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177 復権 ⑪

 動きを止めたマーダットの体に、首から上の無い肉体に……トーラーは、彼女が聖水と呼ぶ液体を振りまいた。

 そして紡がれる詠唱。


『遥かなる高みより来訪せし暁光よ。天界の神槍よ。疾く来たりて、神魔を討て!!』


 詠唱が完了すると、上空から光の槍が高速で落下してきてマーダットの胸を貫通し背面へと抜け出る。

 そうして、光の槍はそのまま彼の体を地面に縫い付けるようにして串刺しにした。


 次の瞬間、マーダットの首から汚泥のような物が大量に噴出し、それは彼の体を這い出るかのように蠢き、光の槍を避けて一箇所に集りだした。

 それを見たトーラーは、矢継ぎ早に詠唱を開始する。

 結界のような物がその汚泥の塊を取り囲むように形成されたかと思うと、その中を先ほどの光の槍を小型にした物が乱舞し始めたのだ。


 よく見ると、トーラーの背後にはあの天使が居り、彼女に光の束を送り込んでいた。

 トーラーは汗を滲ませながら、その結界の維持に集中している様子で、俺に擦れるような声で支援を要請した。


「思った以上に上位の悪魔が来ている。私の邪魔をしないよう、敵を見張っていてくれ……」

「ああ。分かった」


 俺が<思念伝達>を駆使してその事を仲間に伝える。

 だが、ユノールザードは外壁の上から、ともすれば興味津々と言った体で結界の中の汚泥を見ていた。

 彼女はアーリエスの潰された目を瞑り、体のあちこちから出血していたが、そんな事は蚊帳の外だと言わんばかりに結界の中を凝視していたのだ。


『苦痛こそは我が糧。血塗られた同族殺しの因果をここに結ばん……。我、第十使徒:ネゥスとマーダット=ラ=キルギとの契約は履行された』


 汚泥に切れ目が出来たかと思うと、今まで聴いたことの無いような言葉で呟き始めた。

 その汚泥は、ブツブツと黒い泡を撒き散らしながら詠唱らしき物を開始した。


『暴食の主。獣の主。鋼の主。我の請願を聞き届けたまえ。我の請願を聞き届けたまえ。この……****を屠る力を、この……***を捻じ切る力を、我に与えたまえ!!』


 突如、汚泥が結界に体当たりすると、ガラスが砕けるような音と共に結界が砕け散った。


「なっ!?」


 トーラーは天使に抱えられるようにして上空へと退避し、そのまま浮遊した。

 襲い掛かる汚泥の一撃は間一髪で避けられたが、衣服に飛んだ黒い飛沫が彼女の僧服を溶かし始めた。

 いや、衣服だけではなく、小指に付いた飛沫が、瞬く間にその小指を溶かした。


「スピリット!! あれは何だ!?」

【解。通称、悪魔と呼ばれる異界の生命体である。外界より飛来し、その世界を汚染する。彼らによって少しでも汚染された世界は、例えどれだけ完璧な防護が掛けられていても、邪悪な神々に露見する。……邪神たちの『先導』であり、『水先案内人』だ。彼らは世界が崩壊するその様を脳裏に焼きつけ、コレクションとする。その為だけに、ありとあらゆる世界を邪神に売り渡すのだ】


 俺は自分の世界の悪魔観とは全く違うこの異質な汚泥が、悪魔と呼ばれる意味を幾分理解した。

 だが、まずはこいつをどうすれば倒す事が出来るのかが最優先だ。


「どうすれば良いんだ!?」

【解。契約は成立したが、悪魔は受肉状態を脱却せざるを得なかった。あの汚泥は彼らにとっての苦肉の策。蒸散するまで五分も掛からぬであろう。単純に、退避するのが最も賢明な判断だと思われる】


 《悪食》の内の神々同様、彼ら悪魔も受け皿となる肉体を用意しなければならないのか。

 俺はスピリットから得た知識を<思念伝達>で皆に伝え、距離を取らせた。


『距離を取れ!! 悪魔は肉体を持たなければ僅かな時間しか実体を保てない』


 そこにあのガリアスと呼ばれた青年が悪魔に向かって詠唱を開始した。

 彼はトーラーの唱えた結界をより多重にした物を展開し、悪魔を封じ込めに掛かった。

 悪魔はその結界を内側から次々と破壊していったが、それに合わせるようにガリアスもまた、外側に結界を重ね、意図に気付いたトーラーもまた、ガリアスの詠唱に合わせるようにして、幾重にも自らの結界を重ねて行った。


『おのれッ!! おのれ・おのれ・おのれ!! このネゥスを愚弄せし罪は重い!! まさか召還者に裏切られようとは!! 貴様の顔は覚えたぞ! 貴様の姿は覚えたぞ!! 貴様の霊気は覚えたぞ!!! 貴様の……』


