49 結婚式
……そしてドタバタしながら迎えた今日、結婚式当日。
夜も明け切らない前から起き出したおれ達は、さっさと朝食を済ませて準備に取り掛かった。式は昼から。招待客は気が早ければ十一時か十時には来てしまうだろう。
おれと親父は会場の設営のため、客間と続きの和室の襖を外していく。無駄に広いこの家は、襖を外せば更に広くなる。廊下に繋がる障子さえも取っ払えばもっと広くなるのだが、今回はそれはせずに軽く掃除機だけかける。実は数日前に設営の予行演習をしていたので、和室には長机や座布団などが山積みに準備され、もう並べるだけの状態になっていた。床の間だけは古式ゆかしき作法に則ってめでたい内容の掛け軸(残念ながら借り物)と縁起物を配したが、他はとくに飾り気の無い、ある意味いつも通りの内装のまま式場の準備は進む。
座布団を並べたところでお袋がおれを呼びに来た。そろそろおれも着替えた方がいいとのことで、自室に戻って一人で着替える。和室で行う式だし本来なら和装がいいのだろうが、葵の外国人の外見で白無垢も高島田も無いか、とドレス一本にしたため、おれもそれに合わせて洋装になった。しかし当たり前のごとく結婚式用のスーツなどは持っていなかったので、モーニングコートと呼ばれる、後ろの裾が長く作られた結婚式用の衣装を借りることになった。色は無難に濃いグレー。ネクタイは白。
着慣れない服に袖を通しつつ四苦八苦していると、ドアがノックされた。ひょいと顔を覗かせたのは、こんなときに頼りになる洋一だった。なまじ顔が整ってる分服装なんてどうでもいい気もするが、やつはかなりおしゃれで洋服に関してはおれの知り合い随一のセンスの持ち主だった。
今日も完璧にかっこいいスーツ姿で現れた王子もとい洋一は「栄がもたついてるだろうから様子見てきてって言われて来たんだけど……まぁ何とか着れてるみたいだね」と笑いながらおれのネクタイを直してくれた。
ついでに髪の毛のセットも洋一が成り行きでやってくれる。鏡越しに「そういえば洋二は?」と尋ねたら、洋一は苦笑しながら「……寝坊」とひと言。
昨夜はなにやら一人、『うう葵さーん、とうとう兄貴の嫁さんになっちゃうんですね~』とかなんとかのた打ち回っていたらしく、眠るのが遅かったらしい。「あいつなりに本気だったみたい」と兄の顔で苦笑する洋一に、おれはなんとも言えず笑って黙るしかなかった。
洋一の助けで何とか自分の見てくれを整えたおれは、階下に降りていく。
下は既に鬼気迫る戦場と化しており、その中心にいたお袋(いつの間にか黒い和装に割烹着姿だった)は「栄は玄関でお出迎え!」とくわっと言い置いて、忙しそうに台所で指示を出す。手伝いに来てくれたご近所さんたちはもうもうと湯気の立つ台所でせっせと料理を作っていく。……ここにいるのは危険だ、とおれと洋一は顔を見合わせて大人しく玄関に向かった。
玄関には黒の一張羅を着込んだ親父がいて、既に到着していた親戚のおじさんと談笑していた。『たぬきのおじさん』と昔から呼んでいる大柄な叔父はおれを見て「よう、おめでとう栄! 美人な嫁さん期待してるぞ!」と楽しそうに大きな腹を揺らした。タムさんとヨシさんも揃って到着し、「よーヒナ、めでたいなぁ! よかったなぁ!」なんて親父を突っつきながら、着慣れぬスーツに居心地悪そうに笑っていた。
本当は新郎が動くべきでもないのだろうけど、こじんまりとした集まりだし気にすることもないかと、続々と到着する招待客を席まで誘導し、少し会話を交わす。和室をふたつ続けただけの小さな会場は久しぶりに顔を合わせた親戚同士の和やかな会話の声で満ちる。
会う人会う人に茶化されながらのらりくらりと笑っていると、ふと場が緊張に満ちるのを感じた。なんだ、と思って玄関を見たら、純和風のこの家には少し不釣合いな二人組みが到着したところだった。
「アンナさん、おじいさん。よくいらっしゃいました」
既に挨拶を交わし、何度か顔を合わせている親父は、いくつかの不躾な視線を背ににこやかに出迎えた。
