45 初デート
大変間が開いてしまったので、プチあらすじです。お待ちくださったみなさま、本当にありがとうございます。
葵に出て行かれてしまった栄は、葵の滞在するアンナの家に出向くも連れ戻すことに失敗、葵から拒絶されてしまう。しぶとく毎日通い続けるも葵には会えない日々が続く。
一週間ほど経った頃、業を煮やしたアンナさんの策略にはまり、葵は「栄を連れて行かないで」と自分の気持ちを口にする。ようやく思いが通じあった二人は……。
「あれ、栄、車がないよ?」
門を開けて道路へ出たところで葵が振り返った。いつもの軽トラで来たのだと思っていたのだろう、あるべきものがないのできょとんと首をかしげている。
「ああ、今日は親父の車で来たから。……ほら、作業場の隅っこの駐車場に停まってたろ? この白い車」
親父のカローラを手で示すと、葵は記憶を探るように反対側へ首を傾げた。……ああ、可愛いな。
「あ、そういえばあったかも! 置物かと思ってた!」
「ぷっ! 置物って……!」
ああもう、なにもかもが可愛らしくて仕方がない。おれは身悶えそうになるのを必死に堪えて助手席のドアの鍵を開けた。葵の背中に手をやって、乗るように促す。つい、とかすかに触れた指先が震えるように熱い。
「ちゃんと走る車だから、さあ乗って」
葵はこくりと頷いて車に乗り込んだ。おれはドアを閉めてから運転席に回りこむ。座席に滑り込み、シートベルトをつけてキーを回す。エンジンが回る音と共に高まっていく鼓動。
……とうとう、葵をうちに連れて帰れるんだ。
馬鹿みたいだけれど夢に見るほど焦がれた瞬間。感慨深さを飲み込み、ぐっとハンドルを握りアクセルを踏んだ。
「……あ、荷物、置いてきちゃった」
葵がアンナさんの家を見ながら慌てたように言う。おれはサイドミラーで後ろを確認しつつ大きく右にハンドルを切る。Uターンだ。
「ああ荷物なら後で持ってきてくれるってアンナさんが……。そうだ、せっかくだから家に帰る前に寄り道するか」
日はまだまだ高い一時過ぎ。親父もお袋もはらはら待っているかもしれないが後で電話を入れたらいいし、葵だって逃げたりしない。アンナさんに言われた通り、どこかへ葵と出掛けたい。
「それって……デート?」
「はは、そうだな。……デートだ」
なんだか初めてのデートな気がしてきた。初めてふたりで出掛けたスーパーでも、公園でも、川原でもなく、本当の意味でのデート。好きな人と出かける、そういう意味で。
車はとりあえず家の方向へ向かっていく。ぐんぐん降りていく下り坂で、葵は外を見もせずにじっとおれのことを見つめてくる。そちらを見るわけにも行かず前を見たまま、視線を左頬に受け止めてしばらく、ようやく信号に行き当たって車は停まった。
「……葵? どうした?」
あんまり見られていると気になるんだけどなぁと心の中で付け足しながら尋ねると、葵ははっとして顔を背けた。
……なんだ、その反応。……いや、もしかして。
「無意識、だったとか?」
無意識のうちにおれを見つめていたんじゃ、なんてひどい妄想もいいところだが、おれがそう呟いた瞬間に葵の顔が真っ赤になって逆におれがたじろいだ。
……うわ、本当に?
「……恥ずかしすぎる」
「……嬉しすぎる」
ふたりの声がぴたりと重なって、一瞬の沈黙の後に笑い声がはじけた。
「はははっ……葵、可愛すぎ!」
「ちょっ、さかえ、笑わないでぇっ! ……もうっ!」
ひとしきり笑いあった後でふと前を見ると、信号はすでに青に変わっていた。瞬間、ビービー、と鳴り響くクラクション。
驚いて慌ててアクセルを踏みながらバックミラーを覗くと、後ろの人がすごい形相でこちらを睨んでいるのが見えた。
「うわ、ごめんなさい」
聞こえないのはわかっていながら一応謝る。そしてスピードを上げた。ある程度車間距離が開いたところで葵の様子を窺えば、彼女も申し訳なさそうにシートの上で縮こまっていた。
「気にすることないよ、葵。大丈夫だから」
よくあることだ、と何でもないように言うと、葵は息を吐いてふにゃりと笑った。
元はといえばおれがちゃんと前を見ていなかったのが悪いので、葵が気に病むことなどひとつもないのだ。だが浮かれすぎて事故など起こしては大変と、おれは気合を入れなおして前を見据えた。
「……栄、あのね」
車窓から流れ去っていく町並みを見つめながら不意に葵が呟いた。
「うん? どうした」
「……アーレリーがね、言っていたの」
言いにくそうにぽつぽつと言葉を紡ぐ葵をおれは根気強く待つ。あの家にいた一週間、アンナさんともいろいろなやり取りがあったことだろう。
「栄のことを、好きなのは私ひとりじゃない、って。……これって、アーレリーも栄のことが好きって意味だよね」
「え……」
しょぼくれた様子で視線を足元に落とした葵を横目に、おれは別の意味でその言葉に驚いていた。
おれのことを好きなのは葵ひとりじゃない。アーレリー、も、おれのことが好き。
……つまり葵はおれのことが好きだと言ってるのと同じじゃないか? ……同じだよな。
「こほんっ、うーん……アンナさんのがそういったのは葵を挑発するためだよ、本気じゃないさ」
でれでれしそうになる顔を必死で固めて何気ない風に言う。……いかん、油断するとにやにやしてしまう。
「だって……アーレリーは天使だもん、嘘つかないよ……」
葵はまだ不安そうにおれを見てくる。……でもその上目遣いはやめてくれ、運転に支障が出る。
「嘘、じゃないなら冗談だな。……それにアンナさんがもしもおれのことが好きだったとしても、おれが好きなのは……葵、だし」
――ああ恥ずかしい! 照れる!!
