166 ルーリヒエン=フィアティマ
私はルーリヒエン=フィアティマ。
エルフ族が覇権を握るこの世界で、ひっそりと生きるダークエルフ族の女。
神々が我らを導いた直後、彼らは飢えたる神々によって殺されてしまった。
我らの祖先は途方にくれた。
けれど、生きていく為には何とかしなければならなかった。
子が飢えて泣く。
ひもじさに耐えかねて、奴隷として身を売る者が続出した。
ダークエルフとしての文化や矜持は失われ、単なる肌の黒いエルフとしての生活を余儀なくされた。
その中で心無い人々は、我らが飢えたる神々を招きいれたと囁きあった。
言われない謗りを受け、迫害が始まった。
特にエルフが王となってからは、その傾向が強くなっていった。
私たちの祖父は憂いた。
言われなき迫害を受ける事に。
そして、ダークエルフとしての文化が最早文献にすら残っていない事に。
祖父は我らが文化の再興を悲願とし、一族総出で金銭を貯め、苦心の末ラザの近郊に土地を買った。
そうして、世界中に散らばったダークエルフに、村で定住しないかと伝えて回った。
私が幼い頃、祖父は死んでしまったが、その苦労はいかほどかと偲ばれるほどに、相貌には深い皺が刻まれていた。
ダークエルフの生活様式が少しずつ、取り戻されていった。
発音すら忘れられてしまった単語を総出で調べ、占者に過去視を依頼して音を拾った。
ダークエルフの母語が復活し、共通語は母語ではなくなった。
音楽を、散文を、食文化を再構築していく、そんな中、私は料理に目覚めた。
「ああ。料理って楽しい!! 母さま。私は大人になったら料理人になるんです。ラザにお店を開いて、ダークエルフの料理を皆に召し上がって貰うのです!」
「それは良い事ですね。私たちの料理を、世の人に食べて頂けば、私たちを知って貰う良い機会になりますね」
「はいっ」
もちろん、それは実現困難な事ではあったけれど、私はその夢を叶える為に、日々料理を学んでいた。
そう。
あの日までは……。
私は炎天下の中、香辛料を買いにラザまで来ていた。
「この香辛料も、いずれは変えていかなくっちゃね。ダークエルフの料理にはレーリーなんて使わないもの」
角を曲がると、鉄の箱が置いてあった。
私はそれとなく通り過ぎようとしたが、箱の中から微かな人の気配がした。
「きゃ!?」
私は驚いた。
年端も行かない少女が、淀んだ目で中空を見ていた。
力なく座ってこそ居たが、唇はガサガサに乾燥し、何時死んだとしてもおかしくない程の脱水症状を起こしていた。
そして、その少女はダークエルフだった……。
「だ、誰かっ。誰か来てください」
私の悲鳴に、中年の男が一人現れた。
「どうした? お嬢ちゃん」
「こ、この子を、た、助けてあげてください!」
「それは無理だ。コイツは盗賊ギルドの奴隷だ。あと一日、コイツはここで過ごす。そういう罰を受けてるんだ」
「あ、後一日!? どう考えても持つ筈がありません。今すぐ、この子を解放してください!!」
「しつけえなっ。こいつの生き死には関係ねえんだ!! こいつは後一日ここで罰を受ける。それだけなんだよっ」
「そ、そんな……」
私はその男に縋りついた。
「こ、この子に、せめて水だけでも……」
「駄目だ駄目だ駄目だ。こいつはお前の持ち物じゃない。それとも何だ、お前がコイツを買うってのか? ああっ!? 六百金貨耳を揃えて出せるってんなら、今すぐにでも解放してやらぁ!!」
その男は、私の顎に手を掛けると、無理やりに顔を引き寄せた。
「無理なんだろ? とっとと帰んな」
「か、買いますっ!! 私の全てを売ってでも買います」
「失せな。無理はするもんじゃねえ」
そこにもう一人の男が現れた。
紳士然としたパリっとした出で立ちのドワーフで、両手に豪華な指輪を沢山嵌めていた。
「どうしたのですか? ガリィさん」
「これはギルド長。いや、こいつが黒鼠に水をやれと……」
「確かに。このままでは死んでしまいますね。水をおやりなさい」
