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179 復権 ⑬

 少しだけ、時間は遡る。

 

 セラの世界では、娼婦達は祈りを捧げていた。

 彼女らはセイ達がフロストキンを打ち倒し、勝利を掲げ、無事に戻ってくる様に祈っていたのだ。


 だが、その静かな献身は即座に中断せざるを得ない状況に陥った。

 セイ達が天使の中から飛び出し、数分も経過しないうちから、次々と人々がセラの中へと放り込まれてきのだ。

 驚いて走って逃げようとする者、その場にヘタり込んでしまう者、余りにも唐突過ぎる出来事に、茫然自失の者……。

      

「あの野郎。アタイらん時で懲りたりしないのか!! まったく、もう……」


 リリーラが怒り心頭で市民達に駆け寄る。

 だが、彼らに近づくと、出来る限り優しく、声を掛けて回った。


「ここは、ダイロス様の秘密の隠れ家だよ。牛達が攻めてくるんで、急いで皆を避難させたんだよっ」

「いかにも! 皆の者、迷惑を掛けるが、ご安心召されよ!」


 リリーラの機転に、ダイロスが阿吽の呼吸で合わせた。

 そこに、他の娼婦達も来て、ここが安全である事を熱心に話し始める。

 その言葉に、セイに放り込まれた者達も僅かに安堵し、顔を見合わせながら、恐る恐るダイロスの元へと集りだした。

 

「ほ、本当にダイロス様ですか? あたし達はもしかして死んでて、もう天国とやらに居るんではないですか?」

「はっはー。確かにここは天国のような場所だが、お前達は死んでは居らん。今、戦士達がフロストキンを討伐しておる。皆に危害が加わらんように、ここに退避させたのだ」

「な、なるほど……?」


 殆ど納得していない様にも見えたが、それでも、彼らが幾分落ち着きを取り戻し始めたその矢先、新た送り込まれてくる市民達。

 リリーラは憤慨して、「あのアンポンタン!! ここを出たら両耳引きちぎってやる!」と言いながらも、改めてダイロスと連携を組んでその市民達も宥め始めた。

 ようやくそれらが一段落すると、市民達はダイロスの周りで固まり、この戦いの意味について彼が語るのを静かに聴き始めた。

 

「ねえ、この世界の管理人さん? あの人達に果物を分けても大丈夫?」


 リリーラが大きな声で聞いた。

 彼女はこの世界には精霊か何かが居るものだと思っていた。

 恐らくは、アーリエスが『セラ殿』と呼んだ精霊が居るのだと。


 空間が、ココッと鳴った後、強弱を付けて、少しの間音楽を奏でた。

 リリーラは、それを了承と捉えた。


「ありがとう。精霊さん」


 娼婦らは、めいめいに果物を集めてまわったが、リリーラがイスティリの木の前まで来た時、空間が硬質な音でキンッキンッと鳴り、その後でコココココ……と小さく鳴動した。


「そっか。これは駄目なんだね?」


 コッコッ、と返事があり、リリーラはそこから遠ざかった。

 そうして集めた果物を簡単に切り分けると、娼婦達は人々に配りながら、「もう少しの辛抱だからね?」と子供や若者を優しく撫で、老女には自身のエプロンを敷いて座るように促した。


