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102 破滅の蟲 上

 夕霧亭の正面は大通りで、人の往来も激しかったが、その惨劇を見て蜘蛛の子を散らす様に人々は逃げ惑った。

 残ったのは俺たちと、商人の護衛達だけだ。


「助けてっ。シン? シンはどこなのっ」


 鉛色の肌の男はフォーキアンを脇に抱えたまま、器用に壁の突起を掴んでジリジリと登って行く。 

 男は口に刀を咥えていたが、俺はル=ゴを使いその刀を喰わせた。

 モーダスを使うとフォーキアンまで飲み込んでしまう。


「ゲヒャ!?」


 そいつは俺を睨むと壁を飛んで地面に降り立った。

 どうやら大変お怒りの様子だ。


「ギェエヤァアアアアア!!」


 奇声を上げて俺に飛び掛かったそいつは、立ちはだかったイスティリ目がけて肩で体当たりした。

 イスティリは斧でその攻撃を受け止めると、そいつの足に斬撃を放った。


 ゴッ、という凄まじい衝撃音がしたが、鉛色野郎は痛がる様子も無く、そのままイスティリに噛み付いた。

 彼女はすかさず避けるが、次の瞬間、鮮血がパッと散った。


「くっ!!」


 見るとイスティリの右腕が切り裂かれ、ポタポタと血が滴り落ちていた。

 

「ゲッゲッゲッ……」


 そこで初めて商人の護衛が心身喪失状態から回復したのか援護して来た。


「よくも旦那様を!!」


 彼らは勢いよく突撃したが、敵の爪で切り裂かれて瞬時に絶命した。


「ギュヒヒヒヒヒッ!!」


 そいつは爪をベロベロと舐め、恍惚とした表情をした。

 イスティリはこの爪を避けきれなかったのだ。


「後手に回った!!」


 メアはイスティリに強化呪文を掛けながら自身を責めた。

 ウシュフゴールとプルアが敵に呪文を掛けたが、全く効果を発揮した様子が無かった。


 コモンは素早く絶命した護衛から剣を奪うとイスティリの横に移動する。

 彼の配下達も数名、死体から武器を取ろうと画策したが敵に威嚇されて断念していた。


「おい、嬢ちゃん。アイツは何者だ?」

「ボクも分かりません。ただ魔王種であって魔王種でない。そんな感じがします」

「チッ。折角奴隷から解放されたと思ったらこれだ。勘弁してくれ!」


 コモンはそう言いながらも突撃した。

 イスティリもそれに合わせて挑みかかった。


 コモンの剣は容易く弾かれたが、イスティリの斬撃は通った。

 斧は敵の胴に食い込む。


「ギゲガアアァァ!?」


 敵はフォーキアンを取り落とした。

 フォーキアンは「キャ」っと声を上げたが、そのまま地面で動かなくなってしまった。


 敵の脇腹からドロドロとした暗緑色の体液が滴り落ちる。


「さっすがメア!!」


 バックステップを踏みながらイスティリは敵の爪を回避し、すかさず斧の一撃を見舞う。

 その攻撃で腕の骨が砕けたのか、二の腕が異様な角度で曲がり、敵は初めて顔をしかめた。


 そいつは一瞬悔しそうな顔をすると、詠唱を開始した。


「オ・ボ・エ・テ・オ・ケ」


 イスティリが素早く斧を叩き込むが、そいつの姿は搔き消えてしまった。


「<転移>ですね。最下位の<個人転移>でしょうけれど」


 メアがそう言いながらもフォーキアンを抱きかかえた。

 フォーキアンは気絶していた。 

 一旦は彼女をトウワに乗せた。


「おいっ、貴様ら! 何をして……うわっ!?」


 騒ぎを聞いて駆け付けた兵士たちが血の海を見て青ざめる。

 

「すぐ増援を!! おい。貴様らそこを動くなよっ」


 指揮官らしき男が班を二手に分け、彼の班が俺たちを見張り、もう一方はどこかに駆けて行った。


「ちょっと待ってくれ。今ここに化け物が居てそいつが暴れたんだ」

「申し開きは後で聞く! 今お前たちに出来る事は大人しくしている事だけだ」


 危険だ。

 このまま捕縛されて良い事なんか無い。

 例え俺たちが犯人じゃないと分かったとしても、リリオスの横槍が入る事は明白だ。

 白を黒に変える事くらい、彼にとって朝飯前だろう。


「強行突破しますか、セイ様?」

「ああ」


 そこに増援が到着する。

 大量の兵士と……紫のローブを纏った魔術師の集団が……。


「セイ様っ。あれはリリオス自慢の魔法師団です。ボクはアイツらに十人掛かりで叩きのめされてからドゥアに移送されたんです!!」


 ちょっと待ってくれ。

 イスティリをコテンパンにできる魔術師が十人どころか三ダースはいるんだが?