アンナさんは深い青のワンピースドレスで、おじいさんは黒のスーツ。二人とも華美ではない服装なのに、放たれる雰囲気はなんだか豪奢で、なんともない日本家屋の家に遠い異国から吹いてきた風がふわりと入ってきたような感じだった。おれのほうの親戚一同は明らかに日本人ではない顔の造りをした二人組みにざわめいた。
「お招きいただきありがとうございます。晴れて良かったですね」
こつりと杖を鳴らしながらおじいさんがにっこりそう言うと、『ああ、日本語話せるんだ』というあからさまな安堵の雰囲気が広がる。田舎丸出しだな、と苦笑しながらおれは、「こちらへ」と二人を誘導する。
誘導していく間にも集まった視線はアンナさん達二人を追う。仕方が無い、基本外国人を見慣れていない田舎のおじさんおばさんだ。別に悪意を感じるわけではなくただ興味深深、といった雰囲気だったし、おれはふたりに申し訳ないと思いつつも特に注意はしなかった。ごく落ち着いた様子で自分達とは向かいの新婦側の親族席に座る二人を見つめ、ぽかんとした叔父がおれに必死に視線を送ってきたが、おれは首を振って何も言わなかった。並んで正座したアンナさんとおじいさんは和室の中で確かに浮いてはいたが、葵の親族なのだ、誰にも文句は言わせない。
と、誰も口を割れない固まった場の空気を見事に変えたのは洋一と洋二の兄弟だった。
空気を読まない若者である洋二は、到着するや否やアンナさんを見つけ、「アンナさん、来てたんすね!」と素早く駆け寄った。そこに目を光らせて洋一が割り込み(勘のいい洋一は、雰囲気を和ますきっかけを探していたらしい)、「すみません、不肖の弟で」と和やかにアンナさんに話しかけた。
兄は弟を牽制しながら、弟は兄を押しのけようと、美女に話しかける姿は漫才を見るようで、列席の客人たちは笑いを堪えるのに必死でアンナさんたちが何者かなどということは頭から抜けたらしい。一気に元の雰囲気を取り戻した和室に、おれは洋一と洋二に感謝しつつほっと息を吐いて台所に向かった。
「お袋、そろそろみんな集まったみたい」
着物の上から割烹着を着こんで、火に掛かった鍋を覗き込んでいたお袋は、ぱっと顔を上げると、
「じゃあアルちゃんの様子見てきて? もう仕度は済んでるはずなんだけど」
と言いながら汗を拭い、またすぐに鍋に視線を戻した。葵は二階でドレスの着付けと化粧をしているはずだった。そこはお袋では手が回らないので、美容師さんに出張してもらっているのだ。
「はいよ」と返事をして二階に上がっていくと、丁度件の美容師さんが階段の上から顔を出した。
「あら栄くん、そろそろ時間じゃない? こっちは準備オッケーよ、我ながら上出来! もちろん素材がいいからだけど」
楽しそうに笑う美容師さんは御年七十の大ベテランだ。とても七十とは思えない言動の若さと足取りの軽さが人気で、経営している美容室はお袋も行きつけだ。普段は娘さんもお店に出ていて、今日は娘さんが来るのかと思っていたのだが、どっこい張り切って大御所自ら出張ってくれたのだという。曰く、「娘よりも私のほうがセンスが若い!」んだそうで。
背筋の伸びた若々しい背中に続いて何の気なしに部屋に入ると、そこには目も眩むような光景が広がっていた。
「栄くん、どこでこんな美人さん捕まえて来たの、本当に。こーんな花嫁さんは久しぶり、と言うより初めてかもしれないわ」
……すぐ隣から話しかけられている声もまともに耳に入ってこない。
おれの視界にはただ、純白のウエディングドレスを纏った葵がいるだけ。いつもの服からドレスに変わっただけだろう、と必死に冷静さを保とうとするおれがいる一方で、ありえないほどの美しさに息を呑み、ただ呆然と立ち尽くすおれのほうが勝っていた。
「……栄、どう、かな?」
じっと見つめられて恥ずかしげに俯いた葵はおれに尋ねてきた。……だからそういうときに上目遣いをされると、破壊力がありすぎて困るんだってば!!