『好きだ』の一言がこれほどまでに口に出しづらいことなど少し前のおれは知らなかった。でも口に出したら自分の心すらほっこりと温かくなる、魔法のようなひと言であると今のおれは知っている。とてつもなく恥ずかしいけれども。
むずがゆさにもぞもぞしながらも、おれは葵の反応を窺う。ちらっと見てみたら葵は葵でおれの言葉に顔を赤くして、それでも嬉しそうに笑ってくれた。
「……うん、わかった」
アンナさんがたとえおれのことが好きでも、おれの気持ちが葵に向いていることを理解してくれたらしい。葵はほっと息を吐いて、ぽすんと後ろに体重をかけた。
ちょこんとシートに座る姿がなんとも愛らしい。今日の葵の服装はピンク色のシャツとベージュのスカートだった。多分お袋と買いに行った新しい洋服なのだろう、見たことはない。でも葵は何を着ても似合う。惚れた欲目だとは思うが、葵ならたとえサルのきぐるみを着ていたとしてもおれは絶賛する。きっと可愛い。
叫びだしたくなるほど溢れる気持ちをアクセルに込め、車はどんどんスピードを増す。一応法廷速度には気をつけてはいるが、本当はばーんとぶっ飛ばしたい気持ちだ。
「なぁ、葵……?」
「うん? なぁに?」
さっきとは逆に、おれから話しかける。
「あの、その……。あー……、どこへ行きたい?」
……おれのことが、好きか?
本当はそう聞いてみたい。もうほとんど、葵の答えは知っているも同じだが、それでもちゃんとした言葉で、聞いてみたい。
――確信が、ほしい。
「うーん、よくわからないから……栄に任せるよ」
「そうか……うーんじゃあどこに行こうかなぁ……」
おれの意気地なし!! 心の中で盛大に喚きながらも、決定的な問いを投げられない。
いや、どこか雰囲気のいいところで、ちゃんと話をするのがいいかもしれない。車の中じゃなくて、綺麗な景色が見られる場所とか。
「……あ、あそこへ行こう」
不意に思いついた。今行くのにぴったりな場所。
「うん? あそこって、どこ?」
葵がこちらへ顔を向け、瞬きと共に首をかしげた。おれはその顔をちらっと見て、にやりと笑う。……ああ、なんだか楽しくなってきた。
「うーん、着いてからのお楽しみってことにする。あと十五分くらいだから、すぐだよ」
葵が気づいたかはわからないが、既に家は通り越してしまっている。国道を南の方向へ、まっすぐ。きっと葵が喜ぶだろう場所が、そこにある。
「えー、いじわる? もう」
葵はぷくっと頬を膨らませてシートに深く沈みこんだ。小さな身体を余計に縮こまらせて不満を露にする。
「ははっ。いじわるじゃないけどさ、言っちゃったら楽しみが半減するから。もうちょっと待ってて」
目的地が決まれば車の速度は更に上がる。軽トラよりも加速がスムーズで音も静かなカローラは、おれたちを乗せて進んでいく。
……あの場所で、ちゃんと聞くんだ。葵の気持ちを。
*
「さ、着いたぞ」
駐車場に乗り入れて車を停めた。まだこの段階ではここがどこだか葵にはわからないだろう。わからせないようにわざと逆に向けて車を停めたのだ。
おれはシートベルトをさっさと外し、車から降りた。葵がもたついているのを横目に助手席まで回りこむと、ようやくドアを開けた葵の目の前に立って視界を遮る。
「栄、そこにいたら何も見えないよ」
「……いいから、もうちょっと見えないようにおれに着いてきて」
ここまで来たら葵には、もっとすごい感動を味わってほしかった。普通に見るよりもきっと驚くだろう彼女の表情を思い浮かべて、おれは葵の手を取る。
相変わらず口を尖らせたままの葵は、不満そうな表情を浮かべつつも黙っておれに従ってくれる。右手を右手で、左手を左手で握られた葵は、おれの背中にぴったりとくっつく形で視界は遮られて何も見えない。それに歩きにくそうに額をおれの背中にぶつけてくる。
「さかえ~歩きにくいよ」
「はは、もうちょっとだから、がんばれ」
