188 ユノールザードの敗北 下
「そこまで!! 勝者、ユノールザード=スレン!!」
まばらな拍手があったが、それもすぐに無くなった。
場内をぐるりと見渡すと、セイ一派が青ざめた顔で私を見ていた。
「ふ……。何も知らず、そんな所で暢気に観戦とは、な」
しかし、あのグンガルという戦士も中々の男だった。
腕を落とされ、足をもがれてなお、一撃を加えようとした事に感心した。
ふいにイスティリと目が合った。
この者の為に、命を投げ出そうとした、ウシュフゴールを思い出した。
あの巻き角には悪いが、今日、この神斧大祭で私はベリスを獲得し、その上でイスティリを捕縛して連れ帰る。
我が主は四大神器に眠る力を渇望されている。
そして、親愛なるレガの為にも、この魔王種を生け捕りにするのだ。
「さあ!! 次に私と戦う者は誰だ!!」
イスティリからの視線を絡ませながら、次の対戦を急かした。
審判員は私の立ち振る舞いを見て、疲労していないと判断したのだろうか、すぐさま大声を張り上げた。
「では、これより、『左』の勝者を決める!! スティグ=タカ対、ユノールザード=スレン!!」
颯爽とオークが飛び出してくると、静まり返っていた場内が活気を取り戻していった。
「タカーッ!! そいつをぶちのめして、優勝まで駆け上がれーッ!!」
「頑張ってー。スティグ=タカぁ!!」
『スティグ!! スティグ!! スティグ!!』
なるほど、こいつはさしずめ地元出身の戦士といった所か。
鍛え抜かれた肉体、そしてその鋼の体躯から発せられる重圧は、彼が歴戦の勇士である事を物語っていた。
「俺の名は、スティグ=タカ!! いざ、尋常に!!」
「よかろう!! 我が名はユノールザード=スレン!! 勇士よ、お相手仕ろう!!」
獲物は小型の斧が複数。
投擲か、あるい手数重視か。
そのどちらにせよ、私がやる事は一つだ。
『眼前の敵を粉砕せしめん』
集中力を高め、闘いの号令を待ち構えた。
「各々方、用意は良いか!?」
「何時でも構わん!!」
「無論ッ」
「では、神斧ベリエスティリアスの名の下に!!」
『始めッ!!』
スティグが流れるような動きで接近してくる。
迎え撃ち、袈裟切りを放つが、その側面をすり抜けるようにしてスティグは私の手甲を削いだ。
鋼が軋む。
微かに血の匂いがした。
「やるなっ!! この私から先手を取るとはなぁ!!」
「抜かせッ。何処から来たのかは知らんが、ベリスは渡さんっ」
「戯言を!!」
スティグの攻撃は軽い。
一撃離脱を常とし、装甲の薄い箇所や頭部を狙いつつ、相手の動きが鈍るのを待つのだろう。
その流麗な戦闘方法は斧使いとしては若干異端である気がしたが、それでもこの技量の研鑽に、この男は生涯を賭しているのだろう。
それ程までに卓越した技量だったのだ。
「だが、それだけだ!! 小手先の技で、この私が落ちるとでも思っているのかァ!!」
敵の攻撃に合わせ、斧を力一杯振りぬいた。
スティグの斧は二本同時に砕け散った。
すかさず彼は次の斧を取り出すが、手の痺れからか一本取り落とした。
いや、それは見せ掛けだ。
私は素早く横に跳躍した。
つい先程まで私が居た場所を、斧が五本、連続で通り過ぎていった。
「はははははッ!! そうか!! そういう事か!! 種が割れてしまったな、スティグとやら」
「ふんっ。この程度で勝てるなどと、ハナから思ってはおらん!!」
私は駆ける。
それを追う様に、スティグの斧が飛来する。
こちらの回避に合わせ、更なる斧が飛び交った。
その斧を手甲で弾けば、スティグが接近してきて斬撃を浴びせようとした。
「はははッ!! 素晴らしい!! このような勇士が市井に埋もれていようとは!!」
私はスティグの接近に合わせて体当たりした。
肩口を負傷するが、そんな事はどうでも良かった。
ゴッ!!
