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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
88/128

20 奈津と亜希の冒険①


 

 それはとある日の朝のことだった。


「ねぇお父さん、ナツとアキが見当たらないんだけど」


 眠そうな目をこすりながら羽留がおれのところに来てそう言った。夏の朝、まだ涼しい時間帯。

 九歳、小学校四年生になった羽留と、もうすぐ六歳になる奈津と亜希は三人で二階の子供部屋で寝起きしている。おれと葵は夫婦の寝室で寝ているので部屋は別々だ。子供たちがもっと小さかった頃は家族みんなで一階の和室で川の字になっていたのだが、小学校進学を控えた双子が子供部屋で寝たいと言い出してからは別にしている。

 羽留の声に目を開けたおれはベッドサイドの時計を見上げた。時刻はまだ五時。日は上りだしていて外は明るくなってきているが、まだ起きる時間ではない。


「え……? トイレとかじゃないのか?」


 ぼんやりとした思考で、とりあえずそう返した。しかしおれの考えることなど羽留だって考えられるので。


「もう見てきたよ。二階にも一階にもいないんだ」


 ……ぬう。トイレじゃない。じゃあどこに?


「ハル、玄関の靴はあったの?」


 隣で寝ていた葵も羽留の声に目を覚ましていたらしい。ふっと起き上がり、羽留にそう尋ねた。


「見てくる!」


 葵が言わんとしていることがすぐに分かったらしい羽留は、さっと身を翻して階段を駆け下りていった。おれも急に恐ろしい気分になり、慌ててベッドを下りる。


「まさか二人でどっか行っちゃったのかな」


「うーん、どうかしら……。まずは家の中にいるかどうかを確認しないと……」


 葵と話をしながらもおれは急いで服を着替えた。最近の双子の様子を振り返り、なんだか嫌な予感がしたのだ。

 最近の奈津と亜希はと言えば、もうすぐ小学校に上がるところでもう完全にぺらぺらとしゃべるし、早く走れるし、いろいろなものに興味を示すようになった。外に出かければ二人で手を繋いで駆け出してしまう。ただあまり遠くに行きそうなときに「遠くへ行っちゃダメだ」と言えば、大人しく従うのでそういうところの分別の良さは羽留とも似ている。でも。

 ……まさかいつものように二人で手を繋いでどっか行っちゃったんじゃないだろうな。


「お父さん! 二人の靴がないよ! それに玄関も開いてる!」


「うそだろ~! 分かった、今いくから!」


 羽留の声が今にも泣きそうだったので慌てて部屋を出ようとして、葵を振りかえった。葵も自分の箪笥に向かって着替えをしていた。


「葵、外に行っちゃったみたいだから、探しに行ってくるな。ハルもきっと行きたがるから連れて行くけど、葵は家で待っててくれ。ひょっこり帰ってくるかもしれないし。あと一応、実家に電話して親父たちに伝えておいてくれないか? このこと」


