135 セラの歌
私の名は、ウシュフゴール=ナイトメアソング。
かつてはラビリンスの主であったが、今は外界へと出て、ある男性の配下となっていた。
その男性の名前はセイ。
私は彼の事を、畏敬の念から『セイ様』とお呼びしていた。
少しばかり優柔不断な所はあるけれども、優しく、穏やかな人。
そのセイ様に、私はあろうことか恋心を抱いてしまった。
けれども、私はそれをひた隠しにしていた。
イスティリやメアに隠れて、私はそっとセイ様の横顔を見れていれば、それだけで幸せなのだ。
「それ以上は、何も望まない……」
自身にそう言い聞かせ、今までその恋心を押し殺してきたのだ。
そう、あの時までは……。
セイ様があの羽虫の大群を喚び出した時、彼の右手は大きく裂け、左手にはメアを抱えていた。
彼は苦心して、ようやく右手で神様の石を取り出すが、どうしても割ることが出来ずに、結局歯で砕いて口移しでメアに飲ませた。
イスティリはセイ様が差し出す石を受け取らず、彼の目を見続けた。
困惑したセイ様は、私に石を渡そうとするが、私も受け取らなかった。
(メアだけズルイ)
イスティリは殆ど声は出さずに、呟いた。
(私も……。メアの様に)
体には激痛が走り、思考も定まらない中、私達はセイ様から、口移しで石を受け取る事を渇望していた……。
そして、彼から石が与えられた時、私は天にも昇る気持ちだった。
私はこれが最後になるかもしれないと、セイ様の体を目一杯抱きしめた。
「さあ、そこにかけなさい」
私はハッとなって、現実に引き戻された。
薬屋の店主が、奥まった部屋の中で椅子を引いてくれていた。
採光窓から柔らかい日差しが入り込み、部屋を照らしていた。
「は、はい」
「なに、取って食おうってんじゃないんだから、そんなに警戒しなくて良いよ」
店主はどんどん言葉遣いが砕けていったが、これが本来の彼女なのかもしれない。
「私の名前はカララ。お主は?」
「ウシュフゴールです。二つ名はナイトメアソング」
「二つ名を持つという事は、ネストの主か。珍しいな」
「あ、いえ。私はラビリンスの主でした」
「なんとまあ!!」
カララさんは驚いて口をパクパクやっていたが、気を取り直して語り掛けて来た。
「そのラビリンスの主ともあろう人物が、人に恋をして、外見までその男の好みに変えようとは、な」
「はい。その為にも、私はこの異形を消し去り、セイ様に相応しい人間になりたいのです」
「何の迷いもなく返事をしたな。だけどな、お前の容姿はさっきも言ったが、魅力的だと思うよ。他の者とは違う、美しい青磁の肌。クルリと巻いた羚羊の角は、一つ一つが芸術品だ。そんな他の者には無い魅力を捨てる必要が、どこにある?」
「セイ様は……交じりっ気のないヒューマンなのです」
「お前の想い人はセイと言うのか。で、そのセイにお前は外見で何か言われたことがあるのか?」
「……いいえ」
「なら、お主の杞憂じゃあ無いのか? 直接面と向かって告白してみた事はあるのか?」
「……いいえ」
彼女は「そんな事だろうと思ったよ!」と言うと、引き出しの一つを開けて、白い紐を束ねたものを取り出した。
「それは?」
「これが、さっきいってた『もっと良い物』さ。この紐は『恋紐』と言う。これをお前の体に巻いて、意中の人の肌に触れるのだ。そうすれば……」
「そ、そうすれば?」
私はドキドキしながら、彼女の次の言葉を待った。
「もし、お主と想い人が将来、結ばれる可能性が高ければ高いほど、この白い紐は真っ赤に染まる。低ければ低いほど、白いままだ」
「そ、それを売って下さるんですね」
「それでな、もしお主の恋紐が真っ白のままだったら、すっぱり諦めろ。外見を変えようが、何をしようが、お主とその想い人が結ばれる未来は無い」
「!!」
「そして、中途半端に桃色に染まる、というなら、私とまた別の案を考えようじゃないか?」
「カララさん!!」
私は椅子を蹴って立ち上がり、彼女を抱きしめた。
「こらこら、浮かれるのはまだ早い。まずは恋紐でアタリを付ける。そこからまた段階を踏む」
「はっ、はいっ!!」
私は握りしめていた金貨をテーブルに置くと、代わりに紐を握りしめた。
「こんなに要らないよ。一枚だけ貰っとく」
カララさんはそう言うと、残りの金貨を羊皮紙に包んでから、麻紐で縛って私の腰に下げてくれた。
「恋紐は、深夜になればなるほど効果が鮮烈に出る。もう少し待ってから出ると良い。私が夕食をご馳走してやろう」
「カララさん。さっき出会ったばかりの私に、どうしてここまで親切にして下さるんですか?」
「……逆なんだよ。お主と私は」
「逆?」
「そう、逆さ。私は昔、魔族に惚れてしまった。お主と同じように色々試そうとした。けど、全部失敗した……。お主の今は、私の過去と重なるんだ……」
「……」
「さあ、そうと決まれば夕食の準備に取り掛かろう!! 好き嫌いは許さないからね!!」
カララさんは大声を張り上げると、店を本格的に閉め始めた。
◇◆◇
夜半、物音で目が覚めた。
セラの世界に立てて貰った家のドアが、微かに開いて誰かが入って来た。
ボクの隣ではセイ様が、そのセイ様の隣ではメアが寝ていたが、二人ともぐっすり寝ていた。
特にメアは、外の世界だと小さな物音でもパッと起きて剣を取るのに、セラの世界だと余程の事が無い限り熟睡している。
「誰?」
でも、セラの世界に入って来れる人は限られている。
ボクもその安心感からか、警戒もせずに声を掛けた。
小さく「イスティリ?」と聞こえた。
「なんだ、ゴーちゃんか」
ウシュフゴールは珍しく出かけて、どうも今帰ってきた様子だった。
薄暗がりの中、よく見ると彼女の角には白い紐が一房ぶら下がっていた。
「どしたの、それ?」
「イ、イスティリ。これは『恋紐』です。意中の人と将来結ばれるなら赤く、結ばれないなら白いままなのだと言う魔法の紐です」
「えっ!? そんな良い物があるの!! ボ、ボクにも分けてよっ」
ん?
