146 先代勇者ハルガル 下
時は少し遡る。
ハルガルがいつものように農作業を終えて岐路に着いた時、グード村の村長に当たる人物が、家まで駄馬に乗せてくれた。
「ハルガル、余り無茶はせんでくれ。アンタは誰よりも鍬を持ち、誰よりも働く。皆、心配している」
「ああ。けど、俺が外に出ている間に、父の土地は荒れてしまった。来年はロム稗じゃなく、ハキ麦を植えたいんだ」
「アンタは魔王を倒した……。損な役回りだ。先祖伝来の土地をほっぽり出して戦った褒美が、こんな仕打ちだとはな」
「ははは……」
「ハルガル。村で万が一に備え、積み立てた金がある。これで人を雇い、大掛かりに整地せんか? 何、少しずつ、少しずつ返して行ってくれれば良い……」
「……」
ハルガルは、何の返答も返さなかった。
彼は村に着くと、村長に馬の礼だけ言い、自宅の方向へと消えていった。
「頑固な男じゃ。もう四十に届こうと言うのに、嫁もとらず……」
村長は知っていた。
彼が妻を娶らない理由を。
「収入もない初老の男に嫁ぎたがる酔狂は居ない、か……。お前は、現実を見すぎだ。もう少しくらい、夢を見ても良いのではないか?」
村長の独白は、風に流れ、掻き消えた。
そのハルガルが、自宅と言う名のあばら家に着くと、入り口の戸板にもたれ掛かるようにして、泥まみれ・埃まみれの少女が座っていた。
擦り切れた外套の裾を、抱え込むようにして握り、たそがれ時に吹く北風に震えていた。
彼女は目を瞑り、ただひたすら、誰かを待っているようだった。
「君は……?」
その言葉に、少女はパッと顔を上げると、目を見開いた。
壁に逆手をつき、震えながらゆっくりと立ち上がる。
「わっ、私はイラ。マリド一族が第三子。シュマリド=イラ。わ、私は、あなたに、あなたに会いたくてここまで着ました」
「俺に?」
「はい」
シュマリド=イラは、フラフラとハルガルの元まで歩み寄る。
彼女の右の靴の底は半ば剥がれており、歩くたびにズルズルと音を立てた。
「わっ、私は……あっ……ぐっ……。ゆぅ……!? ゆう……ぐぅぅっ!?」
イラは、苦しげな表情で喉に手を当て、声を絞り出す。
しかし、彼女の、苦悶のうめき声だけが風に乗り、ハルガルの耳に入ってきた。
少女の目から、大粒の涙が零れた。
「わっ、わた……っ」
ハルガルは悟った。
この子も、かつての自分と同じく、勇者の雛なのだと。
シュマリド=イラという名の少女もまた、この『束縛』の餌食となったのだと、彼は悟った。
「制限が掛けられているのか……。苦しかろうに……」
その言葉に、少女は震えながら、微かに頷こうとした。
だが、その僅かな動きすら見逃さず、『束縛』は少女の動きを制限した。
沈黙、そして拘束、頬を伝う涙だけが、彼女、シュマリド=イラの全てであった。
石膏像のように立ち尽くすイラを、ハルガルはやさしく抱きとめた。
「もう、何も言うな。お前の苦しみは、俺がかつて経験した苦しみだ。もう、何も言わなくて良い」
少女は、ほぅ、と小さく小さく、息を吐いた。
彼女の体からは力が抜けてゆき、ハルガルの抱擁を受け入れた。
「安心しろ。お前は俺が守ってやる。好きなだけ、ここにいろ」
その言葉を聞きながら、シュマリド=イラという名の乙女は、安息を得て、微笑みを浮かべながら意識を失った。
◇◆◇
俺の思考はそこでプツリと切れた。
と、次の瞬間。
「なにくそっ!!」
俺は、半ば無意識に吼えると、教会の石畳に目一杯頭をぶつけた。
『ごっ』
鈍い音がして、目の前が赤く染まる。
辺りが騒然とし、誰かが慌てて俺を抱きとめる。
「くっ!! 毎回毎回、間単に気絶ばかりしてられるかっ!!」
ボタボタと落ちる血。
それを多分、イスティリが止血してくれる。
皆が唖然とする中で、俺は大声を張り上げた。
「今、俺の頭の中をかき回した奴は誰だっ!! 余程知られたくないことがあるようだなっ」
【告:■■■■■■?】
「わかんねえよ!! 誰だっ。出てこい」
俺は激痛で意識を保つという荒療治で、現実世界に居座り続けた。
「セイ様?」
「セイ?」