 そこに、突如としてフロストキンの戦士が一人、乱入してきて、その場はまたしてもパニックとなった。

 ダイロスが前面に出ようとしたが、そもそもここで領主が倒されてしまっては元も子もない。

 そう考えた者が数名居た。


「ダイロス様!! ここは一旦お退きくださいッ」


 初老の男が二人、焚き火用に保管してあった薪を握り締めて盾となった。

 慌ててリリーラと、ルーリヒエンも前に出るが、それは男達によって止められてしまった。


「枯れたジジイかも知れんが、俺達も男だ」


 だが、そのフロストキンは、呆然としながらも、「助けてくれたのか……? あの男が……」と呟くと、両膝と両の拳を大地に付け、戦う意思が無い事を示した。


「俺の名は、バーマッド=ラ=デコン。最早雌雄は決した。ここが何処かは知らぬが、これ以上の戦いは無意味だ」

「……そうか。我らが勝ったか」

「恐らく」


 ダイロスの問いかけに答えたフロストキンは、そのまま微動だにせず、沈黙を守り続けた。

 そこに、レキリシウスとペイガンがイソイソと入ってきて、回復薬を袋に入れては往復しだした。


「ちょっと!! 先になんか言う事あるでしょ!!」

「勝ったよ」


 リリーラはレキリシウスを捕まえようとしたが、タイミングが合わずペイガンに聞く事になった。

 ペイガンは端的にそれだけ言うと、フロストキンをチラっと見てから、彼の前にも回復薬を一瓶置いた。 


「!?」


 周りの皆は一様に驚いたが、フロストキンは軽く頭を下げただけで、その回復薬の入った瓶には触れもしなかった。

 

 ペイガンは出る時に、「まだ出ちゃ駄目。死屍累々って感じだから気分悪くなるよ」と言った。

 

「そもそも、どうやって出るの?」

「うーん。『出たい』って思えば出れるけど、同じ説明するのは面倒だから、自己責任で」


 ペイガンは面倒そうにそう答えると、また出て行ってしまった。


「あの頭領にして、あの配下ありね!! ちょっと後で抗議しなくちゃ気がすまないわ!!」


 リリーラは憤慨していたが、実際、この戦いが勝利に終わった事に喜びを隠し切れないで居た。


「レキリシウスは来てくれるかな? ふふっ……ふふふふっ」


 まだ、誰も知る由が無かったが、このレキリシウスとリリーラの逢瀬が、世界を変えてゆく事となる。

 

 世界は微かに鳴動した。

 その音に気付いた者は、唯一人。

 白痴の占者、アイナシウス=イシス唯一人であった。

 

「おとうとよ。あなたはなにをのぞむの?」


 彼女の声を聞いた者は、誰一人居なかった。


 ◇◆◇


 俺たちはトーラーの光の雨で体力を回復した後、フロストキン達の遺体を僧院の霊安室に運び込んだ。

 そうしてからようやくセラの中に退避させた人々を帰路につかせた。


 湯を浴びてきたらしいトーラーが新しい僧服で舞い戻ると、僧院の本殿で話す事となった。

 そこでダイロスにも出て貰い、俺が退避させたフロストキンには念のためシンを付けてそのままセラの中で待機させた。

 

「……とまあ、ダイロス様を地の迷宮から救い出し、そのまま復権の為にこのセイ殿に協力して貰っていたのです」

「なるほど、分かりました。レイオー殿。お名前はかねてより存じ上げておりましたが、お会いするのは初めてですね」

「そうでしたか。これは失礼。私の名はレイオー=ガルギルゼン」

「私はトーラー。それ以外の名は、捨てました」


 彼女は柔らかくレイオーに微笑むと、ダイロスに会釈した。

 ダイロスは唯一この部屋で椅子を用意されていたが、結局座らず、フロストキンとの戦いを熱心に聴いて回っていた。


「しかし、あのユノールザードという者を取り逃がしたのは痛い。また来るかも知れぬな」

「仕方ありません。警戒するに越した事はありませんが、あれだけ負傷したのですから、当面は安心でしょう」


 俺はダイロスの問いかけにそう答えはしたが、それは楽観的すぎだとは思った。

 ただ、ダイロスを安心させる為にそう言いたかっただけなのかも知れないし、自分を安心させたかったのかも知れない。


 だが、実際の所分かっていた。

 神斧大祭が開かれればあの女は必ず戻ってくるだろう事くらい、俺でも分かっていた。


「しかし、これで憂いは無くなった。屋敷に戻り、触れを出そう!! のう、レイオー!!」

「はい。ダイロス様」


 触れを出した後、三々五々騎士たちがダイロスの元へと馳せ参じたが、今回の裏切りで約半数の騎士が騎士位を剥奪されたのだと後から知った。

 勝ち馬に乗れなかった騎士達は職務を解かれ、その上で屋敷や所領、財産を没収されたのだ。

 裏切りの代価は非常に高くついた様子だった。

 

 俺たちに唯一具体的な手助けしてくれたあのモスという騎士は、ダイロスを守れなかった自身に恥じ、騎士位を返納しようとしたが、ダイロスに慰留され、結局は周りの者からの説得に応じる形でラザの騎士として職務復帰したのだと聞いた。

