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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第一章
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ちょっと横道⑤-2 栄の弟?




 ベンチに座った私たちの後ろにいつの間にか立っていた男の人は、ぎらぎらした目を大きく開け、苦しそうに胸に手を当てて呼吸をしながらまた声を掛けてきた。


「あ、あのー、怪しい人じゃないっす、おれ! そのー、えっと」


 男の人はなんと言ったらいいか考えている様子だったけれど、怪しくないと言いつつも怪しさ満点の興奮状態で、訳もわからず私はアーレリーの腕にしがみつき、後ろに隠れてしまった。


「……何か?」


 盾にしてしまったというのにアーレリーは私の手をそっと撫で、その男の人に向き直ってくれた。触れた手は優しかったけれど、男の人に対する声はとてもとても冷ややかで、凍りつきそうなくらい低かった。

 アーレリーの陰に隠れてこっそり窺ったら、男の人は一瞬たじろいだが、すぐに立ち直って拳を握って口を開いた。……私に向かって。


「えっと、突然すみませんっす! あの……あなたはこの間、日向工務店の作業場にいた、妖精さんじゃないっすか!?」


 勢いのいい大きな声に、私は驚いて完全にアーレリーの後ろの隠れてしまった。

 ……なになに何なの? この人! ……でも、あれ? 日向工務店の作業場? あの時、栄にお弁当を持っていって話をしたとき、そういえばなんだか変な人が……。

 私はこっそりとアーレリーの背中から顔を出して男の人の様子を窺った。彼は相変わらず目を大きく開けしきりに瞬きをしてこちらを見つめている。私だけじゃなくて多分むっすりした顔をしているだろうアーレリーにも視線をやっては、鼻息荒くうんうん頷いている。相当暑いのか、額には大粒の汗がたくさん浮いて、でもそれを拭う余裕もないように見える。

 ……怖い。でもああ、よく見たら、あの時会ったあの人だ。栄が背中にかばってくれたとき、この人のことをなんと呼んでいたっけ。


「あ……、ようじ、さん?」


「えっ!!! おれの名前、知ってるっすか!? さすが作業場の妖精さんっす!! すごいっす!」


 栄が呼んでいた彼の名前を思い出して呟くと、ものすごい反応が返ってきてまた驚いた。なんだろう、この人、勢いがすごい。

 再びアーレリーの背中に隠れてしまったら、アーレリーが首を後ろにひねって小声で聞いてきた。


「……アル、何なのこの男。まさか知り合い?」


「えっと、栄の……たぶん弟、さん? 『あにき』って呼んでたから、栄のこと」


 “家族”に憧れていたから、兄弟の上を『兄』と呼び、下を『弟』と呼ぶことを私は知っている。女性になると『姉妹』になることも。作業場で会ったときのことを思い出すに、彼は栄に『ようじ』と呼ばれ、彼は栄を『あにき』と呼んでいた。

 眉をぎゅっと寄せたアーレリーは不機嫌極まりない顔をしていたけれど、栄の弟らしいと分かると大きくため息をついて肩を落とした。迷惑そうな様子は変わらなかったけれど。


「よ、妖精さんの名前は何て言うっすか? あ、えっと、こちらの美人さんも! お姉さんっすか? 良かったら教えてくださいっす!」


 私たちが小声で話をしていたら、彼はいつの間にか手にしたタオルで汗を拭ったようで、すっきりした顔で更に目をキラキラさせて尋ねてきた。呼吸もさっきより落ち着いて、不審な感じはなくなった。……うん、栄の弟さんなら別にいいよね? 私とアーレリーは視線で確認し合って小さく頷いた。


「葵、です」


「……アンナよ」


 名前を告げると彼はぶつぶつと口の中で私たちの名前を呟いているようだ。両手を握り締め、ふるふると震えながらものすごい緊張した様子で目を閉じている。何をしているのだろう、と思ってみていたら、不意にかっと目を見開いて口を開けた。


