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184 神斧大祭 上

 その日は快晴だった。

 その心地よい日差しとは裏腹に、イスティリの表情は暗く沈んでいた。

 イスティリはその日は朝から異様なまでに無言で、朝食も殆ど摂らずに俯いたままだった。


「緊張しているのか、イスティリ?」

「ううん……」

「……何か、あったのか?」

「……」


 彼女は小さく笑顔を作ろうとして、ふいに一粒、涙を零した。

 俺は慌てて彼女の肩を掴み、問いただした。


「何があったんだ?」

「……何でもない、です」


 メアが俺とイスティリの間に割って入り、イスティリを守るように抱きしめた。


「この子は、ウシュフゴールと仲違いしてしまったのですよ」

「仲違い?」

「ええ。お互い、優しすぎたのです。セイ。今日はこれ以上、話せません」

「今日は? 何故だ。何故俺には話せない?」

「……」


 メアはイスティリをギュっと抱きしめると、膝を付いて彼女に優しく語りかけた。

 

「ほら、そんな顔では、勝てる試合も落としますよ? 貴女は強い子でしょう?」

「うん」

「今は戦いに集中なさい。試合が終われば。……戻ってくれば、ウシュフゴールともまた話せますよ」

「うん」

「その為にも、今は戦い以外の全てを忘れなさい。一人の戦士として、神器の御前で貴女の力を、全て出し切るのです」

「うん……!」


 少し笑顔を見せたイスティリは、メアに抱きついた。


「ありがとう。メア。ボクは、ボクは……」


 メアはイスティリの頭を優しく撫でた。

 イスティリはメアの耳元で二言、三言囁くと、笑顔で俺の元へと来た。


「セイ様。心配をかけてすみませんでした。でも、ボクはもう大丈夫です! この大祭で勝者となって、またここに戻ってきます」


 その言葉とは裏腹に、彼女の笑顔は、今にも砕け散りそうな硝子細工だったが。

 必死に笑顔を作る彼女を見て、俺は何かを感じないはずは無かった。


 俺はその時、死んででも彼女を止めるべきだったのだ。 

 何時も、後悔の連続。

 俺の未来は、彼女らが購った血で作られた階段を駆け上がることなのだと、もっと早くに知るべきだったのだ。


 だが、俺はその時、イスティリを送り出してしまった。

 

「セイ様。行ってきます」

「ああ、後で追いつくよ」

「特等席から、ボクの活躍を見ててくださいね!!」

「もちろんだ」


 レイオーが用意してくれた馬車に乗り込んで、イスティリは……。

 ……俺のイスティリ=ミスリルストームは、長い旅に出てしまった。


◇◆◇


 私は、イスティリが馬車に乗り込んで行くのを、誰にも見られない場所から静かに見守っていた。

 例えあの時私が<冬眠>を唱えたとしても、イスティリは止められなかったかも知れない。

 いや、止まらなかっただろう。


 けれど、私はあの子を見捨てない。

 セイ様の為に、この世界の為に、自らを差し出そうとするイスティリを、私だけは見捨てない。

 

「イスティリ。貴女は、自らが最初の『躓き』になると言ったわね……。でも、それは無しよ」


 最初の生贄が必要だと言うのならば、もっと『良い』案があるわ。

 私は誰にも悟られないよう、屋敷を抜け出した。

 メアに置手紙を用意した。


『少し頭を冷やしてきます。必ず行くので、先に闘技場に向かって置いてください』

 