 悪魔ネゥスは徐々に蒸発するかのように小さくなって行き、最後は親指ほどの大きさになってから弾け飛んだ。

 トーラーはホッとした顔をしながらも、ガリアスから大きく距離を取るようにして着地し、天使を盾にするようにして彼を警戒し始めた。

 ガリアスは、『あちゃー』という困った顔をして、肩を竦めた。


 イスティリが俺の横に駆けて来て囁いた。

 

「セイ様。あいつ、何処かで見たことがあると思ったら、レガリオスの闇競売に向かう途中で襲い掛かってきた魔術師連中の頭です」

「あのドローマとか言うピアサーキンと結託した奴か……。という事はスーメイ党の残党? あるいは別の何かか……」

「ええ。あの悪魔が召還者と言っていたのは、あいつで間違いないでしょう」

 

 ガリアスはジリジリと後退しながら、イスティリに向かって語りかけて来る。


「よくあんな暗がりでの一瞬を覚えている物ですね? ええ。まあはい。私はあの時の魔術師です。ですが、今回は貴方がたに危害を加えるつもりはありませんので、退散させて……ギッ!?」


 調子よく喋っていたガリアスに、ユノールザードが拳一つで突撃した。

 ガリアスは側面よりの強襲で不意を打たれ、コメカミにその一撃を受けて吹っ飛んだ。

 彼が吹き飛んだ直後、開放していた<思念伝達>が偶発的に告知を拾った。

 

【告。キルギ勢全滅により、異能<孤軍奮闘><一騎当千>が状態を復帰いたします】

「惜しい!! あと数秒早ければッ」


 ユノールザードが歯噛みして悔しがった所を見ると、どうやら彼女の異能であるらしかった。

 とは言え、彼女は間髪を入れずにガリアスに跳躍し、その胴に鉄靴の蹴りを放っていた。

 ガリアスの脇腹に文字通り穴が開き、鉄靴の先端が彼の体を突き破って背面から覗いていた。


「ぐぁ!?」


 ガリアスは血反吐を撒き散らしながらそのまま転倒したが、ユノールザードの足を抱え込んだまま離さなかった。

 

「往生際の悪い!!」


 ユノールザードはそのままガリアスを組み敷くと、彼の顔面に鉄拳を連打した。

 徐々に陥没してゆくガリアスの顔、そしてくぐもった苦痛の悲鳴だけが寺院に木霊する。


「散々虚仮にしてくれた代価は今、ここで、支払って貰うぞ!! ガーギュリアス=ル=カライ!!」


 その光景を見ていたリーンは白目を剥いて気絶してしまった。

 彼女は倒れる寸前にパッと消えたので、自覚せずにセラの世界に舞い戻ったのだと、その時は思っていた。


 俺がリーンから視線を戻すと、ユノールザードの目に短剣が突き刺さっていた。

 それも、無傷だったほうの目に。


「ぐ……何、だと……」


 咄嗟に彼女はその場所から飛び退る。

 唐突に、本当に唐突としか言いようの無いのだが、ガリアスの真横に、まるで死神のような大鎌を持った黒いローブの女が現れた。

 フードを目深に被り、表情こそ見えないが、そいつが女性だと分かったのには理由があった。

 時折はためくローブの内側は……なんと全裸だったのだ。


「……兄上。なーんと無様な事かっ!! アハハハハハッ。普段は何でもソツ無くこなす兄上がっ。アハハハハハハ!! こんなに血まみれ何てっ!! アハハハハハハハハハー。たっ、楽しいィィィ!!」


 そいつはガリアスの血縁者なのだろうか。

 敗北した彼を散々に罵倒しながら、腰を折って彼女は笑い続けた。


「……リー……」

「おや? もう喋る所か放っておけば死にそうですね!! アハハハハハハハ!! これは『貸し』ですからねっ、兄上♪」


 全裸の死神は、ガリアスを片手で抱えると、俺に向かってニヤッと口角を上げて微笑んでから、詠唱を開始した。


「待てッ!! そいつは私の獲物だ!」

「ざーんねん♪ もう詠唱は完了しちゃいましたぁ。じゃあねー。てか、不意でも打たなきゃアンタに勝てる訳無いじゃん……」


 死神は最後は少し口を尖らせて不満そうだったが、ガリアスを連れたまま転移か何かで消えていった。

 視界を失ったユノールザードを、イスティリ達が包囲し始めた。


「ふ……。慢心が招いた結果か……。いずれまた、相見えようぞ!! 戦士たちよ!!」


 彼女は目から短剣を引き抜くと詠唱を開始した。

 ユノールザードは遂に敗北を認め、<転移>で姿を消したのだった。

 中々更新できずに申し訳ありません。


 悪魔ネゥスが口走った言葉が伏字なのは、ちょっと書けない様な罵倒だとでも思ってください。

 ここから、新たな勢力として、悪魔達が出てき始めます。

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