148 ハルガルとイラの婚約 下
イラの絶叫が、教会内で木霊する。
俺は決断した。
「……分かった。君の言うとおりだ。目の前の人ひとり救えずに、何が世界の救済だ。何が波紋だ。そう言うんだな」
「はい……」
イラは、ハルガルの肩に額を付けると、そのまま目を瞑った。
「ハルガル様? イラは、あなたの笑顔が見たい。周りを気にして作った笑顔では無く、心からの笑顔が見たいのです。人々の笑顔を取り戻した方だけが、それを忘れてしまっているのです」
イラはハルガルの肩で涙を拭い、寄り添った。
「イラ……」
ハルガルは、彼女の肩をそっと抱き寄せ、髪に優しくキスをした。
そうしてから、俺に向き直り、告げた。
「俺は、勇者となり、何もかもを失った。だが、勇者で無くなってから一つだけ、一つだけ得たものがある」
「ええ」
「俺はこの子を幸せにしたい。俺が、勇者で無くなってから、初めて得た幸せと共に、俺は歩んで行きたい」
俺は頷いた。
「分かりました。では、その為にも、微力ながらお力添えさせて頂きます。マルガン、来てくれ‼」
俺の呼びかけに、ゾロア兵の統率者マルガンが教会内に入って来た。
「はい。お呼びでございましょうか、セイ様」
「ああ。明朝より、ガリンズ達を出せるか? この方の田畑を開墾しなおし、整地したい」
「お任せください。ガリンズ達も喜ぶことでしょう。初仕事を賜りました事を、誇りに思うことでしょう」
「よろしく頼む」
「はい。どれ位、土を掘り返すのか、どれだけの範囲を整地するのか、明朝指示して頂けましたら」
「分かった」
次に、俺たちはハルガルの家に向かった。
メアに、ドゥアのダンジョンで出した光球を出して貰い、視界を確保した。
イラの言う通り、ハルガルの自宅は、倒壊の危険さえありえるようなあばら家だ。
「ルーメン=ゴース」
『心得た』
エメラルドグリーンの髪をなびかせ、女神ルーメン=ゴースが大地に降り立った。
『兄』と『妹』がゴクリと生唾を飲み込む。
ルーメン=ゴースが蛇たちを呼び出すと、彼女の眷属である蛇たちが、あばら家を解体し始める。
そうして、蛇たちが完全に家を食べきってから、女神の力で『再構築』して吐き出した。
「!?」
レイオーが目を白黒させて、レキリシウスに何か口走った。
「流石はセイ様」
レキリシウスはそれだけ言うと、レイオーに歯を見せて笑いかけた。
レイオーはさらに何か言いたそうだったが、結局口を噤んでしまった。
「セイ様? そのお力は?」
「イラさん。この力は俺の中に潜む祝福≪悪食≫の神格の一柱、女神ルーメン=ゴースの力です」
『ふふふ。私の名は、ルーメン=ゴース。セイの内側に居る、誇り高き女神である』
家は、新築のように真新しく、ピカピカの状態に様変わりしていた。
中にあった毛布や鍬、調度品なども新品同様になっており、内部に入ったハルガルたちが驚嘆していた。
『穀物や食料は、私への供物として頂いた。その対価はセイが支払うゆえ、よしなに』
「ああ。まかしてくれ」
これは、実際には俺とルーメン=ゴースの二人で考えたアイデアだ。
単純に金や食料を渡すのではなく、女神が供物として彼らの食料を全て持って行ってしまう。
その詫びとして、俺が対価を支払う形にして、ハルガルが少しでも負い目を持たないようにしたかったのだ。
「すみません。ルーメン=ゴースは食べてしまった食料は、後で補償します」
「い、いや。そこまでして貰わなくとも」
ハルガルは驚いてこそいたが、やはり勇者として特殊な場数を踏んでいるからだろうか、努めて冷静に振る舞っていた。
だが、イラは俺の力に驚嘆してしまったのか、ハルガルの後ろに隠れるようにして俺を見ていた。
「さて、夜が明けたらゾロア達に田畑を開墾して貰います。ガリンズ達は土を掘るのが得意ですからね」
「何から何まで、ありがとうございます。セイ殿……」
「いえ。俺も疑問に思っていたんです。世界を窮地から救った英雄が、なぜにここまで冷遇されるのか、と」
そんな会話をしていると、何事かと村人たちが三々五々、様子を見に来た。
「ハルガル、何かあったのか?」
「村長」
村長と呼ばれた男は、ハルガルの家を見て、大きく目を見開いた。
「こ、これは……!?」
「はい。この方が、その力をもってして、俺の家を建て直してくれました」
「な……なんと」
集まってきた人々は、そのハルガルの答えに驚きを隠せない様子だった。
その中の一人が、意を決した様子でハルガルに声をかけた。
「ハルガル。お前は村の寄り合いにも出ない。村に迷惑が掛からないよう、俺達を避けているのは知っている。だが、この機会だから言っておく。前回の寄り合いで決まった事は、村人総出でお前の畑に鍬を入れる、という事だ」
「ダーレス。俺は……」