 そうは書いたが、実際にはどうなるかは分からなかった。

 ただ、メアを心配させたくないとの想いから、書き綴ったに過ぎなかった。


 一人で向かった先は大祭が行われる円形闘技場。

 闘技場の入り口に着くと、大祭の本選出場者の名前が立て札に書かれていた。


 ギネメス=タウクーン。

 ラルガーザ=ヒヴィ。

 イスティリ=ミスリルストーム。 

 スティグ=タカ


 そして、立て札の一番下に、赤い文字が乱雑に書き殴ってあった。

 ユノールザード=スレン、と。


 近くに居た警備に、それとなく聞いてみる。


「ねえ、あの一番下の名前は?」

「あー。消えねえんだ。何度立て看板を作り変えても、滲むように出てくるんだ」

「そう……。そのユノールザードという人は?」

「分からねえ。ただ、本当にそいつが出てくるなら、荒れるな。フロストキンらに随行していた凄腕の戦士らしいしな」

「荒れる? 出場者で無いなら排斥すれば良いだけでは?」

「いや、それは神斧が判断するだろう。今までも、乱入者が居た事はあったが、そいつぁ神斧が飛来してきて真っ二つになったさ。で、買うのかい? 受付はあっちだぜ?」

「そうね。ありがとう」


 私はその男に<睡眠>を掛けた上で、<夢遊病>で手早く支配下に置いた。


「通常通り、仕事はこなしなさい。但し、ユノールザードを見た場合、私に報告しなさい。緑髪のハーフドワーフよ。見れば分かるわ」

「はい」


 とは言え、この男には私の居場所が分からないだろうから、彼がこの持ち場から離れてウロウロし始めたのを察知したら、戻ってこなければならないのだけれど。


 受付で席を購入して中に入ると、闘技場ではなく隣接する施設に入り込んだ。


「お嬢さん? こっちは関係者以外立ち入り禁止だよ」


 私に声を掛けた者を片っ端から支配下に置くと、先程の警備と同様の指示を出した。

 物置部屋があったので、そこに潜みながら時を待った。


「イスティリ? 私は貴女が好き。貴女が私の角を拭ってくれたあの日、私は本当に嬉しかったのよ?」


 膝を抱え、暗がりの中で私は待った。


「ごめんね。嫌いなんて言って」


 ユノールザード=スレンの出現を、私は待ち続けた。


◆◇◆


「では、行って来るよ。レガ」

「ああ。頼んだ」


 私は新調した斧の感触を確かめながら、レガールードに声を掛けた。


「結局大祭で神斧を手に入れて帰ってくる結果になるんだったらさ、最初からフロストキンに手助けするんじゃ無かったよ」

「はは。それは仕方が無い。予定の変更は日常茶飯事だ。だが、それに対応できる柔軟性があるからこそ、お前は任務を失敗した事が無いんじゃないか」

「持ち上げるな。では行ってくる!!」


 <転移>を唱えてラザに戻ると、早速闘技場へと向かった。

 もうここまで来れば隠れ潜む必要性も無い。

 今回の一件の黒幕が私だと、赤子でも知っている事だろうし、もっと言えば、『鎖の主』の臣下ユノールザードが神斧取得に動いていることなど、王都には筒抜けだろう。

 

 街を散策するように歩くと、人々が野次馬化して私を取り巻きながら付いてきた。


「おい。あれが例のユノールザードじゃ?」

「ああ……。大祭に出る為、遂に姿を現したのか」


 人々が囁き会う中、闘技場へと到着すると、丁度入り口の門が締まった所だった。


「見せ場まで用意してくれるとはな」


 私は門を叩き壊した。

 辺りが騒然となる中、私は悠々と門の残骸を跨いで、内部へと入り込んだ。

 

◇◆◇


「グンガルも予選免除だったらよかったのにね?」

「はははは。俺の実力じゃ無理ですね」


 俺はイスティリ殿と出番を待っていた。 

 ダイロス救出の功績があるので、特権的に二人だけでの控え室を与えられたのだが、結局レイオーが来て挨拶し、ダイロスが来て挨拶し、で気の休まる瞬間なんて無かった。

 

「しかし、今回は予選出場者が少ないな」

「んー。なんでも今回は流れたと思って、帰還しちゃった人が大勢居たみたい」

「なるほど。俺も同じ状況だったらさっさと帰ってるな」


 二人で話し込んでいると、「グンガル=ザイシュレン殿。出番でございます!!」と係りが呼びに来た。


「じゃ、行ってきます」

「本選で会おうね!!」

「はい」 


 闘技場に出ると、貴賓席にセイ殿やコモン隊の皆が勢ぞろいしていた。

 狐軍師は何時もの様に上手い事言ったのか、セイ殿の膝上に座っていたのが面白かった。

 ゾロアたちは来ないと知っていたが、ウシュフゴール殿の姿が見えずに少し探した。


「では、予選第三回戦、ヒース=ハルト対グンガル=ザイシュレンを開始します。始めっ」


 予選なんてこんなもんだ。

 口上も名乗りも無しでいきなり始まる。


 対戦相手は木こりのような風体の中年だったが、数回打ち合った所で彼の斧を叩き落した。


「そこまで!! 勝者グンガル=ザイシュレン!!」


 まばらな歓声が起こるが、予選なのでまだ客席は半数埋まっているかどうかだ。

 セイ殿とコモン隊がびっくりするくらいの大きな拍手を送ってくれたが、狐軍師が耳を押さえて口をへの字に曲げていた。


 と、そこに何処からか轟音が響き、周りは急に慌しくなりはじめた。

 

「来たか……」


 流石の俺にも分かった。

 あのアホ強い女が来たのだ。

 正直勝てる要素はまったくもって無かったが、彼女と戦って見たいと思うのは、戦士としての悲しい性か。

 もし、俺があの女と戦う事になったら、石にでも齧りつく心積もりで挑む。

 コモン隊の戦士として、俺は誇り高く戦わなければならないのだ。

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