「グッ……」
片膝を付くスティグに、渾身の一撃を見舞う。
彼は横に飛ぶが、間に合う筈も無い。
左肩から腕を叩き落とし、そのまま左のくるぶしを両断する。
だが、勇士は最期まで勇士だった。
私は右からの一撃を頬に受けた。
裂傷が耳まで入り、血が弾けた。
「み、見事……」
スティグ=タカは意識を失っていった。
「それまで!! 勝者、ユノールザード=スレン!!」
場内に悲壮なざわめきが起こる。
「ああ……スティグが……」
「畜生!!」
「しかし、強い……。何者だ、あの女」
スティグが場外へと運ばれてゆくと、イスティリ=ミスリルストームが歩みを進めてくるのが見えた。
それに呼応するかのように、ベリエスティリアスが鳴動した。
神斧は光を発しながら闘技場の中央へと浮かび上がった。
『我が名はベリエスティリアス。勇士らよ、戦え。イスティリ=ミスリルストームよ、戦え。ユノールザード=スレンよ、戦え。我を従えたくば、命を賭し、己の持てる全ての力を、我に見せよ……』
「……言われずとも」
「ボクは、この日を待ちわびていた……」
「私もだ。……最早、合図などは不要」
私は斧を正眼に構えた。
敵も、合わせるように斧を正眼に構えた。
我らは勝利を渇望する戦士。
勝利以外の事は、最早何の意味も持たなくなった、二匹の狂戦士なのだ。
◇◆◇
わたくしは遂に始まるイスティリとユノールザードとの試合を前に、セラに合図を送る。
「セラ、おいでなさい?」
コココ、と返事があった。
セラがセイの服から出てくると、彼女はそのまま、わたくしの体の中へと浸透していった。
そう、わたくし達は融和する。
お互いの人格が溶け合い、一人の個として認識し始めた。
「メア!? 何をする気だ」
セイが驚きの声を上げた。
「うふふ。イスティリに万が一があった場合、わたくしの魔術と超高速演算で、その前に彼女を救うのです」
声を出して語れる、というのは大変楽しいものだった。
このまま融和していたい気分になるが、肉体への負荷は決して小さくない。
無理をせず、この力を行使できるのは、半ザンといった所だろうか。
「そうなのか? 本当にそれだけか!?」
わたくしの愛する人は、鋭く詰問した。
それには答えずに、ただ微笑みを返した。
「メア殿!! 一体何なのだ!?」
アーリエスの問いに、圧縮した念話を送りつけてから、解凍を手助けした。
「!!」
尾を逆立てて、アーリエスはわたくしからの情報を咀嚼し始めた。
「さあ、試合が始まります。静かに、見守りましょう」
「……あ、ああ。しかし……」
セイは最期まで言葉を紡げなかった。
そう、神斧大祭の決勝戦が始まったのだ。
わたくしは、この時、セイの背後にリーンが移動してきた事に気付いていた。
けれど、それはさほど重要な要素ではないと、早々に排除してしまった。
◆◇◆
どちらからとも無く、攻撃を仕掛けた。
刃と刃がぶつかり合い、火花が散った。
「ほう、正面から来るとはな!! 少しは腕を上げたのか!?」
「なにをっ!! 今日こそボクはお前に勝つ!!」
「戯言をっ」
ボクは縦横無尽に地を駆け、鋭く、正確に急所を狙い打った。
対するユノールザードは、殆ど動きもせず、振り上げた斧を渾身の力で振り下ろす。
お互い、一撃食らえばもうその次は無い。
ボクの斬撃を僅かに軸をずらし、上体を逸らして回避するユノールザードの顔からは、次第に余裕の笑みが消えていった。
彼女はボクの一撃に合わせ、力の限り斧を横に薙いだ。
その攻撃を紙一重で回避すると、膝に狙いを付けた。
硬質な音がして弾かれた。
けれど、思った通りだ。
戦いにおいて、鎧は圧倒的有利に立てる訳ではない。
その『重さ』が、どんな場合でも付いて回る。
ユノールザードはその戦法から鎧を着込まざるを得なかったのだろうが、その鎧が彼女の機動力を更に落としているのだ。
対するボクの強みは、その『軽さ』だ。
寸鉄も帯びない身軽な体躯は、俊敏さを追求出来る。
その強みを遺憾なく発揮し、ボクは駆ける、駆ける、駆ける。
払い、飛び退り、そして突撃する。
回避し、連続で攻撃を繰り出し、背後に回りこんだ。
「小癪な!!」
ユノールザードが肩から突っ込んできた。
それに合わせるようにして、斧を振り下ろした。
彼女が、その一撃に左手を差し出した。
ゴシャ!!
