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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
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4 呼びかけ


「あのな、びっくりしないでくれよ? その……もしかしたら葵が気持ち悪いのって、子供ができたからかもって……お袋が言ってる」


 栄の言葉が一瞬飲み込めなくて考えてしまった。子供ができたからかも? ……子供?


「こども……?」


こども、こどもって……子供、よね? ……私に子供が? 本当に?


「ああ、子供ができるとそうやってみんな気持ち悪くなる時があるんだって。お袋が後で本当にできてるかどうか検査する薬? を買ってくるから、今日調べられるよ」


 栄が私の頭を撫でながら何かを言っている。でも私はその言葉が耳に入ってこない位にびっくりして、何をどう考えたらいいかわからなくて、ぼんやりしてしまった。

 だって私に子供が? 確かにアーレリーはその可能性があることを話してくれたし、私の体の変化は自分自身でも把握している。それに栄だって、どうしたら子供ができるのかを教えてくれたし、夫婦としてそういう行為もあるのだけれど、それでも……。


 天使である私に、私のお腹の中に。本当に子供ができるなんて。


「葵……? 不安、か?」


 気づくと栄が私の手を握って、大きな体を折り曲げるように覗き込んできていた。優しい瞳には不安の色が込められていて、ああまた心配を掛けてしまったと慌てて首を振った。


「ううん、そうじゃなくて……驚いているだけ……。本当に、子供ができたんだなぁって。私にも……」


 声に出して言うと、なんだか本当になった気がして。まだ半信半疑ではあるけれど、驚きの次の感情が静かに湧き上がって。口元が自然と笑の形になって。


「……嬉しい。栄との子供ができて、私嬉しいよ」


 ああ、本当に。本当に子供ができているのなら。


「葵……」


 栄がほっと息を吐いて私の頭を抱き寄せてくれる。額をくっつけ合ったままお互い何も言わないけれど、何を思っているのかは多分、同じじゃないかって思える。


 ――神よ。どの神なのかはわからないけれど、私に子供をさずけてくれてありがとう。

 そして栄。私に……


「ありがとう、葵」


 栄がぽつりと呟いた言葉に思わず目を見開いた。

それは私の言いたい言葉だって、言わない代わりに両手を伸ばして栄に抱きついた。なんだか泣きそうな気がして声が出せない。それでも栄に想いを伝えたくて胸に頬をすり寄せてみると、栄はすぐに抱きしめ返してくれた。ぎゅっと力のこもった腕が与えてくれる安心感。きっと私の気持ちは栄に届いている。


 ……ありがとう、栄。私に家族を増やしてくれて。


 ぴたりとくっついた体温の温かさに心地よさを感じていたら、私はいつの間にか眠ってしまったようだった。




   *


 


 お腹の中に小さな命が芽生えたのだと、人に言われてもなかなか実感はわかなかったが、次第に大きくなってくるお腹が、本当にここに赤ちゃんがいるのだと私に教えてくれた。

 突然気分が悪くなったり、体に力が入らなかったり。子供ができるって大変なことなのね、と思いながらも日々は過ぎ、お腹はどんどん大きくなっていった。ここのところ、大きくなりすぎたお腹に潰されそうで仰向けでは寝られなくなり、上手い位置を探して横向きで寝ている。寝返りも打てないけど仕方がない。栄もお腹に気を遣って私の背中側に寝てくれて、背中から抱きしめて温かさを分けてくれる。

 大きすぎるお腹は確かに苦しいけれど、順調に育ってくれている赤ちゃんが私にこのうえない幸せを分け与えてくれるから、辛くなんてない。





『おかあさん』


 暗闇の中で小さな声が聞こえる。


 眠っているときだけ時々聞こえてくる小さな小さな声。それが誰のものなのか、私は知っている。


 最近、そうやって夢の中で呼ばれることが増えた。いつも「おかあさん」、としか言わないし、本当に小さな声だから空耳かもしれなくて、だから栄にもこのことは言わず、秘かな楽しみにしていたのだけれど。


『おかあさん、おかあさん』


 今日の赤ちゃんは一体どうしたのだろうか。なんだかしきりに話かけてくる。こうなってくると空耳として考えることもできず、とにかく返事を返す。


「なぁに? どうしたの?」


『おかあさん……ぼく、はやくうまれるよ』


 赤ちゃんは自分のことを僕と言った。え、男の子? と思ったのだが、それよりも早く生まれるとはどういうことだろうか。助産婦さんに聞いた話だと、赤ちゃんは十月十日お腹の中にいて生まれてくる。私は妊娠して七ヶ月に入ったところだ。今生まれてしまっては早すぎないか?


「ね、それってどういうこと? 今すぐに生まれたいの?」


 訳も分からず尋ねてみると、赤ちゃんはすぐに返事を返してくれた。


『いますぐじゃないよ。でもはやいよ。きっとおかあさんがおもっているよりもずっとはやくうまれるよ。はやくうまれたいんだ。ここはきゅうくつでじっとしてるのくるしい』


 ああ、それで毎日お腹を蹴ってくるのね。元気な赤ちゃんだなぁと笑いを零す。


『おかあさん、はやくうんでね、ぼくまってるからね』


 そんなこと言われても、と思いながら「はいはい、わかったわ」と返事を返すと、赤ちゃんは安心した様子ですっと気配を消していった。


   



「葵、葵?」


 ゆさゆさと体をゆすぶられて、はっと目を覚ました。視界に飛び込んできたのは心配そうに私をのぞき込む栄の顔。


「あ、栄……おはよう」


「え、ああ、おはよう……って、葵、大丈夫か? なんだか苦しそうな顔をしてたから起こしたんだけど」


 栄は私の額に手をやって、熱を確かめている。苦しそうだったなんて、そんなはずないのに。


「ううん、大丈夫よ。夢にね、赤ちゃんが出てきて話していたのよ」


「……は?」


 お腹に手をやって笑うと、栄は驚いた顔で私をじっと見た。


「おかあさん、おかあさんって呼ぶからね、返事をしたら話しかけてきたの。きっと男の子よ。自分のことを僕って言ってたから」


 栄は眉間にシワを寄せて私の話を聞いていたけれど、ひとつため息をつくと気の抜けたように笑って髪を撫でてくれた。


「お母さんが天使だからなぁ。息子もちょっと変わってても仕方ないか? そうか……男の子か」


「うん。早く生まれたいんだって。私が思うよりも早く生まれるよって言ってたわ。これって助産婦さんに言っておいたほうがいい?」


「いや……あ、でも……そうだな、一応早く生まれるかもしれないことだけ伝えておこうか。準備もあると思うし。でも、葵」


 栄はちょっと考えた後でそう言って、そして言葉を切った。私が首をかしげて栄を見上げると、なんだか心配そうな顔で私を見ていた。


「悪いことはないとは思うんだけど、さっき本当に苦しそうな顔してたから。気を付けてくれ。……それから人間は夢の中で赤ちゃんに話しかけられたりしないんだ。だからあんまり人に言わないほうがいい。わかった?」


「うん? わかったよ……?」


 栄の顔があまりに深刻だったのと、後半の内容は理解できたので頷いてはみたが、一体何に気を付けたらいいのかはわからなかった。今後赤ちゃんがまた私に話しかけてきても無視すればいいのかな、でもそれも嫌だな、なんて心配してもみたけれど、結局そのあと、赤ちゃんからの呼び掛けはなかった。


 あれは一体なんだったのだろうか、と思うほど、その後の赤ちゃんの成長は普通だった。だが、あと数週間で出産予定日だ、となった二月の始め、事は起こったのだ。



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