147 ハルガルとイラの婚約 上
私はイラ。
マリド一族が第三子、シュマリド=イラ。
父母はヴァスモアの所領に近い、コーワーという所に居を構えていた。
吹けば飛ぶような荘園領主でしかなかったが、それでも爵位を持ち、領民が居た。
ヴァスモアは、明確な敵対者でこそ無かったが、強種アーリックを従えるエルダー・リッチに対し、恐れを抱くものは多かった。
私の父母も当然、例外では無かった。
随時、領民は有事に備え、戦いの手ほどきを受けていたし、兄は警戒を怠らなかった。
姉は遠縁に嫁ぎこそしたが、時折来る手紙には、常に剣を手にし、盾の皮ひもを手首に巻いて寝ているのだと書いてあった。
そんな中で育った私も、誰に教えられた訳でもなく剣を持ち、盾の扱いに熟知していった。
しかし、私が数え年で十四になったある朝、雷鳴と共に啓示が舞い降りる。
『喜べ。お前は勇者の雛として選ばれた。この事は、誰にも話してはならない』
寝室の角に潜んでいた、影のような生き物がそう告げたのだ。
私は有頂天になって、部屋の中を飛び跳ねて回った。
(私が、勇者の候補っ。そうだ!! 私は勇者の雛になったのだ!!)
【候補:ギネメス=タウクーンが脱落しました。候補:オリヴィエ=ソランが脱落しました。残り候補は七名となります】
事あるごとに振るい落とされる候補達。
当初私は、自分が勇者への階段を一歩進んだのだと、他の候補達が脱落する様を喜んだ。
しかし、その喜びも束の間、その現実は重荷となって自身に圧し掛かった。
私はある時、知ってしまったのだ。
『勇者』が使い捨てであることを……。
名誉なことだと憧れた勇者。
魔王を倒し、王都を凱旋し、祝福され、故郷に錦を飾るのだと言う幻想は、完膚なきまでに打ち砕かれた。
「可愛そうに。あの勇者ハルガル様の現状を聞いたか? 何と、魔王討伐後、何年も拘束された上で、ようやく開放され、今では荒廃した畑を孤独に開墾しているのだと……」
「父上。魔王コスゴリドーを倒した英雄に、何故王はそのような仕打ちを。……いや、今からでも遅くはありません。コーワーに呼び、安寧を与えましょうぞ」
「我が息子よ。私もそうしてやりたい……。コーワーの臣民が、誰一人欠ける事無く騒乱を乗り越えることが出来たのは、勇者ハルガル様のお力ゆえである」
「では、何故!?」
「王の命令なのだ」
私は、震えながら、父と兄が話しこむのを聞いていた。
勇者ハルガル様は……魔王討伐後、即座に王の親衛隊によって拘束された。
そうして、人々の熱狂が完全に去りきった後、僅かな路銀だけを手渡され、故郷へと帰ることを許されたのだという。
「そんな……。人々を救った英雄に、そのような仕打ちを……。ち、父上、なおさらっ。なおさらここにお呼びしなければなりません」
「駄目だ。我ら一族だけであれば、それも可能であっただろう。しかし、我らには守らねばならぬ臣民が居る」
「く……」
兄は悔しさの余り、テーブルを力の限り叩くと、外へと駆け出していった。
私は、自身がその勇者の『雛』であることを父に告げようとした。
「父上。私は……。私は……」
「どうした、イラ?」
「わ……カハッ!?」
どうしても、言葉が紡げない。
私は、ようやく理解した。
勇者は、そして勇者の雛は『強制』であり、『拘束』でしかないと言う事を理解したのだ。
それから、私は勇者について調べて回るようになった。
『雛よ。何故、そのような事をする? 勇者となる事は、名誉である。栄誉である』
「何が名誉よ。何が栄誉よ。私はあんたになんか騙されない。私はもう騙されないわ」
私は、自分自身で知りえた事しか信じない。
自身の目で見、自身の足で知りえた事しか信じない。
そうして、私は置手紙だけを残して、コーワーを出た。
「影よ。私はハルガル様に会いに行くわ」
『よせ。会えば脱落は必至であるぞ』
「それ、脅しのつもり? 構うものですか。あんたの思い通りには、ならないわ」
私、シュマリド=イラは、長い旅に出た。
路銀を使い果たし、板金を仕込んだ皮鎧も、銀貨9枚に変わってしまった。
愛用の剣を売った。
背嚢も、その中身も売り、水筒と硬貨が数枚入っただけの皮袋のみが、私の持ち物になった。
靴は破損したが、修繕する皮紐も、針も無かったし、買う余裕も無かった。