「……綺麗だよ、本当に。似合ってる、葵」
気の利いた言葉なんてでてきやしない。目の前の葵は神々しいほどに美しい。
ドレスは家での式に合わせ、裾の広がりを押さえたシンプルなデザインだった。十月も終わりなので寒いといけないと、袖のついた形ではあるが胸元はすっと開き鎖骨が見えている。髪型はアップに纏められ、真っ白なベールに隠された顔には入念に化粧がされたのだろう、いつもの二割り増し目が大きく見える。赤い唇だってなんだか艶かしい。胸元に白く輝く真珠さえ霞むような美しさが全身から放たれて、気後れして近づけやしない。
「……本当に……綺麗だ、すごく……」
「栄も、すっごくかっこいいよ」
ぼんやりと立ち尽くすおれに葵が笑いながら言ってくれる。おれなんか借り物の衣装で、髪型は多少洋一が弄ってくれたからいい感じになってるかもしれないけど、でも葵の足元にも及ばないよ……! と内心で苦悶していると、さすがに葵も不審に思ったのか、「どうしたの?」と小鳥のように小首を傾げた。
「かっ、かわっ……!!」
……美しい上に可愛すぎるなんて、おれはどうしたらいい?
思わず口元を手で押さえ、じたばたするばかりで葵までの距離を縮められないおれに、大ベテランの美容師から発破がかかった。
「ほれ、栄くん、花嫁さんに見とれるのは程ほどにして、そろそろ時間じゃないかい?」
パン、と背中を叩かれハッとして、葵に近づいた。……この期に及んで情けなさ過ぎる。
しょげた顔で葵を見て、「じゃあ、行くよ」と言うと、葵は嬉しそうに笑って頷いた。葵の手を取り歩きながら、「アンナさんとおじいさんももう来てるよ」と、耳元で囁くとパッと華やぐような笑顔を見せてくれる。
――こんな綺麗なひとが、本当におれの嫁さんになるんだな……。
感慨深さもひとしおだった。そして自然とニヤついてしまう。葵の姿を見たみんなはどんな反応をしてくれるだろう。
例えばたぬきのおじさんとか。洋二とか、谷中先輩とか。ヨシさんとかタムさんとか。
*
……結論から言えば想像通り。
叔父もヨシさんもタムさんも、葵が部屋に入ってきたとたんに揃ってあんぐりと口を開け、目を見開いて固まってしまった。
清楚な花が咲くように、そこだけに光が当たっているのかと思えるほどに、葵が纏っている空気は他と違っていた。白いベールで隠れていても、隠し様の無い美しさが端々から零れ、男性だけではなく女性までも感嘆の吐息を漏らす。
谷中先輩はさすがと言うべきか葵がどれだけ美しい花嫁になるか予想通りだったのだろう、ぽかんと口を開けた人たちを見てこっそり笑い、おれに親指を立ててきた。洋一も余裕の顔で王子然と微笑んでいた。洋二は感極まって泣き出して、タムさんに無言で殴られていた。おれはその様子が人事のようにおかしくて、上座で笑いを堪えるのに必死だった。……ああ、みんな、予想通りの反応をありがとう。
媒酌人を務めてくれる例の大御所の掛け声で、小さな式は進行していく。
三々九度で杯を交わした後は皆で杯を掲げて乾杯し、式は終了。簡略ではあったけれども一通りの手順を踏み、みんなの了承を得たということで式は成功のうちに終わった。
小さな、こじんまりとした結婚式ではあったけれど、確かにお袋の言ったとおり、葵のドレス姿を見られただけでもやった甲斐があったというものだ。皆に一気にお披露目できたのもいい。おれは隣に座る清楚な花嫁にちらりと視線を遣り、皆に気づかれないようにほっと息を吐いた。
