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182 束の間の休息 下

 トーラーは何故か怒りながら帰っていった。


「前哨戦はこちらの兵力過多で、敵が攻撃を諦めた模様」


 イスティリが意味の分からない事を言っていた。

 彼女は俺と目が合うと、プィと目を逸らしてテーブルを拭き始めた。


 アーリエスにトーラーからの手紙を読んで貰う。

 相変わらずウィタスの文字は一文字も分からないので、余裕が出来たらアーリエスに教えてもらうか。


「シュアラ学派の第一位、グナールからだ!! セイ殿は彼と面識があるのか?」

「ええ。一度会ったことがあります」


 俺は以前グナールからの助言を貰い、随分と助けられた事をアーリエスに伝えた。


「ふふーむ。『内に潜む者は飢えている。かれらが満足する術を探しなさい』か」

「ええ」

「そのグナールからの手紙ともなれば、こちらとしては嬉しい情報かもしれんな」


 アーリエスが封蝋を外し、手紙を読み上げると、メアも興味心身で覗き込んだ。


『朔の日が近づいている。用心されたし。連絡係としてトーラー殿を随行させて欲しい』

「そうか!! もうすぐ朔の日か!! 流石はグナール」

「朔の日って何だ?」 

「その日は全ての祝福・力場・異能が力を失う。魔術も使えぬ。霊薬も唯の水だ。ありとあらゆる力が失効する、魔の二ザンだ」

「そんな日があるのか」


 アーリエスが教えてくれる。

 五年に一度、朔の日があり、日食が起こる。

 その日食の間は俺やアーリエスの保持する祝福ですら機能を停止し、沈黙するだろうと。


「もしその日、事が起これば被害は甚大だ。セイ殿の《悪食》も《強奪》も使えん。それに、セラ殿の世界への出入りすら出来なくなるやも知れんからな」

「な、なるほど。そ、それはいつなんだ?」

「た、確か……後十六日後だ。神斧大祭の翌々日……。よ、よかったぁ……」

「わ、わたくし、し、心臓がバクバク言ってます」


 アーリエスとメアが安堵の吐息を吐いた。

 確かに、神斧大祭の開催期間に被っていたら、と思うとゾッとした。

 俺がユノールザードなら朔の日は絶対に利用する。

 誰でもがそう思っただろう。


「グナール様々だな。最近色々ありすぎて、そこまで気が回っていなかった。危ない危ない」

「でも、これで対策しやすくなりましたね」

「うん。出来れば日食前にセラ殿の世界に退避しよう。そして、魔の二ザンをやり過ごそう。勿論、それ以外にも手立ては整えなくてはな」

「流石は軍師殿」

「こら、茶化すな。と、気分が良くなった所で風呂に行こう。何、小柄なフォーキアン一匹増えた所で場所は取らん」


 シレっと風呂について行こうとするアーリエスに、ウシュフゴールが目を吊り上げた。


「きょ、今日はメアと私の番なのです!!」

「まあまあ、そう言うな。これからあのトーラーという奴も仲間に引き入れなければならん。なんせグナールの連絡係だからな。が、恋敵を増やしたくは無いだろう? そこで、風呂でちょっと色々教えよう」

「色々って?」


 アーリエスがウシュフゴールにゴニョゴニョと耳打ちした。

 次いで、メアにも囁いた。


「さあ、アーリエス。一緒にお風呂、行きますか」

「行きますか、ウシュフゴール殿」


 俺は訳が分からないまま、三人に風呂まで連行された。


「はははっ。セイ殿!! お主は何回前かがみになったら気が済むんだ!!」

「いや、アーリエスだろっ!! 二人にこんな事教えたのは!?」

「いやいやいや。石鹸の泡立て方を教えただけだぞ。そう、胸元でな。なんせあたしはイスティリ以下だからな!!」

「待てよッ!! あっ、待ってください!?」


 俺は、俺の名誉の為に、これ以降の事を思い出したくない。

 とりあえず、張り合って積極的になるのはやめて欲しい……。


 次から風呂は一人で入ろうと心に誓ったが、明日と明後日も日程が詰まっていた事を思い出して、心底逃げたくなった。


◇◆◇


 僕は目が覚めると兄を見舞いに行った。

 リ-ケンをポロポロとかき鳴らしながら廊下を歩いていると、名前も知らないゴブリンの従僕がすっ飛んできて音楽を止めるよう言った。


「リーン様。我らは今現在、息を潜め、所在を捕まれぬよう潜伏しているのでございますぞ?」

「分かってるよ。ちょっとリーケンの調子を見たかっただけだよ……」

「次、同様の事をなさいましたら、リーケンの弦を預かります」

「う……」


 容赦ない一言に挫けそうになりながら、忍び足でガーギュリアス兄上を見舞った。

 陥没した顔は元通りにはなったが、治療を担当した僧侶らは、相当の無理を強いられていた。

 魔力が枯渇するたびに<魔力供給>を唱えられ、<魔法暴走>で治癒魔法を制御不能ギリギリにしてまで兄上の治療に当たらされたのだから、見ている側も苦しかった。

 当事者達はもっと苦しかっただろう。


『気絶すれば楽になるとでも? いや、ガーギュリアスが死ねばお前らも死ぬ。殺す。今意識を失った者を叩き起こすか、残りの者で負担しあうか、選べ』

『ユスフス様……。慈悲を……』

『黙れ』

 

