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103 破滅の蟲 下

「奇数班は本体を狙い打て!! 偶数班は羽虫を打ち払え!!」


 魔法師団長の判断は迅速だった。

 しかしそれよりも速くスヴォームの蟲達が兵士に、そして魔術師達に殺到した。


 小指ほどの大きさの、金属で作られた単眼の蝗達が、群れを成して襲い掛かったのだ。


 あちこちで悲鳴と怒号が上がり、兵士達は剣で蝗達を叩いていたのも束の間、体中に取り付かれ、その剃刀のような顎で喰われ始めた。


「たっ、助けてくれ。あっ!? ぐぅあ……」

「ち、畜生!! こいつめっ。うわっ、く……くるなくるなくるなぁぁぁ!?」

「目がっ。うっ……誰か助けてくれ。か……はっ」


 彼らの体に付着した蝗達は、ギチギチと音を立てて肉を咀嚼し、鎧や剣に穴を穿つ。

 兵士たちは涙を流し、悲鳴を上げて逃げ惑う。

 それでも蟲達は執拗に喰らいつき、餌食を逃すまいと肉に顎を埋め込む。


 魔術師達は細かい転移を繰り返しながら呪文を打ち込み、何百という蟲を打ち払う。

 しかし、数匹でも体に付着すれば致命傷となり得る。

 転移だけでは捌き切れず、一人、また一人と喰われ、血を流して膝を付き始めた。


 一人の魔術師が、抵抗しようと手当たり次第に<雷撃>を放った。

 だがその呪文は蟲だけでは無く味方に当たり、<雷撃>をまともに受けた者の手が止まった所に蟲達が殺到する。

 また、転移した者同士が空中で激突し、倒れた所に蟲達が雲霞の如く集る。

 

 負の連鎖の中で、最早彼らは『生餌』にしか過ぎなくなっていた……。


 魔術師達は次々に姿を消し逃亡し始めたが、守るすべを持たない兵士たちの命は最早風前の灯となりつつあった。


「リリオス様。ここは一旦お引きくださ……何をしている!! グッ!?」

「団長! 数が多すぎます! 撤退命令を!!」

「リリオス様っ」

「ドフラス!! 何とか出来んのか!? お前たちの維持に年間幾ら掛けていると思っているんだ!」


 魔術師団長は体に紫電を纏わせ蟲を振り払うと、俺に向けて巨大な炎の塊を放った。

 俺は容易く炎を飲み込むと、血で濡れた右手を挙げ、リリオスに向けて蟲を誘導した。


 俺の意思に従い、スヴォームの金属蝗は次々とリリオスに襲い掛かった。


「総員、撤退準備!! リリオス様。お逃げ下さい!!」

「ドフラス!!」


 俺はその様子をニヤニヤと笑いながら見つめていた。

 

「なあ、リリオス。今の気分はどうだ? 俺は穏便に済ませようとした。そうしたかった。だが、お前が俺をそうさせた!!」


 リリオスは悲鳴を上げながら地面を転げまわっていた。

 当たり前だ。

 より多くの蟲が向かうように俺が命令を下したんだからな……。


「あっ……がっ!? 助けっ!! ドフラス!? ドフラスぅ!!」


 全身を血塗れにしながらリリオスは師団長の名前を連呼した。

 しかし、その師団長もまた自身を守る事で手一杯になり、リリオスまでは手が回らない。


「撤退! 撤退せよ! 個々に撤退せよ!」


 その言葉に残っていた魔術師達は三々五々<転移>で姿を消し始めた。

 師団長はリリオスの軽く頭を下げる。


「リリオス様。可能でありましたら<転移>でお逃げ下さい。もうこれ以上は維持できません」

「待て。俺を助けろ、お前達に支払った金は幾らだと思ってるんだ!! ああっ!? セイ? 俺が悪かった!! 命だけは……命だけはっ」

『我の名はセイでは無い。スヴォームと呼べ』

「誰でも良い!! もうお前の、いや、貴方様の事は追わないと誓う!!」

『駄目だ。贄として喰われよ』

「……」


 血だるまになりながら遂に動きを止めたリリオスを見下ろし、俺/我は久方ぶりの贄の味を楽しんだ。

 師団長も遂に諦めて姿を消した。


「きゃ!?」


 俺はその声でハッっと我に返る。

 メアに蟲が噛り付いていた。 

 