「こっ、これは魔法師団長殿っ。恐縮でありますっ」

「そんな事はどうでも良い。リリオス様主催の大競売で何ら事故があってはならんのだ。さっさと片づけるぞ」

「はっ」


 有無を言わさず俺たちを包囲する兵士達と、それを遠巻きに見つめる魔術師達。


「ん-? なにかキナくさいな。おい、誰でも良いから<範囲解呪>を使え」

「はっ」


 一番偉そうな、先程魔法師団長と呼ばれた男が指示を飛ばすと、俺たちの付近に青い光が放射状に広がり、スクワイの<変身>が解けてしまった。


「やはりな。あの黒髪の奴はリリオス様の敵対者だ。周りのも同様だろう。これより掃討戦に入る。全ての魔法師団を招集せよ」

「はっ」


 次々に紫のローブを着た者達が<転移>で現れ、その数は少なく見積もっても三百に達した。

 俺たちは硬直し、最早セラの中に逃げ込む位しか思い浮かばなかった。


 あるいは……≪悪食≫で……。

 俺はその考えを首を振って否定した。

 否定したかった。


「セイ。投降しても先は見えています。セラの中に逃げ込んで落ち延びましょう」

「それしかないな」

「セイ様……」


 イスティリが微かに震えていた。

 彼女は彼らによって捕縛され、そしてドゥアで餓死寸前まで追い詰められたのだ。

  

「なあ。少しだけでも話を聞いてくれないか?」


 俺はダメもとで言ってみた。


「駄目だ。戦って死ぬか、潔く死ぬか、選べるだけありがたいと思え」

  

 仕方ない。

 俺はメアに指示を飛ばす。


「コモン達に今『許可』を出した。セラの中に連れて行ってやってくれ!!」

「分かりました!」


 セラが俺のポケットから出て来ると、メアはコモン達の手を引いて次々とセラの中へと押し込んだ。

 トウワも手伝ってコモン達は瞬く間にセラの中に逃げ込めた。


(俺も先に行くぜ。セイもすぐ来いよっ)

「ああっ。トウワはコモン達を見てやってくれ!」

(分かったぜ!)


 その動きを見て、魔術師達が無数の<雷撃>や<稲妻>を飛ばして来る。

 俺はそれらを手あたり次第飲み込む。


「チッ。場所が悪いな。各員、放射状に散開せよ。あの四角い精霊を狙え」


 魔術師達がセラを狙い始めるが、俺は自身にくる<雷撃>も、セラに来る<稲妻>も気が狂った様に流し込んだ。

 段々と意識が朦朧とし、体が言う事を聞かなくなってくる……。


 第一層の骸骨が狂乱し始める。

 もう指先の感覚がなくなって来始めて居た。


「イスティリ!! メア!! ウシュフゴール!! 後はお前達だけだ。早く中へ!!」

「セイもすぐ来てください」

「ああっ!!」

 

 と、その時、敵の魔法の雨が唐突に止んだ。


「リリオス様っ」


 リリオスがここに来たのだ。

 兵士達が、魔術師達が、彼の歩みに合わせて割れた。


「はははっ。いい気味だな、セイとやら。これで俺の溜飲も下がると言う物だ」

「リリオス……」

「散々俺を虚仮にしてくれた代価は支払って貰うぞ」

「待て。待ってくれ、リリオス」

「何だ? 今更命乞いか?」

「違う……手を引いてくれ……このままだと……お前達を、お前達を殺してしまう……」

「何を言うのかと思ったら!! はははっ。この状況下で俺たちを殺すだと? 魔術師の精鋭三百に武装した兵士が五十。この包囲から抜け出すと言うのなら兎も角、『殺す』と? これは面白い!! 出来るものならやってみせろ!! はははははっ」


 彼の配下達も笑い出し、リリオスは腹を抱えて目に涙を溜め始めた。


 俺は怒りに我を忘れそうになった。

 その怒りに呼応するかのように、俺の中で、あの針金男が覚醒し始めた。


 蟲の羽音が聞こえる……。

 

 赤い目が見える。

 無数の赤い目が見える。

 

 意識が遠のき始める。

 俺は知っている。

 ここで意識を飲まれてしまったら最後だと言う事を。


 俺は咄嗟にセラの中に逃げ込もうとした。


 だが、思考が纏まらず、俺は何故か呆然と立ち尽くしてしまった。

 唐突に右手の甲が裂け、血が滴り落ち、血だまりを作った。


 その血だまりの中から、赤い目を持つ蟲達が湧き上がるようにして、出現し始めた。


 ギ・ギ・ギ……。


『我が名はスヴォーム。第四層『貪欲なる群れの主』スヴォーム」


 針金男、スヴォームの蟲達はリリオスの配下達に殺到した。

 俺はそれを止めることが出来なかった。


 ……そして、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。

ちょっと次話にも鬱展開が続きます。

ご容赦ください。

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