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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第一章
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31 勘違いと事実



 公園のベンチは意外にも寝心地がよく、おれは深い眠りに入っていた。どのくらい眠っていたのか分からないけれど、夢も見ずに熟睡していた気がする。

 おれは目を閉じたままで大きく息を吸って吐いた。溜まっていた疲れがどこかへ溶けて流れていったような爽快感。……いや、柔らかくもないごつごつした木のベンチが寝心地いいなんてありえないから、それほど疲れていたんだなぁ、なんてうとうと考えていたら。


「……まじっすか、やったぁ!!!」


 なにやら聞き覚えのある声が遠くのほうから聞こえてきて、目を開けた。木々に遮られた日の光が、風の加減で顔に掛かって眩しい。両手で顔を擦りながら体を起こし、ぼんやりした思考のまま葵とアンナさんがいるはずのベンチを見遣った。

 ……はて、何故ふたりともあっちの方をみているのだろうかと、背中を向けた二人を見ていたら、おれの視界にこの場にいないはずの男の姿が映った。


「……は、男?」


 寝起きの頭をぶるぶると振って無理矢理覚醒し、おれは慌ててふたりがいる場所へ近づく。ふたりと話をしていた男は飛ぶように(本当にウサギのように跳ねてスキップをしながら)車に戻り、すぐに白いバンが発車していった。

 

 業務用の小さめの白いバンの車体に書かれた『さいとう はなや』の文字。


「今のって洋二か?」


 ほとんど確信を持って口にする。『斉藤花屋』は洋二の実家だ。

 次男坊である洋二は、長男が継ぐという花屋を離れ、親父の工務店に弟子入りしてきた。だが休みの日は家業を手伝っているという話も聞いた事がある。洋二の兄貴である洋一(よういち)(わかりやすいのがいい)はおれと同い年の二十三歳で同級生の幼馴染というやつだ。洋一は昔から賢く切れ者で、単純で乗せられやすい弟を使うのがとても上手かった。

 バンの走っていった方向から察するに、すぐそこの図書館の切花を斉藤花屋で扱っているのだろうと思った。……それはいいとしても。


 ―何故、このふたりは洋二と仲良く話していたのだろうか。


「栄! 起きたの?」 


 おれの声に反応し、葵がすぐに振り向いた。ぱっと華やぐような笑顔が、清水のように心に染みる。……ああ、寝起きの目には眩しすぎる笑顔だな。


「うん、ようじさんだよ、栄の弟さん、なんだよね?」


 とてもうきうきと楽しそうなのがよく分かる。今にも跳ねだすのではないかというように足を動かし、体全体で喜びを表現する葵はとても愛らしかったがが、何でそんなに嬉しそうなんだ。そして、……なんだって? 洋二がおれの弟?


「は? 違うぞ?」


「え」


「え?」


 思わずすぐに否定したら、驚きの声がふたつ返ってきた。しかし発せられた声は同じようでも、表情は二者それぞれだ。葵はよく分からずぽかんとした様子で、アンナさんは訝しげに眉を寄せている。

 一瞬固まった空気から察するに、どうも葵は洋二のことをおれの弟だと考え、それをアンナさんに伝えたらしい。一体どうやったらそういう発想になるのだ。おれは思わず額に手を当ててため息をついた。


「だ、だってようじさん、栄のことあにきって呼んでた! 『あにき』って兄弟の上の人のことでしょう?」


 慌てて言い繕う葵の様子が可愛くて、おれは噴出しそうになるのを口元を手で押さえることで隠す。ふむ、そういう勘違いか。


「や、確かにあいつはおれのこと兄貴って呼ぶけど、それは昔からの付き合いで。小さい頃からよく面倒みてたし、今は職場の先輩後輩だから、兄貴って呼んでくれるんだよ。別に本当の兄弟じゃないし、もし兄弟なら一緒に家に住んでるだろう?」


「え、あ、そ……そっか」


 おれが説明すると、自分が勘違いをしていたことに気づいた葵は、顔を真っ赤にして俯いた。『兄貴』という呼び名ひとつで兄弟だと思い込んでしまうなんて何て可愛らしい間違い方だろう。同じ家に住んでいるのに一度も見かけたことのない弟が存在するはずもないし、ましてやおれが一人っ子であるという話も前にしていたと思うのに。

 茹蛸のように耳まで真っ赤になった葵をできるだけ笑わないように必死に堪えていると、隣から大きなため息が聞こえた。


「はぁ。……でも兄弟じゃないにしても知り合いなのよね? おかしな人物ではないのでしょう、彼は」


「ん? ああ、そうだな。幼馴染と言ってもいいな。で、洋二と何の話をしていたんだ?」


 そうだ、そもそもそれが知りたかった。洋二がおそらく実家の手伝いでここを通りかかり、ふたりに声を掛けたのだろうことは分かる。あいつは美人に飢えていたし。


「……デートに誘われたのよ。そしてこの子が受けてしまった」


「……は?」


 ため息とともに吐き出された言葉に一瞬耳を疑って思わず聞き返していた。……え、ちょっと待って、今なんて言った?


「か、勘違いしちゃって、ようじさん、栄の弟だって。それで安心しちゃって。あの、えいが行くって、面白そうだったから……」


 未だ赤い顔をした葵が、こちらを窺うように上目遣いで小さく言った。……いや、勘違いは分かったけど、待て待て!


