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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
89/128

21 奈津と亜希の冒険②



 初夏の午前。太陽は東の空高くにある。それでも照りつけるじりじりした日差しをうっとうしく思いながら、おれは汗だくの顔を拭った。


「ったく、一体どこに行ったんだ?」


 思わずぼやくと隣にいた羽留も同じように汗を拭いながら大きく息を吐いた。


「おかしいよね、これだけあちこち探したのにいないなんて。ナツとアキが知ってる場所なんてそう多くないはずなのに」


 もうかれこれ一時間、近所で双子の行きそうな場所を回った。よく遊びに行く公園も、スーパーも、これから通う小学校も、心当たりのある場所はすべて回ってしまい、そして二人は見つからずじまいだった。もしかしたらアンナさんの家かもしれないけれど、あそこはさすがに遠すぎる。車なら近いが、大人が歩いても一時間近くかかる距離なのだ、子供の、しかも六歳児の歩きではたどり着く前に疲れ果ててしまうだろう。


「とりあえず一度家に戻ろう。もしかしたら戻ってるかもしれないし、親父やお袋から何か連絡があるかもしれない」


「うん」


 一体どこへ行ってしまったのか。もう探す場所の見当もつかないくらいだが、先ほどから嫌な考えが頭を過って仕方がない。つまり――誘拐の線、だ。

 奈津も亜希も可愛いから、攫われたって不思議はない。でも誘拐にしてはおかしいだろうと頭の隅に残った理性が言う。

 もし誘拐なら、一緒の部屋に寝ていた同じように可愛い羽留を連れていかないのは不自然だし、二人が着替えをして(部屋に脱いだパジャマが残っていたのを羽留が確認している)、玄関から靴を履いて出ているのも変だ。誘拐犯がどこかから侵入し、ふたりに着替えさせて靴を履かせて玄関から出る、というのはちょっと無理がある。無理やり連れて行ってこその誘拐であり、自分から出かけていった形跡の残る家からはとても誘拐の線は考えにくかった。


「あ~くっそ、無事ならいいんだが! 葵、何か情報あったか!?」


 走って家に戻り、玄関に顔を突っ込んで声を張り上げた。苛立ちのままに大声で怒鳴ってしまったのをまずいと思ったが、葵は玄関に来なかった。


「あれ、葵? いないのか?」


 変に思いながら靴を脱ぎ、羽留には台所に行って水を飲むように言う。自分はいったん洗面所に行き顔を洗ってから、葵がトイレにもいないことを確認し居間に入った。


「お父さん、あれ、お母さんからじゃない?」


 コップに注いだ麦茶を飲みながら、羽留はテーブルの上の紙を指した。ゆうべ寝る前にはなかったものだ。さっと取り上げて目を通す。そこには簡潔に一言、


『ふたりの居場所がわかったので迎えにいってきます』


と書かれていた。


「あ、葵……これじゃどこに行ったかわからないじゃないか……」


 双子を迎えに行ったことは分かるが、その他の具体的なことは全く分からない。葵がひとりで行ったのだから徒歩圏内であることは予想できるけれども、一体どこなのか。おれだって羽留だって心配しているのだから、迎えに行きたいのに。

 がっくりとうなだれて座り込んだおれの手から紙を取り、一読した羽留は苦笑しておれと同じことを言った。


「お母さんうっかりだね。これじゃ僕たちの心配が二倍になっちゃう」


 本当にそうだ。葵が双子を連れて帰ってくるまで、おれたちはここでじりじりと待っていなければならないなんて。


「本当に……どこに行くかくらい、書き置いてくれればよかったのにな」


「そうだね、そしたら僕たちも追いかけて行け……え?」


 笑いながらおれに麦茶を持ってきてくれた羽留が、動作と言葉の途中で不意に止まり、あらぬ方向を見つめた。


「……どうした、ハル?」


 羽留を見上げると、その視線は家の中を通り抜け、どこか遠くに投げられていた。不審気に眉が寄り、きょろきょろと何かを探るように目が動いている。


「……お父さん、僕、誰かに呼ばれているみたい」


「え?」


 視線を遠くに遣ったたまま、羽留はそう呟いた。と、今度は目を閉じ、右の耳をその方角に向け、動かなくなった。どうやら何かの音を聞いているらしい。


「……もうよく聞こえないや」


 一時の後、羽留は目を開けた。ふっと息を吐いて緊張を解いた後、まっすぐにおれを見て言った。


「よくわからないけど、あの山から聞こえたみたい。『ここにいるよ』って言ってた。『迎えに来てあげて』って……」


「あの山? あれか、中学校の隣の……」


 おれが確認すると羽留はこくりと頷いた。あの山とはゆくゆく子供たちが通うことになる中学校の隣にある、小高い山のことで、鬱蒼とした森が広がっているだけのそんなに大きくはない山だった。


