不自由
赤茶けて偶然人の顔に見える壁の染みを数秒間眺めていてもこの不快な空間から脱出することができないのならばもはや足をバタついて現状と闘うようなことをしなければいいのではないだろうか。ガタゴトガタゴトと奇妙な稼動音を吐き続けるオンボロバスの一番後ろの席に座っていることは単なる自己満足にしか過ぎずほかの乗客は誰もいないことは最初から決まっていたことだ。だからといってもし周りに乗客がわんさかいたとしても僕の中の虚無感は充たされず積み木が崩れていくようにいつまでも嘆きの溜息は流れていく。窓から見える数時間変化しない暗闇のなかならば僕は百年前からこの世でひとりで移ろっている錯覚に溺れることができて何も考えなくてもいいから楽なんだ。現実感は風化するようで失われて笑うことも泣くこともできずに腐ったコンクリートを走るバスの単調な振動で心の底まで反復的に枯れていく。ちょっとしたひまつぶしで今自分の顔はどんな顔だろうと思ったら最後起伏の乏しい僕の顔が容易に推測できてますます自己嫌悪に陥っていまいそうになりながら少しでも正気を保とうとしてもこのガタゴト五月蠅い異音から逃げようと両耳をふさいでしまえば咳き込むような絶望感がとめどなく転がり落ちてくるから仕方ない。どこにも逃げることはままならない。僕は夜の敗者になる。
自我が縛られ催眠術で操られたみたいにペットボトルのなまぬるい炭酸水を飲んでみると反吐が出そうな味が咥内に広がりますます不快指数をあげる。ベトつく舌でうまいこと言葉は紡げないと言い訳しながら携帯音楽機器で石本智晶『この世界を誰にも語らせないように』を聴いてみる。ダウナーの気分になればセカイと真っ向に対決しなくてもいいから楽。右耳と左耳から音色が体内に入っていくにつれて脳味噌に目に見えない寄生虫の侵入を感じるけれどそれがとっても心地よい。音量を上げようとしてipodの液晶を触れてみてその触り感じがあまりにも人工的過ぎてまるで触れている自分の指先も機械になってしまいそうになって少しだけ怖くなって手を離した。そうなれば急に現実がぽつぽつ僕の周りに現れてじめじめとした湿気のようにけだるい気持ちになって音楽に没頭できなくなる。その現実の正体はひたすら醜い自分だってこともうすうす気づいてきてさらに嫌悪で充たされる。
自分自身が屍に思えてくるのはきっと気のせいなんかじゃない。まるで力が入らないのはただ細い肉体のせいじゃないし視界がはっきりしないことも多分関係してる。ふと気づけば外のセカイはこんなにも膨大で僕ひとりで負えないほどのぶよぶよの大きさになっている。なのに僕の中のセカイはこんなにちっぽけですこし見逃してしまえば踏みつぶしてしまいそうになるというのにどうして僕はそんなセカイを大事に抱え込んでいるのだろう。自分のセカイが得体のしれないものにしか感じられないのはどうしてなのだろうといつも考えていたけどようやく答えがわかった。それは自分のセカイと外のセカイは実は同じものですぐに自分のセカイもぶよぶよに醜く変化するからなんだ。ねこそぎ毟られた畑と同じでどれだけ自然豊かで実りがあったとしてもそれはすぐに無に変わる。茶色い枯れ葉となるからなんだ。世界は次第にどろどろしたものになってもう何も生み出さない。再生することもない死の土地になって肉体を溶かしていくんだ。もはや毒されたセカイに飲み込まれていって不健全に支配される。身体も心も死んでいくだけ。ただ虚無に沈んでいくだけだ。
