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175 復権 ⑨

 その日は快適な晴天で、日光が多重結界で乱反射しながら私のベッドに虹を作った。

 私に与えられた小さな私室を彩るその虹を見ながら、我が子に想いを寄せる。


「リーン……」


 オーガ語でリーン、つまりは虹と名付けられた女の子は、私を無理やりにここに封じたエルフによって、産湯に浸かる前に取り上げられてしまった。

 もう、それがどれ位昔なのか、漠然としか思い出せない位、私はここで過ごしていた。


「リエン。息災であったか?」

「黒騎士」


 多重結界を物ともせず、いつの間にか転移してきたらしい、全身に漆黒の鎧を纏った男が私に話しかける。

 この男だけは、敵しかいないこのエルフの後宮で、唯一私に配慮をしてくれる人であった。


「約束していた物だ。歯を磨くブラシに、清潔な布。替えの下着。それ以外には、甘い果物で作ったパイにワインを持ってきた」

「いつもありがとう。結界の維持に腐心する余り、私の生活は奴隷並ですからね……」

「そうだな。だが、その結界のお陰かお前は今でも美しい。もう二十七年の歳月が流れようと言うのに、お前は連れて来られた日のままに、美しい」

「連れ去られてきた、ですよ。でも、貴方くらいなものです。私を美しいと言い、気遣いを見せてくれる人は」


 黒騎士は、兜の面頬も上げずに私に膝を付いて、手に口付けする真似事をした。

 せめて、その顔くらいは見せてくれれば良いのに……。

 私は不満げに少し口を尖らせた。


「俺の顔は焼け爛れて見れたものじゃないからな」


 嘘だ。

 けれど、彼には顔を見せる事が出来ない何かがあるのだろう。

 この優しい男を、後宮で唯一私の願いを聞いてくれる漆黒の紳士を、些細な我が侭で失いたくない。

 私は微笑んで、その話題を打ち切った。


 いつの間にか、雲が出て差し込んでいた光が消えてしまっていた。

 私は窓辺に移動すると、外の景色を結界の内側から、ガラス片で覗き込むようにして見る事が出来た。

 私が封じられた尖塔から下を見やると、一人の若い女性僧侶が後宮の中庭で、一生懸命呪文の制御訓練を行っていた。


「あの子、何故こんな所で?」

「あいつは確か、ハイ=ディ=レアだな。勇者の候補。……そして、次のカライを産む役割を担った女だ」

「……まだ、そんな事を?」


 もし、黒騎士が本気を出せば、私はともかくとして、あの子位簡単に救えるでしょうに……。

 私はつい彼に恨みがましい目を向けてしまった。


「相変わらず、お前の表情は読みやすいな。だが、勇者候補は何処に行っても逃げた事にはならん。選から漏れるか、勇者で無くなるまでは、永久に逃れられんのだ」

「……そう、なのね。でもカライからは逃げられる?」

「……」


 彼は意図的にカライの話題を避けた。

 私もそれ以上は聞かなかった。


 扉の向こうから、ガシャガシャと音が聞こえ始めた。

 尖塔の螺旋階段を昇り、ゴーレムが食事を運んできたのだ。


「またな」

「ええ。黒騎士」


 黒騎士は消えていった。

 直後に扉が開く。


「食事だ」


 ゴーレムの後ろには魔術師が控えており、淡々とした口調で、事務的に対応した。

 結界をすり抜ける力を与えられた木製のゴーレムが、カタカタと動き、盆に乗せられた食事を机に置いた。


「あの。以前お願いしていました、替えの下着は?」

「……水は自由に出るだろう。タライもある。排水溝の上で洗え」


 私は唇を噛んだ。

 黒騎士が新しい下着を持って来てくれていなければ、私はこの屈辱に耐えられただろうか?