「なんだったんだろう、今の声。お父さんは聞こえなかったんだよね?」


 羽留は不思議そうに首を傾げて耳に手を当てた。おれはこの手の不思議現象にはどうも耐性がついていて、羽留の発言を疑うつもりにはちっともなれなかった。


「ああ、おれには聞こえなかったけど、確かなんだろうな。……もしかしたら葵も何かに呼ばれたのかもしれないな……」


 書き置きひとつ置いていなくなった葵のことを考えると、葵も羽留と同じように何かの声を聞いたのかもしれない。そうでなければ『居場所が分かった』なんてそもそもおかしいじゃないか。

 不思議な声が羽留に聞こえたなら、葵もきっと聞いたはず。だから多分、みんながいるのはあの山なのだろう。


「よし、じゃあ行くか、あの山に。車出して来るから、ハルはちょっと待ってろよ」


 羽留の手に握られたままだった麦茶のコップを取り、ぐいっと一息で飲み干してからおれは立ち上がった。


「ね、ねぇお父さん! 僕どこかおかしいのかな? お父さんに聞こえない声が聞こえるなんて……」


 早速動き出したおれに対し、羽留は自分の身に起きた不思議現象を受け入れられずに戸惑っていた。それもそうか、小さいころの突飛な行動のあれこれを羽留自身は忘れてしまったのだし。

 両手で頭を押さえ、不安げな顔で見上げてくる羽留をおれはぎゅっと抱きしめた。


「別におかしくなんてないんだ、ハル。仮に人と違ったとしてそれが何だって言うんだ? ハルに声が聞こえたから、おれたちはお母さんとナツとアキを探しに行ける。もし聞こえなかったらみんなが帰ってくるまでにお父さんはイライラしすぎちゃっておかしくなっちゃったかもしれない」


 ものすごく想像しやすい、有り得たもう一つの未来の予想図に苦笑しながら、羽留の頭を撫でる。この家ではむしろ、おれの方が変なんだぞ? なんの力もないんだから。このことは羽留には言わないけど。


「だから気にすることはない。今回は特別、誰かが助けてくれたんだよきっと。今までこんな不思議なことはなかった、そうだろ? 今回のはラッキーだったのさ」


 少し涙ぐみながらこくりと頷いた羽留は、普段は見せない子供らしい顔をしていた。いつもは双子の前で頑張ってお兄ちゃんしていたんだな、と思うとその微笑ましさに自然と笑顔になる。


「大丈夫、羽留はおかしくなんてない。変なところなんて一つもないんだ」


 羽留の力は封印されている。その確信を元におれは羽留を励ますように言った。本当は何がどうなっているのか全く分からなかったから、後で葵に確認しなければと思っていたけれど、今は羽留の不安を取り除いてやりたかった。

 羽留はおれの胸の下辺りに顔を埋めていたが、ごしごしと目を擦ってからぱっと顔を上げた。見せてくれた顔には恥ずかしそうな笑顔が浮かんでいた。


「……ありがと、お父さん」


 そしてもぞもぞと体を動かしておれから離れ、何事もなかったかのような風を装って元気に言った。


「よーし、じゃあみんなを迎えに行こう! ほら、お父さん、早く!」


「はいはい」


 小学校四年生ともなると、父親とのふれあいも恥ずかしいものか、とおれは余計なことは何も言わずに車のキーを取りに行った。ただ背を向けた瞬間にあまりの可愛らしさに破顔してしまったのは仕方ないだろう。ばれないように気を付けないと怒られそうだ。


 双子が産まれてすぐに買った七人乗りのファミリーカーのエンジンを掛け、あの山に行きさえすればすべてが解決するとおれは思っていた。助手席に乗り込んでシートベルトを締めた羽留もほっとした笑顔を浮かべつつおれを急かす。

 しかし事態はただ双子と葵を迎えに行くだけでは終わらなかった。この双子の失踪はその先の運命へと流れ出す、きっかけに過ぎなかったのだ。



  *



 光の届かない、深い森の下生えをかき分けるようにして奈津と亜希は進んだ。濃い緑の葉っぱの間から少しだけ差し込んでくる明かりを頼りに転ばないよう慎重に。家からそう遠く離れていないはずなのに、こんな深い森があったなんて。そう不思議に思うほどに長いこと光る蝶を追いかけて歩いた後で、不意に目の前が開けて立ち尽くす。

 奈津と亜希にもっと知識があったなら、その光景を異様に思っただろう。

 ぽっかりと開けた青空の元、幹の直径が二、三メートルはありそうな巨木が中央にそびえ、その木には桃色の花が咲き誇っている。しかしよく見ると樹齢を想像できないほどに古く、一部は枯れ、とても花など咲かせられないようにも思える。

 巨木の周囲には燦々と届く日の光を浴びて草花が風に揺れているが、その花々が咲く季節はバラバラで、一度期に同じ場所でこんな風に咲いていることなど本来ありえないことだった。耳を澄ますと鳥や虫の声に混ざってチョロチョロと水の流れる音がどこかから聞こえてくる。小さな川が近くにあるようだ。