「何も言うな。俺達は、そんなお前に甘えていた。俺達は、お前一人を生贄にして、王に媚びていたんだ。さぞ、恨んでいた事だろう……。許してくれ……」
ダーレスと呼ばれた男は、両膝をついて、ハルガルの前で頭を垂れた。
それに倣うように、他の人々も次々と、ハルガルの眼前で膝をつき始めた。
「みんな……俺は……俺は……」
ハルガルもまた、膝をつき、ダーレスの手を取った。
「許すも何もない。俺は、最初から誰も恨んでなどいない。少し……。少し、運がなかっただけなんだ」
「ハルガル」
彼らは手を取り合って立ち上がった。
イラは、頬を涙で濡らしながら、俺の前に来ると、柔らかく微笑んだ。
「セイ様。数々の非礼、ご容赦ください。貴方は紛れもない英雄です。私の愛する人を、お救い下さいました」
「俺は、少しばかり手助けしただけです。村の人たちも、ハルガルさんのことを考えてくれていましたよ」
「……はい。私もそれを知り、心から嬉しく思います」
朝日が昇り始めてきた。
俺はその陽光を目を細めて見やりながら、ハルガルの未来が、これから良くなって行く事を、心から願ってやまなかった。
◇◆◇
ガリンズ達が、一生懸命その頑丈なアゴで土を掘り返していた。
イスティリとコモン隊も総出で鍬を持ち、汗を流していた。
(ゴシュジンサマ‼ オシゴト タノシイ‼ タノシイ‼)
「そうか。ガリンズ達ー、水を入れてきたから、喉が渇いたら飲むんだぞー」
(アタラシイ ゴシュジンサマ ヤサシイ‼)
他の蟻達は(ツギハ ボクタチノ バン ダヨネ? ダヨネ?)としきりにアピールしており、結構健気で可愛い。
遂にはドドー種とギュック種が喧嘩をし始めて、マルガンに怒られていた。
(ツギハ ドドー ダヨ)
(ギュク ニ キマッテル)
(ドドー ダ)
(ギュク!!)
「こらっ」
蟻達はマルガンに怒られて、触角を下げてシュンとしていた。
村人も総出で手伝いに来てくれていたが、ガリンズが人の何十倍ものスピードで土を掘り返すので唖然としていた。
ガリンズ達は連携も素晴らしく、半数がモリモリ土を掘り返し、残りの半数が雑草や木の根を丁寧に回収しては、一か所に集めていた。
「交代っ」
マルガンの号令の元、ガリンズ達が素早く作業を入れ替わる。
時々水を飲みに来る者もいるが、それも一瞬だけだ。
こうして、その日の夕方には、荒れ果てた畑は、農地として再生した。
「休耕地として休ませたのと、放置してただけでは、段違いに違うもんな……」
ペイガンがボソボソと呟いた。
「ペイガンは麦の品種全部言えるんですぜ。引退したらアマーって言う穀倉地帯に家を建てるのが夢なんでさ」
ザッパが教えてくれる。
彼は欠伸を押し殺すと、畔に積んでおいた雑草を、荷馬車に積む作業へと戻っていった。
結局、昨日はほとんど寝れなかったしな。
今日は全員セラの世界に入って貰って、ゆっくり寝るか。
作業が終わると、ハルガルの家で『新築パーティ』が開かれた。
村人たちが彼の家の前にイスとテーブルを持ちより、手に手に料理や酒を持って集まって来たのだ。
「さあ、ハルガル、これはあなたのお母さんが得意だったパイ料理よ。一緒に食べましょう!」
「ハルガルーっ。こっち来いよーっ。井戸で冷やしたエールっ。キンッキンだぜぇ」
「やあねぇ。男って、すぐお酒なんだから」
その言葉に、ハルガルが笑った。
心の底からの笑顔を見せて、切り分けたパイに噛り付くと、そのままエールを取りに行き、さらに声を出して笑った。
「旨いっ、ハハハッ」
彼のその言葉に、村人たちは笑顔になり、ドッと笑った。
そうして、宴もたけなわになった頃、ハルガルが大きな声を上げた。
「みんな、聞いてくれ。俺はこの十年で一番楽しい一日を過ごしているっ。俺のためにこんなに良くしてくれて、感謝している。でも、一番感謝したいのは、イラにだ」
皆が固唾を飲んで、シンと静まり返る中、ハルガルはイラの前で片膝をついた。
誰もが、この後に何が起こるのかを理解している様子だった。
「イラ。俺はもう、お前無しでは生きられない。どうか、これを受け取ってくれ」
ハルガルが出したのは、小さな銀の指輪だった。
イラは顔を真っ赤にしながら、小さく何度も頷いた。
「あ、貴方は言いました。『安心しろ。お前は俺が守ってやる。好きなだけ、ここにいろ』と。私は好きなだけ、ここにいますっ」
彼女はそういうと、涙を零しながら指輪を嵌め、その指輪を全ての人に見せようと背伸びしながら、大きく手を挙げた。
「私は、ハルガル様の妻としてっ。好きなだけ、この村にいるのです‼ ずっと、ずぅーっと、ハルガル様に守ってもらうのです‼」
帰宅する時間もないのでネットカフェから1話更新。
ギリギリ間に合いました。