だがほっとしたのも束の間、そのままの流れで場は宴会に突入していく。堅苦しい式の雰囲気から解放され、料理や酒が運ばれてくるどさくさのなかで、好奇心を押さえきれなくなった叔父がおれの横までやってきて耳打ちをする。
「……おい、栄。お前の嫁さん……名前日本人だけどよぅ、が、外国の人か?」
まだ少ししか飲んでいないはずなのに顔を赤くした叔父は、おれの隣にちらちらと視線を走らせながら言う。やはり口火を切るのはこの人か、と親族の方へ目をやれば、みんな興味津々でおれ達を見ていた。苦笑いのまま落ち着かせるように叔父に言う。
「おじさん……ちょっと落ち着いて。えっと、葵はハーフなんだ。国籍は日本人だよ」
書類上の事実だけを伝える。本当は全部嘘なのだけれど。
「え、あ、そうなのか。いや、ホント……美人でびっくりしたよ、おいちゃん。……と、若く見えるけどおいくつだい?」
葵が自分を見ているのに気づいたのだろう、叔父は果敢にも葵に話しかけた。
「二十三です」
葵も示し合わせた通り書類上の事実を伝え、にっこりと微笑んだ。とにかくにっこりしていれば大丈夫、とお袋に言われていたのを忠実に守って笑顔を崩さないだけなのだが。
葵に微笑まれた叔父は、顔を更に赤くしてたじろぎ、「そ、そうですか……」とか言いながらふらふらと席に戻った。戻ると奥さんに背中を叩かれていた。鼻の下が伸びていたのだ、仕方ない。
「……葵、大丈夫か?」
こっそりと葵を見て尋ねると、葵は姿勢を崩さずに顔を少し傾げて頷いた。
「……うん、大丈夫だよ」
後はとにかく飲んで騒ぐ宴会になるだろう。招待客には中年男性が多いので(親父の仕事仲間の関係だ)、数時間後には飲んだくれがゴロゴロ転がってお開きだ。適当に食べ物を摘まみながらニコニコしているのがおれ達の仕事になる。
座っているのが疲れるが、おれ達の為に集まってくれたお客様なので、ちゃんと接待しなければ。
「おーい、栄! 独り占めしないでちゃんと花嫁さん紹介してくれ!」
上がった声はヨシさんのものだった。いつの間に干したのだろう、ビール瓶が早々に転がっている。
「そうだそうだー! そんな美人どこで捕まえてきたんだー?」
酒が入って緊張感も抜けたらしい。もはや無礼講で、やんややんや騒がしくなる出席者たち。さてどう答えたものか、と苦笑していると、涼しげな声がおれの代わりに答えてくれた。
「栄はね、ナンパしたんですよ。ホントラッキーな男ですよね」
しれっと言った洋一はぐいっとビールを飲み干して笑う。王子スマイルは向かいのおばさん達を魅了し、さらにおっさん達までもが黙る。おいおい天然タラシよ、おっさんまで誑すな。
「ああ、ならそれっておれのお陰かもなー。ナンパの技術はおれ直伝だもんな、栄!」
洋一の言葉に乗っかったのは谷中先輩だった。場を盛り上げるのが上手い人だから、冗談っぽく流そうとしている洋一に合わせてくれたのだろう。事情は詳しく話していないから何も知らないはずなのだが、女好きの先輩は基本的に葵の見方だ。おれは苦笑しつつ曖昧に首を傾げる。実際ナンパで捕まえた訳ではないので、先輩の技術にはお世話になっていないが一応先輩のことを立てておかねばなるまい。
「えっ、その技術おれに教えてくださいっす! おれも彼女欲しい~うう」
と、箸を握り締めたまま洋二が先輩の言葉にしがみついた。感情の篭った『彼女欲しい』宣言に、会場は一気に笑いに包まれた。……洋二よ、お前こういう場で道化にぴったりだな、可愛いやつめ。よしよし。
心の中で洋二の頭を撫で、盛り上がったその場のノリに乗じておれは口を開く。
「え~、ここにいる世界一綺麗なおれの嫁さんはー」
