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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第一章
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8 涙の理由

お気に入り登録ありがとうございます!ストーリーも更新もゆっくりペースですが終わりまでがんばっていきます。これからもよろしくお願いします。




 アルは声も出さずに涙を零していた。俯いた横顔からぼたぼたと零れ落ちていく涙。


 まさか言葉の外の『嫁に来い』プレッシャーに気づいて、嫌だと言うに言えずに泣いてしまったのだろうか。親父もお袋もアルの涙を見ておろおろし、『早く、何か言え!』とジェスチャーでおれに押し付けてきた。


 誰のせいだ、と思ったが、おれはアルに近づいて、俯いて震わせているその小さな肩にそっと触れた。


「……アル? どうした?……言いたいことがあるなら何だって言っていいんだ。親父とお袋の、その、子供になってっていう話は気にしなくていいからさ、な……?」


 おれはアルの傍で、できるだけ優しい調子で言った。可哀想に、必死でこらえるようにして泣いている。

 ……そんなにおれと結婚するのが嫌なら、しなくたっていい。ただここにいて欲しいとおれは願った。おれがアルの肩を落ち着かせるように撫でると、アルは首を振った。


「……わ、わたし、か、家族に、憧れて、て」


 アルは泣きながら顔を上げ、途切れ途切れに話を始めた。涙をどうしたらいいのかと手を動かしながらも拭えず、戸惑う様子を見て、ひょっとして泣くのも初めてかとおれは彼女の涙を指で拭った。お袋がサッとティッシュを差し出してきた。流石だ。


「て、天使には、感情がなくって、ひっく、わたし、だけ、っく、あって、それで」


 アルはおれに涙と鼻水を拭かれ、しゃくりあげながら話を続けた。


「地上の、っく、様子、みて、『家族』に、憧れ、て、でも、ひっく、誰もわかってくれ、なくて」


 アルの話を要約するとこうだ。


 通常、天使というものは感情の一切をもたないらしい。そんな中、感情を持って生まれたアルは一種の異端児で、感情を持たないほかの天使たちにいじめや差別をされることはなかったが、感情を持っているが故に疎外感を感じていたらしい。

 自分の仕事のほかに興味という感情を示さない天使とは違って、アルは世界の全てに興味を示した。彼女は自分の仕事の合間を見てはいろいろなことに首を突っ込み、いろいろなことを知っていった。そのうちのひとつが、彼女言うところの『地上』、つまりおれ達の住む世界で、そこで暮らす人間達の営みの様々なことが彼女にとって新鮮な驚きだったのだという。


 特に興味を惹かれたのが家族のあり方で、親から子が生まれ、愛されて育っていく様子に憧れを感じていた。天使は誰かの間から生まれるものでもなく、感情もないために“家族”という概念もない。一生懸命に“家族”の素晴らしさを力説しても分かってくれる天使もおらず、疎外感はいや増した。

 同時に、いつかこの『地上』に行きたい、という願いが彼女の中に生まれていた。しかしそれは天使である彼女には叶うはずもない奇跡で、今こうしてここにいることが信じられない、と彼女は語った。



「……だから、こうして『地上』にいて、子供に、なってと言われてわたし、嬉しいんです。こんなに優しくしてもらえて、とても嬉しい……」


 ようやく落ち着いてきて彼女はにっこりと笑った。まだ涙の残る目を細め、本当に心からの笑顔を見せたアルに、おれはほっとした。親父とお袋を見ると、いつの間にかもらい泣きしていたようで、二人ともティッシュで涙を拭いながらアルに向かって笑顔で頷いていた。


 意外なアルの涙の理由におれ自身もほろっとしながら、また他の部分では「おれとの結婚を嫌がった涙ではなかった」とホッとしている自分がいた。……アルはおれのことを何とも思ってはいない、諦めろ、ともうひとりのおれが叫んでいるが、なかなか諦めがつかない自分がここにいた。

