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132 『役者』という入れ墨

 俺は熱いサウナの中で、冷や汗をかいた。

 自称男性とは言え、明らかに女性の体のリーンと二人っきり、という状況をイスティリがどう思うか……。


 危険だ。

 俺は何としてでも『ガブリッ』とヤラれる事だけは避けたいと、必死に思考を巡らせる。

  

「おやおや、奥方が来ちゃったね。じゃあ僕は退散するか。男同士の語らいはまた後にしよう」


 そんな俺の考えをよそに、リーンは手早く自身の水気を芭蕉の枝で掃うと、ケルの外に出ようと扉を開けた。


「ちょ……」


 ちょっと待ってくれ、という間もなくリーンは外に出る。

 イスティリがモゾモゾと服を脱ぎ散らかしている横で、棚からタオルを取ると体を拭い始める。


「ええっと、イスティリちゃんだっけ?」

「はいっ」


 イスティリは上着を脱ぎながら、リーンに威勢よく返事をした。


「僕も男なんだし、人の奥方の裸を見る趣味もないからさ、ちょっと裸になるのは待ってくれないかな?」

「あっ。すみません……って、リーンさん?」

「何だい。まさか君も僕が女みたいだって言うんじゃないだろうね?」

「えっ、と……。うーん、と。……お気遣い、ありがとうございます。ボクもセイ様以外に肌を見せるのは、良くない事だと気付きました」

「そうだね」


 リーンはニッコリ笑うと、悠々と服を着て、あいさつ代わりにリーケンをポロンと鳴らしてから立ち去って行った。


 次の瞬間、案の定『ガブリッ』とヤラれた。


「イ、イ、イスティリ!? 誤解だ!! 誤解なんだぁぁぁぁ!?」

「ぬにぐぁぐくいでふか!!」


 俺はその痛みから逃れたい一心で、喚き散らした。


「リーンは自分を男だと思ってる!! 男同士でケルに入ろうって言ってた!! だ、だから誤解なんだぁ」

「ふんと?」

「ああ、さっきの会話を聞いても分かっただろ!? 重ねて言うけど、リーンは自分を男だと思ってるんだ!!」


 そこでようやくイスティリの牙から逃れ、俺は涙を流しながら噛まれた所を摩った。

 ちょっと掌が赤く染まる……ほんとに容赦ないよな、この子。 


「確かに、さっきの会話は凄く違和感がありました。ボクも今の今までリーンさんは男性だと認識してたし」

「だろ? 俺だってリーンが裸になるまで分からなかったんだ!!」

「ハ ダ カ」


 そこでサウナ場の空気が氷点下まで下がった。

 ガチガチと震える俺を見据えて、イスティリはガチガチと歯を打ち鳴らした。


「ほーう? セイ様はリーンさんの胸とお尻を堪能しながら、あっついケルを堪能していたんですね? ほー」

「あ、ちょっと待ってくれ」

「言い訳無用!!」

「ギャーァァァァァ!?」


 俺は……傷を深めた。

 イスティリの犬歯で、首の周りは真っ赤に染まった……。


「もう本当に、セイ様には困ったものです。ボクやメアが居るというのに、ホントにもう!!」

「……」


 ようやく納得してくれたのか、少し機嫌を治したイスティリが椅子に座った。

 俺は手桶に溜めた湯を彼女にかけながら、黄芭蕉の枝で背中をこすってやる。

 小さな椅子に腰掛けた彼女は、満足そうに「ふーっ」と息を吐いた。


「でも、ボクが抜け駆けした件をメア達に黙っててくれるんなら、この一件は見なかった事にします!!」

「分かった分かった。お互い内緒にしとこう」


 イスティリはキシシッと笑って「セイ様と内緒の内緒~」と変な歌を歌い始めた。

 途中から鼻歌になり、腕をパッと広げた。

 俺はその腕も丁寧に枝で掃い、それから据え置きの石鹸で、髪の毛をワシワシ洗ってやる。


「ほうら、イスティリ。石鹸を流すぞ」

「はーい」


 石鹸を洗い流すと、艶やかな黒髪に、濃い紺色の房が混じっていた。


「あれ? イスティリ。髪に蒼い房が混じってるぞ?」

「ほんとですか!? ボクの成人ももうすぐってことですね。このまま黒髪が青に変わっていくと思います」

「ん? イスティリは成人すると髪の色が変わるの?」

「はい!! しかも青に変わる事は強種である事の証明なのです。人型魔族にとって誇りなのです!!」


 イスティリは椅子に座ったままクルリとこちらを向く。


「さあ、セイ様。次は前ですよ?」

「お、おう」


 俺は観念してイスティリの上半身を拭っていく。


「やっ……。セイ様ぁ」

「変な声出すなよ」

「ちぇー」


 唐突にガイアリースを思い出した。

 彼女は成人前だろうけど、髪の毛は真っ赤だったな。


「そういやさ、ダンジョンの最深部で出会った魔族の髪は、真紅だったな」

「成人前ですよね?」

「うん。イスティリより二歳くらい年下だと思うよ」

「ですよね。もし成人済みなら、真紅の髪は、魔王の色なんです。きっと、魔王を目指しているから、赤く染めてたんじゃないでしょうか?」

