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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第一章
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ちょっと横道⑤-1 再会

お待たせして申し訳ありません!お話のつながりが??になってしまった方は、一つ前のお話から読み返していただくことを推奨します。申し訳ありません!

「彼も律儀なひとね。気にすることなんてないのに」


 二人並んでベンチに腰掛けると、アーレリーがクスクス笑いながら言った。私は何を言っているのか分からなくて首をかしげた。


「彼、って栄のこと?」


「そうよ。私たちに気を遣ってああやって離れてくれたのよ。でももし彼に聞かれたくない話があるなら、聞かれない方法なんていくつもあるから気にする必要なんてなかったのにね」


 その言葉に栄を見遣ると、彼はゆっくりと歩いていって遠くの木の陰にあるベンチに腰を下ろしたところだった。私の視線に気づいたのか、彼はひらひらと手を振って笑った。その様子がアーレリーの言う通り、私たちに気を遣っているのだと分かったので私も笑顔を返した。栄は本当に、気遣いができる人だ。


「さて、と。一応周りには分からないように日本語じゃないほうがいいのかしらね。アル。……覚えてるわね?」


「うん、もちろん」


 「覚えているわね?」と言ったアーレリーの言葉は、私たちが天界で使っていた言語で発せられたものだった。けれども別に違和感はない。耳から入ってくる音の響きは違っているが、アーレリーに合わせてその言葉を話すのだと思えば、自然に口から零れるし、思考だって簡単にその言葉で組み立てられる。

 久しぶりに天界の言葉を話したら、なんだか急に懐かしい気持ちになった。緑と光に溢れた地上の公園が、慣れ親しんだ精霊の森の中のような、そんな気がしてきた。


「……アーレリー最近会わないなぁ、と思っていたの。まさか地上にいたなんて」


 さわさわと揺れる木々に踊らされるように、落ちてきた日の光も揺れる。ふっと顔に掛かった強い日差しが眩しくて目を閉じた。……天界にはこんな場所はなかった。目を閉じたくなるほどの強い日差しも、木々の下に落ちる濃い影も。


「ふふ、あなたくらいでしょう、私が居なくなったことに気づくのは」


 アーレリーが笑いながら髪をかきあげたのが分かった。するりと肩を掠めた滑らかな感触と、鼻に届いた優しい香り。栄に教えられて使っているシャンプーと似たような、何かの花の香りがした。


「……ん、そうだね。きっと、そうだったろうね」


 私は顔を下に向けたまま、そっと目を開けた。お母さんにもらった水色のワンピースの裾が太陽の強い光を反射し、刺さるような眩しさに顔を背けた。なんとなく足をぶらつかせ、買ってもらったばかりの新しい靴を見遣る。

 先日お母さんと商店街の靴屋に出かけて買ってもらった茶色い靴は、布製でさらっとしていて履き心地がいい。じゃっじゃっと地面を蹴るのは白い靴底を汚してしまうだけだとわかっていたけれど、動かしていないとなんだか落ち着かなかった。


 感情のない天使たち。神に仕えるためだけに生み出された人形のような存在。だれか一人が居なくなっても仕事をしてくれる代わりの誰かがいればいい。長い長い年月の間、ぽつりと穴があいてはそれを埋める誰かがやってきて、またつつがなく流れていく日常。……誰も気づかない。気にしない。誰がいなくなろうと、新しく現れようと。

 だからアーレリーがいなくなったのに気づいたのは私だけだったと思う。そんなにしょっちゅう会えるわけじゃなかったから、最近は仕事が忙しいのかなぁと思っていた程度だったけど、それでも何かあったんだろうかと心配していた。次に会えたらきっと、どうしていたのかを問い詰めないと、と思っていたのに。


