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126 蟻の女王 下

 牛車付近には、真紅の蟻たちが居り、彼らは女王直下の親衛隊であるらしかった。

 その親衛隊が左右に割れると、牛車の正面に格子状の覗き窓が見え、そこから黄色い複眼が、俺に視線を送っていた。

 他の蟻たちの五倍はありそうなその目から察するに、女王は縦長の牛車に詰め込まれるようにして乗っているのかも知れない。


「お初にお目文字致します。わらわはパルミレ=ルナ=エリュシネレーン=クルル=パルティレーン。お気軽にパエパとお呼びくださいませ」

「初めまして。セイと言います」

「わらわはルナ学派第三位、クルルの号を持ちますゆえ、クルル尼僧とお呼び下さいましても構いません」

「分かりました」


【解。ルナ学派は『神は滅し世界へと拡散した。神の恩寵は目には見えぬが全てに存在する』が根本思想。自然回帰とアニミズムが見事に融和している宗派。派閥としての発言力は弱いが、ゾロアは総じてルナ学派であるので総数は多い】


「パエパ女王に聞きたいのですが、何故に俺なのですか? ここに来るまでに、先日のコレトー砦での一件を少しは漏れ聞いたでしょうに」

「ホ・ホ・ホ。何を言い出すのかと思えば、その点ですか」

「ええ。俺には危険が付き纏う。貴女から兵を雇っても、無碍に死地へと追いやるだけかもしれませんよ」

「……存じ上げております」

「では、何故ですか?」

「わらわが産んだ可愛い仔らを、貴方様に付かせるのは、それが一族の繁栄につながると思うからです。これから貴方様は世界を変えるでしょう。その時に、わらわの仔らが、貴方様の傍らに居る事、それがどれだけ重要な意味を持つか……。これは我がパルティレーン一族の生存戦略なのです」


 なるほど。

 ドライな言い方をすれば彼女は先行投資に来た訳だ。

 だが、下手に取り入ろうとする輩よりも、動機が明白である分、理解しやすかった。

  

「分かりました。では、正午までに返事をさせて頂きます」

「良い返事をお待ち申し上げております」

「所で、食事は取られましたか?」

「いいえ。お気遣いありがとうございます。ただ総勢で五百程居りますので、お気持ちだけで」


 俺は一旦皆と食事をした部屋まで戻る。

 戻り際にスピリットに意見を求めた。


「スピリット? あのゾロア達に食事を与えたいんだけど、何が最適だろう?」

【解。大麦や燕麦を好む。素嚢に溜め込むので粉にせず、そのまま与えれば喜ぶだろう】

「ありがとう」


 召使を呼んで、ゾロア達に麦を持って行くように頼んだ。


「あのゾロア達全員に、でございますか!?」

「うん。悪いが頼むよ。代金は俺に回してくれ」

「わ…分かりました」


 召使は慌てて駆けだしていった。


 俺は部屋に戻ると皆に意見を求めた。


「あたしは彼らを雇いたい」

「ボクも同意見です」

「コモン達はどう思う?」


 アーリエスとイスティリが意見を述べ、メアやウシュフゴールも頷く中、俺はコモン達にも意見を求めた。


「俺は彼らは役に立つと思う。セイ殿が判断すべきだとは思うが、雇わないという選択肢は無いように思う」

「よし、決まりだな」


 一旦お茶にし、頃合いを見計らって中庭に戻り、ヘイリガンを探した。


「おお。これはセイ様。麦をありがとうございます。質の良いもので、一同喜んで頂いております」

「それは良かった」


 見ると沢山の飼い葉桶が中庭に置かれており、ゾロア達は気に入った桶に頭を突っ込んでは旨そうに食べていた。

 

「中身は大麦や燕麦、それに小麦です。セイ様」


 食事の手配を頼んだ召使が寄って来てそれとなく教えてくれた。

 

「ありがとう」

「いえ。お役に立てて光栄でございます」


 彼は優雅に一礼して、中庭の隅で待機し始めた。

 

 俺はヘイリガンに改めて声を掛けた。


「ま、真でございますか!! いや、お早いご決断、感謝致します」

「それで、どれだけの人員を寄越してくれるのかな?」

「は、はい。ガリンズ種、ドドー種はそれぞれ十体です。ギュック種は六体です。これにイース種と呼称される統率型が一体付き、彼らの面倒を見ます」

「イース種?」

「はい。私のような種です。ヒューマン系の発声がキチンと出来て、意思疎通も容易な種です。そのイース種がゾロア兵を統括し、体調などを管理致します」

「分かった。で、支払いはどの様にすれば良いのかな?」

「はい。月毎に一体に付き金貨十枚。時々我等から集金と様子見に伺いますので、その時々でお支払い下さい。人員の補充も承ります。食事は三日に一回。イース種に食費を渡して下されば、都市などで補給します。労働時以外は十分な休息を与え、時々甘い果物などをやれば喜びます」

「分かった」


 早速ヘイリガンはゾロア兵たちを連れて来ると整列させた。


「私はイース種のマルガンと申します。よろしくお願いします」


 ヘイリガンそっくりの黒蟻が挨拶すると、整列したゾロア兵たちもキィキィと頭を下げた。

 

