165 嵐の前の静けさ 下
少しの睡眠が、頭の重りを取り払ってくれた。
皆が起き始めると、俺はダイロスと今後についての打合せをした。
全員で車座になってはいたが、一応上座らしきものはある。
そこにはダイロスと俺が座り、左右にはディーとアーリエスが来た。
とは言え、彼女ら以外の者も、俺よりはここの常識を知っている。
それぞれが意見を出し合って、この事態を打破すべく動く事にした。
「俺は異世界からここに来た身だから、ウィタスでの常識にそぐわない事を言う事があるかもしれない。その場合遠慮なく教えて欲しい」
「アンタ、異世界人だったのカ。通りで規格外過ぎると思ったヨ」
「まあね」
ディーはしごく納得した様子で頷いていた。
打合せが始まる。
まずはダイロスの生存を、ディーを通じてダイロス派に伝える事となった。
その上で、俺たちはダイロス派と連携し、キルギ派に寝返った騎士達に強襲を掛ける。
百程度のフロストキンの兵に怖気づいて主君を裏切るような輩に、俺たちが苦戦する訳も無い、というのがコモン隊と魔術師達の意見だ。
「わたくし、あの女戦士さえ出て来なければ余裕ではあると思います。ですが、もしあの者が戦場に出ていた場合、総力戦となる可能性があります」
「出来ればそれは避けたい。メア卿の言う総力戦とは、死者ありきの潰し合いだろう。あたしは仲間を捨て駒には使いたくない。のう、セイ殿も同じ意見だろう?」
「ああ。その女戦士が出たら、一旦引こう。最悪、俺が『喰おう』……」
「……」
「で、出来る限りではあるが、ダイロス殿が復権し、キルギをラザから放逐する。この二点に絞って進めたい。セイ殿が言う、『最悪』は避けたい」
メアは心配そうに俺を見つめていたが、アーリエスは動揺しながらも、会話を続けた。
ダイロスは俺の『喰おう』の意味が分からなかったが、それでも俺たちの真剣な眼差しを見て、何も言わずにただ頷いていた。
そこにレイオーが来て、彼になにやら耳打ちする。
「セイ殿と申されましたか。貴方は祝福持ちでいらっしゃいましたか」
「はい。幾つか保持しています。ですが、それよりも俺が持つ一番の力は、彼らです。俺を支えてくれている仲間達なんです」
「……まさしく、その通りですな」
ダイロスは深いため息を付くと、何度も頷いた。
仲間たちは、そんなダイロスと俺とを交互に見ながら、誇らしげな笑顔を見せてくれた。
ダイロスは懐から美しい象嵌の施された短剣を取り出すと、俺に持たせた。
彼が刀身をスラリと見せると、刃は硝子のように透けていた。
「これは、破魔の短剣ゲリンドオズム。先祖伝来の神器。英雄の雛よ。これをお主に与えよう」
「そんな由緒正しい神器を、俺に下さるのですか?」
「うむ。これはこのダイロスを救った正当な報酬である。曇りない瞳を持つ者よ。お主の実直さは、全ての者にとって、良い道標となるであろう。そのお主が、暗闇に堕ちた時、この短剣を振るうが良い。必ずや助けとなろう」
「……ありがとうございます」
このダイロスの短剣が、俺とイスティリを窮地から救う事になるのだが、その時は知る由も無かった。
イスティリが、果物をボウルに入れて持ってきた。
今日は梨がメインであるらしかった。
ウシュフゴールは魚を釣ってきてくれて、近くで火を熾して焼き始めた。
彼女らは昼食代わりにそれらを配り歩くと、俺の後ろで仲良く寄り添って座り始めた。
「セイ様ぁ。食事作ってくれる方を雇いましょう?」
「大所帯だし、食事だけでも大変だしな。マルガンが欲しがってた食糧倉庫も構えて、コックも雇うか」