「ホントに、びっくりしたよ。まさか地上で会えるなんて。だって私、ずっと……」


「……寂しかった?」


 アーレリーの言葉にハッと顔を上げると、彼女は複雑そうな顔をして笑っていた。ああ、と思った。アーレリーはいつの間に、こんなに笑うようになったのか、と。


「そうやって口を尖らせる癖は変わってないのね。不満があるといつもそうしてたから、アルは。ふふ。本当にしょうがない子ね」


 聞き分けのない子供をあやすように、アーレリーは私の頭に手を伸ばし、そっと髪を撫でてくれた。……アーレリーだって変わってない。困ったときは昔から、こうやって私の髪を撫でてくれる。

 前はもっと感情の起伏に乏しかったから、言葉に詰まれば首を傾げて不思議そうな顔で私の頭を撫でてくれた。私ほどは感情を持っていないアーレリーは私の話を聞いてくれたけれども、完全に理解してくれることも稀だったから。


「だってアーレリーがいなくなって、私の話を聞いてくれるひともいなかったし、私をアルって呼んでくれるひともいなくなった」


 髪を撫でられる感触になんだか複雑な気持ちになった。昔はただそうされるだけで嬉しかったのに、今はなんだか自分がものすごく子供みたいで少し恥ずかしい。それでも撫でてくれるアーレリーに嫌とも言えず、もじもじと地面を蹴った。


「そうね、愛称なんて使わなかったものね、天界では」


 撫でていた手を下ろして、アーレリーは遠くの方へ視線を投げた。まっすぐ前を見つめている彼女の視線を追うと、そこにはこちらから見ると木の後ろ側にあるベンチでいつの間にか横になった栄がいた。

 仰向けになって寝ている栄は、あの様子からすると本当に寝入ってしまっているようだ。あんなところで寝てしまうなんて、栄は疲れているのかな、と思ったけれども、思考は次のアーレリーの言葉に持っていかれて消えた。



「……なぜ、落ちてきたの、ここへ」


 アーレリーの言葉の一拍後、強い風がざぁっと吹いて盛大に木々を揺らした。落ちてきた緑の葉がくるくると風に煽られて視界を横切る。

 緑色の小さな葉っぱが次々に、踊るように目の前を落ちていく。


「……わからないよ」


 小さく呟いたら風が止んだ。わーわーと騒ぐ子供たちの声が後ろの方から聞こえたけれど、私たちの周りに流れる空気は静かだった。

 しばらくの間、私たちは黙ったまま、ぼんやりと風景を眺めていた。私は何を考えたらいいかも分からないまま、ベンチに寝そべる栄の姿をただ見つめていた。


……なぜ、なんて。私にだって分からない。


「……あなたがこの世界に現れたとき、すぐにわかった。誰か、何か強い力を持ったものが現れたって。ちょうど仕事が終わって帰るところだったからすぐにその方角へ向かったの」


 アーレリーは不意に語りだした。まっすぐ投げられた視線の先には栄がいて、アーレリーの前髪が風に揺れて群青の光を放つのを私はぼんやりと見ていた。


「川原にね、彼がいたわ。私より先にあなたを見つけていたの」


 そういいながらアーレリーはゆっくりと私のほうを向いた。髪と同じ色をした濃い色の瞳。唯一私とおしゃべりをしてくれた存在の見慣れた瞳が、今何か不思議な力と意志を湛えてこちらへ向いている。アーレリーが何を言いたいのか分からずに私もじっとその瞳を見つめ返した。


「……何故……。……いえ、何かが、動いているわ。何らかの思惑が。あなたが地上に来たことも、彼があなたを見つけたことも、おそらく。そうでなければ恐ろしいほどに都合のいい展開ばかりになることの説明が逆につかない」


「……アーレリー、何を言っているのかわからないわ」


 真剣な色を灯した瞳にどきりとするも、私にはアーレリーの話が読めない。私が来たことで何かが起こっているというのだろうか、そしてそれを彼女が知っているというのだろうか。

 私が尋ねるとアーレリーはふっと瞳を逸らして小さく息を吐いた。呆れた、というよりはなんだか疲れた様子だ。


「あなたが地上に来たということは、“扉”が開いた、ということでしょう? あなただって知ってるはずよ、あの扉が滅多なことでは開かないことくらい。ならなぜあなたはここに? 開くことのない扉が“偶然”に開いてここへ? ……ありえないでしょう」