 葵はおれを見上げて真剣な顔で頷いた。


「分かった。気を付けてね」


「うん。よろしく頼むな」


 どたどたと階段を下りて玄関に向かった。予想通り羽留は靴を履いて出かける準備をしており、お前は家にいろと言ったら噛みついてきそうな顔でおれを待っていた。


「ハル、一応連れて行くけどおれから離れるなよ? お前まで迷子になられちゃ困る」


「僕もう四年生だよ? この辺だったら迷子にならないよ」


 靴を履きながら羽留と言い合う。まぁそれは分かっているんだけれど、心配事はこれ以上増やしたくないというものだ。


「でもダメだ。一緒に行こう。どうせ双子の足じゃそこまで遠くに行っていないはずだし、あいつらが行きたがる場所だってそう多くない」


「……わかったよ」


 庭を突っ切り門から通りに出る。まずは家から一番近くの公園だ。


「ハル、公園見に行くぞ」


「おっけー」


 こうして消えた双子の捜索が始まったのだ。



  *



「ねぇ、なっちゃん。やっぱりかえったほうがいいかな、とおくまできすぎちゃったみたい」


 家を出てからだいぶ歩いている気がする。太陽がのぼり明るくなって歩きやすくなったけれど、やっぱり戻った方がいいような気がして亜希は奈津の手を引いた。


「だってあそこまでいかなきゃダメだっていったのアキだろ? もうちょっとだから」


 後ろに引っ張られた手を引きかえして、奈津は亜希を振りかえった。亜希はすっかり疲れ切って泣きそうな顔になっている。


「なくなよ、アキ。おれだってつかれたし、のどかわいたんだから」


「だって……だって、ごめんねなっちゃん。あれはゆめだから、きにしないほうがよかったんだ、きっと」


 ひっく、としゃくりあげながら言った亜希をどうしたらいいかと思いながら、奈津は立ち止まり周囲を見渡した。もう少し進めば、目的の場所が見えてきそうだ。


「な、アキ。もうちょっといったらこうえんにつくから。そしたらきゅうけいしよう? だからもうちょっとがんばれ」


 握り締めた亜希の手をもう一度きゅっと握り直し、奈津は亜希の顔を覗き込んだ。うるうるとした大きな瞳は今にも零れ落ちそうな大粒の涙を浮かべていた。しかし亜希はこくんと頷いて奈津の言葉に従った。ペースは少し落ちたが、小さな足で歩みを進める。

 奈津は亜希に聞こえないようにほっと息を吐いてから、家を出てからの心細い道のりを思い出していた。




 まだ朝には少し早い午前四時くらいのことだった。奈津はゆらゆらと揺さぶられて目を覚ました。先ほどまで見ていたなんだか素敵な夢を邪魔されてイラつきながら目を開けると、そこには見慣れた妹の顔があった。


「なんだよアキ、いまいいゆめみてたのに」


「なっちゃん、おきて。いますぐいかなきゃ。いますぐいかないとあのひといなくなっちゃう」


「……え?」


 何の話かさっぱり飲み込めずに首を傾げると、亜希は泣きそうな顔で奈津に詰め寄ってきた。


「なっちゃんいますぐいこう、はやくきがえて、いかなきゃ!」


 そう言うが早いか、今度は奈津からぽいっと手を離し、亜希は自分のタンスへと向かった。

 なんだ、むゆうびょうか? と先日テレビで見た特殊な症状を思い出した奈津はベッドの上で頭を掻いた。しかし次の瞬間、ばさっと洋服が投げられてきて慌てて頭を振った。


「なんだよ!アキ!」


 奈津は近くで寝ている羽留を起こさないように小声で文句を言ったが、亜希は振り返って一言、


「はやくきがえて」


 ……なんだかおかあさんににてきた? なんて言葉が頭を過ぎったけれど、大人しく奈津は着替えを始めた。


 着替えが済むとすやすやと寝息を立てる兄を起こさないよう、そっと部屋を出た。そして音を立てないよう慎重に階段を下りて、誰もいない一階に来てやっと、奈津は事の異常さに気づいた。


「……なぁ、アキ? おれたちふたりだけででかけるのか? しかもまだこんなにくらいのに?」


 よく考えてみると、二人だけで外に出かけたことなどまだない。父か母、もしくは兄と一緒でなければ、近くにあるおじいちゃんおばあちゃんの家にさえも行かせてもらえないのだ。それなのに今、日も昇っていない早朝に二人だけで出かけようなんて。しかも一体どこに行こうと言うのか。


「あとでぜったいおこられるよ……。ほんとうにいくのか? アキ」


 すでに玄関に座り込んで靴を履き始めた亜希を見下ろし、奈津は言った。心の中は不安でいっぱいになってしまった。ここまでただ亜希の勢いに押されてきただけだったから。

 亜希は靴を履き、立ち上がって奈津の顔を見た。


「あのね、ゆめのなかでね、おとこのひととあったの。そのひとね、きえちゃいそうなんだって。もうながいあいだそこにいるんだけど、もうすぐきえちゃいそうなんだって。だからたすけにいくの、アキのちからわけてあげるの」


「うーん……?」


 全く訳の分からない話に、奈津は首を傾げた。しかしその様子が亜希の気に入らなかったのだろう、亜希はもどかしげに奈津の手を取り、玄関に座らせた。


「わたしのかんがえてること、わかる?」


 そういって亜希は奈津とおでこを合わせ、目を閉じた。いきなりの行動に多少驚いた奈津も、慌てて目を閉じて意識を集中させる。

 本当に小さかった頃は、こうしなくても亜希が何を考えているか手に取るようにわかった。亜希はなかなかしゃべらなくて、でも言いたいことを抱えていたから、奈津が代わりに口に出していた。しゃべるようになってからは亜希の想いはそんなに流れ込まなくなったけれど、手をつないだり、こうして額をくっつければ考えが画像となって自分の目に見えることがあるのだ。