完全に狂った腕時計を見ても時は計れないけれどなんだかセカイを考えなくていいから楽だ。秒針も短針も長針もそれぞれ同じリズムでぐるぐる円心を回ってずっと同じ動きをしていてそれを見ていたら僕も無意味な行動に走りたくなる。決して正しい時じゃない時を刻む時計は時計ではない。ならば決して正しい生活をしない人間は正しい人間なんかじゃない。堕落に落ちていった人間でいいと思う。それが健全な生き方でセカイが怖くない生活だ。非人間の生き方だ。僕は自分の歴史なんて考えずに白痴の少年になってみたいだけなんだ。孤独地獄から抜け出したいと思っていてもその場所にどっぷり漬かってしまっている自分に酔っているんじゃないだろうか。ただの自己満足で動いているにすぎないのだけど、それはどこか怖くて仕方ない。結局僕は身動きのとれないまま酸化して腐っていくだけだ。形が失われて虚無になってしまいたいだけ。
狭い席にシートベルトで固定される不自由はそれはそれで僕の精神的な負担がない。だからといってそこには愛と夢と縁遠いものなんだ。健康的とは思えない。カーテンがエアコンのなまぬるい風に揺れてゆらゆらはためいているけれど、その無規則なカーテンの動きはその気持ち悪い風がずっと僕にふりかかっていることを気付かせてくれる。ぬるい風はべとべとしていて気持ち悪い。皮膚の上でボウフラが蠢いているみたいだ。それと同時に寒気がいつまでも続いている。ぶるぶる震える寒さではなくて怖さで身体が強張る寒さなんだ。それは痛くはない。痛くはないけど痺れている。麻痺しているから何も感じないや。すべての器官が鈍く動いていく。ぎとぎとの油できしんでいるみたい。故障していくことは素晴らしいことかもしれないと思えばipodを破壊したくなったけどよくよく見れば僕の傷だらけのipodは電池が切れててもう動いてないや。
凡庸な僕の人生は結局なんだったのかよくわからないけどそんな歴史は無視してしまえば何の怖さもないんだなと一人天に舞うお月さまを見て思った。陰鬱な人生なんてドブに捨ててもっと陰気な生活をすれば怖くもなんともない。生きることに諦めをもっていれば絶望を知ってもすぐ諦めつくさ。大切なものは壊してしまえ。大事な人は傷つけてしまえ。自分自身に興味を持つな。セカイは無視して生きていけ。人生なんて空しいものだ。いつでも死ねるように致死量の毒とナイフを。死ぬときだけがセカイに勝てるとき、迎合するとき。答えなんかありやしない。恋も愛も身を食い合う虚しい事柄。唾を吐け。そして唾を飲め。人生はその繰り返しさ。人生は唾の循環だ。どうしても答えは手に入らない。偽善と詭弁の繰り返し。繰り返し。
僕の幽霊が戯言をぐるぐる言い続けているよ。誰もこの場にいないのならばこれは自己満足でしかないのかな。雨が蕭々と降っていても無神経に走るバスに消されていく。悪性度の高い腫瘍のように取り除かれる僕の感性はただ虚無を貪るしかないんだ。涙が身体の内側で流れているよ。砕かれた心の欠片はすぐに溶けて残らない。ばい菌だらけ。ばい菌まみれ。「次は終点、次は終点」。ふとそんなやるきのない声が響いた。僕のためにだけに投げられる声は宙に漂って消えていく。僕は自慰の虚しさみたいな空気に満たされていった。セカイのお荷物でしかない僕は一人のバスの中、何もせずに目をつぶって全てが終わるのを待った。
バスが到着しても心に沈んだ鉛をどうしても取り除けない。泣きも喚きもできないこの感情は死んでいるとの同じものだ。身体が冷えていくばかり。料金を機械的に払えば、外に出られた。空には月はなくなって、曇天の暗さが瀰漫しているだけ。でも完全な闇じゃない。蛾の集まる光が僕を照らしている。その光もやる気なくて弱々しく発光している。もうおしまい。もうおしまい。僕はそれからバスの料金以上の孤独を抱いて寂れた街を歩いていく。こっちのほうが楽じゃないか。バスでの不自由から解放されれば今度は自由と言う更なる地獄が待っている。もはや僕の抑鬱は底知れない。もう回復することもないな、とそう思いながら蛾の死骸を踏まないように踏まないようにと下を向いて僕は帰途についた。