おれの出る足に合わせて右、左、と必死についてくる様子が可愛くて仕方がない。周りからは変なカップルと思われるだろうが、そんな視線は全く気にならなかった。
実際、周囲は多くの人で賑わっていた。家族連れに恋人同士とおぼしき男女。子供達の集団におばさんたちの集団。歩いて行ったら広場にテントを出して様々な屋台が並んでいた。集客に声を出す無骨なおじさん達。もうちょっと時間が経ったらここで何か食べるのもいいなぁなんて思いながら、屋台のエリアを通り過ぎる。
「さかえ~まだ?」
歩きにくい葵は、痺れを切らして後ろでぼやく。葵から見えないのをいいことに、おれはにやついた顔をそのまま晒す。
……可愛すぎる。
ぎゅっと握った手は力を込めすぎないように気をつけてはいるが、絶対に離したりはしない。「あと少しだよ」と声を掛け、一歩一歩進んでいった。
……もう少し、もう少しだ。葵はきっと喜ぶだろう。なにしろ葵が一番好きな花なんだから。
「……よし、この辺でいいかな」
周囲をよく見渡せる少し高くなったところまで来て、おれは足を止めた。後ろで葵がおれの背中にぶつかって止まる。ごつん、と当たったのは多分鼻の頭だ。
「葵、大丈夫か?」
「う、うん。……もういいの? 手、離して」
後ろを気にして声を掛けたが、葵はもうどうにも我慢の限界らしく、もぞもぞと手を動かしている。ここまでついてきてくれたのがむしろ偉い。おれは笑いを堪えながら手の力を抜いていく。
「よし、いくぞ。……三、二、一……はいっ」
掛け声とともにおれはさっと横に退いた。
いきなり広くなった視界に、葵の目が大きく見開かれる。そして口もあんぐりと大きくなっていって、呼吸と共に吐き出される感嘆の声。
「……う……わぁ……。ひまわりだぁ……」
眼前に広がる視界一面のひまわりの花。
大輪の黄色の花たちが東へ向かって顔を揃え風に揺れている。緑の大きな葉が風に擦れ、わき起こる大きなざわめき。ざ、ざ、ざ、ざぁっ、と吹き抜けてきた一陣の風が、葵の髪を巻き上げていった。
およそ十万本が咲くのだという隣町の巨大なひまわり畑。
ここに葵を連れてきたかったのだ、ひまわりの時期が終わる前に。
声もなく驚きの表情のままで魅入っている葵に、そんなに驚いてくれるとは、とおれのほうが感動してしまう。しばらくその横顔を眺めていたが、そのまま立っているだけではつまらないので再び葵の手を取った。
「葵、中に入ってみようか。迷路があるんだってここ」
「迷路?」
「そう、ひまわりで迷路を作ってあるんだって」
これを教えてくれたのは洋一だった。ひまわり畑があることは洋二に聞いて知っていたのだが、ここに葵を連れて行ったらいいと助言し、いろいろ教えてくれたのはさすが花屋と言うべきか洋一のほうだった。
十万本咲き誇るひまわりの一部が、その丈の高さを生かして迷路になっているのだという。ひまわりは成長して二メートル近くの高さになる。大人でも先が見通せないほどの緑の壁と、各所にある行き止まりという遊び心満載の迷路で一度入ったら三十分は出てこられないと洋一は言っていた。
そうしてやってきた『ひまわり大迷路』。何の捻りもなく名づけられた看板の下にぽっかりと開いた一本の通路。背伸びをしてみてみれば何人かの頭が動いているようだがそんなに人は多くないらしい。
「……栄、入るの? ここに?」
「そうだよ。大丈夫、出口はあるから」
なんとなく不安そうな顔をした葵に安心させるように笑いかけ、おれは傍らの机の上に置いてあった迷路マップを手に取る。親切なマップによると出口はちょうど反対側だった。上から見た状態で書かれたこの地図の道順を目で追えば、行き止まりがあるとはいえ道はほぼ一本だった。なんだ三十分も掛からないよ、と洋一の顔を思い浮かべてふっと笑った。
「行こうか」
おれは葵の手を握り直して緑の道に足を踏み入れた。