「はい……。ですが、それではギルド員に示しが付きません」
「罰は必要ですが、金の成る木を枯らすわけには参りません」
「ギ、ギルド長。良い案があります。こいつが、黒鼠を買うと言ってるんです。こいつが買えば、金は手に入るし、黒鼠は水を飲めます」
「ふむ。その上で、黒鼠を自由組合員にすれば、構成員は減らず、ですか」
「は、はい」
そこでそのドワーフは私に声を掛けた。
「さて、お嬢さん。この奴隷を買うといいましても、手の届く金額ではない事はご理解頂けておりますか?」
「は、はい」
「よろしい。では、どのようにして現金を工面なさるおつもりでしょうか?」
「わ……私を売ります」
私のその解答に、ドワーフは、「ホッホー」と笑ってから、ガリィと呼ばれた男に水を持ってくるよう伝えた。
彼がその場から離れると、ドワーフは改めて口を開いた。
「同族を捨て切れませんか?」
「……」
「よろしい。私が貴方に八百金貨を貸し付けます。貴方には娼館を紹介しましょう」
「娼館……」
その言葉に私は硬直してしまった。
「これが最後の問いかけです。このまま貴方が立ち去るのならば、私はこの話は無かった事にします。ええ、ここでは何も起きなかったのです。ですが、立ち去らないのであれば、売買契約書を交わしましょう。貴方が娼婦として八百金貨を稼ぐ代わりに、この子を好きな場所に連れ帰ってもらって結構です」
「は……い」
私は力なく返事をした。
この子を見捨てることは出来なかった。
今まさに死のうとしている同族の少女を、私は見捨てる事など出来るはずは無かったのだ。
「ま、まさか。ギルド長。俺が居ない間に交渉を!? 黒鼠は俺が育てたんだ!! 勝手にしてくれるなっ」
「ホッホー。出し抜きが基本の盗賊がそれではいけませんね。そもそもその奴隷はギルド所有でしょう?」
「ぐぅぅ……」
戻ってきた男は絶句していた。
そうして私は娼館へと足を踏みいれる事になった。
家族からは勘当され、婚約者は去った。
けれど、私には新しい妹が出来た。
「貴女には可愛い名前を用意したわ。救国の姫ディーリヒエン様の伝説からとって、貴女は今日からディーリヒエン=ルーキユと名乗りなさい」
「何でアタイを助けたんダ。今日もこれから男の相手だろう? 女神様」
「汚れた私を女神様だ何て」
「女神様は女神様さっ。アタイが生きてるのは女神様が居てくれたお陰なんダ。それに、汚れてなんて、居ないヨ……」
私はお茶菓子を半分に割って、彼女に手渡した。
「これは? 女神様」
「半分ずつ、食べましょう。これはダークエルフのしきたり。一つの物を二つに割って食べるのです。兄弟・姉妹のように」
「兄弟・姉妹のようニ?」
「そう。今日から私は貴女のお姉さんになりたいわ。そして、貴女さえ良ければ、妹になってくれないかしら?」
「もっ、もちろン!! アタイは今日からルーリヒエン様の妹ダっ」
「ほら、妹は『様』なんて付けないわよ。ディー?」
「う、うン。ルー……ルー姉ちゃん」
実はこの話には、少しだけ嘘がある。
私の共通語はもっと聞き取りがたく、カタコトなのだけれど、それは自分の中で、少しだけ美化していた。
でも、それ位は許されても良いと思う。
ディーは今でも、「姉ちゃん」「姉ちゃん」と毎週のように来ては私の手料理を食べていく。
私の可愛い宝物、ディー。
私は今は娼婦を引退し、時折来る妹を歓待しながら、かつての仲間の食事を作る。
やはり、料理を作っているときが一番、楽しい。
私の名はルーリヒエン=フィアティマ。
エルフ族が覇権を握るこの世界で、ひっそりと生きるダークエルフ族の女。
ディーリヒエンと言う名は、ダークエルフの伝説に登場する姫君である事は、本文でも触れられていますが、ルーキユの意味は、「ルーが(命を掛けて)守る」と言う意味です。
血の繋がらない姉妹ではありますが、本当の姉妹のように絆で結ばれているのです。
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