「ああ。俺は正常だよ。安心してくれ。今、俺は勇者の候補を一人か、それ以上、特定出来そうになった。そしたら、邪魔が入って強制的に眠らされそうになったんだ」
その言葉に、ハルガルとイラがお互いを見て頷きあった。
「恐らくは、それは『影法師』の仕業だろう。あいつは『勇者の雛』を守る為ならなんでもするぞ」
「そうか、影法師と言うのか!! 出て来い、影法師とやら。コソコソせずに姿を現せっ」
俺の言葉に反応するように、教会内部を照らしていた明かりが、一つ一つ消えてゆく。
採光窓がパタン、と閉じて、月光すら差し込まぬ漆黒の闇が広がった。
(セイ。同族の気配がします。天使の気配が……)
「同族?」
セラが俺に教えてくれる。
俺の前に、フワリ、と何者かが舞い降りた。
『……私は影。影のターク。<勇者の雛を選定する者>ターク』
「お前か。さっき俺の頭を引っ掻き回した奴は」
『力ある者よ。私は執行者ではない。私は使いにしか過ぎぬ』
「そうか、別に上位の奴がいるんだな?」
『……』
タークは俺の周りをユラユラと回り始めた。
『取引をしよう。英雄よ。あるいは破滅をもたらす者よ』
「取引、だと?」
『そうだ。お主がこの件を追求しない、というのであれば、我らはお主の行動を今後制限しない、と誓おう』
「ふざけんな。どこまで上から目線なんだよ」
俺はタークの顔付近を睨みつけた。
タークは僅かに人の顔に見える程度に隆起した相貌を、俺に向けて立ち止まった。
『今一度問う』
「……なぜ、そこまで頑ななんだ? 俺の発言から、交渉決裂は目に見えているだろう?」
『……私は執行者ではない』
俺は思案した。
セラの発言から鑑みると、恐らくこいつは天使か、あるいはその上に存在する『執行者』とやらが天使なのだろう。
そして、このタークという影の存在には決定権が無い。
「アーリエス。二神の作り出した天使は、今現在休眠している、という俺の知識は間違っていないか?」
「あ……ああ。だが、『そいつら』は休眠していない……。お前らは一体何者だ!?」
『……余計な詮索は身を滅ぼす。転生者よ。言葉を慎め』
影の言葉に、もう一つの声が混じり始め、不協和音となって教会内に響き渡った。
『よろしい。どうしても我らの言葉に耳を貸さない、と言うのであれば……』
「……分かった。お互いこれ以上意地を張っても、潰しあいになるだけだ。今回は俺が折れる。これは『貸し』だ」
『……よかろう。英雄よ。あるいは破滅をもたらす者よ。我らが要求を受け入れる、というのだな』
「ああ」
『賢明なる者よ。これは貸し、だ。我らが、借りておこう』
漆黒の闇よりも更に深い、タークという名の影は、螺旋を描くようにして採光窓の隙間より抜け出ていった。
ゆっくりと、明かりが戻り始める。
「はぁぁぁぁ!! なんだありゃ!! おい、ブルーザ」
「分からん、が、流石はセイ殿だな。あの化け物相手に一歩も引かなかったぜ。ザッパ」
「いや、本当に。ビビるね。セイ殿の肝っ玉の強さに」
そういってもらえて有難い限りだ。
「ふーっ。一時はどうなることかと思いましたが、影が折れましたね」
「セイ殿も成長したなっ。無理をしつつ、引き所も間違えんかったのは素晴らしい」
「さ、セイ様。落ち着いた所で本格的に止血しますよ。誰か糸と針持ってきてー」
明かりが戻ると、より一層俺の出血が目立つ。
「明日、出るまでに清掃できるかな? いてっ。イスティリ、もう少し優しく……」
「セイ様。清掃って、そこじゃないでしょ? あと、床の石で脳天カチ割った人が言う科白じゃないですよ?」
俺はイスティリに額を縫われながら、ウシュフゴールが持ってきてくれた椅子に座った。
メアがセラの中からぶどうの葉を持ってきてくれた。
「さ、セイ。ぶどうの葉には出血を抑える効果がありますからね。これで少し押さえておくのですよ」
「ありがとう」
少しの沈黙の後、ハルガルが口を開いた。
「君は凄いな」
最初に出会った時の飄々とした感じは鳴りを潜め、彼は俺を食い入るように見つめていた。
いつも読んでくださる皆様に感謝を。