「あー。今のは料理人って意味ですね。こっく。ボク、セイ様が母語使うとき分かるようになって来ました」
「はは。ジャンケン・デザート・コック。色々覚えたな」
「はいっ」
何故かコックの話題にディーが寄って来た。
彼女は恐る恐る、「料理人を雇うのカ?」と聞いてくる。
「ああ。この人数の食事ってだけで大変だしね」
「でも、アンタは祝福持ちで危険と背中合わせダ。非戦闘員を抱えて大丈夫なのカ?」
「セラの世界に居れば危険はほぼ無いし、戦いに関わらないよう十分に配慮するさ」
「そうカ……」
ディーは目じりを下げ、何故か安堵したような表情を見せた後、「まあ、まずは領主の復権からだナ。アタイはもう一度情報を集めてくる。その上で、ダイロス派の騎士と話をつけてくる」と一旦外に出ようとした。
ダイロスが彼女を呼び止めた。
「フォーキアン殿に羊皮紙を貰って手紙をしたためた。モス=モーリスという騎士に渡して欲しい」
「中身はどんな内容か見ても宜しいですカ?」
「うむ」
手紙の内容は、自身が地の迷宮を突破して潜伏している事、こちらには祝福持ちのセイ一派が付いている事、そして、フロストキンを追い出す為に段取りを組み始めている事、が書いてあるらしかった。
「このモスって奴は信用できるのか?」
「モス卿は<地の迷宮>への入り方を知っておる」
「なるほド。理解した。知ってた上でフロストキンに領主を売らなかったんだナ」
俺もモスという騎士が、俺たちの身柄を拘束する時、同情的であった事を伝え、ダイロスが<地の迷宮>に逃げ込んだ事を教えてくれたのも、彼であった事も伝えた。
「分かっタ。正直言うと騎士は信用してないガ、モスという男は信用できそうだナ。じゃア行ってくる」
俺は出発しようとするディーに声を掛けた。
「ディー」
「どうした?」
「この世界には念じるだけで入る事が出来る。戻ってくる際は、『ここに来たい』と思うだけで戻れるんだ」
「そうカ。アタイも流石に<転移>までは使えないかラ、助かる。しっかしお前、色んな意味で規格外だよナ? お前が人格者でよかったヨ。いや、本当ニ……」
俺たちはディーを見送った後、細かな打合せをした。
最も時間を割いたのは、例の女戦士が出た時の対処法だったが。
◇◆◇
アタイは外に出ると、まずは盗賊ギルドに戻った。
金で雇っておいた奴が五名居たので、そいつらから新たな情報を得る為だった。
「よう、黒鼠」
「その名で呼ぶな。アタイの名はディーリヒエン。次に同じ事を言ったらお前の胴体に風穴を空けてやル」
「おー、怖い怖い」
珍しく、ギルド幹部のガリィが受付に立っていた。
アタイにとっての師匠に当たる人物だ。
盗賊の技術を叩き込んだ手腕は認めるが、今でもアタイの事を惨めな名前で呼ぶ、心底性根の捻じ曲がった中年だ。
「アタイが雇った奴らは何処だ?」
「四人、帰ってきている。だが、偉く大仕事だな。手伝おうか?」
「何を今更。牛に媚びて旨い汁を吸ったのニ。不利を悟るとこっちに鞍替えか?」
「ふっ。盗賊ってのはそんなモンさ。そもそもフロストキンが天下を取るなんて誰も思っちゃあ居ねえ。もう言ってる間にダイロスが復権するだろうから、牛ともオサラバさ」」
それから彼は、「所で」と声を潜めた。
「ダイロスは見つかったのか?」
「いや、まだだ」
「……そうか。もしお前が、これから先ダイロスの居場所を知ったとしたら、その情報を俺に売らんか?」
「……アタイはもうアンタの奴隷じゃなイ。ハッキリ言わせて貰うけど、上前を撥ねるにしては雑すぎやしないカ?」