「彼らの名前は?」

「はい。ゾロアは女王様とイース種以外、固有の名を持ちません。必要ないからです。個々に役割を割り振る際には、個体によって識別用の番号がありますので、それを利用します」


 やはり社会性昆虫から進化した種だけあって、俺たちと随分感覚も思考回路も違うもんだな。


 俺は最後に女王に挨拶に行った。


「パエパ女王。俺は貴女の子らを雇う事にしたよ。大事に扱うが、恐らくは茨の道だ。その点は先に謝っておく」

「我が子らをよろしく頼みます。……例え彼らが斃れたとしても、それは運命。その運命に到るまでに、誇り高く進めるよう、貴方様が彼等に道をお示し下さいませ」

「はい」


 こうして俺はゾロアの工作兵達を雇い入れた。

 何とも不思議な種族だが、俺はこのゾロア達の力に、随分と助けられることになる。


◇◆◇


 俺はその夜はメアと二人きりで寝室に居た。


「ふふ。セイと二人っきり。わたくし、我慢した甲斐がありましたわ」


 彼女はそう言うと、箪笥の影で衣服を脱ぐと、薄手の寝間着に着替えた。

 しゅるしゅると聞こえる衣擦れの音だけが聞こえる中、俺はふとベッド横の棚に、俺の寝間着も畳んで置いてある事に気付いた。


「さあ、わたくしが畳んであげますから、早く着替えてしまって下さい」

「うん」


 俺が服を脱ぐ間、彼女は自身の衣服を畳み、ハンガーラックのような所に掛けていた。


 あれ? そういやイスティリは下着だけになってベッドに飛び込んだっけな……。

 さも当たり前のように俺も下着だけになってベッドに潜り込んだけどさ。 


 彼女は俺の服を丁寧に畳むと棚に置き、毛布に潜り込んだ。

 毛布の角を捲り、マクラをポンポンっとたたいて、早く来い、と催促した。


 俺がベッドに潜り込むと、メアは腕を絡ませてきてキスをしてきた。

 柔らかな胸の感触が心地よい。


 それから何度か唇を重ねた。


「わたくしに、こんな幸せな瞬間が訪れるなんて夢にも思いませんでした!!」

「メアは今、幸せかい?」

「ええ!! わたくし、最高に幸せです!!」


 メアは語る。

 ハイ一族の長子として生まれ、両親から期待される中、ありとあらゆる英才教育を受けた事を。


「睡眠と食事以外は全て学問・鍛錬・魔術訓練の連続だったのですよ。わたくし、誕生日すら誰にも祝って貰えず忘れ去られたんです。わたくし自身も、余りの忙しさに自分の誕生日が過ぎた事を一週間も経ってから気が付いたんですけども」


 メアはコロコロと笑った。


「男性でも逃げ出す厳しい訓練を受け、ようやく騎士見習いの『盾持ち』になったんですけれども、そこからが本番だったんです」


 メアは王都で騎士になる為の更なる訓練を受ける。

 そこでフートックに鬼のしごきを受けたのだと言う。


「フートック師匠は本当に鬼の様でした。わたくしが骨折した時、限界まで戦闘訓練を受けさせた上で、僧侶に治療させると即座に訓練を再開したんですよ!!」

「そりゃ凄いな」

「でも、そのしごきがなければ……わたくしは今ここに居なかったかもしれません」

「どうしてだ?」


 彼女は語る。

 剣術を学び、魔術の研鑽を積んだ。

 ようやく盾持ちから騎士となった翌週、王都近郊にネストが発見された。


 そのネストの名は「サイクロプスズ・ネスト」

 そう、前回の魔王コスゴリドーの出身ネストだった。


「わたくしもネスト掃討戦に駆り出されました。でも、その戦いでわたくしは血のりで滑ってしまい、ネストの親衛隊に戦鎚で殴打されたのです」


 体のあちこちから出血し、骨折すらした。

 けれども。ここで気絶してしまえば死んでしまう。

 激痛に耐えながら気力を振り絞って、その敵を打ち倒した。


 メアは物語のように滔々と語る。


「わたくし、その時までフートック師匠を少し恨んでいたのですが、彼の鬼のしごきがなければ、わたくし、どこかで諦めてしまっていたかも知れません」

「なるほどな」


 メアはそこで改めて俺にキスをすると、目を閉じて囁くように語った。


「その鍛錬の日々も、戦いの日々も、全てはセイに出会う為だったのだと、わたくしは思います」

「メア……」

「ほら、そんな顔をしないで下さい。たしかにこれからも戦いはあるでしょう。危険もある事でしょう。ですけれども、わたくし、その最後の瞬間まで貴方と共に歩めれば幸せです。そして、世界を救った暁にはドゥアでみんな仲良く暮らしましょう」

「うん」


 俺は、彼女らを幸せにしたい。


「ね? 旦・那・様」

「ああ。約束する。俺はメアを幸せにする。イスティリも幸せにする。セラも幸せにする。仲間を……」


 俺は最後まで言葉を紡げなかった。


 メアは俺の唇を優しく塞いだ。

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