 

 それでも、私は生きなければならない。

 愛する父の為、愛する姉妹の為に。

 私に与えられた唯一の臣下、ユノーの為に。


 そして、もう成人したであろう、我が子の為に。

 私、リエン=キーラ=エルゼビュートは、死ぬ事を許されないのだ。


◇◆◇

 

 今回の僕は『詩人』の刺青の力を借りて、吟遊詩人という役に徹していた。

 以前は『死神』の刺青で、暗殺者として随分人を殺めたものだけど、今となってはそれも夢だったかのように思う。

 一応、彼の歌を作るという口実で潜入しているのだからと、地の迷宮攻略の時も頑張って短剣を取り出しては見たけど、怖くて怖くて堪らず、腰が引けてしまっていた。

 それ程までに、刺青の支配力は大きい。

 僕は本来どんな性格で、どんな人間なのか、それも忘れてしまう位に、この魔術は僕に浸透していた。


 『詩人』は戦う事を前提に作られていない。

 朗らかで社交的だけど、その分臆病で暢気な性格と設定されているんだ。

 今回のフロストキン討伐も、僕はアーリエスに呼ばれて、『留守番』と言われてしまった。

 僕だって指揮官ならそうする。

 臆病な非戦闘員を戦場に出せば、単なる足手まといでしか無い事くらい分かっていた。

 けど、仮にもセイを見張る役目の僕が、『怖かったので何も見ていません』では通用しない。


 今度、ソリダに言って少し『詩人』の段階を下げてもらおう。

 そうは思ったけど、すぐに実行に移せる物でもないので、意を決して天使の中から飛び出した。


「さあ、お遊びはここまでだ。マーダット。あるいはかつてマーダットであった者よ!! 自らの血。同族の血。同胞の死。一族の贄を受けて目覚めよ!! 狂気の最果てで得た力をここに解き放つのだ!!」


 何やら物々しいが、僕は早速セイに怒られてしまった。


「リーン!? 何故出てきた!! 危ないから下がってろ!!」

「嫌だっ。僕はセイの英雄譚を作るんだ!!」

「リーン!!」

  

 仕方なくセイの後ろに隠れて様子を伺うけど、セイは何やら意味不明な事を口走った。


「ムネ当たってるから!!」


 セイはもしかして男もイケる口なのだろうか。

 あの女の子たち同様、僕も『お嫁さん』候補だったりするのだろうか?

 僕は少し冷や汗をかいた。


 改めて周囲を見渡すと、戦局は有利なように思えた。

 フロストキンたちは呆然として、一箇所に視線を集めていた。

 いや、よく見ると、セイの仲間達も戦う手を止め、その一点に視線を向け続けていた。

 

「えっ!? あのフロストキン、同族を食べてる!!」


 僕が大声を上げると、フロストキン達は我に返って大慌てで同族に食らい付く男を引き剥がしに殺到した。

 その中で一人だけが、武器を放り投げて、セイの前で両膝を付いた。


「も、もう我らの負けで良いです!! マーダット様は狂ってしまった。ユノールザード様も離れた。投降致しますので、どうか、お見逃しを!!」

「あ、ああ……」

 

 セイは生返事をしながら、フロストキン達が狂ってしまったマーダットという男を拘束するのを見ていた。

 次の瞬間、空気が鳴動し、フロストキン達が次々に血を噴出して悶絶し始めた。


「ギャアアア!?」

「何だっ!! あ・あ・あ……」

「た、たすけッ」


 悲鳴を上げながら彼らは噴水のように血を噴出させ、その血はマーダットの口へと吸い込まれていった。


【告。マーダット=ラ=キルギは悪魔異能<同族吸血>を得ました。これにより得た血量により、段階的に不死性が開放されます】


 悪魔異能!?