「あああ葵さん、そしてアンナさん!! よ、よ、よかったら、この後おれとデートに……!!!」


「イヤよ」


 搾り出されたような彼の大きな声を遮るように、一刀両断ですっぱり断ったのはアーレリーだ。本当に嫌そうな顔をして、軽蔑するような目つきで彼…ようじさんのことを見ている。私は、といえばようじさんの言う『デート』がよく分からず、首を傾げた。


「……デート?」


 それってなんだろう、と思いながらようじさんを見上げてみると、彼はアーレリーに断られて倒れそうなほど落ち込んでいたのも束の間、私の疑問の声が聞こえたのかまたさっと目の輝きを取り戻して身を乗り出した。


「葵さんっ、え、映画とか、どうっすか? 最近公開になった話題作、いい話だって評判いいんで……!」


「えいが」


 彼の言う『えいが』がまた分からず、反対側に首をひねると、アーレリーが見かねたように私に耳打ちしてきた。


「映画っていうのは、役者が演じる物語が大きな画面に映し出されるのを見るの。要はテレビでやってるドラマの大きい版みたいなこと」


「へぇ、テレビの……」


 テレビのドラマなら知っている。昼間お母さんと一緒にあの四角い箱に映し出される映像をよく見ているからだ。お母さんはお昼のすぐ後にやっているドラマは『愛憎劇は嫌いなのよ』と言ってみないけれど、夕方にやっている“さいほうそう”のドラマは好きで、夕飯の仕度をしながら見ているのだ。お母さんは“水戸黄門”を見ては『この定番の台詞がいいのよ!』といつも笑いながら楽しそうに見ている。


「だけど、アル。デートっていうのは……」


「面白そう! 行ってみたい!」


 アーレリーが何かを言いかけたけれど、私の耳には届いていなかった。あのテレビでやっているドラマが大きな画面で見られるなんて! どんな場所なのかも興味がある。面白そうだ。

 そうようじさんに向けて言ったら、彼は本当に飛び上がって喜んだ。


「まじっすか! やったぁ!!!」


 もう先ほどまでの怖い感じもしない。栄の弟なのだし、変な人じゃない。両手を空に突き上げて喜びを表現している、その無邪気な喜び方に私もなんだか一緒に嬉しくなって、にこにこと彼の様子を見ていた。するとアーレリーが焦った様子で私の腕を引き、顔を寄せてきた。


「っ、ちょっとアル! あなたデートってどういうものか分かって……」


「えっと、じゃあ葵さんっ! おれ仕事を先に済ませてくるんで、悪いんすけど午後からでもいいっすか? 一時にここで待ち合わせって事で」


「え? 何、アーレリー。 え! ああ、はい。……??」


 アーレリーが小声で何かを囁いてくるも、ようじさんの声に押されて聞こえなかった。そして彼が言っていることの半分も分からないまま、こくりと頷いてしまう。待ち合わせって?


「じゃあよろしくっす! ひゃあ~デートだぁ~!!!」


 ぴょんぴょんと跳ねながら彼は去っていった。近くに白い車が停めてあって、なにやら文字が書いてある。『やなは うといさ』……??? 車に乗り込んだ彼は私がそちらを見ているのに気づくと、嬉しそうに大きく手を振ってきた。ぼんやりしたまま小さく手を振り返すと、彼は更に大きく手を振った後で車を発進させていった。……あの字、読むの間違えたかしら。意味が分からない。


「……今のって洋二か?」


 後ろから聞きなれた低い落ち着いた声が聞こえて振り返った。声ですぐに分かる。栄だ。


「栄! 起きたの? うん、ようじさんだよ、栄の弟さん、なんだよね?」


 栄の声を聞いて顔をみたら、なんだか嬉しくなって私もさっきのようじさんのようにぴょんぴょん跳ねたくなった。嬉しい気持ちのままようじさんのことを尋ねたら、栄はきょとんとした顔をして言った。


「は? 違うぞ?」


「え」


「え?」


 その一瞬、空気が固まったように感じた。


 私はアーレリーと顔を見合わせ、そして栄を見上げた。彼は走り去っていく白い車を渋い顔をして見送った後、私の顔を一瞬だけちらっと見て、額に手を当てて大きくため息をついた。……え、ようじさんって栄の弟じゃ、ないの?



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