183 神斧大祭前夜
イスティリは神斧大祭が近づくに連れ集中し始め、コモン隊全員を使って四六時中、戦闘訓練をしていた。
彼女の体力は前から底なしだったが、手の欠損が回復し、あのクルグネの魔法が取り払われた辺りから更にタフになった。
綺麗に刈られていた芝の庭は、見るも無残な戦場となってしまっていた。
まさしく寝る暇を惜しんで戦い続けるイスティリに、流石のコモン隊も音を上げた。
「ま、待ってくれ!! もう剣が持ち上がらん!!」
「そっか。じゃあ、リーンさん。あの魔法の歌、使って下さい」
ダルガの悲鳴にイスティリが頷くと、リーンに呪歌を唄うよう頼んだ。
彼女は疲労回復の為にリーンをコキ使っていたのだ。
コモン隊が疲労を取り払うまで、イスティリはセラの世界で少し水を飲むだけだった。
そうして、自身に負荷を掛け続けたまま、ただひたすら戦い続けた。
「うーん。僕の仕事ってこんなのだったっけなぁ?」
「悪いね、リ-ン」
「まあ、これも今日まで、と割り切る事にするよ、セイ。明日は大祭の予選と本選があるんだろ?」
「ああ。イスティリは本選かららしいけどね」
「ちょっと、リーンさん!! 歌止めちゃ駄目ですって!!」
「あ。はい、はい……」
セラの中から戻ってきたイスティリが癇癪を起こした。
慌ててリ-ンがリーケンをかき鳴らす。
コモン隊から別の意味での悲鳴が聞こえた。
それにしても、イスティリの体は初めて出会った時に比べると一回り成長し、幾分大人びてきたように思う。
髪の色ももう殆ど蒼色になり、所々黒い髪の毛の房が見える程度になっていた。
もうすぐ、彼女は成人となるのだろうか?
俺のように異世界から来た人間からすれば、成人したら髪の毛の色が蒼くなる、というのはかなり奇異な印象を受けるのだが、それよりも……。
ゴソゴソとポケットを探る。
セラがチョン・チョン、と指先に触れた後、フェルト地の小箱を俺の掌に押しやった。
こっそりと買いに行った、銀製の指輪。
何号だとか、そんな知識は無かったが、俺はイスティリの指のサイズなら分かる気がした。
彼女の誕生日は盛大に祝おう。
まだ指輪以外は何にも用意していなかったが、沢山、本当に沢山の料理を頼もう。
彼女にお酒を注いでやり、一緒に酔おう。
ただ、用意するプレゼントはこの指輪だけだ。
それだけで十分な気がした。
自然と笑みが零れる。
「セイ。どうしたんだい、急に黙りこくって?」
「あ、いや。何でもないよ」
「僕はずっと歌い続けて喉がガラガラだというのに? 何でもない!? まったく……」
「ごめんごめん。所で、リーンってずっと居たっけ? 時々何か、居なかったような居たような気になるんだけど」
「や、やだなぁ。そりゃ、あっちへフラフラ。こっちへフラフラしてるけどさ。ほら、ルーリヒエンさんの料理、一緒にお代わりしにいったじゃないか?」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」
リーンは怒って何処かに行ってしまった。
俺は彼女の事になると記憶が曖昧になっている気がした。
意識してリ-ンの事を考える。
……急に俺の思考は飛んだ。
俺は、唐突に『妹』の呼び出す鳩が何匹だったかを思い出すのに躍起になってしまい、その前に何を考えていたのかを忘れてしまった。
ようやくイスティリが区切りをつけたらしく、フラフラしながら俺の元へと歩いてきた。
優しく抱きしめ、「お疲れ様」と髪を撫でた。
「エヘヘ。この一週間でボクはユノールザードを仮想敵としての訓練を繰り返しました。まだ勝率は五分も無いかも知れませんが、ここまでやったんです。後は全力で行きます」
「ああ。応援しているよ。イスティリ」
イスティリは目を瞑ったまま、俺の袖を引いた。
ここ数日で出来た新しい俺たちだけのルールだった。
彼女がキスをして欲しい時、俺の袖を引くのだ。
「ちょ!? イチャイチャするんならベッドでしてくださいよッ!!」
ザッパが余計な一言を発した。
イスティリはパッっと離れた。
周りにはコモン隊が勢揃いしている事を忘れて、随分と二人だけの世界に居た気がした。
「ちぇー。でも、今からお風呂ですしね!! ボクはセイ様に汗を流して貰うまで寝ません!!」
「分かった分かった。但し、あの石鹸泡立ては禁止だよ?」
「えっええー!? やっぱセイ様はメアのほうが良いんですかぁ!? やっぱボクのじゃ満足してくれないんだぁぁぁぁ!!」
「違う違う。そこじゃないよ」
イスティリは悲壮な声を上げたが、この時ばかりは未成年にもあの技を教え込んだアーリエスを恨んだ。
俺は何とか誤魔化そうと、躍起になった。
意を決して、イスティリをお姫様だっこすると、おでこにキスをした。
そのアプローチにイスティリは全身真っ赤になって、腕の中でクタッっとなって気絶した。
「ううーむ……。コモン様、あれはアリですか?」
「ナシだろ? トルダール。……コモン隊!! 総員撤退せよ!!」
『はっ』
コモン隊は大笑いしながら消えていった。