 アルの言葉の端々を、おれは嫌われていないだろうかと心配になって気にしてしまう。自意識過剰だと思うけれど、どうしたらいいのかわからない。アルの気持ちを最優先にしたらいいと思うのだけれど、どうやって、この気持ちに区切りをつけたらいいのか、それが分からなかった。


 おれはにこにこと温かい雰囲気を作る三人をぼんやりと眺め、ひとりその輪の中に入っていけない気持ちだった。が、不意にアルがおれの方に振り向いた。


「サカエ……サカエは、どう思う? 私、ここにいて、いいですか?」


 おれはぐっと衝動を押しとどめるのに必死で、思わず息を止めていたと思う。


 その殺人的に可愛い、濡れた瞳をどうにかしてください!

 小首を傾げるのもやめてください!

 上目遣いもダメだ―!


「……もちろん、いいよ。……ずっと、ここにいたら、いい」


 ずーっとずーっとここに居ればいい。本当はそう言いたかったけれど、何とか我慢した。親父とお袋のことを言えない。本当はおれ自身が本心から思っているからだ。「この子がおれの嫁になってくれたらどんなにいいか」と。


 あふれ出しそうになる感情を気合で押しとどめ彼女の目を見てそういったら、アルはまた、満開の花のように嬉しそうに笑った。ほっとした表情だった。


「……はい、ありがとうございます!」


 




 アルの話と涙が一段落し、おれ達の意思が疎通できたところで夕飯は終わった。お袋はアルに風呂に入るよう促し、おれは風呂の使い方を一から順番に教え(手取り足取りではない、服を着たまま説明し、あとは風呂場に押し込んできた)、一仕事終えたような疲労感を感じながら、夕飯の後片付けをしているお袋の元へ行った。


 おれが四苦八苦して風呂の使い方を教えている間にお袋は皿を洗い終わり、乾いた布巾で食器棚にしまっているところだった。おれはぐったりとしながら冷蔵庫から麦茶を取り出した。ごくごく飲んでぷはーと息をついたところで、不意にお袋が話し出した。


「……さっきお父さんとも話していたんだけど、いい子ねぇ、アルちゃん。本当に。お母さん、ますます気に入っちゃった」


「…………」


 おれは何とも言えずに無言で空のコップを置いた。お袋はそんなおれにかまわず話を続ける。


「天使って不思議なものなのね。可哀想に、アルちゃんはきっと寂しかったのよ。……こうなったら、(さかえ)、本当にアルちゃんをお嫁にしてウチの子にするのよ! 頑張れ栄、ファイト!!」


 布巾を持った手で握りこぶしで応援してくるお袋に、おれは苦い表情でため息をついた。するとおれが乗り気でないことを悟ったお袋は不思議そうに聞いてきた。


「栄? どうしたの? まさかあんな可愛いアルちゃんが好きじゃないとか?」


 麦茶を口に含んでいたら確実に盛大に吹き出していただろう、危ない。


 おれは胡乱げな顔でお袋をじっと見た。……あんな可愛い子を好きじゃないなんてどうかしてる! 好きに決まっている! どうにもならないくらい好きだ!!


「……そうよねぇ?」


 おれの魂の叫びは、正確にお袋に伝わったらしい。頬に手を当てて首を傾げるお袋を前に、おれは、正確に伝わったのならそれはそれで恥ずかしい、とそっぽを向いた。


 お袋は考えこむ様子をしていたが、ぽん、と手を打っておれを指差した。


「あら、まさか栄、もう振られたの?」


 『そうでしょ!? 正解?』といわんばかりの目で見つめられ、おれはものすごくがっかりした。……お袋よ、あなたの息子はそんなにもダメ息子ですか……?