 まるで一瞬にして別の世界にやってきたかのような気分で周囲を見渡していると、道案内してくれていた蝶が木の幹の根元の辺りで水に溶けるように消えた。そして蝶が消えた代わりにあの、木の中に埋もれるようにして眠る人が現れたのだ。

 先ほどまでいなかったものが現れて驚いた亜希は、奈津の手を握り締めたまま一歩下がって奈津にしがみついた。


『やぁ、よく来てくれたね。ありがとう』


 透き通るように声が響いた。水の中を伝わる音のように、不思議な広がりを持って。その人は眠ったままだったから声は直接頭の中に聞こえていた。しかしその不思議に気づかないまま、奈津は口を開いた。


「あの……おれたちここまできたけど、なにをしたらいいの? あなたはだれなの?」


 歩いてくる間もきゅっと繋いで離さなかった手にさらに力を入れて、緊張したまま話しかけた。距離は依然として保たれたままだ。広場の入り口に、亜希を背中に庇うようにして立つ。


『きみはお兄ちゃんだね、双子の。ああ、よく似ている。でも力の種類は違うようだ……ちょうどいい』


 奈津の質問に答えずに、その人は独り言のように呟いた。そしてまたもや不思議なことに、その人の体から透き通った何かが出てきて、人の形をとった。夢の中で見たのと同じように。


『透けてはいるけど、この方が話しやすいだろうから。さぁ、そんなところにいないでこっちへおいで。まさかここにお客さんが来るなんて思ってもいなかったから、おもてなしの準備なんて何もできていないのだけどね。その辺の草は柔らかいから、そこに座るといいよ』


 透けた人は背景が見える手でおいでおいでをした。そのふわりとした笑い方がとても優しかったので、奈津と亜希は一度顔を見合わせた後で、ゆっくりと広場の中まで進み、言われた通り柔らかい草が密集した場所に腰を下ろした。

 座ったところでいまだ緊張を解ききれない亜希が、ずっと気にしてきたことを尋ねた。


「あの……あなたは、もうすぐきえちゃうの? どうして? どうしてアキのちからがひつようなの?」


 ふわふわと宙に浮いて、透けている姿は本で読んだ幽霊のようだと思ったけれど、亜希は怖いとは思わなかった。むしろ木の幹に埋もれた本物の体の方が、木と一体化しつつある様子の方が少し怖いと思えた。顔の頬の部分にまで、木の根のようなものが浸食している。思い切りひっぱっても剥がれそうにないほどめり込んだ半身が中でどうなっているのかを少し想像してより怖くなった。

 そして近くで見てようやく気付いたのだが、眠っている様子の人と、透けて話をしている人の顔は、似ているようで違っていた。眠っている人の髪の色は、何とも言い難い、不思議な色をしていた。緑と黄色と青と、いろいろな色が絶妙に混ざり合ったような。強いて言えば虹色、としか言えないような色。でも透けた人の髪色は、透けてはいるけれど青のように見える。髪もずっと短かった。


『あのね、話すととっても長い話になってしまってね。わたしはもう、本当に消えてしまいそうだから、君たちの質問は別のものに答えてもらうことにするよ。とりあえず君の……アキちゃんの力を貰えばわたしはもう少し存在できるけど、せっかくだから一度眠って力を蓄えようと思うから、話は“風”に聞いてほしい』


 そう言うが早いか、透けた人はふわりとこちらへやってきて、亜希の目の前に座った。驚く間もなく透けた指が亜希のおでこに触れる。

 さすがに警戒した奈津が声を上げようとした瞬間、すっと視線が奈津を捉え、にっこりと笑った。


『大丈夫、ほんのちょっと貰うだけさ。アキちゃんに影響はない。……君の力も、できれば“火”の子に分け与えてほしい』


 この人の話は本当に訳が分からない。言われた言葉の意味を考えているうちに、透けた人はふっと目を閉じ、同時に亜希の体から眩い光が生じた。亜希は目を閉じ、眠っているような顔で地面から浮いた。


「アキ……!」


 亜希の手から力が抜け、繋いでいた手が離れそうになったので、慌てて奈津はその手を引いた。恐怖は感じなかったけれど、未知の何かに亜希を連れて行かれそうな、そんな畏れを抱いた。

 亜希の体はしばらく光った後、元に戻り草の上に落ちた。でも浮いていたのは二十センチ程度だったので、怪我をすることもなかった。


「アキ、アキ。だいじょうぶか?」


 奈津は目を閉じたままの亜希を揺さぶった。だが亜希は眠っているのかどうか、呼んでも揺らしても反応しなかった。息をしていることが奈津を安心させたのだが、何がどうなったのか、奈津は不安のまま周囲を見回した。

 いつの間にか透けていた人もいなくなり、広場にはただ弱い風が吹くだけ。自分はもしかしたら大変な失敗をしたのかもしれないと、亜希を危険な目に合わせてしまったのかもしれないと目に涙が滲んできた頃、また人の声が聞こえた。


『ん~! よく寝た~! ……って何よ、水のったら説明お願いしますって言ったっきり引っ込んじゃって、あたしには訳が分からないっつーの』





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