ガリィが唐突にアタイの髪の毛を強引に掴んで引き寄せた。
髪の毛がブチブチと音を立てて千切れ飛ぶ。
「くっ」
「……おい。誰に向かって口聞いてんだ? お前の技術は全て俺から学んだ物だろうがっ。……俺もそろそろ潮時だ。最後に大きい仕事をして大金を掴んでから引退したい。なあ、黒鼠。分かるだろう?」
「離せっ。誰がお前なんかと手を組むカっ。アタイはもう自由組合員だ!! 誰の指図も受けねえ」
「ふっ。確か、お前には姉が居たな。娼婦の姉が?」
「姉ちゃんは娼婦じゃねエ!! ……まさか、お前、アタイを脅しているのカ!?」
ガリィはアタイの問いかけに応えず、ニヤニヤしながら髪の毛を離した。
「お前の為に借金を拵えた健気な姉。血も繋がらないのになぁ。良いオンナだよなぁ。なあ、そう思うだろう、黒鼠?」
「てめえ……」
この男はアタイの仕事を奪う気で居る。
それも、ルー姉ちゃんを脅しに使って。
怒りで体が震える……。
そこで唐突に受付に一番近い出入り口が開き、アタイは放った情報屋が戻ってきた。
「ちーっす。ガリィさん、良いお天気で。あっ、ディー、丁度良かった!!」
「ああ……ご苦労様。チッ」
ガリィは舌打ちをしてから、奥へと引っ込んだ。
受付は、いつものオバハンに変わった。
あいつは、アタイが来るのを見越してここに出張ってやがったんだ。
「本当に糞な奴だな」
「俺、なんか悪い事しました? ガリィさん、ご機嫌ナナメって感じでしたが?」
「気にすんナ」
アタイはそいつを適当に慰めると、残りの情報屋も呼んで、報告を聞いから外に出た。
当然のように、数人張り付いてアタイを追ってきた。
「なあ、ガリィ。出て来いよ。アタイをボコってお望み通りにしたいのかい?」
その言葉に、路地裏からガリィを筆頭に、数名の男が出てきた。
アタイはため息を付いてから、表通りに向かって歩いた。
人目につく所まで行くと思っていなかったガリィ達は慌てた。
「おい、黒鼠。何処に行こうってんだ!!」
「アタイをその名で呼ぶナ。話があるんだろう? 聞いてやるよ。この大通りでな。おっと!! 雑踏の中じゃ聞き取りにくいからな! 大きな声で頼むよ」
「貴様……こんな事をしてタダですむと思ってんのか!!」
「どうせ、アンタに従順に従った所で先は見えてるサ。来るなら来いよ。相手してやるよっ」
アタイが大声を上げると、辺りは騒然とし始めた。
ガリィがコメカミに青筋を立ててキレ始めた。
「分かった……お前の喧嘩は買おう。お前が俺に楯突いた事への支払いは、全て姉にして貰う」
「何が喧嘩だっ!! アンタのは喧嘩じゃない。単なる脅した。糞やろウ!!」
「もう我慢ならねぇ!! 手前ら、殺れっ。殺っちまえ!!」
アタイはガリィが放った手下の短剣をワザと受けた。
外套が裂け、肩口から鮮血が迸る。
辺りで悲鳴が上がり、遠巻きにしていた野次馬が、「警備兵を呼んでくれ!! 暴漢が刃物を持ち出しているっ!!」と叫んだ。
数人が駆け出す。
その中で、ガリィは青ざめ始めた。
そして、その様子を見た彼の手下は、攻撃の手を緩め、躊躇い始めた。
「らしくないねぇ、ガリィ。これでアンタは市井で刃物を使った単なる犯罪者ダ。ははは」
「貴様……」
アタイはガリィに一矢報いた。
だが、その後の報復は当然ありえるだろう。
「セイに、一つ貸しがあったナ」
アタイはそう呟くと、止血しながら警備兵が来るのを待った。
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