいく。

 それから、俺はじっと待った。

 イスティリに訪れる変化を。


【……生物合成システム、アレクサンドリア起動】


 来た!!


【告知。技術者系『巣』の人造魔族の設定を、最初からやりなおしますか?】

「……はい」


 魔族にとっての『羊水』とでも言うべき培養槽。

 それを寸分違わず模倣した、霊薬と生薬で作られた紛い物の培養槽。

 その紛い物に魔族を入れた場合に起こる、生物合成魔術の誤認。

 

 ここにたどり着くまでにどれだけの労苦を味わったか……。

 俺は失った腕の苦痛を思い出す。


【了承しました。名称:クラフトマンズ・ネスト。マスタークラス合成魔族。初期状態に戻し、再度割り振りを開始します。過去の記憶の消去開始…………終了。割り振りを開始します】

【……告知。異能<秘密格納>を獲得しました。異能<昏睡魔針>を獲得しました。異能<勇猛果敢>を獲得しました】

【告知。力場<大いなる繁茂の庭園>を獲得しました】


 異能は三つ。

 元々魔王種なら一つ位異能を持っていようから、増えたのであれば良いのだが。

 しかし、力場まで獲得したか。

 現時点で所有者が割れていなかったのは<大いなる繁茂の庭園><矮小なる愚者の利益>だった筈だから、所有者の居なかった力場が割り当てられた可能性が高いな。

 素では殆ど言語は理解できなかったが、<言語理解>が通用するので何とでもなる。

 言語自体は悪魔語というべきか、あるいは古魔族語なのか。

 もしくは、俺が知りえない未知の言語なのかも知れない。


【告知。新たなる要素を検知。検知されたダークフェアリーの燐粉を触媒に、新規異能を覚醒させますか?】

「……はい」

【了承しました。異能<暗夜疾駆>を獲得しました】


 ダークフェアリーの燐粉か。

 さしずめ、衣服に<夜のとばり>でも仕込んであったか。

 用語から察するに、夜間限定の能力向上系だろう。


【告知。新たなる要素を検知。検知された合成生物る-四級の生体組織を触媒に、新規異能を覚醒させますか?】

「……はい!?」

【了承しました。異能<強靭竜燐>を獲得しました】


 青竜は確か二神が始めに創った生き物だったか……?

 何かと謎の多い生物だが、こちらに都合良く働いたので良しとするか。

 

【告知。身体能力の基準値が非常に高い為、誤作動の可能性があります。最初からやりなおしますか?】

「いいえ」

【了承しました。身体能力設定完了。現在値を下限とし、成長幅を設定しました】


 ここからだ……。

 ここから、肉体がその高負荷に耐え切れず自壊し始める。

 それを乗り越えられるのは、現時点では三割といった所か。


 ……裏切りの者の悪魔の力が溶け出でて、魔族の祖となったのだと言い伝えられる。

 魔族達は、水に触れれば始祖に触れているのと同じなのだという。

 ゆえに、魔族は水溶液の満たされた培養層より生まれ出でる。

 水に抱かれれば、始祖に抱かれているのと同じなのだ。


 そして、その培養槽で改めて、魔族を再誕させる禁忌の術。

 それが、このガッド=ガドガーが人生を賭けて編み出した、『奈落種』の製造だ。


「さあ、イスティリ=ミスリルストームよ!! 奈落へと堕ち、苦痛を克服し、死を超越せよ!! この、ガッド=ガドガーの為に!!」


 その時、全く予期せぬ出来事が起こった。

 先程までの告知の音声とは別の音声が流れ始めたのだ。


【告。これより、イスティリ=ミスリルストームの成人の儀を始める。与えられる恩恵は四つ……】

「!!」


 ここで成人するのか!!

 俺は感動に打ち震えながら、その告知に聞き入った。


 だが、俺は自らが作り出そうとしているこの生き物が、本当に制御できるのか、一抹の不安を覚えた事は確かだ。

  

◇◆◇


 私は天使から飛び出すと、セイに踊りかかった。

 詩人は最早用無しだ。

 完全に主従を逆転させ、詩人の人格を深層に押しやると、珍しく彼は抵抗した。


『ははっ。どうせ、ユスフスの言う通りやっていたって意味は無いさ!! 朔の時にセイを殺す!? 無理に決まってる!! 我等刺青の人格が朔の時に正常に機能するとでも!? どうせ、囮だろっ!!』

『待て、死神。姉上は信用ならんが、これは無理だ。一旦引こう』

『ぬかせっ。おまえはそこで震えてな!! セイを殺し、祝福を奪う!! 《悪食》さえ奪えば周りを全て飲み込んで私の勝ちだ!! ……妹達を救うのだ!!』


 呪詛の染み付いた短剣の一撃は、直接寿命を削り取る。

 脇腹で二十年、腕で更に二十年は奪っただろう。

 もう一撃か、二撃もあれば、ヒューマンであるセイは確実に死ぬ。


「ははははははっ。こっちが本命さ!! まさか神域に武器を隠すなんて思っても居ないだろう!!」


 肩口に短剣を突き立てる。

 更に目に突き入れようとした所で、体の機能が極端に低下していくのが分かった。


『くそっ。荷物水母の麻痺毒か!! 一旦引くか!? いや……』


 カライの名を使い集めた魔術師達は、ヘラルドの<紫電の扇>をまともに食らって気絶していた。

 が、セイの近くには魔道騎士とイカ、フォーキアンだけだ。

 こんな好機は最早無いだろう。

 無理をしてでももう一撃。


「ぐぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁ!?」


 突如セイが苦痛の悲鳴を上げる。

 遂に寿命が尽き、死んだか!?

 そう思った瞬間、彼の切断された右腕の断面から、無数の針金が飛び出してきた。


「なっ!?」


 私はその針金に絡め取られ、宙吊りになってしまった。


『……小娘。これは我の獲物だ』

「う……がぁぁぁぁぁ!?」


 体を切り刻まれ、蟲に肉を食まれる。

 くそ、こんな、所で……。

 ああ、畜生……。


「妹達の為に、わ、私はこんな所で……」


 短剣で針金を断とうとした。

 だが、そんな抵抗は無意味だった。


「スヴォーム!!」

『相変わらず温い男よ。敗者には引導を渡してやるのが、慈悲なのだ』

「戻れ!! スヴォームよ!!」

『……ぬるま湯に浸かっていたいのならば、お前が死ね。このスヴォームに肉体を寄越せ。まだこの期に及んで迷うゴミクズめが!!』

「黙れッ!!」

『ハ・ハ・ハ!! 図星か!! 図星にされて怒り狂うか!! ……貴様の迷いは全ての者を犠牲にする。いっそ、最初から喰えば時間の短縮にもなって良いと思うがなぁ!! ハ・ハ・ハ!!』

「貴様ぁ!!」

 

 セイは私を助けようとしたのだろうか?

 けれど、スヴォームと名乗る針金と対立し、一瞬でも気を抜けば彼もまた死に一直線である気がした。

 体は蟲に齧られる事は無くなったが、私は麻痺と失血で意識を失っていった。


『ハ・ハ・ハ!! ハ・ハ・ハ!!』

 

 最後に覚えているのは、あの針金の狂ったような笑い声だった。 

 イスティリの運命は、最早後戻り出来無いほどに大きく変動した。

 

 次回、「イスティカ=ナイトスコージの誕生」

 ここに、新たなる奈落種が誕生する。

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