 僕はそんな異能の種類を全く聞いた事が無かった。

 フロストキンは次々と斃れ、残ったのはセイに膝を付いた者だけとなった。


 マーダットが吼えたける。

 彼は只一人残った同族に突進し始めた。


「セイ!! そいつを助けろっ!!」


 咄嗟にアーリエスが口走った。

 セイはそのフロストキンに触れると、セラの中へと放り込んだようだった。


「があぁ!?」


 全身血塗れのマーダットは目標を見失い、混乱し始めた。

 ウロウロと歩き回り、獲物を探す。

 そうしてから、ようやくセイに向き直り、怒りの眼差しを向けた。


「お前かッ!! お前がわしの獲物を隠したのか!!」


 彼は角をセイに向けて突進して来る。

 そこに戦士達が立ちふさがった。


「ここは通さないぞっ!!」

「そうとも!!」


 イスティリが側面からマーダットの膝に蹴りを入れると、ゴキリという嫌な音と共にマーダットの膝は破壊された。

 崩れ落ちるマーダットにブルーザの渾身の一撃が入り、マーダットの片方の角は折れ飛び、彼の頭蓋骨は目元あたりまで叩き潰された。


「グ・グ・グ……」


 両手を突いて立ち上がろうとするマーダットに、コモンが止めを入れた。

 横たわるマーダットの死体から視線を外し、アーリエスが外壁の上にいる女に大声を張り上げた。


「もう偽領主は死んだ!! お前の負けだ。立ち去るが良い!!」


 その女はこちらを見てハッとしたような顔をした。

 

「すまない。考え事をしていたようだ。だが、まだ戦いは終わっておらん様だぞ?」

「何を……いかん!! コモン!! ブルーザ!! 離れろ!!」


 ユラリ、とマーダットが立ち上がる。

 陥没したはずの彼の顔は殆ど元通りになっていた。

 彼はブルーザを羽交い絞めにすると、力を入れて絞め殺しに掛かり始めた。

 

「ぐぅあぁぁぁあ!!」

「ブルーザ!!」


 咄嗟にコモンが短剣を取り出してマーダットの首筋に突き立てた。

 けれど、マーダットの動きは止まらない。


「何だと……」


 そこに光の翼を持つ天使が上空より飛来し、マーダットの目に光の粉を投げ入れた。


「あがっ!!」


 マーダットは目を押さえながら頭を左右に振った。

 ブルーザがフラフラとマーダットから離れると、他の戦士達が壁を作って支援した。


 次々とマーダットに攻撃が入り、彼は再び大地に伏した。

 けれど、ジュウジュウという音が上がり、彼の体から赤い蒸気が噴出したかと思うと、瞬く間に彼の体は再生していった。 


「一旦引けっ」

『ハッ!!』


 アーリエスが号令を掛けると、戦士達は一旦下がった。

 マーダットは怒りの眼差しを向けるが、再生能力だけでは勝てないと悟ったのだろうか、フロストキンの死体から斧を剥ぎ取る。


「今、私の聞き違いでなければ、悪魔異能と告知が流れたか?」


 黒髪の僧侶がセイに近寄り、問いただした。

 セイが頷くと、彼女は天使を呼び戻して何か命令を下した。

 天使は小さく頷くと、何処かへと飛んでいってしまった。


「悪魔異能の獲得は大抵、定められた数の生贄が必要だ。それも、同族のな。あのフォーキアンがフロストキンを一人逃がしたのは正解だ。恐らく全ての生贄を取り込んでいない今なら、まだ勝機はある」


 僧侶がセイらにそう伝えると、アーリエスは、「少し、嫌な予感がしたからな……」と微かに安堵の表情を見せた。

 そこに天使が瓶を持って戻り、僧侶に手渡した。


「手を貸せ。この聖水はあのフロストキンの内部に居る『悪魔』を燻り出すのに使う。悪魔どもは受肉していなければウィタスでは短時間しか生存できん」

「よし。なら、俺たちはどうすれば良いんだ?」

「私を守れ。あのフロストキンの頭にこの聖水を振り、詠唱が完了すればほぼ勝ちは確定だ」

「分かった」


 外壁に居た女が唐突にマーダットの元に降り立った。

 彼女もまた死体から斧を剥ぎ取ると、上段に構えてみせた。


「そんな簡単に事が進むと思っているのかしら。このユノールザードを相手に?」

「く……」


 アーリエスが歯噛みする中、セイの配下達は敵を取り巻き始めた。

 イスティリもまた、敵の死体から斧を取り、ユノールザードと名乗った女の正面に対峙した。


 僕は余りの緊張で膝が震え始めていた。

 また、4-5日空きます。

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