途端、おっさんたちから「いいぞー」「おーやれやれー」と声が上がる。おれはこほんと咳払いをひとつして場を収める。
「葵は、おれに降って来た天使みたいな人です」
『みたいな』と濁してしまえば酒に酔った人たちは不思議にも思わない台詞だろう。うんうん、と頷いている叔父を横目に話を続ける。
「おれにはもったいないくらい、美人で、素直で優しくて、これ以上ないくらい理想的な嫁さんで。本当にこんなおれでいいのかなって思い続けてきたけどもう、それは言いっこなしってなったから」
おれは頭を掻きつつ苦笑いでみんなを見渡す。こちらを見てくる表情は様々だったけど、温かい目で見守ってくれていた。
「ここから先は、葵と幸せに暮らしていけるように頑張っていきます。まだまだ未熟なおれたちなので何かとお世話になるとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」
……後ろ向きな考えはどうしようもなくついてきたけど、それでもそれを乗り越えてたどり着いた今だから。
ここから先は、幸せになることだけ考えよう。二人一緒にいられることを願おう。
湧き上がってくる力強く大きな、輝くような決意を胸に、おれは深く頭を下げた。
パチパチと大きな拍手に包まれて感謝の気持ちで顔を上げると、隣の葵も一緒に頭を下げてくれていたらしく、顔を上げるときににっこり笑ってくれた。……ああ、もう本当に、出来た嫁さんだなぁ。
そのまま葵に見惚れてぼんやりしていると、不意に肩を叩かれて振り向いた。
「見惚れすぎだぞ、栄。……ほら、そろそろ頃合だろ?」
小声で話しかけてくれたのは洋一だった。そういえば洋一に頼んでいたことがあったんだ。葵が綺麗すぎてうっかりしてしまうところだった。
「……あ、ああ。ありがとう」
しょうがないな、という顔の洋一に手渡された大きな花束。会場の酔っ払いたちも花束の存在に気づき、談笑の声が静まっていく。
「……葵」
「はい」
ふたり一緒に立ち上がり、花束を両手で捧げ持ちアンナさんとおじいさんのところへ向かった。終始穏やかな様子で料理を口にし、時折ビールを飲んでアンナさんと会話をしていたおじいさんが、目をぱちくりさせておれを見上げた。
立ち上がろうとするおじいさんをそっと手で制し、おれたちはおじいさんとアンナさんの目の前、丁度真ん中に膝をつく。
「おじいさん、アンナさん。突然なんですが、これを」
そして持ってきた大きな花束を差し出す。少しざわつくみんなの視線を背中で感じつつ、花束を差し出したままおれはおじいさんを見つめた。大きな花束を見下ろし、おれの顔をもう一度見たおじいさんは、おれの想いを感じ取ってくれたらしい。大きく息を吐き、笑顔で手を伸ばしてくれた。
「……ああ、ありがとう。これから、よろしく頼むよ栄くん」
……最大級の敬意と共に、感謝の気持ちを。そしてこれからも、どうか葵の“家族”であって欲しいという願いを込めて。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
おじいさんの笑顔につられ、おれも笑顔になる。隣にいる葵も嬉しそうに笑っている。おじいさんは花束をアンナさんに渡した。渡されたアンナさんは一瞬、戸惑いの表情を見せたがやはり笑顔になって受け取ってくれた。
酒に酔った会場の面々が拍手をしてくれた。事情を知っている洋一が率先してくれてのことだったが、新郎から新婦の親族への花束贈呈としてはいい場面には違いない。皆笑顔で温かい拍手を送ってくれた。