 他のダイロス派の騎士達も随分と誘導尋問めいた事に時間を割かれ、白と黒に分別されたらしいが、もうそこまで来ると俺たちは完全に蚊帳の外で、レイオーが教えてくれるのをそのまま鵜呑みにしていた。

 

 生き残りのフロストキンは拘束されたが、その後はどうなったか教えてはくれなかった。


 そこからはキルギの雇った傭兵団が到着後、何故かダイロスに支払いをに求めてひと悶着あったりと、少しの混乱もあったが、一週間ほどでラザは日常を取り戻し始めた。


「セイ様。何で傭兵たちはダイロスさんからお給金が貰えるって思ったんでしょうか?」

「多分、『領主に雇われた』んだから、領主が誰であれ、支払うべきだ、としたいのかも知れないね。まあ詭弁でしかないけど」

「変な解釈ですねー。ボクならそんな事時間の無駄だから、すぐ帰りますけど」

「ははは」


 イスティリと二人で食堂に行き、オヤツを食べていると、彼女がそんな事を聞いてきた。

 俺たちはダイロスの復権を手助けした功績を称えられ、小さな屋敷を与えられて、ラザを去る時までそこで過ごす事になったのだ。

 そこでの滞在中、どうしてもメアは風呂に入るのだと言って聞かず、突貫工事でケルを増設して貰っていたが、完成まで五日は掛かるとの事で、珍しく拗ねていた。 


 コモン隊は日に三名ずつ位で、『有給』を使い始め、それぞれ楽しんでいた様子だった。

 ザッパだけが、絶対安静を言い渡されて不貞腐れていたが、治療にあたった僧侶に「大人しくしてないと腕が腐るかも……」と脅されていたので、何処からか手に入れた本を片手に暇を潰していた。

 最悪シオの石を、と思ったがどうやら大丈夫なようだった。


 ザッパを除くコモン隊の面々はどうもセラの中に居た娼婦達と仲良くやっているらしかったが、野暮なので細かくは聞かなかった。


 彼らと、『兄』や『妹』、それにヘラルドやマルガン達に俺はボーナスを出したが、コンキタンたちはそれを全部使って良質の杖を購入し、色あせたコゲ茶のローブを濃紺のフードつきの物に新調していた。

 ヘラルドはリリオスからの支度金が潤沢にあるらしく、金には困っていない様子だったが、俺からの金は別格らしく、涙を流しながら受け取ったかと思うと、翌日には金貨の一枚に穴を開けて首飾りにして、誇らしげに胸元に飾っていた。


 マルガンは早速他のゾロアたちの為に食料を買ったり、パエパ女王に飛脚を出して手紙をやり取りしながら、日々を過ごしていたが、「女王様に褒められました」と肩口に銀箔で作った星のようなシールを一つ付けて現れた。

 どうもそのシールが彼らゾロアにとっての勲章であり、優秀さを表す指標であるらしかった。


(マルガンさまー スゴイ! ホシ! エライ!)

(ホシ! ユウシュー エライ! ホシ!)


 ゾロア達が大興奮でマルガンを囃し立てた。  

 マルガンもまんざらではないらしく、「明日、果物を食べましょう」とゾロア達を甘やかし始めた。


 ディーはダイロスからの報酬でホクホク顔だったが、俺からの支払いは、「まだ良いヤ」とだけ言って姿を消してしまった。

 彼女はダイロスからの金で、盗賊ギルドの「株券」というのを買って、ガリィという奴を失脚させるのだと息巻いていた。


 そうしている内に、『神斧大祭』の開催が十日後に決定したとレイオーが言いに来て、イスティリが飛び跳ねて喜んだ。

 丁度その日の昼に、メアが希望していたケルも出来上がり、彼女とウシュフゴールが飛び跳ねて喜んだ。

                                           

「さあ、セイ。約束のお風呂ですよ!!」

「ですよっ!!」


 メアとウシュフゴールが満面の笑みを俺に向ける。

 どこから話が漏れたのか、アーリエスも無言でコクコク頷いていた。

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