装甲ごと肉が潰れ、肘の辺りからユノールザードの腕は捥げ落ちた。
けれど、ボクは彼女の渾身の突きを食らってしまった。
斧頭の鋭利な装飾が、肋骨を貫通した。
「あぐっ!?」
「はははははっ!! 腕一本で肺一つか!! 等価交換とは言いがたいな!!」
「グ……」
瞬時に飛び退って距離を取ったが、呼吸が安定しない。
あいつの言うとおり、肺が傷つけば機動力を重視した立ち回りは困難だ。
「う……」
「なんだ!! 合いも変わらず拍子抜けだな!! お前の為にウシュフゴールは死地へと旅立ったというのに、お前はこの程度で根負けするのか!!」
「な……なんだ、と!! 貴様っ、ウシュフゴールに何をした!!」
「ふ……」
ユノールザードはボクに何かを投げて寄越した。
それは大地を転がり、ボクの靴に当たった。
……それは、レイヨウの様に巻いた、角。
血に塗れた、小さな鈴が付いた、角。
「こ、これは、ウシュフ……」
ボクの体は急速に冷えていった。
震えが、止まらない。
「な、なんで!? お前がウシュフゴールの……!?」
「お前の友は、最期までお前の名を呼んだ……」
「さ、最期……。まさか、そ、そんな!?」
「お前の友は、お前を生かす為に、ただそれだけの為に、私に挑みかかった。このユノールザードにな!!」
ボクの思考は追いつかなかった。
……いや、逃避だ。
この現実から逃げたかっただけだ。
ボクは、何故ウシュフゴールにあの話をしたのだろう!!
あの優しいウシュフゴールが、ボクの話をただ聞いているだけだなんて、どうして思ったのだろう!!
ああ……。
ああ!!
ボクは死を受け入れていた。
死すらも凌駕する苦痛を受け入れていた!!
なのに……。
なのに!!
「ウシュフゴール……」
悲しみと怒り、後悔と懺悔。
様々な感情が織り交ざり、奔流となってボクを飲み込んだ。
ザワザワと髪の毛が逆立って来るのが分かった。
「ようやく、火がついたか!!」
「……」
感情の奔流は、ただ一つに感情へと収斂していった。
怒り。
ボクは自身の不甲斐なさに怒り狂った。
その怒りの全てをユノールザードにぶつける様にして、力の限り、斧を叩きつけた。
「いかん!!」
ユノールザードが初めて防御の姿勢を取った。
その盾の如く構えた斧ごと、ユノールザードを切り裂いた。
「ま、まさか!? この私が!! 誇り高き『鎖』である、このユノールザー……ガハッ!!」
ボクの斧は、彼女の右肩から胸上までを切り裂いた。
『……勝者は、イスティリ=ミスリルストームと相成った。我、地の神器ベリエスティリアスは、これを持ってして、猛る戦乙女の軍門へと下る……』
歓声が沸き起こった。
けれど、ボクは……。
何もかもが空虚に響いた。
「ウシュフゴール……。ウシュフゴール。ウシュフゴール!!」
止めども無く、涙が頬を塗らした。
遂に宿敵ユノールザードを倒したイスティリに迫る、更なる魔の手。
この窮地をメアとセラは救う事が出来るのか。
そして、朔の日を前に動き始めるリーン=ル=カライ。
彼女の思惑は何処にあるのか。
次回、「イスティリの捕縛」
これより、イスティリ=ミスリルストームの受難が始まる。