「なるほどな。赤い髪は魔王その人か」

「勿論、霊体系の魔王なんかは違いますけど」


 最後にイスティリの湯をかけてやってから、二人で脱衣場に行くと、ウシュフゴールが服を脱ぎ、小さいタオルだけ巻いた状態でカチコチになりながら待機していた。


「ウ、ウシュフゴール!?」

「ゴ、ゴーちゃん!!」


 ウシュフゴールはイスティリに「私、メア様にはこの一件を黙っておきます」とだけ伝えると、俺の手を引っ掴んでケルの中に飛び込んだ。


「うー、わ、分かった!! ボクは何も見ていない!! ボクは何も見ていないぞっ。セイ様、お先に失礼しますっ」


 イスティリは高速で着替えると、脱兎の如く駆けだしていった。

 ウシュフゴールはそれを見送った後、ケルの扉をピシャリと締めた。


「セ、セイ様。お背中、お流しします」

「う、うん」


 ウシュフゴールは俺を座らせる。

 彼女は俺の背中にかけ湯をしてから、枝で丹念に肌を拭ってくれた。 

 流石に背中だけだったが。


「つ、次は私の番です」


 ウシュフゴールはタオルを取ると、椅子に座った。

 俺は彼女に湯をかけて、彼女の背中を枝で拭う。


 青い肌が上気して赤く透け、何とも艶っぽい。


「か、髪の毛もお願いします」


 俺は言われるがままに、髪の毛も洗ってやる。

 羊のようにクルリと巻いた角も、丁寧にゴシゴシやると、彼女もまた満足そうに「ほーっ」と息を吐いた。

 声を掛けてから石鹸を洗い流し、角の水滴を落としてやる。


 それから、彼女はゆっくりとこちらを向いた。

 ギュっと目を瞑り、か細い声で「で、では前を洗って下さい」と言った。


 俺は色々びっくりしたが、女性にここまで言わせておいて断れるはずもない。


 出来る限り優しく枝を肌に滑らす。

 柔らかい鎖骨の下は、イスティリが嫉妬してもおかしくないとは思った。


「やっ!?」


 途中で彼女は何度か小さな声を上げたが、俺が「はい。終わり」というと少し残念そうな顔をした。

 

「セイ様。こんな私はお嫌いになりませんか?」


 唐突にウシュフゴールが聞いてきた。


「いや。嫌いなんかならないよ? いつもは控えめなウシュフゴールが、こうやって来てくれて嬉しいよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ」

「私、セイ様の事が……」


 そこにバーンッ! とメアとアーリエスが扉を開けて飛び込んで来た。

 メアはタオルを巻いていたが、アーリエスはスッポンポンだ。


「セイッ!! イス、イスティリとケルに入ったんですって!? 本当にあの子は!! 油断も隙もあったものではありません!!」

「さあ、ここまで来ればもうあたしらも仲間に入れろっ」

  

 狭いケルの中で俺はもみくちゃにされながら、女性陣の肌に上せ、ケルの熱気に上せた。

 

◇◆◇


「定期連絡。こちら、リーン=ル=カライ」

「リーン。そちらはどうだ?」

「セイに接触。一緒にケルに入って親交を深めようとしたが、思わぬ邪魔が入ってしまった」

「そうか。流石に一緒にケルに入るのは不味いだろうしな」

「どういう意味だ?」


 俺には彼女の質問の意図が読めなかった。


「ソリダ様。今、リーン様は『男性の吟遊詩人』という役に徹しております。故に自身が女性だとの認識を持っておりません」

「なるほど」


 子飼いの部下が補完してくれた。

 とは言え、未遂に終わったのなら良しとするか。

 そう思っていると、リーンが言葉を紡いだ。


「彼の体は拭ってやったのに、私は自身で拭ったからな。本当に、あの小娘には参ったよ」

「何だと!?」

「どうしたというのだ? ソリダが声を荒げるなんて」


 俺はあのセイと言う男が、リーンの肌を見た事に少しだけ嫉妬した。

 だが、それよりも任務に支障が出ないかどうか、そちらのほうが気になった。


「もう少し『役者』の段階を下げてやることはできるか?」

「出来ますが……今ここでリーン様が女性であることを思い出すのは、得策ではありません」

「何故だ」

「私なら恥ずかしくて死にます」

「……」


 俺は頭を抱えた。

 最初から『死神』を軸に据えたほうが良かったんじゃないかと、上層部の指示を恨みさえした。


「なあ、『蝸牛』で情報の隠匿を出来たよな」

「意図は分かりますが、偶発的に露見した情報までは隠匿出来ません。あくまで意識して制限しようとした情報のみを隠匿出来ますので……」

「うーむ」


 俺は仕方なく、そのまま任務を続行するようにリーンに伝え、通信を切る事しか出来なかった。

泊りで仕事です。

数日休みます。

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