「さて、後は……親父、お袋。ちょっといいか?」
拍手がまばらになってきた頃を見計らって、おれは辺りを見回した。親父とお袋は縁側の方から花束贈呈を見守っており、お袋は持っていたハンカチで目頭を押さえていた。なんで泣いているんだろうと思ったが、おれは葵の手を引いて立ち上がり、ふたりのいるほうへ向かう。
「洋一」
「はいよ」
控えていた洋一がすかさずもうひとつ用意していた大きな花束を背後から取り出して、そしてそれを葵に手渡してくれる。重い花束を受け取った葵は、ドレスの裾に歩きずらそうにしながらも転ぶことなく、親父お袋の前に立った。
「……あら、まぁ」
何が起きるか察したお袋が、ハンカチを口に当てて潤んだ目を更に潤ませた。親父はしきりに瞬きを繰り返しておれの顔を見てくる。そんなに動揺してくれるなんて用意した甲斐があったな、なんてちょっと恥ずかしく思いながらも、おれはふたりに向かって口を開いた。
「……今までお世話になった親父とお袋に、感謝の気持ちを込めて。それから、これからは葵ともどもよろしく、ということで、さ……」
上手く纏まらない口上にもどかしくも頭を掻く。本当はもっと恰好つけて言う予定で台詞も考えていたのだけれど、二人身を寄せ合ってもじもじしている両親を前にこっちまでむず痒くなってしまっていつも通りの口調になってしまった。
「あ、ああ……」
親父が赤い顔をしてようやく口を開いてもごもご呟くと、葵が花束を差し出しながら一歩前に出た。
「お父さん、お母さん。いろいろ分からないことも多いしご迷惑をおかけするかと思います。でもどうかよろしくお願いいたします」
丁度親父とお袋の真ん中に差し出された花束に、ふたりは顔を見合わせて笑い、ふたり同時に手を伸ばした。
「……アルちゃん、ありがとう。こちらこそよろしくね」
「ダメな息子だがよろしく頼む、葵さん」
花束ががさりと大きな音を立てたのに紛れ、ふたりは葵に囁いた。そして二人の手に収まった花束を見下ろし、嬉しそうに笑ってくれた。
そしてまた沸き起こる大きな拍手。皆が笑顔と拍手でおれ達を祝福してくれていた。ほっと息を吐くと、隣に佇む葵と目が合う。葵はおれを見上げてにっこりと笑ってくれる。式のアレコレとか、しきたりとか分からないことずくめで、きっと戸惑うことも多かっただろう。それでも葵は大きな拍手の中でおれに笑いかけてくれる。純白のドレスを纏ったこの上なく美しい姿で、おれの隣に立っている。
「葵……ありがとう」
急に言いたくなって、葵の耳元に顔を寄せて囁いた。葵はくすぐったそうに肩を竦め、おれの目を見つめてくる。
「ふふ、私も。……ありがとう、栄」
見つめ合って、なんだかほんわりと温かいものに包まれているような気持ちになった。
その顔を見ながらおれは、結婚式をやってよかったなぁと、改めて思った。奔走してくれたお袋に感謝だ。
「おーい、あんま見せ付けんなよー栄ぇ!」
「そうだー! こっちには可哀想な独身がいるんだぞー!」
そのまま二人見つめあっていたのだが、大声で野次が飛んできてはっとする。慌てて葵から少し離れると、会場は一斉に笑いに包まれた。
「おいおい、嫁さんがいくら綺麗だからって見つめすぎだぞー」
「栄ちゃん、今はまだお嫁さん一人占めにしちゃダメよー!」
やんややんや盛り上がっている酔っ払いたちの声を聞きながら頭を掻く。そうだ、まだ宴会は続いてたんだっけ。つい綺麗な葵に見惚れてしまったと苦笑しつつ、席に戻る。もちろん、葵の手を引いて。
ちょっとがたがたしてますがもう少し続きます!