「……なにこれ。……あ、ゆめ?」


 奈津の頭の中には今、ぼんやりとした映像が浮かんでいた。はっきりとしない色彩で霞がかったような絵。

 もっと集中しなきゃと思ったら不意に色が鮮やかになり、音も聞こえてきた。


 森の中のようだった。そびえ立つ木々を分け入っていくと、急に開けたところに出て、目の前には大きな大きな一本の木があった。 枝を広げたその木にはピンク色の花が咲き乱れていて、そこだけ別の世界のようだった。

 風にざわめく葉っぱの擦れる音や小鳥の鳴く声を耳に、その大きな木に近づいていくと、その根元に誰かが寄りかかって眠っているのが見えた。

 誰? と思った時、その人がはっと顔を上げ、こちらを見た。夢の中なのにはっきりと目が合って、少し怖い。一歩後ずさったらその人は不思議そうに首を傾げじっとこちらを伺っている。


『……見えているのかい? わたしが』


 何を聞かれているか分からずに黙っていると、その人は目を細めたり首をしきりに動かしたりしながらこちらを見て、そして笑った。


『ああ、夢の中なんだね、あなたは。ようこそ、可愛らしいお嬢さん。ここで誰かと会うなんて初めてだよ。結界が……どうやらだいぶ、力が衰えてしまったらしい』


 その人――男性なのか女性なのか分からないと思っていたが、どうやら男の人らしい――は嬉しそうに手招きをして、こっちにおいでと言った。その笑顔に吸い寄せられるようにゆっくりと近づいていくと、先ほどの質問の意味がようやく分かった。

 男の人の体は、半分透けていた。そしてその透けた体の向こうに、木の幹の中に埋もれるように眠っている人が見えた。眠っているだけなのか……死んでいるのかはわからないが。


『ごめんね、おどろかせてしまったね。この体は動かせなくて。たまたま精神体でいるときに会えてよかった。そうでなければ話もできない』


 おどけるように言って、男の人は木の根のところに座った。いや、最初から座っていたのだけれど、改めて腰を落ち着けた。


『さて……何かの啓示なのかな、こんな時にひとに会えたのは。わたしの力が消える寸前とは……』


 独り言のようにそう言った男の人は、不意に視線を上げて亜希をじっと見つめた。


『不思議なお嬢さんだね。人間だけど、ただの人間じゃない。……うん? 何かの力を持っているね。だからここまで来られたわけか……ふーん、おもしろいね』


 人間だけど、ただの人間じゃない。そう言われて亜希は首を傾げた。一体何の話をしているのだろうか。何かの力を持っているなんて、そんなことは知らない。なっちゃんなら知ってるかな、と双子の兄の姿を思い浮かべると、男の人は目を丸くして驚いた後、眉をしかめて難しい顔をした。


『君は双子で産まれたんだね? それにもう一人お兄さんもいる。……ああ、お父さんは普通の人間だ。でもお母さんは……なるほど、そうか。……ねぇ、無理なお願いだと分かっているんだけれど、その力、ちょっと分けてもらうことはできないかい?』


 力を分ける? 私に何の力があるの?

 口に出さずにそう考えただけで、男の人には伝わったらしい。先ほどからずっとそうだ。頭の中で考えたことがすべて、男の人に筒抜けになっている。でも不思議じゃない。だってここは夢の中なのだから。


『そう、とても強い力を持っているよ、君たち兄弟は。今は体の中にしまいこんで、普段は使えないようにしている。人間の世の中を生きていくには必要ないし、その方がいいんだろうね。逆に言うと、持っていても意味のない力とも言える……だから少しだけでいい、わたしに分けてほしい。わたしの存在はもうすぐこの体に完全に溶けて消えてしまうけど、それだけではこの体が存在していくことは難しい。長いことこうしていて限界なのは分かってるけど、もう少しだけ維持してあげたいんだ、彼のために』