 肩を落としがっくりしたおれを見て、お袋はまた首を傾げた。


「……そうではない、と。ん~そうなってくると……どうなのかしらね」


 もうクイズを楽しんでいる感覚なのかもしれない。楽しそうにうきうきしているお袋をじとりと睨みつけると、おれは夕方考えていたことをお袋に打ち明けた。


「おれは、彼女のこと、その……好きだけど、彼女はそうじゃない、と思う。まだ目が覚めたばかりだし、この世界のこともよく分かっていない彼女に、結婚を迫るのも……どうかと思うし、それに、おれは……」


 この言葉を口に出すのは勇気がいる。へこむ、確実にへこむ。おれはおれ自身の言葉によって深い墓穴を掘るのだ……。


「……男として、意識されてない、みたいだし……」


 腹をくくって搾り出した言葉に、お袋は一瞬きょとん、として次の瞬間笑い出した。普段は上品に装っているというのに珍しくげらげらと大笑いだ。

 おれはお腹を抱えて笑うお袋をじとっと見つめ、なんてひどい親か、という視線を投げつけた。息子がはっきりとではないが半分振られている状態だというのに大笑いするとは何事か。


「くくく、栄、あなたったら……はは、もう、苦しいっ……!」

 

 ぜーはーと大きく深呼吸をしてようやく笑いを収めたお袋は、零れた涙を拭っておれの肩を叩いた。


「……栄、あなたもしかして初恋なんじゃない!? ああ、そういえばそうかも、お母さん彼女紹介されたこともなかったし、噂も聞いたことなかったわね」


「……何か関係あるの?」


 流石にイライラしたおれは、洋二に向けるのと同じくらいの低音でお袋に尋ねた。しかしお袋がおれの苛立ちに頓着しなかったのは言うまでもない。


「あるわ、大有りよ! あなた今まで女の子とお付き合いしたことないんならそりゃあもう、いろいろ分からないことだらけでしょう。付き合うっていろいろ難しいの、何しろ知らない同士が仲を深めあうんですものね、大変なことは山ほど……私もお父さんとはそれはいろいろ大変な思いをしてここまで……」


 ちょっと遠い目をし始めたお袋に、更に低い声でストップをかけた。親父とお袋の馴れ初め話など、子供の頃から耳タコだ。この万年ラブラブ夫婦め、目と耳の毒なんだよ!


「……お、ふ、く、ろ」


「やだ、『お袋』じゃなくって『お母さん』て呼びなさいっていっつも言ってるでしょ? ああ、そうじゃなくて、つまりね、私がいいたいのは……まだまだこれから、ってことよ」


「…………は?」


 おれは話が読めずに問い返した。間抜けな顔をしていたのだと思う、お袋がまた吹き出しそうな顔をしていたから。


「だって栄、まだ出会って数日、話して数時間ってところじゃない? あなただってアルちゃんのこと知らないけどアルちゃんはそれ以上にあなたのこと知らないんじゃないの? だってずっと寝ていたんですもの。それで男として見られてないなんて、当たり前よ。お互いをよくよく知り合って、そして恋とか愛とかの感情が生まれるんじゃない。そんなに焦ることはないの、これからよ、これから!」


 お袋は励ますようにおれの肩をバシバシと叩いた。おれはぽかんと口を開けたまま、お袋の言葉を反芻していた。……そうか、そうだよな。


「……そういうもんか」


「そういうものよ! だからこれから、男として意識してもらえるように頑張ればいいって話なのよ! チャンスはたくさんあるわ、一緒に暮らすんだし」


 お袋はにんまりと笑った。多分悪いことを考えている、この顔は。


「……頑張りすぎも失敗の元だけどね。栄は基本無口だから、たくさん話しかけたらいいと思うわ、お母さんも応援する!」


 ……そうか、これからなのか。おれは諦めなくていいのか。


 恋愛経験ゼロのおれは、お袋に励まされているというまさかの赤っ恥な事態にも気づかず、燃え立った。夕方の落ち込みもすっぱり忘れ、おれは彼女に意識してもらうことを目標に掲げた。


「よし、頑張るぞー!」


「……何を?」


 右手を突き上げて宣誓したおれの後ろから、アルの声が疑問符つきで飛んできた。おれはわたわたと振り向き、「なんでもないんだ」と言ってアルを押して台所を去った。後ろでお袋が、笑いをかみ殺している姿が見えるようだった。




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