「う……ん、そう、だよね。考えてみると変だよね。私もずっと地上に来たいと思ってたけど、でもそれは絶対叶わない夢だと分かってたから……。……うん、変だね、考えてもみなかったけど」


 アーレリーに言われて改めて考えて見たら確かにおかしい。考え込む私の横で、アーレリーは今度は大げさなため息をついた。どうやら私が今までこのことについて考えなかったことに呆れているらしい。

 アーレリーは優雅に足を組んで、高くなった膝の上に肘をついて手の甲に顎を乗せた。天界にいるときには足なんて組んだりしなかったのに。そうやってわざとらしく漆黒の瞳を細めてため息をつく様子が、なんだかひどく人間っぽい仕草だなぁと思って笑ってしまった。


「……なによ。まったく、アルったら相変わらず考えなしなんだから。ちょっとは自分の置かれた状況を考えなさいよ、いつも言っていたでしょう?」


 私が笑ったのが気に触ったらしく、アーレリーはむすっとした顔になって言った。そう、昔から彼女には注意されていた。私が話に夢中になっていると、『そういえば仕事は終わったの? 終わっていないなら先に済ませなさい。だからあなたはいつも神に目を付けられて自分の首を絞めることになるのだから』と、説教されたものだ。

 『状況をよく見なさい』はアーレリーの常套句で、私は時々その言葉を思い出しては仕事を遂行させることができたのだが、今になって考えてみると、その言葉は彼女自身に問い続けていた言葉なのかもしれない。アーレリーも感情を持った異端だったから。


「ねぇ、アーレリーはどうして地上へ? 私がここにいるのも異常だけど、アーレリーだって……何かあったんでしょう?」


 ふと思いついた疑問を口にしたら、アーレリーは苦い顔をしてむっすりと黙り込んだ。一気に凶悪な雰囲気になった目つきに思わず瞬きをたくさんする。……アーレリー、こんな顔もするようになったのね。


「私は上司に飛ばされたのよ。『地上の詳しい事情を調査する』って名目で。……ほら、あの神。あなたも知っているでしょう? あの目つきの悪い眼鏡の」


「ああ、あの……。うん、雰囲気悪い神ね。アーレリーの直属、だったっけ。私もよく睨まれてたけど……」


「私の場合は正規の手順を踏んだはずよ。だってあの気難しい神だもの、規則を守ることが絶対だと思っているような神だったし、神の意思で天使を地上へ飛ばすならば、きっと可能なはず。……何をどうしたのかは詳しくは知らないけれどね。気がついたら街の中に立っていたし」


 アーレリーは自嘲するように笑った。その時のことを思い出しているのだろう、辛そうに眉が寄った。


「……アーレリー……」


「もしかしたら、と思うのよ。まさか私がここにいることも予定のうちなのかしら、って」


 器用に頬杖をついたまま、アーレリーは地面を見つめて言った。私は何も言えず彼女の言葉を待った。


「私が先に地上へ行き、地上のあれこれを知る。そのうちあなたが来たときに便宜を図れるように……」


「…………まさか」


 低く抑えた声で呟くように吐き出された言葉を私は否定するしかできなかった。……まさか、そんなことが。


「……ないとは言い切れないわね、残念ながら」


 アーレリーは大きく息を吐き、組んでいた足を解いた。私は何かを言うことも、体を動かすこともできずにただ彼女を見つめていた。


 もし、もしも本当にそうだとしたら。彼女の、私の。私たちの、意志、は。一体なんだというのだろうか。

 

 しばらくの間思考に飲まれ固まっていたらしい。いつのまにか私の顔をアーレリーが心配そうに覗き込んでいた。


「アルシェネ、アル。……考えたところでどうしようもないのよ。抗いようがないのだから。神の手によって作り出された、私たちには」


 それは突き放したような響きではなくて、どこか諦めにも似た、それでも納得した上での言葉だった。その声を聞きながらアーレリーの瞳を見つめれば、彼女の相変わらず冷静でブレのない黒い輝きの中に、ひどく歪んだ泣きそうな顔をした私が映りこんでいた。