私は分かっていた。
地名も、道順も全て頭に叩き込んでからコーワーを出立したにも拘らず、ここまで時間が掛かってしまった理由を。
影が、私の邪魔をしているのだ。
「君は……?」
しかし、私は影の妨害にもめげず、ようやくその場所にたどり着いた。
遂に、私が探していた人物が、目の前に姿を現したのだ。
「わっ、私はイラ。マリド一族が第三子。シュマリド=イラ。わ、私は、あなたに、あなたに会いたくてここまで来ました」
疲労の極地だった。
私が何を伝えようとしたのか、もう思い出せない。
けれど、少しだけ覚えている。
「安心しろ。お前は俺が守ってやる。好きなだけ、ここにいろ」
この人は、私を理解してくれる……。
その安心感だけは、今でもしっかりと覚えている。
◇◆◇
「君は凄いな」
ハルガルは俺を射抜いた。
出会った時の独特の軽さは鳴りを潜め、真剣な眼差しを俺に向けた。
「いえ。俺なんかまだまだですよ。先日まで何度も気絶しては、この子らに助けられたんです」
俺はイスティリの髪を撫で、メアの頬にチョンと触れ、ウシュフゴールの鈴をチリリ、と鳴らした。
彼女らは、うっすらと頬を染め、俺に微笑みかけてくれた。
「俺は、この世界を救う為にここに来た。あの程度で打ち負けていたら、世界を救うなんて逆立ちしたって無理ですよ」
「そうか、君が『波紋』なのか……。『火種』でも『火消し』でも無く、新たな世界を生み出す『波紋』か……」
「波紋?」
「ああ。俺に憑依していた霊魂は焦っていた。コスゴリドーの強さに焦り、残された時間の少なさに焦り、未来が無いことに焦っていた。霊魂はしきりに自問自答していた」
「自問自答、ですか」
「そうだ。『これで本当に良かったのだろうか?』と、な。そして『新たな波が欲しい。世界を揺るがす波紋が欲しい』と……」
『勇者』として降臨する霊魂が何者であるかは分からなかった。
だが、二神に由来する霊魂であることは確かなようだった。
そうすると、『魔王』として降臨する霊魂は……?
蝋燭の一本が、静かに消えた。
「影か。分かったよ……。今日は考えないで置く」
だが、お前達が俺の行く手を阻むのであれば、容赦はしない。
俺は、この世界を救い、ミュシャを救い、愛する者たちを救うのだ。
その為なら、この身、砕けようとも、相手が誰であろうとも、俺は戦う。
また、蝋燭が灯った。
それは、何を意味するのか。
「あの。お名前をお聞かせ願えませんか?」
イラが問いかけてくる。
「セイと言います」
「セイ様。世界を救う、とは? どういった事でしょうか?」
俺は思案した。
チラリとアーリエスを見ると、彼女は微かに頷いた。
「俺は異邦人です。俺に与えられた役割は、この世界を崩壊から救うこと。その為には、ウィタスから新たな神を産み出す事が必要なんです」
「本当ですか?」
「信じる、信じないは自由ですよ」
「私は、自身で見たもの、自身で体験したものしか信じません。もし、世界を救う、と言うのならば、まずはこのハルガル様をお救い下さい。人ひとり救えないと、いうのであれば、あなたはペテン師にしか過ぎません」
「イラ!!」
イラのこの唐突な発言に、ハルガルは若干語気を強めた。
「ハルガル様? あなたは世界を救った。けれども、あのあばら家でお住まいになり、荒れ果てた農地を一から立て直していらっしゃいます。それが、世界を救った英雄に与えられた『名誉』ですか? それが、人々の笑顔を取り戻したことに対しての『報酬』ですか? 私には納得できません」
「イラ。やめないか」
「いいえっ。やめません。あなたは私に靴を買い与える為に、土木工事の手伝いまでしました。二日分の粥を、三日に分け、更に二人で分け合って食べています。それが、それが……救国の英雄に与えられたものなのだとしたら、私は、断じて納得できません」
「イラッ!!」
イラは、俯いた。
が、キッと俺のほうに向くと、あらん限りの大声を張り上げた。
「世界を救うと言うのならば、まずはハルガル様を、お救い下さい。誰も認めなかった。誰も救おうとしなかった、ハルガル様を……救って見せてくださいっ!!」
シュマリド=イラの絶叫が、その場に居た全ての者の魂を揺さぶった。
次話は更新ズレるかもしれません
今日明日残業が確定しているので……。