俺もイスティリを抱えたまま、彼らの後をゆっくり追う。
メアが居間の入り口に立っていた。
彼女は人差し指を唇に当てると、「シーッ」とやった。
居間を覗くと、ソファでアーリエスが転寝していた。
「さあ。邪魔者が居ないうちに、二人で入ってらっしゃい? ウシュフゴールが今、薪をくべてくれてますから」
「ありがとう」
「いえいえ。今日は特別ですからね?」
ウシュフゴールがケルの前で待機していた。
彼女が、「フーッ」と優しくイスティリに息を吹きかける。
その吐息でイスティリはゆっくりと意識を取り戻していった。
「今のは魔法?」
「はい。眠らせるのも、起こすのも、私にとっては空気みたいなものなのです。でも、今のは有料です」
「代金は何かな。ウシュフゴールさん?」
ウシュフゴールは俺の耳元で、「可愛らしいお洋服です」と囁いた。
◇◆◇
セイ様が寝入るのを待って、ボクは静かにベッドを抜け出した。
向かった先はセラの聖域だ。
先に来ていたメアとウシュフゴールと落ち合った。
「どうしたの、イスティリ? セイが寝てから話って……」
「うん。メア」
草原に腰を下ろすと、三人で輪になって手を繋いだ。
「もし、ボクが……ボクがこの戦いで、何かあったら……セイ様を助けて欲しいんだ」
「な、何かあったら……? そんな。イスティリ!?」
「うん。ボクはそれほど直観力に優れている訳でもなければ、占術にたける訳でもない。けど、なんだろう? この不安……。漠然とした不安が日を追うごとに大きくなっていくんだ。多分、この神斧大祭で何かが起こる」
「イスティリ? 私は、セイ様の、私の、私たちのイスティリを信じていますよ」
「ありがとう、ゴーちゃん。うん。ボクはどんな困難に直面しようとも、決して諦めない。挫けない。けれど、セイ様は……」
ボクは二人の目を交互に見ながら伝える。
「セイ様は優しい。優しすぎる……。もし、ボクらが一人でも欠けてしまえば、その自責の念に囚われる」
「……イスティリ」
「メア。そのセイ様の躊躇いの先にある物は、もっと多くの不幸なんだ。負の連鎖を止めるには、最初の躓きから素早く復帰させる事なんだ」
「貴女は強いわ。イスティリがその最初の『躓き』になるなんて思わないし、思いたくないわ。もっと言えば、わたくし達も、コモンらも、アーリエスやシンも、兄妹やヘラルドも、ゾロア達も、誰一人欠ける事無く、この旅を終えるの……」
「そうなれば、とは思う……。けれど、そうはならない。これは残念ながら、確信なんだ。そして、そうなってしまった後、最も血を流す事になるのは、セイ様になんだ。あの人はいずれ、ボクたちが血を流すくらいなら、自分が血を流したほうが、という結論に至るんだ。だから」
……だから。
これはセイ様に与えられた最初の『躓き』なんだ。
あの人の心に、楔を打ち込まれる。
彼が、それを乗り越えられなければ、ボクたちが幸せを掴む事なんて、出来っこないんだ。
「ボクは、イズスの幻視で、未来を見た事があるんだ」
その幻視の中で、セイ様が自身を犠牲にして、世界を救済した事を話した。
そして……。
「今まで誰にも話した事は無かったんだけど、その未来ではメアは、死んでいた……」
「まあ!!」
「ボクは、その世界での最初の『躓き』がメアだったんだと、今になって分かる。セイ様はメアの死を見て、ボクらを安全な場所に避難させ、一人で旅を続け、そして、一人死んでいったんだ」
「わたくしが、最初の躓き……」
「そして、今回はボクが最初の……」
ウシュフゴールが声を殺して泣き始めた。
「うっ……うっ……。何で、何でそんなこと言うの? わ、私、イスティリの居ない世界なんていらない。そんな悲しい世界なんていらない……」
「……ゴーちゃん」
「ねえ、イスティリ? 大祭に出るの止めよう? あなたは神器なんてなくっても強いわ。あ、あの強い人が出てくるのが分かってながら、そんな無理をする必要が何処にあるの?」
「……分かっているんだ。理屈では分かっていても、もう止まらない。だから」
もし、ボクに何かあった時のために、二人に頼むんだ。
「……嫌。嫌よ」
「お願い。ゴーちゃん?」
「わ、私は嫌。あなたが死ぬくらいなら、私が変わりに死ぬ」
「ねえ?」
「……嫌」
ウシュフゴールは頑として首を縦に振ってくれなかった。
彼女はパッっと立ち上がると、震える指先をボクに向けた。
「こ、この呪文は、<睡眠>の比じゃないわっ。い、一ヶ月は起きない<冬眠>よ。お願い、イスティリ。私のお願いを聞いて? じゃなければ、わ、私はこの呪文を唱えて力づくでも、あなたを、止めて、見せます」
「ごめんね……」
彼女はワナワナと震えると、遂に大声で泣き始めた。
「イスティリなんて嫌い!! だいっ嫌い!! う、う、うっ。何で、何で分かってくれないのよぉ!!」
ウシュフゴールは、そのままセラの中を飛び出していってしまった。
「ゴーちゃん……」
頬を涙が伝う。
それをメアが拭ってくれた。