 ソリダに次ぐ実権を持つ、ユスフスは本当に怖かった。

 リザードマンとエルフの混血児、ユスフス=ル=カライのその緑の鱗の下には、きっと氷で出来た血が流れているに違いない。


「兄上」

「ぐ……。リーン、か?」


 ガーギュリアス兄上は寝ていたらしかった。

 ゆっくりとベッドから起き上がると、そのまま近くの丸椅子に腰掛けた。


「そろそろ、セイの所へと戻るよ。<秘匿>の効果が切れてしまったら元も子もないしね」

「そうか……」

「今回は大変だったね? あのユノールザードの下で潜伏工作なんて、正気の沙汰じゃないと思ったよ」

「ふ。お陰で大変な目に会ったが、これで任務が一つ終わった。後一つ完遂すれば、俺は晴れて自由の身だ」

「良かったね。自由になったら何をするの?」

「そうだな。湖畔に小船でも浮かべて、釣りでもしたいな……」


 僕は彼の目を見れなかった。

 ……どうせこの任務云々も嘘っぱちだ。

 僕たちカライは一生煉獄で焼かれる生贄なのだと、薄々は感づいていた。

 

「……」

「どうした? リーン」

「あ。いや。と、所で、妹達は元気なのかな? 最近会ってないけど……」

「う、む。先日補給で帰還した時には、古代詠唱を学んでいた」

「古代詠唱!? あんな虫食いだらけの文献から引っ張ってきた不安定なものを!?」


 僕は内心苛立った。

 約束と違うじゃないか……。

 僕がこの任務を続ける限り、妹達には普通の生活を送らせる。

 ソリダはそう約束した筈なのに!?


「そ、そんな……」

「ああ……。俺たちカライは一生煉獄で焼かれる生贄なのだ。何処にも逃げられん……」

「そうね」


 唐突に、ドアの方から声がした。

 慌てて振り向くと、ユスフスが僕たちに軽く会釈する所だった。


「でも、私からもう一度、ソリダに言っておくわ。貴方達は本当によく働いた。働いてくれている。それを労う意味でも、貴方達との約束は反故にしないようにと、言っておくわ」

「ユスフス……姉上」

「あら? ちゃんと姉上と付けてくれるのね。リーン」

「ええ」

「でも、約束。ガギュはもう一つ、任務を完遂しなさい? でなければ、望みを口にする事は叶わないわ」

「あ、ああ……。約束しよう」

「そして、リーン」

「……はい」


 僕は姉上の紫の瞳に吸い込まれるような錯覚に陥った。

 ここで抵抗しなければ何時までたっても彼女の思う壺だというのに、僕はその思考とは裏腹に、抵抗する事を放棄していった。 


「もうすぐ、五年に一度の、朔の日が来るわ。この日だけは、魔王も魔王種も、全ての力ある者が、力を失う。何故だか分かる?」

「その日だけは、祝福も、異能も、力場も、その力の全てを失うからです……」 

「そう。……私の言いたい事が分かって?」

「はい。その日、セイを、殺す。複数の祝福を持つセイを殺せる機会は、その日しかありません」

「そう。その為に、<死神>も表層で待機させているの」

「はい。お任せ下さい」

「良い子ね。この任務が完遂したら、双子には偽の身分を与え、王都から逃がしましょう」

「ほ、本当ですか!?」


 僕の意識が一瞬だけ覚醒したが、それもまた混濁していった。

 朦朧とする意識の中で、僕は、妹達が普通の学校に通い、普通に恋をして、普通に伴侶に出会い……そんな幻覚を見た。


「さあ。二人とも、少し疲れているようね? 少し眠りなさい。そして、起きたら、自身の成すべき事を、成しなさい。貴方達に与えられた使命を、全うしなさい」

「ああ……」

「は……い」


 僕たちは、結局の所、この肉体が朽ちるまで、炎の供犠台に乗せられたままなのだ……。

 ようやく去年伝えた構想である「神斧大祭」「ユノールザードの敗北」「イスティリの捕縛」「イスティリの堕落」「イスティカ=ナイトスコージの誕生」へと続きます。


 セイと魔王の二度目の邂逅。

 彼の第二の試練、そして偽魔王達の降臨。

 ハイレアも再登場してきた所で、第三章「騒乱編」の幕開けへと繋がっていく予定です。

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