「デ、デート? 葵が? 洋二と?」


 確認するように葵とアンナさんの顔を交互に見る。アンナさんは頭が痛そうな顔をして呆れ顔で頷き、葵は瞬きを繰り返しておれを見つめている。首を傾げているところから察するに、おれがこうも慌てる理由がわかっていないのかもしれない。


「……知らないわよ、この子。デートってどんなものか。聞かずに返事しちゃったから」


 アンナさんがやはりおれの心を読んだように付け足してくれた。……ああ、そうなんだ、そうだよな。

 半ば予測できていた通りの言葉を聞いて肩をがっくりと落としたおれを、葵は不思議そうに見つめ、アンナさんに尋ねた。


「え、何、なんなの? 私、えいがって楽しそうだなぁって思っただけなんだけど……栄も一緒に行くよね? アーレリーも!」


「は?」


「え?」


 またも静まりかえった三人の間の空気は、今度は固まったのではなくて、なにやらいろんな感情が混ざり合ったような珍妙な感じだった。

 爆弾を落とした葵自身は、おれとアンナさんがぽかんとしている理由が分からず、おれたちの顔を見比べてしばらくした後「ん?」と首を傾げた。


「……そういうつもりだったのね。まぁ仕方ないといえばそうだけど」


「……ああ、まさかここまでとは思わなかったけど……完全純正培養の箱入りお嬢様だと思えばこんな感じかな……」


 揃って遠い目をしているだろうおれとアンナさんは、お互い通じ合っている部分で意見交換をした。なんというか……なんと言ったらいいのか分からない。

 洋二には可哀想だが、葵にはナンパされているつもりも、デートに誘われたつもりもなかったらしい。デートの意味するところを知らなかったのは仕方のないことだが、もちろん洋二からすればふたりっきりで誘ったつもりであるのに、葵の中ではおれもアンナさんも一緒に四人で映画に行くことになっている。当たり前のように。


「ねぇ、ふたりとも一体何の話をしているの? えいが、行くよね?」


 ふたりだけの間で分かったような顔をしているのが気にいらないらしく、痺れを切らした葵が口を尖らせて尋ねてきた。……うーん、不機嫌な様子でさえも可愛いと思ってしまうおれは末期だな。


「……私は行かないわよ、興味ないし」


 アンナさんがそっけなくそういった。肩をすくめ、『これ以上付き合ってられないわ』といった雰囲気だ。


「えー! 何で! 行こうよ!!」


 葵がアンナさんに掴みかかるようにしてねだっているのを横目に、おれはひとり何の意味もない言葉を呟いて考えた。


「おれは……」


 おれは、こういうときどうするべきなんだろうか。


 もちろんおれの意思としては、葵に洋二とふたりっきりのデートなんて許す気にもなれないから断固反対だ。けれどもふっと、ウサギのように飛び跳ねスキップしながら去っていった洋二の後姿が浮かび、戸惑う。

 もしおれが映画にくっついていったらあいつはどう思うかな。『兄貴の彼女さんだったっすか! すみませんっ!』と言うだろうな。で、おれは曖昧に笑って誤魔化すかもしれない。彼女だ、とはっきり言わずに葵の肩を抱き寄せてそれらしくするのかな。葵は不思議そうな顔をするだろう。そして『彼女って何?』と……


「うわ……情けな……」


 自分の想像に大きな打撃を受け、しょげる。


 ―ああ、そうなんだよ。葵はおれの『彼女』じゃない。


「栄? どうしたの? ね、栄は一緒に行くよね? えいが、面白いってようじさん言ってたし! 一時にここで待ち合わせしたの!」


 首を落としたおれを覗き込むように葵も体を曲げてきた。顔が陰になって暗いのに、彼女の瞳は好奇心と喜びに輝いている。その期待に満ちた瞳を見ていたら、何だかすっと頭が冷えた。


「……いや、おれも、行かない。葵と、洋二で行ったらいいよ」


「え……栄、行かないの?」


 おれの返事がよっぽど意外だったのか、葵は元々大きな目を更に大きくしておれを見た。

 葵の後ろでアンナさんも驚きの表情をしているのが視界に入った。彼女が何を言いたいのか分かる。……おれにだって何言ってるのかわからないよ。ただ、分かるのは。


 葵は、おれの『彼女』じゃない。


 おれの一方的な独占欲とわがままで、彼女を縛り付けることなんて許されないだろう。


「ああ。……あのな、葵。デートって一対一でするものなんだぞ? 葵は洋二に誘われてOKしたんだから、行ってやらないと」

 

「……でも……」


 おれが行かないと分かって、急に不安げな顔でもじもじし始めた葵の頭を撫でてやる。おれがいないと不安だということだろうか。少しは頼られているのだなと思って、溜飲が下がる。


「見たいんだろ? 映画。行ってきたらいい。帰りは迎えにくるからさ」


 本当は心配だから、尾行してでもふたりの様子を見ていたいほどだ。万が一洋二が葵に手など出さないか見張りたい。でも。

……『ようじさん』と彼女がほかの男の名を呼ぶのも正直言って聞きたくないおれに、彼女と男が一緒にいるところなんて見ていられるはずもない。


 さわり心地のいい、ふわふわとした葵の茶色い髪をひとしきり撫でた後、葵に気づかれないようにこっそりと息を吐いて努めて明るく言った。


「さて、そろそろお昼だな。近くで昼飯食べて……待ち合わせは一時って言ったか? それに間に合わせないと。アンナさんも一緒に食べるだろう? 何が食べたい?」


 ……わざとらしかっただろうか。葵の顔も、アンナさんの顔も見れないまま、踵を返した。

 レストランを探す素振りをして道化に徹しなければ、自分が折れてしまいそうな情けない気持ちで心が一杯だった。



じりじーり更新していきたいと思います。お付き合いください!

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