 男の人が何を言っているのか亜希には全く分からなかった。ただ、今目の前にいる人はもうすぐ消えてしまいそうなのだ、ということだけ何となくわかった。


『……何を言っているか分からないと思うけど、ごめんね。詳しく話してあげられる時間はないんだ。大丈夫、わたしに力を分けてもほとんど影響はないはずだし、もしかしたら後で返せるかもしれない……とにかく、夢から覚めたら実体でここに来てほしいんだ。運のいいことに君の体はここから近くの家で眠りについているね。今道順を送るから、頭の中に。それを頼りにここまで来てくれないか? どうか、急いで』


 最後の方は声が掠れ気味になり、見えていた映像も不鮮明になって、途切れた。そして見たこともない場所の映像が早送りで再生するように頭の中を流れ、夢は終わった。

 亜希の夢をそのまま映画を見るように頭の中に描くことができる不思議な現象を説明する術を、奈津はもちろん持っていなかった。 けれども夢を見ているときの亜希の気持ちをダイレクトに受け取った奈津は、亜希がそこに行こうとすることに納得し、自分も一緒に行かなければいけないという気持ちになった。そして二人は家を飛び出したのだった。


 そうして日の明けきらない薄暗がりの中をふたり手を繋ぎ、頭の中を流れた映像を頼りに歩いたことのない道をひたすら歩いてきたのだが。

 最初は行かなきゃ、という思いが強かった亜希だったが、家から遠ざかるにつれて不安が増していった。見覚えのない家の角を曲がる度に帰りはどっちに行ったらいいのかとか、どのくらい離れてしまったのだろうかと、考えれば考えるほど今自分がしていることが愚かなことに思えて泣きそうになった。しかし立ち止まりそうになると奈津が亜希の手を握って励ましてくれた。知らない人とよくわからない目的の為に一緒に歩いてくれている奈津を本当に頼もしく思った。

 一歩一歩進み、奈津と亜希は大きな公園まで辿りついた。そこは全体で見れば山のふもとの一角で、遊具の置かれた公園を抜けてさらに進むと、奥の方は木が生い茂る森になっていた。その森の奥まで行かなければいけなかったが、疲れてしまった二人は公園の水飲み場で水を飲み、少しだけ休もうとベンチに座った。


「あとすこしだよ、アキ。あそこのきれめのところからはいろう、あとはもりのなかをすすむだけだ」


「うん、なっちゃんありがとう。アキひとりじゃここまでこられなかった」


 水を飲み、一息ついて少し余裕が出たらしい。亜希はにっこり笑顔で笑って頷いた。その笑顔を見て奈津もほっとして空を見上げた。

 いつの間にか日は昇り、生い茂った木々のどこにいるのか、鳥たちの声が盛んに聞こえてくる。キラキラと輝く太陽の光が葉っぱの緑に反射してまぶしい。

 ああ、今頃お父さんとお母さんと羽留兄ちゃんは起きてるかなぁ。おれたちがいないことに気づいたかな、怒ってるかな。

 不安が心を掠めたが、もうここまで来てしまった。夢の中で会った人に呼ばれたとかいう理由を信じてもらえないだろうなぁと思いながら、奈津は先に進むために立ち上がった。


「……なっちゃん、きこえる? よばれてるの」


 ベンチに座ったままの亜希が、森の奥の方をぼんやりと見つめてそう呟いた。奈津もそちらを見てみたが、特に声は聞こえない。


「なにもきこえないけど……なんだって?」


 なんだか亜希が遠くへ行ってしまいそうな気がして不安になり、急いでその手を握ると、亜希は目を閉じて立ち上がった。


「こっちだよ、おいでって。あんないするからめをあけて……って、え?」


 亜希はそう言って目を開けると、水でできたように透明な光輝く蝶が目の前をはためいているのが見えた。それは声の聞こえなかった奈津も同様で、突然現れた蝶に驚いていると、蝶はふわりと飛んで離れていってしまう。


「あれをおいかければいいってこと? いこう、アキ」


「う、うん」


 少し離れたところで自分たちを待っているかのように留まっていた蝶は、二人が歩き出したのを見てまたふわふわと舞い出した。右へ左へ上へ下へ、あっちこっちへ彷徨うように飛びながら、蝶は森の奥へと二人と誘導していく。

 この先に何があるのか全く分からないまま、それでも不安は感じずに奈津と亜希は静かな森の中へと入っていったのだった。





奈津と亜希の冒険は①~④まで続きます

どうも外れていっている気が否めませんが……よろしくお願いいたします<(_ _)>

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