「スヴォーム! 貴様っ。それだけは許さんぞ」

『何を今更。我の眷属は餓えが満たされるまで止まらん』


 よく見るとイスティリとウシュフゴールにも蟲が付き始めて居た。


「「セイ様っ」」

「スヴォーム!!」


 俺は蟲達を制御しようとした。

 スヴォームは俺の意識を乗っ取ろうと圧力を掛けて来た。

 意思の鬩ぎ合いの中、僅かな時間均衡が保たれたが……俺の意識は徐々に混濁していく。

 

 朦朧としながらメアが剣を抜こうとしたのを見ていた。

 しかし彼女は半ばまで抜いた剣を仕舞い、そっと目を閉じた。


「セイ。……わたくしは貴方を信じています」 


 彼女は一切の抵抗を止め、ただただ体を切り刻まれるに任せた。

 苦痛で眉を顰め、奥歯をかみしめながら彼女は耐えた。


 それを見ていたイスティリとウシュフゴールは俺の手を握り、そして、彼女らも目を閉じた。


 ボタボタと落ちる彼女らの血が大地を濡らし、俺が作った血だまりを塗り替えて行く。

 その時、スヴォームの勢力が弱まったのを感じた。


「スヴォームよ!! 俺の中に戻れ!」

『……』


 唐突に蟲達が搔き消えた。

 俺は、俺自身の意思では無く、俺を信じる彼女らの心に救われたのだった。 


 しかしその代償は余りにも大きい。

 彼女らは全身から血を流し、最も被害の大きかったメアはそのまま意識を失って倒れた。


「メア!!」


 俺は彼女を辛うじて抱き留めた。

 イスティリとウシュフゴールは苦痛に顔を歪めながら、俺とメアを見ていた。


 そして、スヴォームの蟲達が去った後には、何十と言う死体が残された。

 体中の皮膚を剥され、骨や歯が見えた者、内臓まで引き摺り出された者……。

 辛うじて息こそしているが、余りの苦痛と失血で呆然とした者や、夥しい量の血を流し意識を失った者。


 まさしくそこには死屍累々の地獄絵図が展開されたのだ。


 俺は神格を制御できずに、遂に、自らの手で人を殺めた。

 

◇◆◇


 ガッド=ガドガーは祝福持ちのフォーキアンを攫う為に、レガリオスに潜伏していた。

 加えて新たに創造した奈落種達の連携訓練も兼ねていた。


 奈落種達は、主であるテオルザードと、創造者であるガッド自身の命令にしか従わない。

 勿論、先に指示さえ出して置けばガッド自らが出張る事の程では無かったが、件のフォーキアンを生きたまま攫ってこれるか、どうしても不安が残ったのだ。


 能力が頭打ちになりつつあるバイゼルにそのフォーキアンを殺させる。 

 テオルザードにそう伝えられた時、正直彼は落胆した。


「バイゼルの不安定さを考えれば、そのフォーキアンを調整槽にぶち込んで指揮官型に仕上げたほうがマシだ」


 元々魔族であるフォーキアンなら、奈落種とまでは行かなくともそれなりに上手く行く筈だ。

 彼はそう思ったのだ。


 だが、クルグネの元を追われた所を拾われ、自身の研究を継続出来る環境を整えてくれたテオルザードの意向は尊重したい。

 色々な要素が絡み合い、ガッド=ガドガーは二十年ぶりに『飼い主』の支配地から離れた。


 しかし、蓋を開けてみれば最悪の結果が待って居た。

 連携をする所か、グールの奈落種が功を得んと単独行動をし、その上で任務に失敗した。


「最悪だ」


 彼はグールに包帯を巻きながら呟いた。

 

「剣モ喰ワレタ」

「知っている。あれがお前達の敵の一人、≪悪食≫持ちの異世界人セイだ」

「俺ガ見タノハ烏賊ダッタゾ」


 ガッドはため息をつくと、水晶球を取り出し、グールが逃走した後の出来事を見せた。


「この黒い髪の男がセイだ。今は殺さない。いずれはバイゼルの餌にするからな」

「アア。分カッタ」


 しかし、あの男の祝福は凄まじいな。

 バイゼルに食わせるどころか、下手をすればバイゼルが食われるな。


 そして……セイに付き従う魔王種。

 あれは良い『素材』になりそうだ。


 強化した魔王種である奈落種に、いとも簡単に傷を負わせた『成人寸前』の魔王種。


「あれは欲しい」


 ガッド=ガドガーの瞳に炎が灯った。

 彼の欲望が、イスティリ=ミスリルストームの運命を変える事になる。

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