でも、その紐をぶら下げてコッソリ入って来たって事は?
「ちょっと待って……。ゴーちゃん、もしかして……」
「はい、イスティリ。私、セイ様の事が好きです。申し訳ありません」
「あっ、謝る事なんて無いよっ!! けど、ボクが『最初』だからねっ!!」
「えっ!?」
ボクの言葉にウシュフゴールは暗がりでも分かる位、上気してフラフラしていた。
そして、無言でボクにもその『恋紐』を渡してくれた。
遂にこの日が来てしまった。
薄々は分かっていたけれど、遂にセイ様を三等分しなきゃならない日が来てしまったのだ。
けど、ウシュフゴールなら許せる気がする。
これがモリスフエだったら、ボクはセイ様を赦さなかったかも知れないけど。
「どうやって使うの?」
「紐を付けたまま、想い人と肌を合わせるんです。真っ赤になればなるだけ、結ばれる可能性が高いのだとか」
「ようっし、メアが寝てる間に抜け駆けだっ」
「ふふ。誰が寝てると?」
「メアっ。何でこんな時だけ!!」
「何とでも言いなさい。ここ最近『抜け駆け厳禁』を守った事の無い黒髪ちゃん」
「ぐぬぬ……」
ウシュフゴールは紐をもう一房取り出すと、メアにも手渡した。
「これは『恋紐』ですわね。ウシュフゴールはこれを買いに外に?」
「いえ。本当は肌を白くして、角を取り払いたかったんですけど……」
「ええ~!? ボク、ゴーちゃんの青い肌、綺麗だと思うよっ。角も王冠みたいでボクも欲しいくらい」
「わたくしも、ウシュフゴールにはウシュフゴールの魅力があると思います」
ウシュフゴールは少し俯いてグスグスと鼻を啜っていたけれど、セイ様が「うーん」と言いながら寝返りを打ったので、ピタリと泣き止んだ。
「さあ、最初はゴーちゃん」
「私でいいんですか?」
「モチロンっ。この紐を持って帰って来たゴーちゃんが最初に決まってるよっ」
「で、では」
ウシュフゴールがセイ様の頬に口づけすると、紐が真っ黒になった。
「何色? 何色になりました!?」
「うーんと、暗がりで分からないね……? けど色は変わったみたい」
「わたくしが<暗視>を使いましょうか?」
「折角だから、全員終わってから家の外で見せあいしよっ」
「そうですわね。ああ……ドキドキしますわ」
ボクとメアは同時にセイ様に口付けした。
握り込んだ紐が焼ける様に熱い。
三人とも終わると、転がるように外に飛び出して、満天の星空の下で紐を見た。
「やったーーーーーーーーーーー!! 真っ赤だ!! ボクのは赤を通り越して真紅だ!!」
「わ、わたっ、わたくしのも!! キャーー!!」
ボク達は草の上を転がり、飛び回って喜んだ。
「私のは!? ねえっ、イスティリ!! 取って!! 角から取って!!」
ウシュフゴールは紐を角に結んであったので取れずに慌てていた。
ボクが外しに行く。
けれど、ボクは彼女の紐を取る前にポロっと泣いてしまった。
「ゴーちゃん……。赤い……赤いよ!! ボクらと同じ真紅!! もうそれ以上の真っ赤は存在しない」
「本当!? イスティリ!! 嘘じゃないよね!!」
「うん!!」
ボクは紐を解いて彼女に手渡す。
「ほんとだ……。本当に赤い……。真っ赤かだぁ!!」
ウシュフゴールはワンワン泣いて「赤い。赤いよぉ」と言い続けた。
セラがココッと空気を振動させた。
そうしてから、彼女はそれを何度となく繰り返した。
高音で、低音で、大きな音で、小さな音で。
「セラが歌ってる」
「わたくし達を祝福してくれているの?」
ボク達は満天の星空を眺めながら、赤い紐を握りしめ、セラの歌をずっとずっと聞いていた。
明日12日はお休みを頂きます。
イズスは同じ状況になった時に身を引いてしまいましたが、ウシュフゴールは一歩前進しました。
この差が、イズスの運命の差と言ってしまえばそれまでなのですが、いずれイズスにも幸せが訪れますので、その日まで気長にお待ち頂ければと思います。