「アーレリー……、私」


「何らかの神の思惑がある。それは確かでしょう」


 私の言葉を遮るようにアーレリーは口を開いた。ひとつひとつの言葉をかみ締めるように、はっきりと言った。


「……きっと何かある。でもそれが何かわかりようがないし、考えたって仕方がないならもうここで存在していくしかないのよ。この人間の世界に、いずれ起こる何かの為に私たちはここに遣わされた。……私はそう考えているの」


 アーレリーはそういって空に視線を投げた。私も同じように空を見上げたら、太陽がほぼ空の真上に来て燦燦と光を放っていた。木々の緑の葉の間から覗く水色の空は、澄んだ湖の底のように青かった。それは天界のベールのかかったような濁った空とは違ってとても綺麗で、見慣れない色にドキドキしたけれど、だけどどこか同じに見えた。抱かれている、そういう気がするような、広い広い空。


「……地上(ここ)で、生きていく、のね。……いつかの、何かの為に」


 ぽつりと呟くと、アーレリーが隣で頷く気配がした。もう私よりもずっと前にここに来ていた彼女はきっと、ずっと前に同じ事を考えて覚悟したのだと思う。……アーレリーがいてくれてよかった。そう思うのも悪い気がするけど、それが正直な気持ちだった。彼女がいなければきっと、私は自分の身に何が起きたのかも、何故ここに落ちたのかも考えずに過ごしただろう。神の思惑など知らず、地上に来る夢が叶ったことだけに浮かれていただろう。

 そうだ、私も“天使”なんだ。ほかの天使たちとは違って感情を持つからあまり天使らしくはなかったけれど、神の手の上で踊らされる人型のひとつなんだ。だからきっといつか、私がここに来た意味が分かるときが来るだろう。それがいつになるかも全く分からないけれど……。


「それで? これからのことは彼に聞いているの?」


「え、これからのこと?」


 思いに耽っていると、アーレリーが軽い調子で尋ねてきた。先ほどまでの緊張感はすっとどこかに消えて落ち着いた表情をしている。私は何を聞かれているのかわからなくて首を傾げアーレリーを見返した。


「……あら、聞いていないのね、その様子じゃ。……まぁいいわ、どちらにしろ彼の家に住むのでしょう?」


 アーレリーは訳知り顔で肩をすくめ、少し笑った。私はやっぱり何の話なのか分からなかったけれど、アーレリーの言う“彼”が、栄を指しているのだろうということは分かった。


「ん? うん、えっと、そうだね。栄のお父さんもお母さんも、私にいて欲しいって言ってくれているから甘えようと思っているけど」


 今の私に分かることはこれだけだ。あの家族の中に入れてくれるという好意に甘えることだけ。この先のことなどは何にも考えていなかったから、アーレリーが呆れた顔をするのも当然だと今更になって思った。『状況をよく見なさい』というアーレリーの常套句を肝に銘じて、もう少し考えなければならないな、と思う。


「……そう、よかったわね」


 そういってアーレリーが小さく笑う一瞬前、彼女の表情がなんだか曇ったように見えた。ほんの一瞬過ぎて見間違いかと思ったけれど、なんだか気になって口を開きかけたところ。


「す、す、すみません!! ちょっといいっすか?」


 背後から大きな声が聞こえて驚きながら振り返った。そこには茶色の短めの髪を流した若い男の人が立っていた。ただ立っているだけならなんてことはないのだけれど、その人は何故か呼吸も荒く、目を大きく開けてこちらを凝視している。


 ……な、何なんだろう、この人……!




活動報告で謝り倒させていただいていますのでお時間のある方はそちらでお付き合いください(苦笑)

⑤の2は明日更新予定です!

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